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デート

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 リリー――遥香は、城の二階にある図書室にいた。

 日当たりのいい窓際に座り、先ほど見つけた紺色の分厚い本を開いていた。ところどころ色の変わった表紙からもわかるように、その本はずいぶんと古い本だった。

 夢の中は別の世界とつながっている――そのようなことが書かれている本のページを、ゆっくりとめくっていく。

「素敵ね……」

 遥香はぽつりとつぶやいた。

 夢の中に別世界があるのなら、その世界ではもっと幸せになれるだろうか。もしも叶うなら、夢の世界でだけでも、優しい人と巡り会って、優しい恋がしたい。

 クロードは、とても意地悪だから――

(優しい人がいいなんて、我儘なのは、わかっているけど……)

 花祭りの日から、遥香はクロードを避けていた。

 それなのに彼は、当たり前のように遥香に会いに来て、庭の散歩につきあわせ、そのたびに意地悪を言うのだ。

 今日は絶対にクロードに会いたくないと、こうして図書室へ逃げ込んだのである。

(わたしのことを、つまらないって言うのなら、かまわなければいいのに……)

 遥香にはクロードの考えがよくわからない。

 遥香はパラリとページをめくる。

 図書室は静かでいい。家族に本を好む人間が少ないのと、今は城に滞在している親戚もいないので、図書室は遥香以外誰もいなかった。

 図書室に流れる静謐な空気が好きだった。心を落ち着けたいときには、静かで、穏やかに時間が流れていくこの場所はもってこいだ。

 このまま、夕方まで図書室に籠っていようと遥香が考えていると、重たい図書室の扉があく気配がして、彼女は顔を上げた。

 クロードかと思い、体が強張るが、彼は遥香がここにいることは知らないはずだ。侍女にも行き先を告げなかったから、わかるはずがない。

 だとすれば、父王だろうか、と首をひねるが、背の高い本棚の影から現れた人物を見て、遥香は目を丸くした。

「リリー! やっぱりここにいたね」

 朗らかに笑いながら現れたのは、従兄のリリックだった。

 リリーよりも一つ年上の彼は今年十九歳になる。光に透けるほどの淡い茶色の髪に、こげ茶の瞳。優し気な顔立ちは母親似のようで、すらりと背が高い。社交界でも人気のリリックは、公爵家に嫁いだ父王の妹の長男だった。

「リリック兄様、どうしたの? いつお城に?」

 遥香は立ち上がって、リリックに駆け寄った。

「ついさっきだよ。可愛いリリーが婚約したって聞いてね。この前の舞踏会は行けなくてごめんね」

「そんな……。だって、リリック兄様は留学していたんだし」

「うん。昨日帰ってきたんだ」

「そうだったの」

 リリックは半年間、隣国へ留学していた。リリックと仲の良かった遥香は淋しかったが、返ってきたと聞いて嬉しくなり、昔の癖でリリックに抱きついた。

 リリックもぎゅっと抱き返してくれたあとで、彼はくすくす笑いながら体を離し、こつん、と遥香の額を小突く。

「リリー、婚約したのに、簡単にほかの男に抱きついたらダメだぞ」

「ごめんなさい、つい癖で……。でも、リリック兄様だし」

「たとえ僕だとしても、だよ。従兄は結婚できるからね。婚約者に見られたら浮気を疑われるぞ」

「……うん」

 たとえ浮気を疑われたとしても、クロードは何も思いはしないだろう。だが、厭味の一つや二つは間違いなく言われそうで、遥香は深くうなずいた。

 遥香は先ほどまで腰かけていた椅子に戻り、リリックがその向かい側に座る。

 遥香は本を閉じると机の端に寄せ、身を乗り出した。

「留学先のお話、聞かせて」

 目をキラキラさせてお願いすると、リリックは苦笑した。

「そうだなぁ……。なにがいいかな」

「何でもいいわ。リリック兄様が見て、楽しかったとか素敵だったとか、感動したことを聞きたいの」

「感動したことかぁ」

 リリックは少し考えて、留学先の北の大地に訪れたときのことを話しはじめた。

「リリー、オーロラ見たことある?」

「ないわ! でも、本で読んだことはあるわ。ぜひ聞かせて!」

「よかった。僕もはじめて見たんだけどね、ほら、カーテンがあるでしょ。こんな感じで光が光の帯みたいに波打って、とても幻想的だったんだよ。色も変わってね。緑だったり赤だったり、青だったり……。リリーにも見せてあげたいな」

「素敵! 本で読んだとおりね!」

「実際に見たらもっとすごいよ。それからね……」

 リリックは留学先で見たもの、聞いたものを一つ一つ丁寧に教えてくれる。遥香はその一つ一つを想像した。城から外に出ない遥香にとって、リリックの話はとても新鮮で興味深く、楽しかった。

「さて、僕の話はいったんこれくらいにして、リリーの話を聞かせてよ。僕がいない間、リリーは元気だった? 急に婚約ってびっくりしたけど、どんな相手かな」

「あ……、うん」

 遥香は歯切れ悪くうなずいて、うつむいた。

「わたしは元気よ。婚約者は……、クロード王子といって、素敵な、方よ。わたしには、もったいないくらい……」

「リリー?」

 リリックは、机の上の遥香の手を、そっと握りしめた。

「リリーは、婚約、気が乗らないの……?」

 さすが長年の付き合いである従兄だ。遥香がうまくごまかせないせいもあるが、あっさりと彼女の心を見破ってくる。

 遥香は顔を上げて、曖昧に笑った。

「そんなこと、ないわ」

「嘘だね。リリーはすぐに顔に出るから、わかるよ」

「……、仕方のないことだもの」

 遥香がぽつりとつぶやけば、遥香の手を握るリリックの手の力が強くなった。

「リリー、国同士のことに、僕が口を出す権利はないのかもしれないけれど、……君がそんな顔をするなんて、僕はこの婚約に賛成できないな」

「リリック兄様、でもこれは……」

「うん。言いたいことはわかるよ。どうしようもないんだってこともね。だから、これは僕個人の感想だよ。僕は君には幸せになってほしい。大事な大事な従妹だからね」

「ありがとう、兄様」

 リリックは手を伸ばして遥香の頭を優しくなでた。

「僕には婚約をなかったことにする力はないかもしれない。でも僕は、いつもリリーの味方だよ。陛下にお願いして、しばらく城にいることにするから、いつでも話し相手になるからね。じゃあ、僕は陛下のところに挨拶に行ってくるね」

 そう言って席を立つリリックに、遥香は少しびっくりした。王への挨拶の前に遥香のところに来たらしい。

 何か言いたそうな遥香に、リリックは人差し指を立てて口元に添えた。

「今、ここに来ていたことは、内緒ね」

 茶目っ気たっぷりに言われて、遥香は思わず吹き出してしまう。

 くすくす笑いだした遥香に「じゃあね」と手を振って、リリックは図書室をあとにした。

     ☆ ★ ☆ ★ ☆

 パタン、と閉まった図書館の扉に背をつけて、リリックは、先ほどまでの穏やかな微笑みを消し去り、剣呑な光を宿した双眸で虚空を睨んだ。

「クロード王子、ね……」
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