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愛してる
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セリーヌが小規模な婚約披露の場だと言っていたが、城の大広間を使った舞踏会は、それなりに招待客も多かった。
簡単な婚約披露とは言え、王族の開くものなのだから仕方のないことなのかもしれないが、ほとんど知らない人に囲まれて、遥香が怖気づいていると、クロードが大丈夫だと言うように微笑んでくれる。
国王の短い挨拶ののち、遥香はクロードとファーストダンスを踊ることになった。
ゆったりとした曲調のワルツが流れると、クロードを見つめながら足を動かす。周囲の視線を感じて緊張するが、別荘に行ったときにしっかり練習したこともあり、クロードとの息はぴったりだった。
「少し間があいたから心配だったが、大丈夫そうだな」
クロードが遥香の腰を引き寄せてささやく。
「最初は俺の足を容赦なく踏んでくれたものだが、うまくなったものだ」
「え?」
クロードが楽しそうに喉の奥で笑ったが、遥香は小さく首を傾げた。
(足なんて、踏んだかしら……?)
くるりとクロードに誘導されてターンする。
優しく細められているクロードの青い瞳を見上げて、遥香はハッとした。
クロードとダンスをしたとき――湖畔の別荘で練習したときも、遥香は一度もクロードの足を踏んでいない。
めったにダンスを踊ることのない遥香が、男性の足を踏んだのは、ここ最近では一度だけ。仮面舞踏会に黒と金の仮面をつけた紳士と踊ったときだけだ。
あのとき、遥香は一度だけ、彼の足を踏んでしまったのだ。
(……やっぱり、クロード王子だった)
そして、足を踏まれたと言うクロードは、あのとき仮面をつけていた遥香をちゃんと認識していたのだ。
(黙ってるなんて、ちょっとずるい……)
遥香は知らなかったのに。少しムッとする。
「……わたし、クロード王子の足なんて踏んでません。踏んだのは、黒と金の仮面をつけた、クロード王子と同じ金色の髪に青い瞳をした男性です」
遥香が意趣返しのように言うと、クロードが目を丸くしたあと、バツが悪そうな顔をする。小さな仕返しができてすっきりした遥香は、曲が終わり、クロードとともに一礼したのち、大広間の壁際に移動しながら、
「あの時の仮面の方は、クロード王子だったんですね」
「……黙っていて悪かった」
「本当です。言ってくれればよかったのに」
「それは……」
クロードは口ごもると、はあ、とため息をついて遥香の腕を取った。
「ちょっと来い」
遥香はそのままクロードに手を引かれて、大広間から回廊を渡り、中庭に出る。
ようやく日が沈んだばかりの空は、まだ薄紫色で、白っぽい月が浮かんでいた。
大理石で作られた四阿まで手を引かれて行けば、すぐ近くに、クロードが幼いころに遊んだと言う、太い木の幹に括りつけられたブランコがある。
クロードはブランコに腰かけると、立ったままの遥香を見上げた。
「どうして黙っていたんですか?」
遥香が問うと、クロードは観念したように肩を落とした。
「あのときお前は、俺のことが苦手だっただろう?」
遥香はハッとした。
クロードはキィと音を立ててブランコを揺らす。
「気づいていないと思ったか? 俺がそばに寄るたび、何か言うたびに、お前は怯えたり困ったような顔をしたりしていた。仮面舞踏会のとき、俺だと正体を明かしていたら、お前はきっと楽しめなかっただろう?」
「……ごめんなさい……」
「謝らなくていい。俺が最初を間違えたんだ。後悔はしていないが……、もう少し考えるべきだった。ずっと会いたいと思っていたから、距離の詰め方がわからなかったんだ」
「……え?」
遥香はびっくりしてクロードを見た。
(会いたかった……って言った?)
クロードはちょっとだけ目元を赤く染めて、怒ったように言った。
「悪いか? お前と違って、俺の手元には肖像画があったんだ! それに……、いや、これを言ってもお前はきっとわからないな。とにかく、ああ、もう! こんなことはどうだっていいだろう! つまるところ、お前のために内緒にしていたんだから、文句を言うな!」
ふん、とほんのり赤い顔のままそっぽを向くクロードに、遥香はポカンとする。こんなクロードははじめて見た。驚いて何も言えずにいると、ブランコから立ち上がったクロードが、遥香との距離を詰める。
「……もう、俺のことは怖くないか?」
ほんのり赤い顔のまま、クロードが眉尻を下げる。
(そんなに……、気にしていたなんて)
婚約式の前だっただろうか、クロードに「お前は俺の前では滅多に笑わない」と言われたことがある。遥香の表情を、仕草を見ていないと言えない言葉だ。それ以外にも、ヒントはたくさん出ていたのに、遥香は気づこうとしなかった。
(ごめんなさい……)
遥香は心の中でもう一度謝ると、クロードの手をそっと握りしめた。
「怖くありません」
クロードが本当はとても優しいことを、遥香はちゃんと知っている。最初は怖かったけれど、もう彼を怖いとは思っていない。
遥香が答えると、クロードはホッとしたように笑った。
まだ白くぼんやりとした月の下、遥香がクロードを見上げると、遠慮がちに頬を撫でられる。
「リリー、今まできちんと告げたことはなかったが……、俺はお前のことが、その……、好きだ」
真剣な目をしたクロードに告げられて、ドクンと遥香の心臓が大きく脈打つ。次いで、かあっと顔に熱が集まり、どんどん鼓動が早くなった。
「わ、わ、わたし、は……」
何か答えなくてはと口を開くが、ぱくぱくと金魚が餌を欲しがるように口を動かすだけで、まともな言葉が出てこない。
そんな様子の遥香にクロードは苦笑した。
「何も言わなくていい」
「でも……」
「いいんだ。俺の気持ちをお前に押しつけようと思っているわけじゃない。だが、少しだけ……」
クロードに腰を引き寄せられて、そのままぎゅっと抱きしめられた。ダンスの時よりももっと距離が近い。クロードの胸から少し早い鼓動の音が聞こえてきて、ふわっと香るシトラス系の香水の香りに頭がくらくらした。
(わたし、は……)
クロードに好きと言われてドキドキした。嬉しかった。こうして抱きしめられると緊張するが幸せな気持ちになる。きっと、クロードのことを好きになりはじめているのだと思うけれど、今ここでクロードに好きと告げてはいけないような気がした。好きかもしれない、程度の気持ちでは、クロードに失礼な気がしたのだ。
でも、これだけは言わなければいけないと、遥香はクロードの腕の中で身じろぎする。クロードが腕の力を緩めると、クロードの顔を見上げて、遥香は言った。
「わたしは……、婚約者があなたで、よかったって思っています」
クロードが婚約式の時に告げてくれた言葉と同じ言葉を返す。
最初は怖かったけれど、今はそう思っているからだ。相手がクロードでなければ、内気な遥香が――リリーが、ここまで来ることはできなかっただろう。失敗してもフォローしてやるから、安心してそばにいていいのだと言ってくれたクロードだから、大丈夫だったのだ。
クロードは驚いたような顔をした。
「わたしは、あなたにもらってばっかりですね……。なにか、わたしでもお返しできることはありますか?」
優しさも、勇気も、安心も、すべてクロードが与えてくれた。それなのに自分は、クロードに何も返せていない。
「リリー……」
クロードは遥香を抱きしめる腕に力を込めて、考え込むように沈黙した。ややして、遥香の耳元に口を寄せると、ぼそりとつぶやく。
「……キスを」
「え?」
「はじめてのキスは……、さんざんだったからな。やり直しがしたい」
言われて、クロードに無理やりキスをされたことを思い出した遥香は、かあっと頬を染めた。あの時は泣いてしまって、クロードも怒っていて、確かに全然いい思い出ではなかった。
いやか、と問われて遥香が小さく首を横に振ると、クロードがホッとしたように息をついた。
そっと顎を持ち上げられて、視線が絡む。
クロードも少しだけ緊張しているような表情をしていた。
遠慮がちに、優しく唇が重ねられると、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。
時折吹き抜ける風の音だけが聞こえる中、唇から伝わるクロードの熱に、酒を飲んだわけでもないのに、酔いそうになった。
簡単な婚約披露とは言え、王族の開くものなのだから仕方のないことなのかもしれないが、ほとんど知らない人に囲まれて、遥香が怖気づいていると、クロードが大丈夫だと言うように微笑んでくれる。
国王の短い挨拶ののち、遥香はクロードとファーストダンスを踊ることになった。
ゆったりとした曲調のワルツが流れると、クロードを見つめながら足を動かす。周囲の視線を感じて緊張するが、別荘に行ったときにしっかり練習したこともあり、クロードとの息はぴったりだった。
「少し間があいたから心配だったが、大丈夫そうだな」
クロードが遥香の腰を引き寄せてささやく。
「最初は俺の足を容赦なく踏んでくれたものだが、うまくなったものだ」
「え?」
クロードが楽しそうに喉の奥で笑ったが、遥香は小さく首を傾げた。
(足なんて、踏んだかしら……?)
くるりとクロードに誘導されてターンする。
優しく細められているクロードの青い瞳を見上げて、遥香はハッとした。
クロードとダンスをしたとき――湖畔の別荘で練習したときも、遥香は一度もクロードの足を踏んでいない。
めったにダンスを踊ることのない遥香が、男性の足を踏んだのは、ここ最近では一度だけ。仮面舞踏会に黒と金の仮面をつけた紳士と踊ったときだけだ。
あのとき、遥香は一度だけ、彼の足を踏んでしまったのだ。
(……やっぱり、クロード王子だった)
そして、足を踏まれたと言うクロードは、あのとき仮面をつけていた遥香をちゃんと認識していたのだ。
(黙ってるなんて、ちょっとずるい……)
遥香は知らなかったのに。少しムッとする。
「……わたし、クロード王子の足なんて踏んでません。踏んだのは、黒と金の仮面をつけた、クロード王子と同じ金色の髪に青い瞳をした男性です」
遥香が意趣返しのように言うと、クロードが目を丸くしたあと、バツが悪そうな顔をする。小さな仕返しができてすっきりした遥香は、曲が終わり、クロードとともに一礼したのち、大広間の壁際に移動しながら、
「あの時の仮面の方は、クロード王子だったんですね」
「……黙っていて悪かった」
「本当です。言ってくれればよかったのに」
「それは……」
クロードは口ごもると、はあ、とため息をついて遥香の腕を取った。
「ちょっと来い」
遥香はそのままクロードに手を引かれて、大広間から回廊を渡り、中庭に出る。
ようやく日が沈んだばかりの空は、まだ薄紫色で、白っぽい月が浮かんでいた。
大理石で作られた四阿まで手を引かれて行けば、すぐ近くに、クロードが幼いころに遊んだと言う、太い木の幹に括りつけられたブランコがある。
クロードはブランコに腰かけると、立ったままの遥香を見上げた。
「どうして黙っていたんですか?」
遥香が問うと、クロードは観念したように肩を落とした。
「あのときお前は、俺のことが苦手だっただろう?」
遥香はハッとした。
クロードはキィと音を立ててブランコを揺らす。
「気づいていないと思ったか? 俺がそばに寄るたび、何か言うたびに、お前は怯えたり困ったような顔をしたりしていた。仮面舞踏会のとき、俺だと正体を明かしていたら、お前はきっと楽しめなかっただろう?」
「……ごめんなさい……」
「謝らなくていい。俺が最初を間違えたんだ。後悔はしていないが……、もう少し考えるべきだった。ずっと会いたいと思っていたから、距離の詰め方がわからなかったんだ」
「……え?」
遥香はびっくりしてクロードを見た。
(会いたかった……って言った?)
クロードはちょっとだけ目元を赤く染めて、怒ったように言った。
「悪いか? お前と違って、俺の手元には肖像画があったんだ! それに……、いや、これを言ってもお前はきっとわからないな。とにかく、ああ、もう! こんなことはどうだっていいだろう! つまるところ、お前のために内緒にしていたんだから、文句を言うな!」
ふん、とほんのり赤い顔のままそっぽを向くクロードに、遥香はポカンとする。こんなクロードははじめて見た。驚いて何も言えずにいると、ブランコから立ち上がったクロードが、遥香との距離を詰める。
「……もう、俺のことは怖くないか?」
ほんのり赤い顔のまま、クロードが眉尻を下げる。
(そんなに……、気にしていたなんて)
婚約式の前だっただろうか、クロードに「お前は俺の前では滅多に笑わない」と言われたことがある。遥香の表情を、仕草を見ていないと言えない言葉だ。それ以外にも、ヒントはたくさん出ていたのに、遥香は気づこうとしなかった。
(ごめんなさい……)
遥香は心の中でもう一度謝ると、クロードの手をそっと握りしめた。
「怖くありません」
クロードが本当はとても優しいことを、遥香はちゃんと知っている。最初は怖かったけれど、もう彼を怖いとは思っていない。
遥香が答えると、クロードはホッとしたように笑った。
まだ白くぼんやりとした月の下、遥香がクロードを見上げると、遠慮がちに頬を撫でられる。
「リリー、今まできちんと告げたことはなかったが……、俺はお前のことが、その……、好きだ」
真剣な目をしたクロードに告げられて、ドクンと遥香の心臓が大きく脈打つ。次いで、かあっと顔に熱が集まり、どんどん鼓動が早くなった。
「わ、わ、わたし、は……」
何か答えなくてはと口を開くが、ぱくぱくと金魚が餌を欲しがるように口を動かすだけで、まともな言葉が出てこない。
そんな様子の遥香にクロードは苦笑した。
「何も言わなくていい」
「でも……」
「いいんだ。俺の気持ちをお前に押しつけようと思っているわけじゃない。だが、少しだけ……」
クロードに腰を引き寄せられて、そのままぎゅっと抱きしめられた。ダンスの時よりももっと距離が近い。クロードの胸から少し早い鼓動の音が聞こえてきて、ふわっと香るシトラス系の香水の香りに頭がくらくらした。
(わたし、は……)
クロードに好きと言われてドキドキした。嬉しかった。こうして抱きしめられると緊張するが幸せな気持ちになる。きっと、クロードのことを好きになりはじめているのだと思うけれど、今ここでクロードに好きと告げてはいけないような気がした。好きかもしれない、程度の気持ちでは、クロードに失礼な気がしたのだ。
でも、これだけは言わなければいけないと、遥香はクロードの腕の中で身じろぎする。クロードが腕の力を緩めると、クロードの顔を見上げて、遥香は言った。
「わたしは……、婚約者があなたで、よかったって思っています」
クロードが婚約式の時に告げてくれた言葉と同じ言葉を返す。
最初は怖かったけれど、今はそう思っているからだ。相手がクロードでなければ、内気な遥香が――リリーが、ここまで来ることはできなかっただろう。失敗してもフォローしてやるから、安心してそばにいていいのだと言ってくれたクロードだから、大丈夫だったのだ。
クロードは驚いたような顔をした。
「わたしは、あなたにもらってばっかりですね……。なにか、わたしでもお返しできることはありますか?」
優しさも、勇気も、安心も、すべてクロードが与えてくれた。それなのに自分は、クロードに何も返せていない。
「リリー……」
クロードは遥香を抱きしめる腕に力を込めて、考え込むように沈黙した。ややして、遥香の耳元に口を寄せると、ぼそりとつぶやく。
「……キスを」
「え?」
「はじめてのキスは……、さんざんだったからな。やり直しがしたい」
言われて、クロードに無理やりキスをされたことを思い出した遥香は、かあっと頬を染めた。あの時は泣いてしまって、クロードも怒っていて、確かに全然いい思い出ではなかった。
いやか、と問われて遥香が小さく首を横に振ると、クロードがホッとしたように息をついた。
そっと顎を持ち上げられて、視線が絡む。
クロードも少しだけ緊張しているような表情をしていた。
遠慮がちに、優しく唇が重ねられると、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。
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