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涙の夜
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弘貴と計画した二泊三日の旅行の日がやってきた。
新幹線を降りたあとは、電車やバスでの乗り換えが少し大変なので、あらかじめ弘貴が手配しておいたレンタカーで目的地の旅館まで行くことになった。日本に帰ってきてからはまだ一度も車を運転していないと言う弘貴が、「乗り心地が悪かったらごめん」と気にしていたが、とても丁寧な運転で安心して助手席に乗っていられた。
「いい天気になってよかったね」
ナビを見ながらハンドルを切り、弘貴が笑う。
旅館が近くなると海が見えてきて、日差しを反射して海面がキラキラと輝いていた。
ちょうど海開きがある時期なので、まだ泳ぐには少し寒いかもしれないが、水着を持ってきていれば海に入ることができた。だが、泳ぐのがあまり得意でないのと、水着姿を見られるのが恥ずかしいのとで、遥香は「海に行く?」という弘貴の提案を辞退した。
もし海に行くのなら、海岸沿いをのんびり散歩する程度にとどめたい。
「今年の夏は少し涼しいのかな。まだ、それほど暑くないよね」
半袖の黒いシャツを着た弘貴が、クーラーの温度を調整しながら言う。クーラーを切っているとさすがに暑いが、つけていると肌寒く、なかなか調整が難しい。
遥香はサマーニットの上に日焼け防止を兼ねて薄手のパーカーを羽織っているので、弘貴が「寒くない?」と訊ねるのに首を横に振って返事をした。
旅館にチェックインするには少し早いので、近くの商店街のコインパーキングに車を止めて、遥香たちは少し温泉街を楽しむことにした。
石畳の温泉街を歩いていると、いたるところにお土産屋さんがあり、また、店頭で温泉饅頭が蒸されていたりと、面白い。温泉街独特の硫黄の香りもどこかホッとする。遥香は弘貴と手をつないで歩きながら、きょろきょろと視線を左右に彷徨わせた。
少し歩き疲れてきたタイミングで見つけたお茶屋さんに入ると、このお店の人気商品だと言うわらび餅を食べることにした。
コーヒーを頼んだ弘貴の目の前に、コーヒーカップではなく、深い緑の、陶器でできた器がおかれて、彼が小さく笑う。
「こういうのでコーヒーを飲むのもいいね。なんだか楽しい」
持ち手のない大き目の湯飲みのような器を持って、弘貴がコーヒーを飲む。
「うん、深入りで芳ばしくておいしいよ。そっちのほうじ茶ラテはどう?」
「これですか? 豆乳ベースでおいしいですよ」
そう言いながら飲み物をトレードすると、ほうじ茶ラテを気に入ったらしい弘貴が、そのまま半分くらいまで飲み干してしまって、遥香はぷうっと頬を膨らませた。
「もうっ、わたしの分がなくなるじゃないですか」
拗ねて見せると、弘貴が笑いながら「ごめん」と言う。
「たりなかったらおかわりを頼むから、拗ねるなよ」
遥香は「仕方ないなぁ」と笑って許すと、きなこと黒蜜のかかったわらび餅を口に運んだ。ぷにぷにした食感のわらび餅は、初夏の少し暑い気温の中で食べると、冷たくてとても美味しい。
わらび餅を堪能したあと、そろそろ旅館のチェックインの時間にちょうどよさそうだと言うことで、遥香たちは再び弘貴の運転で旅館に向かった。
出迎えてくれた女将さんに挨拶をして、部屋に通されると、畳の部屋の、いかにも温泉宿といった雰囲気の部屋で嬉しくなる。
部屋の真ん中にはこげ茶のテーブルがあり、木製の座椅子の上に座布団が引いてあって、遥香はその上に腰を下ろすと、仲居さんが準備してくれたお茶に口をつけた。
廂の外に見える庭の様子は、日本庭園風で落ち着いた趣だった。遠くに見える大きな紅葉の木には緑の葉が生い茂っていて、きっと秋にはきれいに色づくのだろう。
「気に入った?」
遥香と同じようにお茶に口をつけながら、弘貴が優しく微笑んだ。
「すぐ温泉に入ってもいいけど、まだ少し日も高いから、散歩にでも行く?」
この宿の裏には山があって、散歩コースもあるらしい。遥香は嬉しくなって、一息ついたあと、弘貴と一緒に裏山の散歩コースに行くことにした。
新幹線を降りたあとは、電車やバスでの乗り換えが少し大変なので、あらかじめ弘貴が手配しておいたレンタカーで目的地の旅館まで行くことになった。日本に帰ってきてからはまだ一度も車を運転していないと言う弘貴が、「乗り心地が悪かったらごめん」と気にしていたが、とても丁寧な運転で安心して助手席に乗っていられた。
「いい天気になってよかったね」
ナビを見ながらハンドルを切り、弘貴が笑う。
旅館が近くなると海が見えてきて、日差しを反射して海面がキラキラと輝いていた。
ちょうど海開きがある時期なので、まだ泳ぐには少し寒いかもしれないが、水着を持ってきていれば海に入ることができた。だが、泳ぐのがあまり得意でないのと、水着姿を見られるのが恥ずかしいのとで、遥香は「海に行く?」という弘貴の提案を辞退した。
もし海に行くのなら、海岸沿いをのんびり散歩する程度にとどめたい。
「今年の夏は少し涼しいのかな。まだ、それほど暑くないよね」
半袖の黒いシャツを着た弘貴が、クーラーの温度を調整しながら言う。クーラーを切っているとさすがに暑いが、つけていると肌寒く、なかなか調整が難しい。
遥香はサマーニットの上に日焼け防止を兼ねて薄手のパーカーを羽織っているので、弘貴が「寒くない?」と訊ねるのに首を横に振って返事をした。
旅館にチェックインするには少し早いので、近くの商店街のコインパーキングに車を止めて、遥香たちは少し温泉街を楽しむことにした。
石畳の温泉街を歩いていると、いたるところにお土産屋さんがあり、また、店頭で温泉饅頭が蒸されていたりと、面白い。温泉街独特の硫黄の香りもどこかホッとする。遥香は弘貴と手をつないで歩きながら、きょろきょろと視線を左右に彷徨わせた。
少し歩き疲れてきたタイミングで見つけたお茶屋さんに入ると、このお店の人気商品だと言うわらび餅を食べることにした。
コーヒーを頼んだ弘貴の目の前に、コーヒーカップではなく、深い緑の、陶器でできた器がおかれて、彼が小さく笑う。
「こういうのでコーヒーを飲むのもいいね。なんだか楽しい」
持ち手のない大き目の湯飲みのような器を持って、弘貴がコーヒーを飲む。
「うん、深入りで芳ばしくておいしいよ。そっちのほうじ茶ラテはどう?」
「これですか? 豆乳ベースでおいしいですよ」
そう言いながら飲み物をトレードすると、ほうじ茶ラテを気に入ったらしい弘貴が、そのまま半分くらいまで飲み干してしまって、遥香はぷうっと頬を膨らませた。
「もうっ、わたしの分がなくなるじゃないですか」
拗ねて見せると、弘貴が笑いながら「ごめん」と言う。
「たりなかったらおかわりを頼むから、拗ねるなよ」
遥香は「仕方ないなぁ」と笑って許すと、きなこと黒蜜のかかったわらび餅を口に運んだ。ぷにぷにした食感のわらび餅は、初夏の少し暑い気温の中で食べると、冷たくてとても美味しい。
わらび餅を堪能したあと、そろそろ旅館のチェックインの時間にちょうどよさそうだと言うことで、遥香たちは再び弘貴の運転で旅館に向かった。
出迎えてくれた女将さんに挨拶をして、部屋に通されると、畳の部屋の、いかにも温泉宿といった雰囲気の部屋で嬉しくなる。
部屋の真ん中にはこげ茶のテーブルがあり、木製の座椅子の上に座布団が引いてあって、遥香はその上に腰を下ろすと、仲居さんが準備してくれたお茶に口をつけた。
廂の外に見える庭の様子は、日本庭園風で落ち着いた趣だった。遠くに見える大きな紅葉の木には緑の葉が生い茂っていて、きっと秋にはきれいに色づくのだろう。
「気に入った?」
遥香と同じようにお茶に口をつけながら、弘貴が優しく微笑んだ。
「すぐ温泉に入ってもいいけど、まだ少し日も高いから、散歩にでも行く?」
この宿の裏には山があって、散歩コースもあるらしい。遥香は嬉しくなって、一息ついたあと、弘貴と一緒に裏山の散歩コースに行くことにした。
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