79 / 145
隣国へ
7
しおりを挟む
おそらくクロードが手を打っている、という王妃の読みは正しかった。
王妃が部屋を訪れた二日後、遥香はクロードに一人の女性を引き合わされた。
クロードの亡き母の遠縁にあたるという伯爵令嬢で、セリーヌという遥香と同じ年の十八歳の令嬢だった。
「セリーヌを侍女にすることにした」
セリーヌを紹介されたあと、あっけらかんというクロードに遥香はびっくりした。
セリーヌは赤みがかったブラウンの髪に、うっすらとそばかすの浮かぶ愛らしい女性だった。部屋の中でおとなしくしているより、領地で馬にまたがって駆け回る方が好きらしい。父親である伯爵がおてんばすぎて頭を抱えているらしく、クロードが未来の王太子妃の侍女によこせと言ったところ、二つ返事で了承したそうだ。これで少しはおとなしくなるかもしれないと思ったらしいと、セリーヌは自分のことなのに他人事のように笑って言った。
このあと仕事のあるクロードは、セリーヌを紹介すると足早に部屋から出て行ってしまい、遥香はセリーヌとアンヌと三人でティータイムをすごすことにした。
「クロード王子ったら、もともといた侍女たちを全員解雇したらしいですわ。事情も聞きましたけど、まったく、リリー様はお優しくていらしゃいますね。わたしだったら、こっぴどく仕返しをするんですけど」
セリーヌがそう言えば、アンヌが勢いよく頷いた。
「そうなんです! リリー様はいつも、『仕方ないわね』で許してしまう癖があるんです。もしここがセザーヌ国だったら、わたしがかわりに仕返しするんですが、ここではそうもいかなくて、悔しくて悔しくて……!」
「あら、じゃあ、今度同じようなことがあったら、わたしと一緒に仕返しに行けばいいわね。アンヌさんは気が合いそうで嬉しいわ」
「わたしもエリーゼさんとは仲良くなれそうです」
目の前で繰り広げられる侍女たちの物騒な会話に、遥香は苦笑いを浮かべる。
口を挟まずに黙って紅茶を飲んでいると、セリーヌがきらりと楽しそうに目を光らせた。
「リリー様、知ってます? クロード王子ったら、侍女たちを解雇するときにすごい剣幕だったらしいですわ」
「え……?」
遥香はティーカップを口元から離して、目を丸くした。
「俺の妃になる女にどういうつもりだって、怒鳴ったらしいです。わたしは直接見ていませんけど、王妃様が見ていたらしくて。普段、あんまり怒鳴ることがない方だから、驚いたそうですわ。わたしも、その話を聞いて驚きました」
セリーヌは笑いながら、少し遠い目をした。
「先ほど、リリー様に接するときのクロード王子の態度を見て気づきましたけど、クロード王子はリリー様には素の自分を見せているのでしょう?」
「おそらくは……」
はっきりとはわからないが、おそらく、クロードの態度を見ていると、遥香に対して猫はかぶっていないようだから、セリーヌが言うところの「素」なのだろうと思う。
セリーヌは茶請けのクッキーを口に運びながら、言った。
「前王妃様がなくなって、少ししたころだったかしら。クロード王子が一時期笑わなくなったことがあったんです。たぶん、国王陛下が今の王妃様を王妃様にしたときだったと思います。前王妃様が亡くなって、すぐに今の王妃様を据えたことで、反発があったのかもしれませんが……。あ、もちろん、今の王妃様とクロード王子が不仲だってことじゃないんですよ。ただ、しばらく暗い顔をしていて……、そのあと気づいたときは、今みたいに、表面上だけ笑うようになっていました」
まるで心を殺しているように見えたと言うセリーヌに、遥香は言葉を失う。
セリーヌは一転して暗い表情を浮かべた遥香の口に、クッキーを押し当てた。
「そんな顔をなさらないで。わたし、嬉しかったんですよ?」
口を開けてクッキーを頬張った遥香は、咀嚼しながら首を傾げる。
「クロード王子は、ちゃんと、自分を見せることのできる人と結婚できるんだって、安心しましたの。クロード王子が誰かのためにあんなに怒るのははじめて見ました。それだけリリー様のことが大切なんでしょう。だから、嬉しかったんですよ」
遥香はクッキーを噛み砕きながら、同じようにセリーヌの言葉を噛み砕いて考えた。
クロードとはじめて会ったとき、意地悪で怖い人だと思った。でもあれは、遥香を結婚相手として、素を見せてくれていたからなのだろう。遥香は怖くて逃げてばかりいたが、今ならわかる。クロードはクロードなりに、嘘の自分ではなく、本当の自分を見せることで、誠実に接しようとしてくれていたのだ。
(わたしはちゃんと、向き合えているかしら……?)
クロードのことはもう怖くない。けれど、遥香はクロードにきちんと向き合えているだろうか。
今、この国にいる間に、もっとクロードのことを知りたいと、遥香は思った。
王妃が部屋を訪れた二日後、遥香はクロードに一人の女性を引き合わされた。
クロードの亡き母の遠縁にあたるという伯爵令嬢で、セリーヌという遥香と同じ年の十八歳の令嬢だった。
「セリーヌを侍女にすることにした」
セリーヌを紹介されたあと、あっけらかんというクロードに遥香はびっくりした。
セリーヌは赤みがかったブラウンの髪に、うっすらとそばかすの浮かぶ愛らしい女性だった。部屋の中でおとなしくしているより、領地で馬にまたがって駆け回る方が好きらしい。父親である伯爵がおてんばすぎて頭を抱えているらしく、クロードが未来の王太子妃の侍女によこせと言ったところ、二つ返事で了承したそうだ。これで少しはおとなしくなるかもしれないと思ったらしいと、セリーヌは自分のことなのに他人事のように笑って言った。
このあと仕事のあるクロードは、セリーヌを紹介すると足早に部屋から出て行ってしまい、遥香はセリーヌとアンヌと三人でティータイムをすごすことにした。
「クロード王子ったら、もともといた侍女たちを全員解雇したらしいですわ。事情も聞きましたけど、まったく、リリー様はお優しくていらしゃいますね。わたしだったら、こっぴどく仕返しをするんですけど」
セリーヌがそう言えば、アンヌが勢いよく頷いた。
「そうなんです! リリー様はいつも、『仕方ないわね』で許してしまう癖があるんです。もしここがセザーヌ国だったら、わたしがかわりに仕返しするんですが、ここではそうもいかなくて、悔しくて悔しくて……!」
「あら、じゃあ、今度同じようなことがあったら、わたしと一緒に仕返しに行けばいいわね。アンヌさんは気が合いそうで嬉しいわ」
「わたしもエリーゼさんとは仲良くなれそうです」
目の前で繰り広げられる侍女たちの物騒な会話に、遥香は苦笑いを浮かべる。
口を挟まずに黙って紅茶を飲んでいると、セリーヌがきらりと楽しそうに目を光らせた。
「リリー様、知ってます? クロード王子ったら、侍女たちを解雇するときにすごい剣幕だったらしいですわ」
「え……?」
遥香はティーカップを口元から離して、目を丸くした。
「俺の妃になる女にどういうつもりだって、怒鳴ったらしいです。わたしは直接見ていませんけど、王妃様が見ていたらしくて。普段、あんまり怒鳴ることがない方だから、驚いたそうですわ。わたしも、その話を聞いて驚きました」
セリーヌは笑いながら、少し遠い目をした。
「先ほど、リリー様に接するときのクロード王子の態度を見て気づきましたけど、クロード王子はリリー様には素の自分を見せているのでしょう?」
「おそらくは……」
はっきりとはわからないが、おそらく、クロードの態度を見ていると、遥香に対して猫はかぶっていないようだから、セリーヌが言うところの「素」なのだろうと思う。
セリーヌは茶請けのクッキーを口に運びながら、言った。
「前王妃様がなくなって、少ししたころだったかしら。クロード王子が一時期笑わなくなったことがあったんです。たぶん、国王陛下が今の王妃様を王妃様にしたときだったと思います。前王妃様が亡くなって、すぐに今の王妃様を据えたことで、反発があったのかもしれませんが……。あ、もちろん、今の王妃様とクロード王子が不仲だってことじゃないんですよ。ただ、しばらく暗い顔をしていて……、そのあと気づいたときは、今みたいに、表面上だけ笑うようになっていました」
まるで心を殺しているように見えたと言うセリーヌに、遥香は言葉を失う。
セリーヌは一転して暗い表情を浮かべた遥香の口に、クッキーを押し当てた。
「そんな顔をなさらないで。わたし、嬉しかったんですよ?」
口を開けてクッキーを頬張った遥香は、咀嚼しながら首を傾げる。
「クロード王子は、ちゃんと、自分を見せることのできる人と結婚できるんだって、安心しましたの。クロード王子が誰かのためにあんなに怒るのははじめて見ました。それだけリリー様のことが大切なんでしょう。だから、嬉しかったんですよ」
遥香はクッキーを噛み砕きながら、同じようにセリーヌの言葉を噛み砕いて考えた。
クロードとはじめて会ったとき、意地悪で怖い人だと思った。でもあれは、遥香を結婚相手として、素を見せてくれていたからなのだろう。遥香は怖くて逃げてばかりいたが、今ならわかる。クロードはクロードなりに、嘘の自分ではなく、本当の自分を見せることで、誠実に接しようとしてくれていたのだ。
(わたしはちゃんと、向き合えているかしら……?)
クロードのことはもう怖くない。けれど、遥香はクロードにきちんと向き合えているだろうか。
今、この国にいる間に、もっとクロードのことを知りたいと、遥香は思った。
18
お気に入りに追加
519
あなたにおすすめの小説

幼い頃に魔境に捨てたくせに、今更戻れと言われて戻るはずがないでしょ!
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
ニルラル公爵の令嬢カチュアは、僅か3才の時に大魔境に捨てられた。ニルラル公爵を誑かした悪女、ビエンナの仕業だった。普通なら獣に喰われて死にはずなのだが、カチュアは大陸一の強国ミルバル皇国の次期聖女で、聖獣に護られ生きていた。一方の皇国では、次期聖女を見つけることができず、当代の聖女も役目の負担で病み衰え、次期聖女発見に皇国の存亡がかかっていた。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

【完結】高嶺の花がいなくなった日。
紺
恋愛
侯爵令嬢ルノア=ダリッジは誰もが認める高嶺の花。
清く、正しく、美しくーーそんな彼女がある日忽然と姿を消した。
婚約者である王太子、友人の子爵令嬢、教師や使用人たちは彼女の失踪を機に大きく人生が変わることとなった。
※ざまぁ展開多め、後半に恋愛要素あり。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】殺されたくないので好みじゃないイケメン冷徹騎士と結婚します
大森 樹
恋愛
女子高生の大石杏奈は、上田健斗にストーカーのように付き纏われている。
「私あなたみたいな男性好みじゃないの」
「僕から逃げられると思っているの?」
そのまま階段から健斗に突き落とされて命を落としてしまう。
すると女神が現れて『このままでは何度人生をやり直しても、その世界のケントに殺される』と聞いた私は最強の騎士であり魔法使いでもある男に命を守ってもらうため異世界転生をした。
これで生き残れる…!なんて喜んでいたら最強の騎士は女嫌いの冷徹騎士ジルヴェスターだった!イケメンだが好みじゃないし、意地悪で口が悪い彼とは仲良くなれそうにない!
「アンナ、やはり君は私の妻に一番向いている女だ」
嫌いだと言っているのに、彼は『自分を好きにならない女』を妻にしたいと契約結婚を持ちかけて来た。
私は命を守るため。
彼は偽物の妻を得るため。
お互いの利益のための婚約生活。喧嘩ばかりしていた二人だが…少しずつ距離が近付いていく。そこに健斗ことケントが現れアンナに興味を持ってしまう。
「この命に代えても絶対にアンナを守ると誓おう」
アンナは無事生き残り、幸せになれるのか。
転生した恋を知らない女子高生×女嫌いのイケメン冷徹騎士のラブストーリー!?
ハッピーエンド保証します。
氷の公爵の婚姻試験
黎
恋愛
ある日、若き氷の公爵レオンハルトからある宣言がなされた――「私のことを最もよく知る女性を、妻となるべき者として迎える。その出自、身分その他一切を問わない。」。公爵家の一員となる一世一代のチャンスに王国中が沸き、そして「公爵レオンハルトを最もよく知る女性」の選抜試験が行われた。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる