瓦礫の国の王~破燕~

松井暁彦

文字の大きさ
上 下
8 / 47
庶子平

しおりを挟む
 祖父である王の御寝所に通されると、既にしんだいの傍では、弟の姫職の姿があった。姫平は弟の姿を認めると、両耳の充耳を揺らし、「おう」軽く手を挙げた。

「兄上」
 白皙の弟が揖の礼をする。

「お前も呼ばれていたのだな」

「あの…兄上。申し訳ございませんでした。私が黄元先生にー」
 今にも泣き出しそうに瞳を潤ませる、職の肩に乗せる。

「はは。お前が気に病む必要はない。元々は、俺があの頑固じじいの講義を抜け出したのが悪いのだ」
 破顔を交え、慰めてやると、姫職は愁眉を開いた。異母兄弟であるが、二人の絆は強い。姫平は病弱ながら優しい心を持つ弟を、数多くいる血縁者の中で誰よりも信頼している。一方、姫職は不羈奔放で勁健けいけんな兄に憧憬の念を抱いている。

「爺様は?」
 姫平が問うと、「平か」と乾いた声がした。

「二人とも近こう」
 四顧する。御付きの者達の姿がない。つまり、孫の二人以外に聞かれたくはない話があるということだ。

「御爺様」
 夜着姿の祖父が、上半身だけを起こす。慌てて姫職が駆け寄り支える。

「すまんのう。職」
 乾いた咳をする。抑えた手には喀血かっけつの痕があった。姫平は絹の布を懐から出し、血に染まった、祖父の唇を拭いてやる。

「見ての通り、にはもう時がない」
 微苦笑を浮かべた、祖父の姿は何とも痛ましい。覚えている限り、祖父は頑健な躰をしていた。燕の君主として、初めて王号を唱えた祖父には威風堂堂とした貫禄があった。

だが、病床の祖父の躰はまるで幽鬼の如く、痩せ細り、病み衰えていた。姫職は祖父に最も可愛がられていた。故に、祖父の愛情を一心にうけた姫職の哀しみは測れないほど大きい。

「其方達、二人を此処へ呼んだのは他でもない。孤の亡き後について話しておかなければならないことがあるからじゃ」

「父上の嫡子である職が遺言を託されるなら分かります。ですが、何故、俺を?」
 姫職は色魔である父の正室の子であった。順序で云えば、太子である父が王となれば、次の太子は姫職となる。庶子である己が出張る場面ではない。

「平よ。護国の剣は」

「此処に」
 佩帯から護国の剣を抜く。

「よいか。護国の剣を其方に託したのには理由がある」

「理由ですか?」
 姫平は眉を顰めた。

「護国の剣は、其方を燕の君主として、相応しいと選んだ」
 祖父の翳が走っていた眼に、生気が宿る。

「どういうことでしょう?」

「覚えておらぬか。其方が幼き頃、孤が目を話した隙に、其方は遊び半分で、護国の剣を抜いてみせた」
 姫平は回顧し、唸る。記憶の端に残っているような気もする。確か相当な剣幕で祖父が駆け寄ってきたようなー。

「蒼き玉は聖水玉せいすいぎょくと呼び、君主の慈愛の心を看破し、黒き玉は神鉄玉しんてつぎょくと呼び、君主としての素養に必要な彊力きょうりょくを看破する。そして、英雄王と護国の剣が巡り合った時、二玉は輝き、刃は真の姿をみせる」
 まるで何か得体の知れないものに、憑依されたかの如く、祖父は朗々とした声で告げる。
 
 刹那、忘却の淵に残っていた、記憶が奔流の如く脳裡を駆け巡った。強烈な光を放つ二つの玉。刀身の錆が剥がれ、淡い白き光を放った。祖父は驚愕し、瞠目したまま、剣を取り上げる。

「平よ。其方なのかー。剣に選ばれし、英雄王は」
 意識は過去から現在に戻る。
 
 手の中にある、護国の剣は剣格から二つの光が溢れ、鞘から白い輝きが漏れ出している。

「おおー。やはり、其方が」
 光にのまれる兄を、姫職は絶句し、眼を丸くして見つめている。

「爺様。之は一体―」
 言を放つと、光は徐々に鎮まり、いつも通りの鈍らに戻った。

「先に申した通りだ。この剣は幾星霜という時を超え、其方を待っておった」

「お待ちください。この剣は王となるものに受け継がれるものでは」

「確かに。だが、所詮は護り手として受け継がれているだけのことよ。孤の知る限り、護国の剣が認めた君主はいない。勿論、孤も其方の父も同様じゃ」

「では、兄上は」

「そうじゃ。やがて畢生ひつせいの大事業を成し遂げる、乱世に於いて、唯一無二の王となる」

「まさか」
 もう嗤うことしかできなかった。

「懼れながら、庶子に過ぎぬ、俺には王位継承権はありません。其れに、爺様亡き後、王となるのは父上であり、太子となるのは職が至当かと。順序を違えば、我が国に天譴てんけんが降るやもしれません」
 父はともかく、姫職には王としての素養がある。

 他の公子や庶子は権を嵩に着て、奢侈淫楽に耽溺する日々を送っている。だが、姫職だけは儒と向き合い、孔子の教えを通して、君主としてどうあるべきなのかを模索している。生来、病弱な体質にあるが、それを除けば、彼ほど真摯に君主という立場に向き合おうとしている者はいない。きっと彼が王座につけば、燕は蒼生そうせいに優しき穏やかな国になるはずだ。

 そして、己は優秀な弟を影で支え続ける覚悟がある。姫職は明晰であるが、穢れを知らない。弟にあだなす者を排除する。どんな手を遣っても。その穢れは、姫職が生涯、知らなくて良いものだ。故に兄であり、丙種の烙印をおされた己がいる。

「爺様も俺の宮中の評価はご存知なはず。皆、俺を救いようのないうつけものと評しております」
 祖父は姫平の反駁はんばくに対して、穏やかな笑みを浮かべた。

「ああ。存じておる。身分を貶め、名を騙り、負郭に入り浸り、卑賎な者達と賭博をし、娼婦共と褥を共にしていることもな」
 祖父の口調に棘は感じない。むしろ、何処か楽しんでいる風もある。

「ええ。事実です。ならばー」

「だが、孤はこうも聞いておる。平は貧しき者達の暮らしを理解し、寄り添ってやる為に、あえて偽名を騙り、負郭に降っておると。そして、其方が母方の姓を名乗り、負郭を差配するようになってからは、餓え死ぬ子供達が多いに減ったこともな」

「誰がそのようなことをー」
 咄嗟に姫職を見遣った。弟は細い笑みで返した。

「平よ。其方は蒼生に寄り添うことのできる、恤民じゅうみんの心を有している。其れは、君主として必然なものだ。しかし、悲しき哉、今の世に恤民の心を有している為政者は数少ない。そして、其方には清濁併せ吞む覚悟も備わっている。国を治めるというのは綺麗事だけでは無理なのだ。時には非情な決断を下さねばならない。職は其方が云うように、聡明で優しい心を持った子だ」
 皺だらけの手が、姫職の頭を撫ぜる。

「兄上、私は文弱の身です。私が王になれば、佞臣共に傀儡とされるのが関の山でしょう」

「何を。そうはさせない為に、俺がいる」
 姫職が頭を振る。

「兄上。御覚悟を。宝剣は貴方を選んだのです」
 つよい眼だった。こればかりは一歩も引かぬと、不退転の覚悟が横溢している。

「噌には孤が言い含めておく。十年後、奴が存命であるならば、譲位し、平に王座を明け渡すようにと」
 話が瞬く間に進んでいく。己が王―。まるで白昼夢を視ているような気分に陥る。

「孤がこうじれば、噌が王となり、其方を太子に冊立するだろう。その時が来るまで、其方は陶治とうやせよ」

「しかし、御爺様。父上は御遺言通りに、来たる時、兄上に譲位するでしょうか?」

「噌は英邁ではないが、唯一、奴の良き所があるとすれば、王座に対して恬淡である所だ」
 それでも憂慮は晴れないらしく、姫職は険しい表情を浮かべている。

「平よ」
 呆然とする姫平に、祖父が向き直る。乾いた声に潤いが蘇り、王としての貫禄が満ちる。

「これだけは、努々忘れるな。本来、護国の剣は英雄王の物。恐らく現世の物ではなく、幽世かくりよの物であろう。姫姓の者が佩けば、国を守護する要となろうが、そうでない者には魔が囁く。決して、後胤の者以外に、この剣を与えてはならぬ。他者の手に渡れば、護国の剣の妖力は、呪いとなり、この国に厄災を齎す。故に護国の剣は、来たるべき英雄王の顕現の時まで、父祖達が護り続けてきたのだ」
 剣を抱く両のかいなが悲鳴を上げるほどに重く感じた。祖父―。そして、歴代の君主達は、己に護国の剣を託す為に、この剣を自ら佩き護り続けた。庶子に過ぎぬ己に、何れ国の未来と護国の剣が託される。その重圧で、肺腑が拉げそうになる。

「平、この国の未来を託したぞ」
 祖父の声―。いや、違う。幾重もの声が重なっている。それは冥界におわす、父祖の声に違いない。
 
 その十日後、祖父の燕王が薨去した。易の諡が贈られ、国が喪に服した。次いで、太子噲が燕王となる。太子噲が燕王となったことで、燕国は未曾有の災禍に見舞われることになる。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

流浪の果ての花園

萩原伸一
歴史・時代
野宿した川原で蝮に噛まれ気を失っていた又三郎は、倒れていた茂みで出会った娘に助けられる。娘は又三郎の傷だらけの刀を見て、旅の話を聞きたいと言う。そうして語られた彼の僅か22年に過ごした道のりは、並みの者が味わうことのない、過酷で波乱に富んだものであった。

【完結】消えた一族の末裔

華抹茶
BL
この世界は誰しもが魔法を使える世界。だがその中でただ一人、魔法が使えない役立たずの少年がいた。 魔法が使えないということがあり得ないと、少年は家族から虐げられ、とうとう父親に奴隷商へと売られることに。その道中、魔法騎士であるシモンが通りかかりその少年を助けることになった。 シモンは少年を養子として迎え、古代語で輝く星という意味を持つ『リューク』という名前を与えた。 なぜリュークは魔法が使えないのか。養父であるシモンと出会い、自らの運命に振り回されることになる。 ◎R18シーンはありません。 ◎長編なので気長に読んでください。 ◎安定のハッピーエンドです。 ◎伏線をいろいろと散りばめました。完結に向かって徐々に回収します。 ◎最終話まで執筆済み

夏姫の忍

きぬがやあきら
歴史・時代
北条氏康の次女夏は、世間知らずの我儘な姫だった。家のために己を捨てるのが当たり前の戦国時代。その時代の普通が、夏には耐え難かった。 輿入れを命じられたある日の晩、夏は悪心に誘われるまま小田原城から出奔した。 ほんの少し、自由を堪能したら帰城する心づもりではあった。 だが、父氏康が護衛を命じた風魔、室生花月に淡い恋心を抱くようになりーー 身分を越えた二人の恋物語。

悠々自適な転生冒険者ライフ ~実力がバレると面倒だから周りのみんなにはナイショです~

こばやん2号
ファンタジー
とある大学に通う22歳の大学生である日比野秋雨は、通学途中にある工事現場の事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまう。 それを不憫に思った女神が、異世界で生き返る権利と異世界転生定番のチート能力を与えてくれた。 かつて生きていた世界で趣味で読んでいた小説の知識から、自分の実力がバレてしまうと面倒事に巻き込まれると思った彼は、自身の実力を隠したまま自由気ままな冒険者をすることにした。 果たして彼の二度目の人生はうまくいくのか? そして彼は自分の実力を隠したまま平和な異世界生活をおくれるのか!? ※この作品はアルファポリス、小説家になろうの両サイトで同時配信しております。

不良高校に転校したら溺愛されて思ってたのと違う

らる
BL
幸せな家庭ですくすくと育ち普通の高校に通い楽しく毎日を過ごしている七瀬透。 唯一普通じゃない所は人たらしなふわふわ天然男子である。 そんな透は本で見た不良に憧れ、勢いで日本一と言われる不良学園に転校。 いったいどうなる!? [強くて怖い生徒会長]×[天然ふわふわボーイ]固定です。 ※更新頻度遅め。一日一話を目標にしてます。 ※誤字脱字は見つけ次第時間のある時修正します。それまではご了承ください。

櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる
歴史・時代
新選組隊士・斎藤一の生涯を、自分なりにもぐもぐ咀嚼して書きたかったお話。 ※史実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体、事件とは関わりありません。 ※敢えて時代考証を無視しているところが多数あります。 ※歴史小説、ではなく、オリジナルキャラを交えた歴史キャラ文芸小説です。  筆者の商業デビュー前に自サイトで連載していた同人作です。  色々思うところはありますが、今読み返しても普通に自分が好きだな、と思ったのでちまちま移行・連載していきます。  現在は1週間ごとくらいで更新していけたらと思っています(毎週土曜18:50更新)  めちゃくちゃ長い大河小説です。 ※カクヨム・小説家になろうでも連載しています。 ▼参考文献(敬称略/順不同) 『新選組展2022 図録』京都府京都文化博物館・福島県立博物館 『新撰組顛末記』著・永倉新八(新人物往来社) 『新人物往来社編 新選組史料集コンパクト版』(新人物往来社) 『定本 新撰組史録』著・平尾道雄(新人物往来社) 『新選組流山顛末記』著・松下英治(新人物往来社) 『新選組戦場日記 永倉新八「浪士文久報国記事」を読む』著・木村幸比古(PHP研究所) 『新選組日記 永倉新八日記・島田魁日記を読む』著・木村幸比古(PHP研究所) 『新選組全史 天誅VS.志士狩りの幕末』著・木村幸比古(講談社) 『会津戦争全史』著・星亮一(講談社) 『会津落城 戊辰戦争最大の悲劇』著・星亮一(中央公論新社) 『新選組全隊士徹底ガイド』著・前田政記(河出書房新社) 『新選組 敗者の歴史はどう歪められたのか』著・大野敏明(実業之日本社) 『孝明天皇と「一会桑」』著・家近良樹(文藝春秋) 『新訂 会津歴史年表』会津史学会 『幕末維新新選組』新選社 『週刊 真説歴史の道 2010年12/7号 土方歳三 蝦夷共和国への道』小学館 『週刊 真説歴史の道 2010年12/14号 松平容保 会津戦争と下北移封』小学館 『新選組組長 斎藤一』著・菊地明(PHP研究所) 『新選組副長助勤 斎藤一』著・赤間倭子(学習研究社) 『燃えよ剣』著・司馬遼太郎(新潮社) 『壬生義士伝』著・浅田次郎(文藝春秋)

帰って来た勇者、現代の世界を引っ掻きまわす

黄昏人
ファンタジー
ハヤトは15歳、中学3年生の時に異世界に召喚され、7年の苦労の後、22歳にて魔族と魔王を滅ぼして日本に帰還した。帰還の際には、莫大な財宝を持たされ、さらに身につけた魔法を始めとする能力も保持できたが、マナの濃度の低い地球における能力は限定的なものであった。しかし、それでも圧倒的な体力と戦闘能力、限定的とは言え魔法能力は現代日本を、いや世界を大きく動かすのであった。 4年前に書いたものをリライトして載せてみます。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

処理中です...