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告白
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城の中は広いので、クロードが知っておきたいという場所を中心に案内することになった。
図書室からはじまり、クロードが使っている客室の周辺、なぜか遥香の部屋も知りたいというので、遥香の部屋がある三階の東の端、最後に中庭に降りる。
城の中は使用人や警備の兵士などが多いが、中庭に降りると人もほとんどおらず、クロードが休憩しようというので、噴水のそばのベンチに腰を下ろした。
昨夜、クロードに会った場所だった。
特に会話もないので、遥香は太陽の光を反射してキラキラと光る噴水を眺める。
しばらくぼんやりしていると、不意にクロードが話しかけてきた。
「城の中を案内してくれて助かった」
先ほどまでの敬語ではなくなっていたが、遥香は特に気にならなかった。
話しかけられたので、遥香は噴水からクロードに視線を移す。クロードの鮮やかな金髪も、日差しを浴びでキラキラと宝石のように輝いていた。
「お役に立てたのなら、よかったです」
「ああ、役に立った――しかし」
クロードの青い双眸が細められる。
遥香はその視線に棘のようなものを感じて、思わずぎくりと顔をこわばらせた。先ほどまでの紳士的な表情とは違う、ひどく意地悪な表情だったからだ。まるで、昨夜のように。
「男に、自分の部屋の場所を案内するとは、警戒心がなさすぎるお姫様だな」
その言い方に、遥香は少しムッとした。
「あれは、あなたが案内しろって――」
「案内しろと言われれば、お前は誰でも案内するのか」
「それは……」
遥香はきゅっと唇をかんだ。言い返す言葉が思いつかない。
遥香は押し黙ったまま、意地の悪い顔をしているクロードを見上げた。さっきまでの穏やかな表情は完全になりを潜めている。
(やっぱりこの人、意地が悪いんだわ……)
昨夜の方が素だったのだ。先ほどまでは猫をかぶっていただけなのだろう。
「だいたい、昨日もとろい女だとは思っていたが、歩くのもとろいんだな。歩調を合わせるのが大変だった」
「……」
どうして、昨夜会ったばかりで、時間にしたら知り合って一日もたっていない相手に、こんなひどいことを言われなければいけないのだろう。
もう、ここにはいたくない――
遥香はベンチから立ち上がる。
「もう、ご案内するところはここで最後だったはずです。わたしは不要でしょうから、部屋に戻ります」
遥香のことが気に入らないのなら、そばにいない方がいい。怒りなのか悲しみなのかわからない複雑な感情を抱えながら、遥香がクロードのそばから立ち去ろうとしたとき、
「待て」
クロードに手首をつかまれて、遥香は足を止めた。
掴まれた手首を後ろに引っ張られて、遥香は肩越しに振り返る。
クロードはニヤリと口の端を持ち上げていた。
「怒ったのか?」
遥香を怒らせることの、何がそんなに面白いのだろう。
遥香は掴まれた手首を見、クロードを見上げて、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ」
「嘘をつくな。怒っているだろう」
「怒ってなど、おりません」
嘘ではなかった。自分でも怒っているのか怒っていないのか、よくわかっていなかったからだ。
遥香がとろいのは昔からだし、「お姉様はとろいのよ」とアリスにもさんざん言われたことがある。今更「とろい」という言葉に怒りは感じない。悲しいだけだ。
ただ、婚約者とはいえ、ほとんど初対面の男に、そんな暴言を吐かれるいわれはないと思っているだけだ。
クロードはつり上げていた口元を曲げた。途端に不機嫌そうな顔になる彼に、遥香は首を傾げるしかない。
「部屋に戻るので、手を離してはいただけませんか……?」
「俺は戻っていいなんて一言も言っていない」
部屋に戻るのに、クロードの許可がいるのだろうか。頼まれた場所はすべて案内したはずだ。
遥香はしばらく掴まれた手首を見つめていたが、やがて諦めたようにベンチに座りなおした。せめてもの抵抗に、クロードの方は一切見ず、噴水だけを見つめる。
「あとで温室の方も案内しろ」
クロードは尊大に言った。
「では、今から向かいますか?」
「いや、少し休憩してからだ」
「そうですか……」
「温室のあとは、厩舎と裏庭、城下町も見たい」
「……わかりました」
果たしてそれは、今日中にすべて見終わることができるのかと思いながら、遥香は小さくうなずいた。下手なことを言えば、また「とろい」だのなんだのと責められそうな気がしたからだ。
「噴水ばかり見て、面白いのか?」
噴水ばかりを凝視する遥香に、クロードがそんな風に言ったが、やはり遥香は噴水を見つめたまま頷いた。
「ええ。光が反射して、きれいですから」
「だが、常に同じでかわり映えせんだろう」
「かわり映えしなくても、きれいなものはきれいです」
「ふん、よくわからんな」
クロードは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
気に入らないのなら、早く次に向かうと言えばいいのに、と遥香は心の中で嘆息した。
「普段何をしてすごしている」
「誰がですか?」
「お前に決まっているだろう。ここにほかの誰がいるんだ」
いちいち、言葉尻の強い人だ。婚約者なので、クロードとはこれから死ぬまで一緒にいることになるのだろうが、彼のこの口調には慣れる気がしない。
遥香は少し考え、口を開いた。
「読書をしたり、刺繍をしたりしていることが多いです」
「それだけか? ほかの趣味のようなものは」
「それだけです。無趣味なもので」
「……つまらない女だな」
「―――」
遥香はこっそり深呼吸をした。クロードと話していると、心臓が嫌な音を立てて軋む。むき出しの心を、その手で握りつぶされているようだ。
噴水の水が、光のシャワーのように落ちていく。それを見ながら、遥香は波紋の浮かんだ心を鎮めようとした。
遥香がだんまりを決め込んでしまったので、面白くなくなったのか、クロードはチッと舌打ちして立ち上がった。
「温室に行く。案内しろ」
――結局そのあと、日が暮れるまでクロードに城中を案内させられ、夜眠りにつく頃には、遥香はへとへとになっていたのだった。
図書室からはじまり、クロードが使っている客室の周辺、なぜか遥香の部屋も知りたいというので、遥香の部屋がある三階の東の端、最後に中庭に降りる。
城の中は使用人や警備の兵士などが多いが、中庭に降りると人もほとんどおらず、クロードが休憩しようというので、噴水のそばのベンチに腰を下ろした。
昨夜、クロードに会った場所だった。
特に会話もないので、遥香は太陽の光を反射してキラキラと光る噴水を眺める。
しばらくぼんやりしていると、不意にクロードが話しかけてきた。
「城の中を案内してくれて助かった」
先ほどまでの敬語ではなくなっていたが、遥香は特に気にならなかった。
話しかけられたので、遥香は噴水からクロードに視線を移す。クロードの鮮やかな金髪も、日差しを浴びでキラキラと宝石のように輝いていた。
「お役に立てたのなら、よかったです」
「ああ、役に立った――しかし」
クロードの青い双眸が細められる。
遥香はその視線に棘のようなものを感じて、思わずぎくりと顔をこわばらせた。先ほどまでの紳士的な表情とは違う、ひどく意地悪な表情だったからだ。まるで、昨夜のように。
「男に、自分の部屋の場所を案内するとは、警戒心がなさすぎるお姫様だな」
その言い方に、遥香は少しムッとした。
「あれは、あなたが案内しろって――」
「案内しろと言われれば、お前は誰でも案内するのか」
「それは……」
遥香はきゅっと唇をかんだ。言い返す言葉が思いつかない。
遥香は押し黙ったまま、意地の悪い顔をしているクロードを見上げた。さっきまでの穏やかな表情は完全になりを潜めている。
(やっぱりこの人、意地が悪いんだわ……)
昨夜の方が素だったのだ。先ほどまでは猫をかぶっていただけなのだろう。
「だいたい、昨日もとろい女だとは思っていたが、歩くのもとろいんだな。歩調を合わせるのが大変だった」
「……」
どうして、昨夜会ったばかりで、時間にしたら知り合って一日もたっていない相手に、こんなひどいことを言われなければいけないのだろう。
もう、ここにはいたくない――
遥香はベンチから立ち上がる。
「もう、ご案内するところはここで最後だったはずです。わたしは不要でしょうから、部屋に戻ります」
遥香のことが気に入らないのなら、そばにいない方がいい。怒りなのか悲しみなのかわからない複雑な感情を抱えながら、遥香がクロードのそばから立ち去ろうとしたとき、
「待て」
クロードに手首をつかまれて、遥香は足を止めた。
掴まれた手首を後ろに引っ張られて、遥香は肩越しに振り返る。
クロードはニヤリと口の端を持ち上げていた。
「怒ったのか?」
遥香を怒らせることの、何がそんなに面白いのだろう。
遥香は掴まれた手首を見、クロードを見上げて、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ」
「嘘をつくな。怒っているだろう」
「怒ってなど、おりません」
嘘ではなかった。自分でも怒っているのか怒っていないのか、よくわかっていなかったからだ。
遥香がとろいのは昔からだし、「お姉様はとろいのよ」とアリスにもさんざん言われたことがある。今更「とろい」という言葉に怒りは感じない。悲しいだけだ。
ただ、婚約者とはいえ、ほとんど初対面の男に、そんな暴言を吐かれるいわれはないと思っているだけだ。
クロードはつり上げていた口元を曲げた。途端に不機嫌そうな顔になる彼に、遥香は首を傾げるしかない。
「部屋に戻るので、手を離してはいただけませんか……?」
「俺は戻っていいなんて一言も言っていない」
部屋に戻るのに、クロードの許可がいるのだろうか。頼まれた場所はすべて案内したはずだ。
遥香はしばらく掴まれた手首を見つめていたが、やがて諦めたようにベンチに座りなおした。せめてもの抵抗に、クロードの方は一切見ず、噴水だけを見つめる。
「あとで温室の方も案内しろ」
クロードは尊大に言った。
「では、今から向かいますか?」
「いや、少し休憩してからだ」
「そうですか……」
「温室のあとは、厩舎と裏庭、城下町も見たい」
「……わかりました」
果たしてそれは、今日中にすべて見終わることができるのかと思いながら、遥香は小さくうなずいた。下手なことを言えば、また「とろい」だのなんだのと責められそうな気がしたからだ。
「噴水ばかり見て、面白いのか?」
噴水ばかりを凝視する遥香に、クロードがそんな風に言ったが、やはり遥香は噴水を見つめたまま頷いた。
「ええ。光が反射して、きれいですから」
「だが、常に同じでかわり映えせんだろう」
「かわり映えしなくても、きれいなものはきれいです」
「ふん、よくわからんな」
クロードは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
気に入らないのなら、早く次に向かうと言えばいいのに、と遥香は心の中で嘆息した。
「普段何をしてすごしている」
「誰がですか?」
「お前に決まっているだろう。ここにほかの誰がいるんだ」
いちいち、言葉尻の強い人だ。婚約者なので、クロードとはこれから死ぬまで一緒にいることになるのだろうが、彼のこの口調には慣れる気がしない。
遥香は少し考え、口を開いた。
「読書をしたり、刺繍をしたりしていることが多いです」
「それだけか? ほかの趣味のようなものは」
「それだけです。無趣味なもので」
「……つまらない女だな」
「―――」
遥香はこっそり深呼吸をした。クロードと話していると、心臓が嫌な音を立てて軋む。むき出しの心を、その手で握りつぶされているようだ。
噴水の水が、光のシャワーのように落ちていく。それを見ながら、遥香は波紋の浮かんだ心を鎮めようとした。
遥香がだんまりを決め込んでしまったので、面白くなくなったのか、クロードはチッと舌打ちして立ち上がった。
「温室に行く。案内しろ」
――結局そのあと、日が暮れるまでクロードに城中を案内させられ、夜眠りにつく頃には、遥香はへとへとになっていたのだった。
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