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 リリー――遥香は、カーテンの隙間すきまから差し込む朝日で目を覚ました。

 完全に頭が覚醒かくせいするまでベッドの中でゴロゴロしていると、コンコンと扉を叩く音がして侍女のアンヌが顔を出す。

 湖畔こはんの別荘に来る際に、数いる侍女たちの中で、古株のアンヌだけを連れてきた。彼女は五歳年上の、男爵家の三女で、リリーが十歳の時から仕えてくれている。

 長い赤毛を一つの三つ編みにして、きっちりとお仕着せの型通りに着こなす彼女は、生真面目そうに見えるのだが、実はなかなか愛嬌あいきょうのある女性であることを遥香は知っていた。

「姫様、お目覚めですか?」

 ハーブティーの乗ったカートをベッドサイドにおくと、アンヌはカーテンを開いて、部屋いっぱいに朝の白い日差しを取り入れる。

「おはよう、アンヌ」

 ベッドに上体を起こしてハーブティーを受け取ると、窓の外に見える青い空に目を細めた。

「いい天気ね」

「はい。ただ、こちらは標高が少し高いせいか、天気が変わりやすいですので注意が必要ですね」

 アンヌが遠くの雨雲も見落とすまいと目を凝らすのを見て、確かに湖畔の別荘の付近は天候が変わりやすかったなと思い出す。晴れていたのに突然雨が降りはじめたり、その逆もまた然りで、何年か前に訪れたときはボート遊びのさなかに雨が降りはじめて大変だった。

 遥香はハーブティーを飲み干すと、アンヌに手伝ってもらい、裾が広がらないシンプルなドレス姿に着替える。姉コレットに「明るい色を着ろ」と言われて新調したこのドレスは、淡い菫色の、デコルテがきれいに見えるデザインのドレスだ。シンプルだがスカート部分の刺繍ししゅうが細かく優美で、ほっそりとした遥香の体のラインにぴったりと沿うようにデザインされている。

 ドレスの上にレースのショールを羽織ると、窓の外から湖のあるあたりを見下ろした。別荘から少し距離があるので、見えるのは木々に囲まれた中にあるほんの少しの青い水面だけだが、日差しを浴びてキラキラと輝いているのがわかる。

「……アリスは今日も、湖なのかしら」

 昨日に引き続き今日もアリスに引きずられて行くのかと思うと、リリックに同情してしまう。しかし、遥香が止めたところで聞く妹ではなかった。むしろ、リリックをかばうような発言をすると、アリスは意地になってリリックを引っ張っていこうとするので、口出しするのは逆効果だろう。

 アンヌはティーセットを片付けながら肩をすくめた。

「リリー様にしてもリリック様にしても、アリス様に甘くていらっしゃいます」

 言葉の端に棘のようなものを感じて、遥香は苦笑してしまう。

 アンヌはアリスのことをあまりよく思っていないのだ。昔から主人であるリリーに向かって好き勝手なことを言うアリスに、アンヌが腹を立てていることは知っていた。けれどもアリス本人がいる前ではぐっと堪えているのだ。たまにぽろっと愚痴ぐちを言うのは大目に見るべきだろう。

「こちらへ来るのだって、急についていくとおっしゃられて」

「そうねぇ、急だったわね。そんなに湖で遊びたかったのかしら。仕方のない子ね」

「またそうやって姫様は、すぐにお許しになるんですから! もっと毅然きぜんと、ガツンと、怒るときはしっかり怒らなくては」

「が、ガツン……、ね」

 そう言われても、遥香は怒ることが得意ではないのだから、アンヌの言うところの「ガツン」と怒るにはどうしたらいいのかもわからない。

 アンヌはぷりぷり怒りながらティーセットを片付け終わると、カートを押して部屋を出て行こうとしたが、入り口のところで思い出したように振り返った。

「そうそう、今朝はリリー様のお好きな半熟でフワフワなオムレツを用意してもらいましたから、冷めないうちに、お早めに居間の方へいらしてくださいね」

「ありがとう、アンヌ」

 遥香がアリスに甘いと言うが、アンヌは遥香に甘い。優しい侍女に幸せを感じつつ、遥香は好物の待つ居間へと急いで降りることにした。
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