瓦礫の国の王~破燕~

松井暁彦

文字の大きさ
上 下
38 / 47
破燕

しおりを挟む
 十日、姫平は床に臥していた。全快と云う訳ではないが、独力で歩けるまでには体力は戻った。悔やんでも悔やみきれなかった。己が傷を負い、臥したことで、十日も空費してしまった。西では弟の姫職が圧倒的寡兵で督戦している。幸い丁を通して、敗戦の報は入っていない。よく持ち堪えてくれている。だが、こうしている間にも、兵は死んでいく。

 姫平が匿われていた場所は、閭左にある宿であった。丁の話では、庶民の間でも現政権に不満を抱く者は多いと云う。丁は燻る叛乱分子から、信用たる者を選定し、陰助を受けているようだった。

宿の主人は、己が譲位した先王の庶子であることを告げると、随喜の涙を流し、臣従を誓ってくれた。今、宿には生き残った麾下十五人と市被がいる。あの争闘で十五の麾下を失ってしまった。公族、外戚達は、無事、都を離れ、命を救うことはできた。成果が亡くなった彼等の弔いになるかどうかは分からない。だが、彼等の死は無駄ではないと言い切れる。
 
 外の空気を求めて、宿から出ると、市被が玄関口前に置かれた榻に座り、両手で握りしめたとくを眺めていた。

「市被」
 声を掛けると、飛び跳ねるように立ち上がり、覚束ない手で牘を懐に押し込んだ。

「何かあったのか?」
 彼の周章ぶりは尋常ではなかった。

「若」
 居住まいを正した市被であったが、目の焦点は定まっておらず、顔色も死人のように蒼白い。

「酷い顔色だ」

「まだ傷が少し痛むのです」
 ははと市被は細く笑う。己ほどではないが、市被も全身に無数の傷を受けている。特に背の傷は深く、三十針も縫ったという。

「済まなかった。俺が感情のままに奔ったせいで、お前にも傷を負わせてしまった」
 刹那であるが、市被は己の眼差しから逃れるように、斜を向いた。

「いえ。私が若でも、恐らく同じ行動をとったと思います」
 落ち着き払った声で言った、市被から狼狽は消え、普段の軍人然とした、彼に戻っていた。

「若が悔やまれていては、死んでいった者達も報われません」

「ああ。そうだな」
 暫しの重い沈黙が流れた。

「若。麾下を集めてもよろしいですか?」
 沈黙を破ったのは、市被だった。

「ああ。俺もそうしようと思っていた所だ」
 市被が雄健に頷く。

「丁殿率いる夜兎党が、我が方に加わったことで、戦略の幅を広げることが可能になりました。私に妙案があります」

「訊こう」
 市被が切れのある拱手で返した。
 
 姫平は眼を眇め、市被の懐のふくらみを見遣った。妙な胸のざわつきを覚えた。市被は視線から逃れるように一礼し、宿の中へと入って行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

白狼 白起伝

松井暁彦
歴史・時代
時は戦国時代。 秦・魏・韓・趙・斉・楚・燕の七国が幾星霜の戦乱を乗り越え、大国と化し、互いに喰らう混沌の世。 一条の光も地上に降り注がない戦乱の世に、一人の勇者が生まれ落ちる。 彼の名は白起《はくき》。後に趙との大戦ー。長平の戦いで二十四万もの人間を生き埋めにし、中国史上、非道の限りを尽くした称される男である。 しかし、天下の極悪人、白起には知られざる一面が隠されている。彼は秦の将として、誰よりも泰平の世を渇望した。史実では語られなかった、魔将白起の物語が紡がれる。   イラスト提供 mist様      

朱元璋

片山洋一
歴史・時代
明を建国した太祖洪武帝・朱元璋と、その妻・馬皇后の物語。 紅巾の乱から始まる動乱の中、朱元璋と馬皇后・鈴陶の波乱に満ちた物語。全二十話。

女髪結い唄の恋物語

恵美須 一二三
歴史・時代
今は昔、江戸の時代。唄という女髪結いがおりました。 ある日、唄は自分に知らない間に実は許嫁がいたことを知ります。一体、唄の許嫁はどこの誰なのでしょう? これは、女髪結いの唄にまつわる恋の物語です。 (実際の史実と多少異なる部分があっても、フィクションとしてお許し下さい)

左義長の火

藤瀬 慶久
歴史・時代
ボーイミーツガールは永遠の物語―― 時は江戸時代後期。 少年・中村甚四郎は、近江商人の町として有名な近江八幡町に丁稚奉公にやって来た。一人前の商人を目指して仕事に明け暮れる日々の中、やがて同じ店で働く少女・多恵と将来を誓い合っていく。 歴史に名前を刻んだわけでも無く、世の中を変えるような偉業を成し遂げたわけでも無い。 そんな名も無き少年の、恋と青春と成長の物語。

処理中です...