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引退

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「お疲れーっす」
「お疲れーっしたー」

ステージを終え、舞台裏の楽屋へとまわり、思い思いにモデルがドサっと腰を下ろす。

「あーやってもうたぁー」
「聖也お前なに泣いてんだよ」 
「あの雰囲気はダメだって~泣くってぇ碧生は冷静だなぁ」   
「でもファン増えたと思うよ聖也」
「そうかぁ?」

コーラを飲みながら、聖也が机に顔を突っ伏して、その隣で碧生が笑っている。

凌空へのラストメッセージ。
聖也は、涙を流した。

その隣で聖也を支えるように寄り添って立つ碧生の姿に、朔良は頼もしさを感じた。

そしてもっと若いモデルたちが多くいて、まだステージに上がれない者もいて、初めてイベントに出演した、たった5人のイベントとの違いに、事務所の成長を感じた。



凌空は、泣かなかった。
引退発表でも、ラストイベントでも、彼はいつもと何も変わらない、挨拶をした。

「ファンの方には会えなくなる。でも、俺たちの関係は終わらない。ずっと続いていく。凌空でいられて本当に、幸せでした」

静かにそう挨拶して、静かに、ステージを降りた。


「おっつかれっしたー! 終わったなぁ~っておまえなに泣いてんだよ!」

派手な音を立てて聖也の後頭部を叩き、そして笑う凌空は、いつもと変わらない。

なにも変わらない。

また、数週間後には撮影をして、
また、来月にはライブをして、
また、数ヶ月後にはこうして、イベントをして、

まるで、そんな日が続くような。

いつもと、いつものイベントの後と、なにも変わらない。


違うのは、待っても待っても、スタッフが戻ってこないこと。いつものように、「早く帰ってー」と、ファンを追い出せないのだろう。

聞こえたすすり泣きは、止むことはなくて。
それだけが、いつもと、違った。


「なぁー打ち上げ弦の店でやりたかったわー」
「あーなんか予約入ったらしいっすよ、得意さんの」
「そんなん断ったらいいじゃん弦の店でやりたかったわー」

凌空は、子供のように駄々をこねて、ソファにゴロンと横になった。
その足元に、朔良は腰かけた。
凌空はジロリと、足元に視線を向ける。

「朔良ぁ、なんでそっち? こっちだろ」

膝枕をしろとばかりにポンポンと頭側のソファを叩く。

「そこは弦くんの場所でしょ」
「弦ちゃんいないもん」
「もうー寂しがりだなぁ」

眉を下げ笑いながら朔良は、凌空の頭側にまわる。
無言で凌空は頭を上げて座る場所を作って、そして自然に、朔良の膝を枕にした。

「うわ、あの人らラブラブや~」

遠くで聞こえる声に「俺は朔良とラブラブだもん」と返した凌空は、ふっと、息を吐いた。

そっと、右手で、髪を撫でる。
前髪から覗く瞳が、ちらりと朔良を見上げる。

「なんですか?」
「なにが?」
「いや……」

ゆっくりと瞬きをして、その視線がまた、どこかに移る。

黒目がちな、丸い瞳。
朔良がこの世界に入った時すでに、凌空はスターだった。
手の届かないところにいる人だと思っていて。
別世界で生きる人だと思った。

でもこの人は、全然スターなんかじゃなくて。
全然、別世界にいる人なんかじゃなくて。

周りが勝手にこの人を、スターにした。

そっと、左手で、手を握った。

この手で、どれだけの人を抱き締めてきたのだろう。
この手で、どれだけの人の背中を押し、どれだけの人の、心を支えてきたのだろう。

あの日聞いた歓声、今日見た涙、そしてすすり泣く声は、十分その存在の大きさを、朔良に感じさせた。

でもそれだけではない、この人を、知っている。

その瞳で、どれだけのモデルを見送ったのだろう。
その拳を、どれだけ強く、握ったのだろう。
その足で、どれだけ強く、踏ん張って、踏ん張って踏ん張って。

そこに、スターであるその場所に、立ち続けたのだろう。


今日、凌空は言った。

「俺はパートナーに恵まれた。相手がいないとできない仕事。ひとりではできない。」


きっと彼は、今まで絡んだすべてのモデルに対して、言った。彼は、そういう人。

「なにくつろいでるんですか!早くハケる準備してくださいよ!」

やっと戻ってきたKANが、バタバタと片付けを始める。

「今日くらい、ゆっくりさせろよぉ~」

のっそりと起き上がった凌空の背中。
大きいその背中が、少しだけ、小さく見えた。

「なぁKANちゃん、なんで今日弦の店じゃないの?」

今度はKANの肩に顎を乗せ、「なぁなぁ~」と邪魔をして、「あーもう邪魔!あっちいってて!」と怒られている。


不貞腐れた凌空のターゲットは、真面目に帰り支度をしている碧生に移る。

「なぁ~なんで碧生そんな普通なのー?」
「凌空くんこそいつも通りじゃないですか!」

碧生の包み込むような、あったかいその声で、一蹴される。

「聖也ぁ~!」
「もうーなんですか!」
「つまらん~つまらーん!」
「もぅ~りっちゃぁんっ!」

遊び相手を探し回る子供のように、戯れあって、そして結局最後は、聖也と遊びはじめた。

ゆっくりと朔良も、荷物を片付け始める。

この片付けが終わったら。
もう、凌空は二度と、この場所には戻ってこない。

そう思うと、少しだけ胸が痛い。

「片付け終わった~?」

SUUがゆっくりと階段を上ってきた。

「ちょっと全然終わってないじゃん!」

散らかったフロアを見て、声を上げる。
その声も、いつもと変わらない。
でもその目は、いつもと変わらず聖也と戯れる凌空を見て、少し安心したような、寂しげのような、そんな気がした。

急き立てられるように、バタバタと荷物をまとめて、車に詰め込む。

ガランとした、ファンのいなくなった会場。
そこは、やけに広く感じて、やけに、寂しい。


朔良は後方の椅子に座り、ステージを眺めた。
そこから観るモデルは、ファンにどのように映るのだろう。

この世に生を受け、偶然、この世界の人間と出会い、モデルとなった。

そこには、スターとしてそこに居続けた、いつも、眩しいくらいの笑顔の、「凌空」がいた。


凌空の目には、どう映っていたんだろう。
モデルである自分たちは、どう映っていたんだろう。


凌空の言うパートナー。
それは紛れもなく、弦。

掃いて捨てるほどいるモデルの中で、そんな存在に出会えるなんて、どれほどの確率なんだろうか。


スターというその立場にいて、自分の意志ではどうにもならないことも、耐えなければならないことも、苦悩することも、あったのだろう。

一瞬で消えていくモデルたちを前にして、長年共に過ごしたモデルたちを見送って、それでもなお彼は、そこに立ち続けた。


それは、弦が、隣にいつも居続けたから。


凌空の全てを受け止めた弦のことを、凌空は、本当に、本当に、好きだったんだと思った。


「どうしたん?」

椅子ひとつ開けて、そこにKANが座った。

「凌空くんはさ、本当に弦くんが好きなんだよね」

先ほどまで立っていた場所。
いつもこのステージには、共に弦がいて、凌空の隣に立っていて、今日は、いなかった。

それでもファンは集まって、そして、イベントは進んでいく。


時は、流れていく。

「そやなぁ……」

小さく息を吐くようにKANは、呟いた。


今日、ファンは皆、泣いていた。
そして、30秒で朔良は、何度も聞かれた。

何度も、何度も、ほとんどのファンに。

「朔良くんは、辞めないよね?」

そして、あるファンに言われた。

「引退する人を見送るのはね、言い方悪いし語弊があるかもしれないけど、死んでしまう人を見送る感覚と似てる」

一瞬、意味がわからなかった。
勝手に殺すなとも、思った。

それでもそのファンは、言った。


「もう二度と会えない別れだから。その人が残してくれた思い出を胸に、私たちは生きていくしかない」

そう言って涙を流したファンを前に、言えることはひとつしかなかった。

「凌空は、死なない」

それは、本心だった。
死ぬわけではない。
彼はこれからも生き続けるし、引退はそのモデルの死、ではない。

それでも、ファンにとってはそれ程の悲しみを意味する別れ。

自分は、まだ辞められないと、思った。

この人たちの傷が少しでも癒えて、若いモデルたちが力をつけて、それから、もう十分だと思えたら、引退しよう。

まだ、その時じゃない。

朔良は静かに、心に決めた。


「お疲れ、終わった?」

真後ろで足音が止まり、見上げるとそこには、櫂がいた。

「来たの?」
「あの人が来いって。来なかったら怒られるわ」

笑いながら櫂は、聖也とはしゃぐ凌空に目を向けた。

櫂を知らない若いモデルたちが、突然現れたその姿に驚き櫂は注目を浴びる。

「なんか俺、注目浴びとる?」

恥ずかしそうに櫂はKANに尋ねた。

「若い子らによく、あの頃のDVD見せるんよ。この子たちになる必要はない。でも、この子たちのこんな関係性が、ファンを惹きつけるんよって。初期のころのあんたら5人はさ、あの子らには伝説なんよ」
「伝説って! 死んだみたいやな」
「レジェンド! かっこいいな」

思わぬKANの回答に、思わず声を上げて笑う。

レジェンド。
そう言われて、悪い気はしない。


「おー働いてるかぁ? お疲れー」

突然後方から大きな声が聞こえ、そこにいたのは弦。

「あれ! 弦なんでいるの!」
「打ち上げだろ? 店任してきたわ」
「まじで!? 弦ちゃん好きぃーー」
「お前の引退だぞ? 当たり前だろ」

おどけて抱きつく凌空と、それを当たり前のように受け入れてる弦。
その姿も、いつもと変わらない。

この仕事を続ける自分に、櫂は何も言わない。
この仕事が、普通だとは思わない。

朔良は、凌空と弦を見て笑う櫂の横顔を見上げた。

「ん? どした?」
「ううん……」

あたたかい声に包まれて、そして、デビューからの日々を思い出し、心に想う。


夢の中にいるとは思わないけど、夢みたいな世界にいるとは思う。

もう少し、もう少し、ここにいさせてほしい。
まだ、今じゃないと思うから。

もう少し。

いつか、あんなさっぱりした顔して、夢の続きが見れたらいい。

なぁ、櫂。
もう少し、もう少し待っててな、櫂。
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