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好きなのは…

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 土曜日――

 弘貴が珈琲を読みながら朝刊を読んでいると、起きてきたリリーが難しい顔をして弘貴の隣に座った。

「リリーは珈琲より紅茶がいいよね。ミルクはいる?」

 弘貴はそう言いながら立ち上がる。

 リリーが自分ですると言うから、一度紅茶を煎れさせたことがあるのだが、ティーポットの半分くらいまで茶葉を入れたのを見た瞬間に、彼女に家事をさせてはいけないと、弘貴は瞬時に悟った。

 さすがお姫様。器用な方だとは思っていたが、その器用さを発揮する部分が違うのだろう。

 ボタンの取れた弘貴のシャツを見つけて、あっという間に直した彼女には感心したが、彼女にさせていいのは針仕事だけだ。掃除洗濯料理に関しては、絶対に手を出させてはいけない。

 リリーは朝はそれほど食べないので、彼女のために近くのパン屋で買ってきたスコーンを温め、紅茶と一緒にテーブルの上におく。一緒に売っていたクロテッドクリームも買っていたので、それも差し出した。バターと生クリームの中間のようなものらしいのだが、弘貴は食べたことがないのでよくわからない。

 何となく、スコーンにはこれだと勝手な先入観で買ってみた。

「ジャムの方がよかったら、マーマレードも買っておいたよ」

 リリーのおかげで、壊滅的だった弘貴の家事能力が一ミリくらいは向上したかもしれない。とはいえ、オーブンで温めるということを覚えた程度だが。

 掃除はハウスキーパーにお願いすればいいが、料理はそうはいかない。リリーのためにそろそろ家政婦を検討すべきかとも思ったが――、躊躇うのは、そうすると、リリーとの生活を選んでしまった気がしてしまうから。

 リリーのことは大切に思う。夢の中でははじめて見たときから、気になって仕方がなかった。けれど――、愛しているのはリリーじゃない。このまま遥香が戻らなければ、彼女と一緒に生活する意思には変わらないが、――遥香が、恋しい。

 夜中に目覚めて、隣で穏やかに眠っている遥香の姿がないのを見るだけで――、どうしようもなく絶望する。

 知らず知らずのうちに嘆息してしまっていた弘貴に、リリーが意を決したように口を開いた。

「……クロード王子が、戻る手がかりを見つけたみたい」

「え……?」

 ソファにもどって新聞の続きを読もうとした弘貴は、弾かれたように顔をあげた。

「ドーリッヒ・ホフマンという人の本に書いてあったの。ホフマンはわたしたちと同じ体験をしたみたい。クロード王子は、ホフマンがどうやって元の世界に戻ったのか、それを探っているわ」

 弘貴の顔に、ゆっくりと喜色が広がる。

 真っ暗闇の中に、一つの光明が差し込んだような気がした。

「じゃあ――、戻れるかもしれない?」

「それはわからないけど……、わたしは、クロード王子を信じるわ」

 リリーはそっと左手の薬指に触れる。クロードがリリーに送った指輪。遥香も、指輪をしてくれているのだろうか――、ふと、弘貴は気になった。

「……遥香は、元気そうだった?」

 弘貴は、夢を見ていない。遥香が今どういう状況なのか、それを知るのは、リリーの見る夢の情報のみだった。

 すると、リリーは表情を曇らせる。

 紅茶にミルクを落として、くるくるとかき混ぜながら、言いにくそうに告げた。

「遥香は――、あまり、元気じゃないわ。……あなたに、愛されていなかったのではないかと、そう思っている」

 弘貴が目を見開く。

「なん……で……?」

 遥香のことは愛している。どうしようもないほどに好きだ。それなのに――、どうしてそんな風に思われているのか、弘貴にはまったくわからない。

 リリーはスプーンをおくと視線を落とした。

「あなたが……、わたしを愛せると言ったから……、夢で見ていたと言ったから。遥香は、自分がわたしのかわりなのではないかと思っているわ……」

 弘貴は息を呑んだ。――確かに、言った。遥香がいなくなって、どうしようもなく参っていて。遥香の姿をしたリリーにまでいなくなられたら、きっと呼吸すらうまくできなくなるかもしれないと、そう思った。

 リリーを大切に思っているのに嘘はない。愛せると言ったのにも――、きっと、遥香の次に愛せると感じたから。

 でも、遥香がリリーのかわりだと、思ったことは一度もない。

 弘貴は室内に視線を這わせた。

 遥香は今、夢でこの光景を見ているだろうか?

 見ているのならば、弘貴がここで彼女に話しかければ、説明すれば、わかってくれるだろうか。

 部屋の中を見渡す弘貴の考えに気がついたのか、リリーが小さく首を振った。

「遥香はあれから――、夢を見ていないわ。だから、こちらの声は届かない」

 弘貴は、リリーを見つめて息を止める。

 声は届かない? では、どうやって遥香に伝えればいい――?

 遥香は泣いたかもしれない。その涙を、弘貴は今、ぬぐってやることもできない。

 抱きしめることもできない。

 遥香の姿をしたリリーを見つめながら――、弘貴はどうしようもなく、あの時の自分を呪った。
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