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隣国へ
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遥香のもとに、天使が訪れたのは、それから二日後のことだった。
コンコンと控えめな音がして顔をあげた遥香は、ハンカチに刺繍をしていた手を止めて立ち上がった。
遥香の身の回りのことをすべて一人ですると宣言したアンヌは、今は午後の紅茶を煎れるためのお湯を用意しに行っているため、部屋の中には遥香しかいない。
自ら部屋の扉を開けると、そこには、銀に近い金髪をツインテールにした、勝気そうな少女が立っていた。年の頃は十歳程度だろう。裾がふんわりと広がっているピンクの可愛らしいドレスを身に着けていた。
少女は腰に両手を当てて胸を張ると、偉そうな口調でこう言った。
「リリーとか言う女の部屋はここ?」
遥香は唖然とした。
だが、相手が子供だったことと、この国に来てからの侍女たちの態度と言い、あまり歓迎されていないことはわかっていたので、怒らずに頷いた。
「ええ。リリーはわたしです」
答えると、少女はびっくりしたように目を丸くした。
「嘘! なんで部屋の主が自分で扉を開けるのよ? 侍女はどこ?」
「侍女―――、アンヌは、お茶の用意に行っているので今はいないんですよ。こんなところではなんですから、中へどうぞ?」
遥香が大きく扉を開けると、少女はさも当然という顔で部屋の中に入り込んだ。
彼女はまっすぐソファまで行くと、その上にちょこんと腰を下ろして遥香を見上げる。
「ほかにも侍女はいるはずだけど、なんで誰もいないの?」
その質問に、遥香は困った。
眉を下げて言葉を練っていると、少女はあっけらかんと「まあいいわ」と言って、机の上においてあるチョコレートの包みに手を伸ばした。これは昨日、クロードが差し入れてくれたチョコレートだった。
「これ、城下町にある老舗のチョコレートよね。お兄様がたまにくれるわ」
そう言って、にこにこしながらチョコレートの包みをあける。
部屋の中のものを勝手に食べられているという驚きの事態にも、遥香は怒りはしなかった。それよりも気になったことがあったからだ。
「お兄様って?」
まさか、と思いながらも、ソファに腰を下ろして少女に訊ねる。
彼女は子供の口には大きい丸いチョコレートを頬張りながら、答えた。
「クロードお兄様に決まってるじゃない」
(やっぱり……)
会ったことはなかったが、彼女が噂のクロードの妹エリーゼだろう。
「その、エリーゼ王女ですね? はじめまして」
「あ、挨拶、忘れてた。はじめまして」
ハッと気がついたように顔をあげて、エリーゼはほんのり頬を染めてちょこんとお辞儀をする。その姿はとても愛らしい。
国王との謁見はすませたが、王妃やその娘であるエリーゼとはまだ挨拶を交わしていなかった。クロードに言えば「そのうち自分から勝手に会いに行くだろうから放っておいていい」とのことだったが、クロードの読み通り、こうして会いに来てくれたのだろう。
エリーゼはもぐもぐとリスのように頬を膨らませながらチョコレートを咀嚼すると、飲み物を探して視線を彷徨わせた。だが、途中で侍女がお茶の準備をしに行っているという遥香の言葉を思い出したらしく、視線を彷徨わせるのはやめて遥香を見上げる。
「どんな女かと思ったけど、フツーね」
歯に衣を着せない物言いに、遥香は苦笑するしかない。
飲み物を諦めたエリーゼは、二個目のチョコレートの包みに手を伸ばした。
「あのお兄様のお嫁さんだから、けばけばしいのが来ると思ってたんだけど、フツーすぎてびっくりだわ」
「えっと……」
褒められているのか貶《けな》されているのかよくわからず、遥香は言葉に困る。
ずけずけと言いたいことを言うのは、少しアリスに似ているかもしれない。
「あんたの国に、セザーヌ国の美姫とかいう姫がいるじゃない? だから、その姉もすっごい美人だろうって思ってたんだけど、違ったのね。お兄様もお父様も肖像画見せてくれなかったから、けばいのが来たら『おばさん』って言ってからかってやろうと思って楽しみにしていたんだけど、拍子抜けだわ」
「………えっと、美人じゃなくて、ごめんなさい……?」
「どうして謝るの。いいじゃない平凡。無害そうだし。お兄様に女を見る目があったのねってちょっと安心しちゃったわ」
どうやら褒めてくれていたらしい。
これは、もしもアリスがクロードの婚約者になっていたら大変だったかもしれない。間違いなく、初対面から大喧嘩だっただろう。コレットだったら、額に青筋を浮かべながら、目上の人に対する礼儀をこんこんと説き伏せようとして、最後に「クソガキ」とキレるだろうか。
(ある意味、わたしでよかったのかしら……?)
嫁姑問題ならぬ、嫁義妹問題に発展しなくてよかった。
しかし、見た目は天使さながらに愛らしいのに、口を開けば毒舌とか、なかなかすごい姫君だ。クロードは「おてんば」と評していたが、おてんばの域はおそらく超えている。
「ねえ、たまにここに遊びに来てもいい?」
どうやら遥香を「お兄様の嫁」として認めてくれたらしいエリーゼが、キラキラした目で訊ねてくる。
遥香が頷くと、エリーゼはアンヌがお茶の準備をして戻ってくるまでの間、おしゃべりの相手を見つけた喜びからか、ずっとしゃべり続けていた。
コンコンと控えめな音がして顔をあげた遥香は、ハンカチに刺繍をしていた手を止めて立ち上がった。
遥香の身の回りのことをすべて一人ですると宣言したアンヌは、今は午後の紅茶を煎れるためのお湯を用意しに行っているため、部屋の中には遥香しかいない。
自ら部屋の扉を開けると、そこには、銀に近い金髪をツインテールにした、勝気そうな少女が立っていた。年の頃は十歳程度だろう。裾がふんわりと広がっているピンクの可愛らしいドレスを身に着けていた。
少女は腰に両手を当てて胸を張ると、偉そうな口調でこう言った。
「リリーとか言う女の部屋はここ?」
遥香は唖然とした。
だが、相手が子供だったことと、この国に来てからの侍女たちの態度と言い、あまり歓迎されていないことはわかっていたので、怒らずに頷いた。
「ええ。リリーはわたしです」
答えると、少女はびっくりしたように目を丸くした。
「嘘! なんで部屋の主が自分で扉を開けるのよ? 侍女はどこ?」
「侍女―――、アンヌは、お茶の用意に行っているので今はいないんですよ。こんなところではなんですから、中へどうぞ?」
遥香が大きく扉を開けると、少女はさも当然という顔で部屋の中に入り込んだ。
彼女はまっすぐソファまで行くと、その上にちょこんと腰を下ろして遥香を見上げる。
「ほかにも侍女はいるはずだけど、なんで誰もいないの?」
その質問に、遥香は困った。
眉を下げて言葉を練っていると、少女はあっけらかんと「まあいいわ」と言って、机の上においてあるチョコレートの包みに手を伸ばした。これは昨日、クロードが差し入れてくれたチョコレートだった。
「これ、城下町にある老舗のチョコレートよね。お兄様がたまにくれるわ」
そう言って、にこにこしながらチョコレートの包みをあける。
部屋の中のものを勝手に食べられているという驚きの事態にも、遥香は怒りはしなかった。それよりも気になったことがあったからだ。
「お兄様って?」
まさか、と思いながらも、ソファに腰を下ろして少女に訊ねる。
彼女は子供の口には大きい丸いチョコレートを頬張りながら、答えた。
「クロードお兄様に決まってるじゃない」
(やっぱり……)
会ったことはなかったが、彼女が噂のクロードの妹エリーゼだろう。
「その、エリーゼ王女ですね? はじめまして」
「あ、挨拶、忘れてた。はじめまして」
ハッと気がついたように顔をあげて、エリーゼはほんのり頬を染めてちょこんとお辞儀をする。その姿はとても愛らしい。
国王との謁見はすませたが、王妃やその娘であるエリーゼとはまだ挨拶を交わしていなかった。クロードに言えば「そのうち自分から勝手に会いに行くだろうから放っておいていい」とのことだったが、クロードの読み通り、こうして会いに来てくれたのだろう。
エリーゼはもぐもぐとリスのように頬を膨らませながらチョコレートを咀嚼すると、飲み物を探して視線を彷徨わせた。だが、途中で侍女がお茶の準備をしに行っているという遥香の言葉を思い出したらしく、視線を彷徨わせるのはやめて遥香を見上げる。
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歯に衣を着せない物言いに、遥香は苦笑するしかない。
飲み物を諦めたエリーゼは、二個目のチョコレートの包みに手を伸ばした。
「あのお兄様のお嫁さんだから、けばけばしいのが来ると思ってたんだけど、フツーすぎてびっくりだわ」
「えっと……」
褒められているのか貶《けな》されているのかよくわからず、遥香は言葉に困る。
ずけずけと言いたいことを言うのは、少しアリスに似ているかもしれない。
「あんたの国に、セザーヌ国の美姫とかいう姫がいるじゃない? だから、その姉もすっごい美人だろうって思ってたんだけど、違ったのね。お兄様もお父様も肖像画見せてくれなかったから、けばいのが来たら『おばさん』って言ってからかってやろうと思って楽しみにしていたんだけど、拍子抜けだわ」
「………えっと、美人じゃなくて、ごめんなさい……?」
「どうして謝るの。いいじゃない平凡。無害そうだし。お兄様に女を見る目があったのねってちょっと安心しちゃったわ」
どうやら褒めてくれていたらしい。
これは、もしもアリスがクロードの婚約者になっていたら大変だったかもしれない。間違いなく、初対面から大喧嘩だっただろう。コレットだったら、額に青筋を浮かべながら、目上の人に対する礼儀をこんこんと説き伏せようとして、最後に「クソガキ」とキレるだろうか。
(ある意味、わたしでよかったのかしら……?)
嫁姑問題ならぬ、嫁義妹問題に発展しなくてよかった。
しかし、見た目は天使さながらに愛らしいのに、口を開けば毒舌とか、なかなかすごい姫君だ。クロードは「おてんば」と評していたが、おてんばの域はおそらく超えている。
「ねえ、たまにここに遊びに来てもいい?」
どうやら遥香を「お兄様の嫁」として認めてくれたらしいエリーゼが、キラキラした目で訊ねてくる。
遥香が頷くと、エリーゼはアンヌがお茶の準備をして戻ってくるまでの間、おしゃべりの相手を見つけた喜びからか、ずっとしゃべり続けていた。
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