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暗闇の抱擁
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舞踏会当日。
アリスに地味だ地味だと騒がれて、そばで聞いていたアンヌのいらぬ闘争心に火をつけてしまったらしい。
持ってきたドレスの中で一番華やかなピンクのドレスに着替えさせられた遥香は、髪の毛をくるくると巻かれて大輪の百合で飾られた。胸元のコサージュは八重咲の大輪の薔薇。三連の真珠の首飾りに、同じく真珠のブレスレットにアンクレット、イヤリングは涙型にカットされたダイヤモンドだ。
布とレースがふんだんに使われているため、歩くたびにふわふわと裾が広がって歩きにくく、飾り立てられた遥香は、ぐったりとソファに身を沈めていた。
ダンスでターンするたびに足元のアンクレットを見せびらかしたいとアンヌが言うので、ドレスは少しだけ丈を短くしている。ダンスの際に裾を踏む心配が少なくなって、それだけはありがたかったが、布が多いためか、このドレスは重い。
ウエストが細いからコルセットはいらないと言い出したときは驚いたが、なるほど、この重たいドレスでコルセットまで巻かれては、まともに動けなかったかもしれない。
「アンヌ、もう、立て続けに五曲も踊ったみたいに疲れたわ……」
「姫様はいつも壁に張りついていらっしゃるから、立て続けに五曲も踊ったことはないでしょう」
アンヌにあきれたように言われて、遥香は小さく首を振る。
確かに舞踏会では壁の花になることが多かった。しかし! 声を大きくして言いたい。今日の舞踏会当日までに、クロードとダンスの練習を行ったのだが――、あの王子は鬼だ。
やれ足さばきにキレがないだの、ターンがきれいじゃないだのケチをつけまくられ、五曲どころか八曲連続で踊らされたときは、息も絶え絶えでこのまま呼吸が止まるかと思った。
鬼さながらの鬼畜っぷりに、遥香が逃げ出したくなったのは一度や二度ではない。
今日までの五日間、鬼コーチにみっちりしごかれた遥香は、魂が体にとどまっていることが奇跡だと思っている。
クロードに無理やり練習させられていたおかげで、リリックも渋りながらもアリスとダンスの練習を毎日していて、アリスがご機嫌だったことだけがせめてもの救いだ。
しかし不思議だったのはクロードだ。練習ではじめて遥香と踊ったというのに、踊る前から遥香の癖を知っていて、初っ端からガンガン注意を入れてきたのには驚いた。遥香のダンスの癖なんて、いったい誰に聞いたのだろう。
「もう一生分、踊った気がするの……」
思い出して魂が抜け落ちそうな遥香に、アンヌは焦ったように紅茶を差し出した。
「リリー様、しっかり! 今日が本番なんですから! はい、蜂蜜入りの紅茶です!」
「ありがとう……」
遥香は蜂蜜がたっぷりと入った甘い紅茶でのどを潤して、ふう、と息を吐く。
ようやく今日で地獄の特訓から解放される。正直言って、連日のダンス練習で足が筋肉痛になっており、今日をやりすごせるかどうか自信がない。だが、舞踏会本番に失敗してしまったら、クロードから何を言われるかわかったものではない。それこそ婚約式まで練習だとか言われたら――、死ぬかもしれない。
想像して身震いした遥香は、ティーカップをおくと、途端にドキドキしはじめた。
(失敗したらどうしよう……)
遥香は本番に弱い。いくら小規模のお遊びのような舞踏会とはいえ、確か三十人くらいは集まったし、アリスが適当な人選をしたから――アリスに言わせれば「カントリーハウスに残っていそうな人を選んだらこうなった」らしい――、年配の方から同年代の人まで揃っている。
そろそろ空が夕闇にかわるころだから、会場の広間まで移動しないといけないだろう。王女とはいえ今回はホスト側なのだから、ゲストを出迎えないといけない。アンヌは今日、給仕に回ると言っていたから、一緒に行けないのが残念だ。
コンコンと部屋の扉が叩かれて、クロードが顔をのぞかせた。黒の上下にダークグレイのシャツ、濃い紫色のタイを首に巻いている。見ほれるほどにあっているが、今日の出で立ちは、白馬にのった王子様というより、魔王のようだと思ったことは黙っておくことにした。怖いからだ。
「支度はできたか? リリー」
ソファまで歩いて来たクロードに差し出された手に手のひらを重ねる。
立ち上がった遥香の耳元で、笑いをかみ殺したクロードがささやいた。
「震えているぞ」
「き、緊張して……」
生まれたばかりの雛のようにふるふると小刻みに震えている遥香の腰を引き寄せて、クロードが耳元で言った。
「大丈夫だ。絶対に転ばせないし、失敗しても全部フォローしてやる。お前は安心して俺のそばにいればいい」
ドクン、と遥香の心臓が大きな音を立てた。
耳元でそんなカッコいいことを言うのは反則だ。思わず頬をおさえた遥香にクロードが苦笑する。
「震えはおさまったな。じゃあ、行こうか」
クロードに手を取られたまま歩き出すと、視界の隅でアンヌが「頑張ってきてくださいね」と拳を握りしめているのが見えた。
遥香は小さく頷くと、クロードにエスコートされて、階下に降りて行ったのだった。
アリスに地味だ地味だと騒がれて、そばで聞いていたアンヌのいらぬ闘争心に火をつけてしまったらしい。
持ってきたドレスの中で一番華やかなピンクのドレスに着替えさせられた遥香は、髪の毛をくるくると巻かれて大輪の百合で飾られた。胸元のコサージュは八重咲の大輪の薔薇。三連の真珠の首飾りに、同じく真珠のブレスレットにアンクレット、イヤリングは涙型にカットされたダイヤモンドだ。
布とレースがふんだんに使われているため、歩くたびにふわふわと裾が広がって歩きにくく、飾り立てられた遥香は、ぐったりとソファに身を沈めていた。
ダンスでターンするたびに足元のアンクレットを見せびらかしたいとアンヌが言うので、ドレスは少しだけ丈を短くしている。ダンスの際に裾を踏む心配が少なくなって、それだけはありがたかったが、布が多いためか、このドレスは重い。
ウエストが細いからコルセットはいらないと言い出したときは驚いたが、なるほど、この重たいドレスでコルセットまで巻かれては、まともに動けなかったかもしれない。
「アンヌ、もう、立て続けに五曲も踊ったみたいに疲れたわ……」
「姫様はいつも壁に張りついていらっしゃるから、立て続けに五曲も踊ったことはないでしょう」
アンヌにあきれたように言われて、遥香は小さく首を振る。
確かに舞踏会では壁の花になることが多かった。しかし! 声を大きくして言いたい。今日の舞踏会当日までに、クロードとダンスの練習を行ったのだが――、あの王子は鬼だ。
やれ足さばきにキレがないだの、ターンがきれいじゃないだのケチをつけまくられ、五曲どころか八曲連続で踊らされたときは、息も絶え絶えでこのまま呼吸が止まるかと思った。
鬼さながらの鬼畜っぷりに、遥香が逃げ出したくなったのは一度や二度ではない。
今日までの五日間、鬼コーチにみっちりしごかれた遥香は、魂が体にとどまっていることが奇跡だと思っている。
クロードに無理やり練習させられていたおかげで、リリックも渋りながらもアリスとダンスの練習を毎日していて、アリスがご機嫌だったことだけがせめてもの救いだ。
しかし不思議だったのはクロードだ。練習ではじめて遥香と踊ったというのに、踊る前から遥香の癖を知っていて、初っ端からガンガン注意を入れてきたのには驚いた。遥香のダンスの癖なんて、いったい誰に聞いたのだろう。
「もう一生分、踊った気がするの……」
思い出して魂が抜け落ちそうな遥香に、アンヌは焦ったように紅茶を差し出した。
「リリー様、しっかり! 今日が本番なんですから! はい、蜂蜜入りの紅茶です!」
「ありがとう……」
遥香は蜂蜜がたっぷりと入った甘い紅茶でのどを潤して、ふう、と息を吐く。
ようやく今日で地獄の特訓から解放される。正直言って、連日のダンス練習で足が筋肉痛になっており、今日をやりすごせるかどうか自信がない。だが、舞踏会本番に失敗してしまったら、クロードから何を言われるかわかったものではない。それこそ婚約式まで練習だとか言われたら――、死ぬかもしれない。
想像して身震いした遥香は、ティーカップをおくと、途端にドキドキしはじめた。
(失敗したらどうしよう……)
遥香は本番に弱い。いくら小規模のお遊びのような舞踏会とはいえ、確か三十人くらいは集まったし、アリスが適当な人選をしたから――アリスに言わせれば「カントリーハウスに残っていそうな人を選んだらこうなった」らしい――、年配の方から同年代の人まで揃っている。
そろそろ空が夕闇にかわるころだから、会場の広間まで移動しないといけないだろう。王女とはいえ今回はホスト側なのだから、ゲストを出迎えないといけない。アンヌは今日、給仕に回ると言っていたから、一緒に行けないのが残念だ。
コンコンと部屋の扉が叩かれて、クロードが顔をのぞかせた。黒の上下にダークグレイのシャツ、濃い紫色のタイを首に巻いている。見ほれるほどにあっているが、今日の出で立ちは、白馬にのった王子様というより、魔王のようだと思ったことは黙っておくことにした。怖いからだ。
「支度はできたか? リリー」
ソファまで歩いて来たクロードに差し出された手に手のひらを重ねる。
立ち上がった遥香の耳元で、笑いをかみ殺したクロードがささやいた。
「震えているぞ」
「き、緊張して……」
生まれたばかりの雛のようにふるふると小刻みに震えている遥香の腰を引き寄せて、クロードが耳元で言った。
「大丈夫だ。絶対に転ばせないし、失敗しても全部フォローしてやる。お前は安心して俺のそばにいればいい」
ドクン、と遥香の心臓が大きな音を立てた。
耳元でそんなカッコいいことを言うのは反則だ。思わず頬をおさえた遥香にクロードが苦笑する。
「震えはおさまったな。じゃあ、行こうか」
クロードに手を取られたまま歩き出すと、視界の隅でアンヌが「頑張ってきてくださいね」と拳を握りしめているのが見えた。
遥香は小さく頷くと、クロードにエスコートされて、階下に降りて行ったのだった。
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