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好き
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よかったらもう一軒と誘われて、連れていかれたのは弘貴のマンションの上の階にあるバーだった。
最上階ではないが、最上階に近いところにあるバーなので、窓から見下ろす夜景がきれいだった。
カウンターのほかに、窓際に二席ほど個室があって、そこへ通される。
ふかふかのソファとクッションの席で、向かい合わせではなく、窓の方を向いて横並びに座る席なので、肩が触れそうな距離にドキドキする。
お酒を飲むつもりはなかったが、素面ではこの距離感に緊張してどうしようもなさそうなので、弘貴に教えてもらい、アルコールの弱いカクテルを頼んだ。
可愛らしいピンクのスプモーニと、弘貴の注文したウイスキーが持ってこられると、軽くグラスを合わせて二度目の乾杯をする。
スプモーニを舐めるように一口飲むと、口いっぱいに甘さが広がって、これなら時間をかけたら飲めそうだった。
「このフルーツチーズが美味しいんだよ」
お酒と一緒に出されたチーズの盛り合わせを弘貴に差し出されて、ドライフルーツやナッツの入ったチーズを一切れ手に取った。
口に入れると、ドライフルーツの甘みとナッツの食感が楽しくて、遥香の口元が緩む。
「美味しいです」
「でしょう? 俺もこれ気に入っちゃって、マスターに無理言って、個人的に分けてもらったりしたんだよね」
「そんなことができるんですか?」
遥香がびっくりして目を丸くすると、弘貴は片眼をつむって小声で言う。
「実はここのマスター、高校時代の後輩なんだ」
「え?」
「たまたま入ったときに知った顔がシェイカー振ってるんだから、びっくりしたよ」
だから、結構無理が聞くんだよね、と弘貴はいたずらっ子のように笑う。
その笑顔が可愛くて、遥香は顔に熱がたまるのをごまかすようにカクテルに口をつけた。
弘貴がウイスキーのグラスを揺らしながら、ブルーチーズを口に入れている。カラカラという氷の小さな音に吸い寄せられるようにグラスを覗き込めば、カットグラスの中の琥珀色の液体が揺れていた。
「興味ある?」
遥香がウイスキーをじっと見つめていたからだろう。弘貴が小さく笑ってグラスを差し出してくる。
遥香は戸惑いつつグラスを受け取って、じっとグラスの中を見下ろした。しばらくそうしていると、弘貴がくっと吹き出した。
「見てるだけ?」
「え? え?」
もしかして、飲んでみるかということだったのだろうか。とてもではないが、こんなアルコールの強い飲み物は飲めそうにない。
弘貴はまだクスクス笑いながら、遥香の手からグラスを受け取った。
「ごめんごめん、もしかして飲みたいのかと思ったんだけど。まさか見てるだけとは思わなかった……」
「からかわないでください……」
「からかってないよ。本当に。……可愛いなって、思っただけ」
可愛いと言われて遥香の心臓が跳ねる。三口ほどスプモーニを舐めただけなのに、酔ったように顔が熱かった。
ちらりと横を見れば、弘貴が頬杖をついてこちらを見ている。その目が優しく細められていて、ドキドキするのにずっと見ていたいと思ってしまった。
「ねえ、少しは脈があるって思っていいのかな」
優しい目をしたまま、まるで今飲んでいるスプモーニのように甘い声でささやくから、遥香はどうしていいのかわからずに、見つめ返すしかできない。
「俺のこと、嫌いじゃないでしょう? 嫌いだったら、こんな風に一緒に食事はしてくれないよね。こうして二件目になんて、来ないでしょう? 少しは、うぬぼれてもいいのかな」
弘貴がそっと手を握りしめてくる。
押さえつけている好きという感情が溢れていきそうで、必死で口を引き結んだ。
これ以上は、言わないでほしい。遥香の感情の堤防は決壊寸前なのだ。少しはどころではない。もう充分好きで、あとには引けないくらい好きになりすぎていて、この感情をどう処理していいのかわからないほどなのに。
「秋月さんが、好きだよ」
指を絡められてそう言われたとき、我慢してきたものが溢れて、遥香の目から涙が零れ落ちた。
慌てて握られていない方の手で目元をおさえたが、涙はばっちり見られてしまった。
「ごめん……」
弘貴が遥香の涙に慌てるが、遥香は何度も首を横に振る。
おずおずと抱きしめられて、遥香は弘貴に胸に顔をうずめた。
信じていいのかどうかは、まだわからない。また傷つくかもしれない。それでも、たとえ傷つけられたとしても、これ以上気持ちをごまかすのは無理だった。
「……好き、です」
吐息交じりの小さな声で、そう告げる。その瞬間、遥香を抱きしめていた弘貴の腕が硬直した。
「ほんとに……?」
こくりと頷けば、安堵の息を吐かれる。ぎゅうっと抱きしめる腕に力がこもった。
弘貴に抱きしめられたまま、ぽんぽんと背中を叩かれると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。弘貴の手はどこまでも優しくて、過去に遥香を「人形」と呼んだ男とは明らかに違った。
「……前、言われたことがあるんです」
弘貴の手が優しいから、言うつもりのなかったことまで口をついて出てくる。
「わたしみたいな女は、『本命』にはなれないんだって。つきあってやってるだけでも感謝しろって。……信じてたのに、実はほかに本命の女の子がいて、暇つぶしにつきあってやってたんだって言われて、もう恋愛は……、怖くなったんです」
お人形のくせに、と言った彼。
いまだにその時の声は耳の奥に残っていて、次の恋愛で同じことがあったら、立ち直れる自信がなかったから怖かった。
「……そんな馬鹿な男の言うことを、気にしちゃだめだよ」
弘貴が優しく頭を撫でてくれる。
「俺には君以外は必要ない。君だけだから……」
「はい……」
弘貴なら、信じられるかもしれない。あの男のときのように、傷つけられることはないかもしれない。
涙が止まったから顔をあげると、弘貴に涙の線の残った頬を撫でられた。
「大好きだよ」
頬をゆっくり撫でながら顔が近づいてきたので、遥香はそっと目を閉じる。
三度目のキスは、ほんのりとウイスキーの苦い味がした。
最上階ではないが、最上階に近いところにあるバーなので、窓から見下ろす夜景がきれいだった。
カウンターのほかに、窓際に二席ほど個室があって、そこへ通される。
ふかふかのソファとクッションの席で、向かい合わせではなく、窓の方を向いて横並びに座る席なので、肩が触れそうな距離にドキドキする。
お酒を飲むつもりはなかったが、素面ではこの距離感に緊張してどうしようもなさそうなので、弘貴に教えてもらい、アルコールの弱いカクテルを頼んだ。
可愛らしいピンクのスプモーニと、弘貴の注文したウイスキーが持ってこられると、軽くグラスを合わせて二度目の乾杯をする。
スプモーニを舐めるように一口飲むと、口いっぱいに甘さが広がって、これなら時間をかけたら飲めそうだった。
「このフルーツチーズが美味しいんだよ」
お酒と一緒に出されたチーズの盛り合わせを弘貴に差し出されて、ドライフルーツやナッツの入ったチーズを一切れ手に取った。
口に入れると、ドライフルーツの甘みとナッツの食感が楽しくて、遥香の口元が緩む。
「美味しいです」
「でしょう? 俺もこれ気に入っちゃって、マスターに無理言って、個人的に分けてもらったりしたんだよね」
「そんなことができるんですか?」
遥香がびっくりして目を丸くすると、弘貴は片眼をつむって小声で言う。
「実はここのマスター、高校時代の後輩なんだ」
「え?」
「たまたま入ったときに知った顔がシェイカー振ってるんだから、びっくりしたよ」
だから、結構無理が聞くんだよね、と弘貴はいたずらっ子のように笑う。
その笑顔が可愛くて、遥香は顔に熱がたまるのをごまかすようにカクテルに口をつけた。
弘貴がウイスキーのグラスを揺らしながら、ブルーチーズを口に入れている。カラカラという氷の小さな音に吸い寄せられるようにグラスを覗き込めば、カットグラスの中の琥珀色の液体が揺れていた。
「興味ある?」
遥香がウイスキーをじっと見つめていたからだろう。弘貴が小さく笑ってグラスを差し出してくる。
遥香は戸惑いつつグラスを受け取って、じっとグラスの中を見下ろした。しばらくそうしていると、弘貴がくっと吹き出した。
「見てるだけ?」
「え? え?」
もしかして、飲んでみるかということだったのだろうか。とてもではないが、こんなアルコールの強い飲み物は飲めそうにない。
弘貴はまだクスクス笑いながら、遥香の手からグラスを受け取った。
「ごめんごめん、もしかして飲みたいのかと思ったんだけど。まさか見てるだけとは思わなかった……」
「からかわないでください……」
「からかってないよ。本当に。……可愛いなって、思っただけ」
可愛いと言われて遥香の心臓が跳ねる。三口ほどスプモーニを舐めただけなのに、酔ったように顔が熱かった。
ちらりと横を見れば、弘貴が頬杖をついてこちらを見ている。その目が優しく細められていて、ドキドキするのにずっと見ていたいと思ってしまった。
「ねえ、少しは脈があるって思っていいのかな」
優しい目をしたまま、まるで今飲んでいるスプモーニのように甘い声でささやくから、遥香はどうしていいのかわからずに、見つめ返すしかできない。
「俺のこと、嫌いじゃないでしょう? 嫌いだったら、こんな風に一緒に食事はしてくれないよね。こうして二件目になんて、来ないでしょう? 少しは、うぬぼれてもいいのかな」
弘貴がそっと手を握りしめてくる。
押さえつけている好きという感情が溢れていきそうで、必死で口を引き結んだ。
これ以上は、言わないでほしい。遥香の感情の堤防は決壊寸前なのだ。少しはどころではない。もう充分好きで、あとには引けないくらい好きになりすぎていて、この感情をどう処理していいのかわからないほどなのに。
「秋月さんが、好きだよ」
指を絡められてそう言われたとき、我慢してきたものが溢れて、遥香の目から涙が零れ落ちた。
慌てて握られていない方の手で目元をおさえたが、涙はばっちり見られてしまった。
「ごめん……」
弘貴が遥香の涙に慌てるが、遥香は何度も首を横に振る。
おずおずと抱きしめられて、遥香は弘貴に胸に顔をうずめた。
信じていいのかどうかは、まだわからない。また傷つくかもしれない。それでも、たとえ傷つけられたとしても、これ以上気持ちをごまかすのは無理だった。
「……好き、です」
吐息交じりの小さな声で、そう告げる。その瞬間、遥香を抱きしめていた弘貴の腕が硬直した。
「ほんとに……?」
こくりと頷けば、安堵の息を吐かれる。ぎゅうっと抱きしめる腕に力がこもった。
弘貴に抱きしめられたまま、ぽんぽんと背中を叩かれると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。弘貴の手はどこまでも優しくて、過去に遥香を「人形」と呼んだ男とは明らかに違った。
「……前、言われたことがあるんです」
弘貴の手が優しいから、言うつもりのなかったことまで口をついて出てくる。
「わたしみたいな女は、『本命』にはなれないんだって。つきあってやってるだけでも感謝しろって。……信じてたのに、実はほかに本命の女の子がいて、暇つぶしにつきあってやってたんだって言われて、もう恋愛は……、怖くなったんです」
お人形のくせに、と言った彼。
いまだにその時の声は耳の奥に残っていて、次の恋愛で同じことがあったら、立ち直れる自信がなかったから怖かった。
「……そんな馬鹿な男の言うことを、気にしちゃだめだよ」
弘貴が優しく頭を撫でてくれる。
「俺には君以外は必要ない。君だけだから……」
「はい……」
弘貴なら、信じられるかもしれない。あの男のときのように、傷つけられることはないかもしれない。
涙が止まったから顔をあげると、弘貴に涙の線の残った頬を撫でられた。
「大好きだよ」
頬をゆっくり撫でながら顔が近づいてきたので、遥香はそっと目を閉じる。
三度目のキスは、ほんのりとウイスキーの苦い味がした。
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