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厚顔無恥って言葉を知っていますか? 2
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朝食後ディートリヒを見送って、わたしはさっそく庭に巣箱を取り付ける作業に移った。
本当は巣箱から作ろうと思っていたのだけれど、ディートリヒに昨日お願いした後に、彼が庭師に話をつけてくれていたようだ。庭に向かうと、立派な巣箱が三つ用意されていた。
……うん、わたしが作るよりも圧倒的に立派だから、ここは甘えておくことにしよう。
五十歳くらいの庭師は、にこにこと笑いながら巣箱をつけるおすすめのスポットを教えてくれる。彼もわたしの黒髪や黒い瞳について嫌悪感を抱かないようで、初日からとても親切だった。
「動物たちは警戒心が強いですからね。人があまり通らないあのあたりの木がおすすめです」
「立派な松の木ですね」
「ええ、もうずっと昔に植えられたみたいです。今では使われなくなりましたが、昔は松脂や花粉を薬として使っていて、城の庭には当時の薬師が植えた松が何本か残っているんですよ」
「そうなんですか……」
魔族は大半の人が治癒魔術を使えたが、人間は治癒魔術が使えるのは聖女に限る。そして聖女の力にも強い弱いがあるし、滅多に誕生しないので、人間は怪我や病気になれば薬師や医者の力を借りるしかない。
……必要ないから、魔族には医者も薬師もほとんどいなかったのよね。せいぜい城に薬草とかの研究をしている人が数人いたくらいじゃないかしら?
だからわたしは、転生した今でも医者や薬師と言われてもあまりピンとこない。クラッセン伯爵家では怪我をしても医者や薬師に診せてもらえたことはなかったし(そもそもその怪我だって、義母や異母妹のせいだし)、前世の記憶が戻ってからはこっそり魔術で治していた。ディートリヒと出会ってからは変に思われるといけないので力を使うことは控えていたが、彼が守ってくれるので怪我自体ほとんどしなくなったのだ。
……薬師かぁ。ちょっと面白いかも。
人間の中で生活する以上、あまり魔術を使えない。
一人で小屋の中で生活していたときはまだよかったが、こうしてディートリヒと一緒に生活するようになった今ではなおさらだ。
一応「聖女」ってことになっているので、治癒魔術くらいなら「聖女の力」と偽って使えるだろうが、聖女の力が果たしてどの程度のものなのかは分析する必要がある。
わたしが無尽蔵に力を振るえば、それこそ体の欠損だって癒せてしまうのだが、「聖女」はそこまでの力があるのだろうか。
……ヘレナにはあったかもしれないけど、あれは最初の聖女で最強の聖女だって言われているみたいだから、あれを基準にしない方がいいわ。
ならば、しばらく力を使わず様子見に徹するためにも、多少なりとも人間の薬師や医者の知識を仕入れておいた方がいい気がした。こういった専門書は、クラッセン伯爵家の書庫にはなかったのだが、望めば用意してもらえるだろうか?
「薬草について書かれた本ってあるんですか?」
わたしが訊ねると、庭師はうーんと一度空を見上げるようにして考えて、「オイゲンに言えば用意してくれるかもしれません」と答えた。
オイゲンとは、この離宮の執事だ。
四十代半ばの物腰の穏やかな男性で、ディートリヒがここに移るときに実家のケルヒェン公爵家からついてきた使用人の一人でもあるらしい。
ちょうどそのとき、わたしたちの様子を見に来たオイゲンが、こちらに歩いてくるのが見えた。
「ちょうどよかった。オイゲン。エレオノーラ様が薬草の本を読みたいそうなんだが、図鑑か何かあっただろうか?」
「植物の図鑑ならあなたが持っているのではないですか?」
「わしが持ってるのは花や木の図鑑ばかりで、薬草を集めたものは持ってないよ。あってもせいぜいハーブの図鑑くらいだ」
「つまり、ハーブではなく、本格的な薬草の図鑑を欲していらっしゃるのですね?」
ハーブにもいろいろな効能があり、それを薬草として使用することはある。けれどわたしが欲しいのは本格的な薬草図鑑だったので、もちろんと大きく頷いた。
オイゲンは庭師と同じように空を仰ぐようにして考え込んだ。
「城の書庫にはあるでしょうね。ただの薬草図鑑なら禁書でも何でもないはずので、貸出許可をすれば貸してくださると思います。午後にでもお持ちしますよ」
「ありがとうございます」
「必要があれば教師も手配しましょうか?」
「ううん、それは大丈夫です」
わたしはたいてい読めば覚える体質だ。これは魔王の娘サンドリアだったころから同じで、お父様からもサンドリアは記憶力がいいなと褒められていた。残念ながらこの技能は本やものに限るもので、対人にはあまり発揮されないが(興味がないともいう)、そういう体質なので、図鑑に目を通しさえすれば薬草なんてすぐに覚えると思う。
あとは薬の調合方法だったり、組み合わせだったりも、そのうちお願いして本を手に入れればいいだろう。わたしはあくまで万が一の時のための知識として仕入れておきたいのであって、薬師になりたいわけではない。
「じゃあ、巣箱はあの松の木と……それから……」
わたしは庭師におすすめスポットを聞きながら三つの巣箱をどこに設置するのかを決めた。ディートリヒから釘を刺されているので、設置は庭師にお願いする。
「疲れたでしょう。ダイニングにお茶を用意しますね」
わたしは話を聞いて場所を決めただけで体は動かしていないのに、オイゲンがそう言ってメイドにお茶の準備を命じた。
一般的な貴族女性って、ただ話を聞くだけで疲れるのかしらね? ああそういえば、子供のころにカサンドラやユリアが、馬車に乗っているだけで「疲れた疲れた」と騒いでいたわ。馬車にちょっと揺られるだけで疲れていたら、立って話を聞けばそれは疲れるでしょうね。
……貴族女性って、もっと体力をつけたほうがいいんじゃないかしら? あんまり体力がないと、早死にすると思うけど……。
ディートリヒさえ禁止しなければ、木に登って巣箱を設置する気満々だったわたしは、もちろん体力が有り余っている。休憩は不要だが、オイゲンがせっかく気を回してくれたのに断るのは忍びない。
……まいっか。他にすることはないし。
ディートリヒは自由にしていいと言ってくれたけど、わたしは外見が外見なので、あまり気軽に歩き回らない方がいいと思うのだ。さらには、「聖女」なんてものになってしまったから、買い物にでも行こうとすれば大勢の護衛がついてくるらしい。さすがにわたしの暇つぶしに大勢の騎士たちを動員するのは気が引けた。
クラッセン伯爵家から出られたのは嬉しいけど、面倒臭い立場になったものだわ。
聖女なんてわたしには憎しみの対象でしかないから、誰か欲しい人がいればこんな立場は譲ってしまいたいところだが、これは誰かに譲ることは不可能だ。
わたしは庭師にお礼を言ってオイゲンとともにダイニングへ向かった。
わたしが向かう頃には、ダイニングテーブルにはすでにお茶の準備が完了している。
……この離宮の使用人って本当に優秀よね。
仕事は早いし的確で、無駄口は叩かないけれどみんな物腰が穏やかで優しい。さすが公爵家の使用人だった人たちだ。クラッセン伯爵家とはレベルが違う。
「さきほど朝食を終えられたばかりですので、お茶請けにはチョコレートを用意しましたが、ケーキのほうがよろしいですか?」
「ううん、これで大丈夫です」
チョコレートなんて高級品は、ディートリヒと出会うまで口にしたことはなかった。
千年前の前世にはチョコレートなんてなかったので、ディートリヒがはじめて持って来たときはなんだかよくわからずに警戒したものだ。
……この黒い塊がこんなに美味しいものだなんて知らなかったわ。
今ではすっかり、チョコレートはわたしのお気に入りのお菓子である。
ディートリヒからは「食べすぎると鼻血がでるからほどほどに」と言われているので大量には食べられないが、濃厚なチョコレートは数粒でも充分満足のいくものだった。
わくわくしながらわたしはチョコレートの包みに手を伸ばす。
しかしわたしの至福の時を邪魔する無粋な闖入者が現れた。
それは、ではさっそくとチョコレートの包みを開こうとしたときのことだ。
離宮の玄関扉につけら得ているベルがチリンチリンと鳴って、オイゲンが様子を見に向かう。
ディートリヒであればわざわざベルを鳴らしたりしないので、第三者であるのは間違いない。
いったい誰だろうかと思っていると、オイゲンから伝言を受けたメイドが困惑顔で現れる。
「エレオノーラ様……、その……、ジークレヒト様がいらっしゃっています」
わたしは大きく目を見開いた後で、思わず素っ頓狂な声を出した。
「なんで⁉」
本当は巣箱から作ろうと思っていたのだけれど、ディートリヒに昨日お願いした後に、彼が庭師に話をつけてくれていたようだ。庭に向かうと、立派な巣箱が三つ用意されていた。
……うん、わたしが作るよりも圧倒的に立派だから、ここは甘えておくことにしよう。
五十歳くらいの庭師は、にこにこと笑いながら巣箱をつけるおすすめのスポットを教えてくれる。彼もわたしの黒髪や黒い瞳について嫌悪感を抱かないようで、初日からとても親切だった。
「動物たちは警戒心が強いですからね。人があまり通らないあのあたりの木がおすすめです」
「立派な松の木ですね」
「ええ、もうずっと昔に植えられたみたいです。今では使われなくなりましたが、昔は松脂や花粉を薬として使っていて、城の庭には当時の薬師が植えた松が何本か残っているんですよ」
「そうなんですか……」
魔族は大半の人が治癒魔術を使えたが、人間は治癒魔術が使えるのは聖女に限る。そして聖女の力にも強い弱いがあるし、滅多に誕生しないので、人間は怪我や病気になれば薬師や医者の力を借りるしかない。
……必要ないから、魔族には医者も薬師もほとんどいなかったのよね。せいぜい城に薬草とかの研究をしている人が数人いたくらいじゃないかしら?
だからわたしは、転生した今でも医者や薬師と言われてもあまりピンとこない。クラッセン伯爵家では怪我をしても医者や薬師に診せてもらえたことはなかったし(そもそもその怪我だって、義母や異母妹のせいだし)、前世の記憶が戻ってからはこっそり魔術で治していた。ディートリヒと出会ってからは変に思われるといけないので力を使うことは控えていたが、彼が守ってくれるので怪我自体ほとんどしなくなったのだ。
……薬師かぁ。ちょっと面白いかも。
人間の中で生活する以上、あまり魔術を使えない。
一人で小屋の中で生活していたときはまだよかったが、こうしてディートリヒと一緒に生活するようになった今ではなおさらだ。
一応「聖女」ってことになっているので、治癒魔術くらいなら「聖女の力」と偽って使えるだろうが、聖女の力が果たしてどの程度のものなのかは分析する必要がある。
わたしが無尽蔵に力を振るえば、それこそ体の欠損だって癒せてしまうのだが、「聖女」はそこまでの力があるのだろうか。
……ヘレナにはあったかもしれないけど、あれは最初の聖女で最強の聖女だって言われているみたいだから、あれを基準にしない方がいいわ。
ならば、しばらく力を使わず様子見に徹するためにも、多少なりとも人間の薬師や医者の知識を仕入れておいた方がいい気がした。こういった専門書は、クラッセン伯爵家の書庫にはなかったのだが、望めば用意してもらえるだろうか?
「薬草について書かれた本ってあるんですか?」
わたしが訊ねると、庭師はうーんと一度空を見上げるようにして考えて、「オイゲンに言えば用意してくれるかもしれません」と答えた。
オイゲンとは、この離宮の執事だ。
四十代半ばの物腰の穏やかな男性で、ディートリヒがここに移るときに実家のケルヒェン公爵家からついてきた使用人の一人でもあるらしい。
ちょうどそのとき、わたしたちの様子を見に来たオイゲンが、こちらに歩いてくるのが見えた。
「ちょうどよかった。オイゲン。エレオノーラ様が薬草の本を読みたいそうなんだが、図鑑か何かあっただろうか?」
「植物の図鑑ならあなたが持っているのではないですか?」
「わしが持ってるのは花や木の図鑑ばかりで、薬草を集めたものは持ってないよ。あってもせいぜいハーブの図鑑くらいだ」
「つまり、ハーブではなく、本格的な薬草の図鑑を欲していらっしゃるのですね?」
ハーブにもいろいろな効能があり、それを薬草として使用することはある。けれどわたしが欲しいのは本格的な薬草図鑑だったので、もちろんと大きく頷いた。
オイゲンは庭師と同じように空を仰ぐようにして考え込んだ。
「城の書庫にはあるでしょうね。ただの薬草図鑑なら禁書でも何でもないはずので、貸出許可をすれば貸してくださると思います。午後にでもお持ちしますよ」
「ありがとうございます」
「必要があれば教師も手配しましょうか?」
「ううん、それは大丈夫です」
わたしはたいてい読めば覚える体質だ。これは魔王の娘サンドリアだったころから同じで、お父様からもサンドリアは記憶力がいいなと褒められていた。残念ながらこの技能は本やものに限るもので、対人にはあまり発揮されないが(興味がないともいう)、そういう体質なので、図鑑に目を通しさえすれば薬草なんてすぐに覚えると思う。
あとは薬の調合方法だったり、組み合わせだったりも、そのうちお願いして本を手に入れればいいだろう。わたしはあくまで万が一の時のための知識として仕入れておきたいのであって、薬師になりたいわけではない。
「じゃあ、巣箱はあの松の木と……それから……」
わたしは庭師におすすめスポットを聞きながら三つの巣箱をどこに設置するのかを決めた。ディートリヒから釘を刺されているので、設置は庭師にお願いする。
「疲れたでしょう。ダイニングにお茶を用意しますね」
わたしは話を聞いて場所を決めただけで体は動かしていないのに、オイゲンがそう言ってメイドにお茶の準備を命じた。
一般的な貴族女性って、ただ話を聞くだけで疲れるのかしらね? ああそういえば、子供のころにカサンドラやユリアが、馬車に乗っているだけで「疲れた疲れた」と騒いでいたわ。馬車にちょっと揺られるだけで疲れていたら、立って話を聞けばそれは疲れるでしょうね。
……貴族女性って、もっと体力をつけたほうがいいんじゃないかしら? あんまり体力がないと、早死にすると思うけど……。
ディートリヒさえ禁止しなければ、木に登って巣箱を設置する気満々だったわたしは、もちろん体力が有り余っている。休憩は不要だが、オイゲンがせっかく気を回してくれたのに断るのは忍びない。
……まいっか。他にすることはないし。
ディートリヒは自由にしていいと言ってくれたけど、わたしは外見が外見なので、あまり気軽に歩き回らない方がいいと思うのだ。さらには、「聖女」なんてものになってしまったから、買い物にでも行こうとすれば大勢の護衛がついてくるらしい。さすがにわたしの暇つぶしに大勢の騎士たちを動員するのは気が引けた。
クラッセン伯爵家から出られたのは嬉しいけど、面倒臭い立場になったものだわ。
聖女なんてわたしには憎しみの対象でしかないから、誰か欲しい人がいればこんな立場は譲ってしまいたいところだが、これは誰かに譲ることは不可能だ。
わたしは庭師にお礼を言ってオイゲンとともにダイニングへ向かった。
わたしが向かう頃には、ダイニングテーブルにはすでにお茶の準備が完了している。
……この離宮の使用人って本当に優秀よね。
仕事は早いし的確で、無駄口は叩かないけれどみんな物腰が穏やかで優しい。さすが公爵家の使用人だった人たちだ。クラッセン伯爵家とはレベルが違う。
「さきほど朝食を終えられたばかりですので、お茶請けにはチョコレートを用意しましたが、ケーキのほうがよろしいですか?」
「ううん、これで大丈夫です」
チョコレートなんて高級品は、ディートリヒと出会うまで口にしたことはなかった。
千年前の前世にはチョコレートなんてなかったので、ディートリヒがはじめて持って来たときはなんだかよくわからずに警戒したものだ。
……この黒い塊がこんなに美味しいものだなんて知らなかったわ。
今ではすっかり、チョコレートはわたしのお気に入りのお菓子である。
ディートリヒからは「食べすぎると鼻血がでるからほどほどに」と言われているので大量には食べられないが、濃厚なチョコレートは数粒でも充分満足のいくものだった。
わくわくしながらわたしはチョコレートの包みに手を伸ばす。
しかしわたしの至福の時を邪魔する無粋な闖入者が現れた。
それは、ではさっそくとチョコレートの包みを開こうとしたときのことだ。
離宮の玄関扉につけら得ているベルがチリンチリンと鳴って、オイゲンが様子を見に向かう。
ディートリヒであればわざわざベルを鳴らしたりしないので、第三者であるのは間違いない。
いったい誰だろうかと思っていると、オイゲンから伝言を受けたメイドが困惑顔で現れる。
「エレオノーラ様……、その……、ジークレヒト様がいらっしゃっています」
わたしは大きく目を見開いた後で、思わず素っ頓狂な声を出した。
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