夢の中でも愛してる

狭山ひびき@バカふり200万部突破

文字の大きさ
上 下
108 / 145
事故

2

しおりを挟む
 弘貴に指輪をもらってからというもの、現金なもので、心に余裕ができたらしい。

 高梨が弘貴にどれだけ近づこうと、前ほど嫉妬心を覚えなくなった。

 きっと弘貴と一緒に暮らしはじめたのも大きいだろう。どうしようもなくもやもやすることがあっても、夜、弘貴にぎゅっと抱きしめてもらって眠りにつくだけで満たされた。

 そうして数日がたったころだった。

「みーちゃった!」

 給湯室で休憩がてらコーヒーを入れていた時だった。

 背後から音もなく近寄ってきた坂上にうしろから抱きつかれて、遥香は危うくコーヒー豆をぶちまけるところだった。

 個包装になっているワンカップ用のドリップコーヒーを片手に、困った顔をして肩越しに振り返ると、坂上が「ごめん!」と謝る。だが、すぐににんまりとした笑顔に戻ると、とっておきの内緒話を披露するように、遥香の耳元に口を寄せた。

「仲良く同伴出勤、みーちゃった」

「え?」

「んふー。誤魔化してもだめよぉ。今朝、駅前のマンションから八城係長と仲良く出てくるところ、見ちゃったんだから。ほらぁ、白状しなさいよ! 秘密にしてたなんてずるいじゃないの!」

 あちゃー、と遥香は額を抑えたくなった。ドリップコーヒーを手に持っていなかったら実際額を抑えて天を仰いでいただろう。

(浮かれて油断してた……)

 弘貴の住んでいるマンションは駅前だ。特に通勤時間は誰かに見られる危険性が高かったのに、時間をずらして出勤すればよかった。

 遥香は困った顔をしたが、坂上はそんなことでは許してくれなかった。

「で? いつからなのかなぁ?」

 この様子では誤魔化しは通用しない。いずれ坂上には話そうとも思っていたし、この際白状してしまおうと、遥香はため息をついて、ゴールデンウィーク前から弘貴とつき合っていることを白状する。

「やだーっ、そんな前からなの? どうして教えてくれないのよ!」

 坂上は目をキラキラさせながら、遥香の背中をバシバシ叩く。

「さ、坂上さん。コーヒー豆こぼれちゃう」

「あ、ごめん。でも、水臭いじゃない! もっと早く知りたかったわ!」

「ごめんなさい、なかなか言い出せなくて……」

「ま、それもそうか、なんたってあの八城係長だもんねぇ」

 よく落としたわねぇ、と坂上がしみじみと言ったが、落としたのではなく落とされた遥香は曖昧に笑う。最初のころはつき合いたくなくて逃げ回っていたと言ったら、それこそ、どれだけ根掘り葉掘り追及されるかわかったものではない。

「じゃあさ、その首から下がってる指輪は八城係長からなのかしら?」

「えっ?」

 遥香は慌てて片手で胸元を抑えた。長めのチェーンだから、見えることはないはずなのに、どうして気づいたのだろう。

「なんでわかるの? って顔してる」

 遥香がこくんと頷くと、坂上は微笑んだ。

「お昼明けにプリンターのトレーにコピー用紙補充してたでしょ? かがんだ時に襟元から指輪が出たの、見えちゃったんだなー」

 遥香は坂上の目ざとさに舌を巻いた。

 遥香はマグカップにドリップをセットしたあと、坂上に向かって拝むように手を合わせた。

「坂上さん、このことは……」

「だぁいじょうぶよ、誰にも言いやしないから」

「ありがとうございます!」

「そのかわり、今度しっかり恋愛トークにつき合ってもらうわよ」

 逃がさないわよ、と言いたそうな坂上のキラキラした視線に、遥香は乾いた笑みを浮かべる。だが、「はい」と頷こうとした、そのとき――

「秋月さん、何してるんですか? 課長が会議室の準備をしてほしいって言ってますけど」

 氷のように冷ややかな声が聞こえて、遥香は息を呑む。

 坂上とともに声がした方を見やると、針のように鋭い目をした高梨が睨んでいた。

「早くしてくださいね」

 高梨はぷいっと顔を背けると、カツンカツンとヒールを鳴らしながらフロアに戻っていく。

 坂上が「あー」と唸って片手で口元を覆った。

「あれは、聞かれちゃったかしら……」

「ですよね……」

 遥香も顔を覆うと、大きなため息を吐く。

 よりにもよって、高梨に聞かれるとは、最悪としか言いようがない。

「ごめん……、わたしがこんなところで話しかけたからだわ」

 坂上はちらりとフロアの方を見やってから、声を落とした。

「あの子、ちょっとやばい感じするから、嫌がらせされないように気をつけて。わたしも注意しておくから。ほんとごめん」

 坂上はぽん、と遥香の肩を叩く。

「コーヒーはわたしが自分のを淹れるついでにやっとくから、会議室の準備に行きなよ」

「ありがとうございます。すみません、じゃあ、会議室行ってきます」

 遥香は坂上に小さく頭を下げて会議室に向かう。

 課長に指示通りに会議室に資料を並べながら、高梨の鋭い視線を思い出して、憂鬱になるのだった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お久しぶりです、元旦那様

mios
恋愛
「お久しぶりです。元旦那様。」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】殺されたくないので好みじゃないイケメン冷徹騎士と結婚します

大森 樹
恋愛
女子高生の大石杏奈は、上田健斗にストーカーのように付き纏われている。 「私あなたみたいな男性好みじゃないの」 「僕から逃げられると思っているの?」 そのまま階段から健斗に突き落とされて命を落としてしまう。 すると女神が現れて『このままでは何度人生をやり直しても、その世界のケントに殺される』と聞いた私は最強の騎士であり魔法使いでもある男に命を守ってもらうため異世界転生をした。 これで生き残れる…!なんて喜んでいたら最強の騎士は女嫌いの冷徹騎士ジルヴェスターだった!イケメンだが好みじゃないし、意地悪で口が悪い彼とは仲良くなれそうにない! 「アンナ、やはり君は私の妻に一番向いている女だ」 嫌いだと言っているのに、彼は『自分を好きにならない女』を妻にしたいと契約結婚を持ちかけて来た。 私は命を守るため。 彼は偽物の妻を得るため。 お互いの利益のための婚約生活。喧嘩ばかりしていた二人だが…少しずつ距離が近付いていく。そこに健斗ことケントが現れアンナに興味を持ってしまう。 「この命に代えても絶対にアンナを守ると誓おう」 アンナは無事生き残り、幸せになれるのか。 転生した恋を知らない女子高生×女嫌いのイケメン冷徹騎士のラブストーリー!? ハッピーエンド保証します。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~

流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。 しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。 けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。

氷の公爵の婚姻試験

恋愛
ある日、若き氷の公爵レオンハルトからある宣言がなされた――「私のことを最もよく知る女性を、妻となるべき者として迎える。その出自、身分その他一切を問わない。」。公爵家の一員となる一世一代のチャンスに王国中が沸き、そして「公爵レオンハルトを最もよく知る女性」の選抜試験が行われた。

冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。

ねむたん
恋愛
貴族の娘、ミーシャは婚約者ヴィクターの冷酷な仕打ちによって自信と感情を失い、無感情な仮面を被ることで自分を守るようになった。エステラ家の屋敷と庭園の中で静かに過ごす彼女の心には、怒りも悲しみも埋もれたまま、何も感じない日々が続いていた。 事なかれ主義の両親の影響で、エステラ家の警備はガバガバですw

処理中です...