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だから夫婦じゃありませんから! 3

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「あーあ、だから言ったのに……」

 ぐでん、とテーブルの上に突っ伏したセレアに、ジルベールは苦笑した。
 セレアは酒に弱くもないが強くもない。
 それなのに、まるで水のようにぐびぐびと白ワイン、赤ワイン、そしてまた白ワインと次々に飲み干していっていたので、危険だとは思っていたのだ。

 けれども、セレアは「そろそろやめておいた方が……」というジルベールの忠告を無視して飲み続けた。結果、見事に酔いつぶれて、机に突っ伏して寝息をかきはじめたというわけだ。

 レマディエ公爵邸での食事のときは、飲んでもせいぜいグラスに二杯程度だったのに、どうやら今日はやたらと気分が乗ったらしい。
 食事の手伝いをしていたニナは、おろおろしながら寝入ってしまったセレアの肩を揺さぶっていた。

「奥様、こんなところで寝たらダメですよ。お風呂もまだですし」

 しかし、セレアはにへらとっ笑っただけで目を開けない。
 ジルベールはぷっと噴き出して、セレアを起こそうとするニナを止めた。

「ああ、構わない。寝かしてやれ。風呂は明日の朝、出発前に入ればいいだろう」
「旦那様がそうおっしゃるなら……。でも、大丈夫でしょうか?」
「寝ているだけだろうから大丈夫だろう。顔色も全然悪くない。……しまりはないがな」

 楽しい夢でも見ているのだろうか、にまにま笑っているセレアの顔はすっかり緩んでいる。
 ジルベールは立ち上がると、セレアを抱え上げてベッドまで運んだ。

(二つのデザートをきっちり全部食べ終わった後で酔いつぶれるのはさすがだな)

 デザートを食べているときも頭がぐらぐら揺れていたが、よほど食べたかったのか、セレアはデザートを食べ終わるまでは意識をつないでいた。食べ終わった途端に意識が途切れたのを見ると、食べている最中も限界に近かったはずだ。その根性がすごい。食い意地が張っているとも言うが。
 ジルベールがセレアを運んでいる間に、ニナが宿の人間を呼んで食器を片付けさせる。
 ジルベールは自分が風呂を使っている間にセレアの服を着替えさせるようにニナに頼んで、バスルームへ向かった。

(本当に次から次へと……見ていて飽きない女だな)

 あそこまで取り繕わない女はなかなかいないだろう。
 喜怒哀楽がはっきりと顔に出るしセレアは、機嫌が悪くなるのも良くなるのもものすごく早い。
 ディナーまではむすっとしていたセレアは、食事が運ばれてきて一口食べた途端にご機嫌になった。お腹がすいていたのか、味が気に入ったのかはわからないが、料理や酒を口に運んでは、にこにこと笑うセレアの顔を思い出して、ジルベールは頬を緩める。

 ――それで? あんたの言うところの、不自由させないっていったい何なのかしら?
 ――高そうなドレスにアクセサリーでクローゼットの中を満たすこと? 贅沢な暮らしを約束すること? それのどこが、物のように扱っていないというわけ?

 セレアにそう言われてから、ジルベールはずっと考えていた。
 ジルベールは、セレアを物のように扱うつもりはこれっぽっちもない。
 けれども、心の中で、高価な物を与えて贅沢を約束してやれば、それで彼女の心が満たされると思っていたのは確かだ。

 ジルベールには自覚がなかったが、それは身勝手で傲慢な考え方だったかもしれないと、今なら思う。
 だが、だからと言って、どうすればセレアの心を満たせるのか――その答えは未だに見つからない。

 彼女は何を望み、何を欲しているのか。
 ジルベールには本当の意味での自由は与えてやれないが、それ以外にセレアの心を満たす方法はないだろうか。
 どうすればいいのかわからずに、とりあえず強引に距離だけ縮めてみようと、同じ部屋で休むようになったけれど、物理的な距離は縮まっても、心の距離は縮まる気配がない。
 生粋の貴族女性と、平民育ちの女性は、こうも考え方に相違があるものだろうか。

 ――すごい、全然雰囲気が違う!

 馬車の窓から見えた、ただの麦畑に、セレアはきらきらと瞳を輝かせていた。アクアマリンのような水色の瞳が、まるで本物の宝石のように綺麗だった。
 ジルベールには、あんな、どこにでもある面白みもなんともない景色の何が楽しいのだろうと不思議で仕方がなかった。
 だから訊ねた。「そんなに珍しいのか?」と。これは純粋な疑問だった。

 それに返って来た答えは、「王都の外に出るのははじめてだもの」だ。
 その答えに、ああそうか、と今更ながらに思い知った。
 彼女は十歳のときから、ほとんど毎日をデュフール男爵邸に閉じ込められて過ごしていたのだ。
 たまにパーティーに連れ出されることはあっても、パーティー会場からは逃げ出せない。
 外の世界を何一つ知らずに育った、十七歳の少女。

(俺と結婚すれば……きちんと手続きをして、デュフール男爵が手が出せないようになれば、どこにでも連れて行ってやれるのに)

 行きたいところ、見たいもの。
 ジルベールの側からは逃がしてやれないが、セレアが望むものを見せてやることはできる。
 でもそれを言ったところで、セレアが喜ぶかどうかはわからなかった。

 セレアが、わからない。
 どうしたら、なにをしたら、セレアは喜ぶのだろう。

 女一人にここまで翻弄される気分になるのははじめてで、若干の苛立たしさは感じるものの、それを嫌だとは思わない。

(考え事をしていたらのぼせそうだ)

 ジルベールはバスタブから立ち上がり、ざっと体を拭いた後でガウンを羽織ると部屋に戻った。
 ニナに着替えさせられたセレアは、相変わらず熟睡中だ。
 酒が変に回っていないか気になったので念のため顔色を確認してみたが、相変わらずご機嫌そうな表情をしている。苦しそうでもないので問題はないだろう。
 ジルベールはタオルで髪を拭きながら、ベッドの縁に腰かけた。

「なあ……、君が俺との結婚を拒絶する理由は何なんだ……?」

 独り言のように問いかけてみるも、夢の世界にいるセレアは答えない。
 ぽっかりとあいた深い落とし穴のように室内に落ちた静寂に、ジルベールはそっと息を吐く。
 生まれたときから貴族社会で生きてきた自分と、十歳まで市井で暮らしていたセレアでは、互いに歩み寄ることはできないのだろうか。

 ふと――思った。




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