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第一部 悪役令嬢未満、お兄様と結婚します!

眠り姫を救うために 3

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 そして迎えた火曜日。
 生活指導室へ向かうと、ニコラウス先生――ではなく、何故かアレクサンダー様が待っていた。

 ……へ?

 教科書を抱えて目をぱちくりとするわたしに、アレクサンダー様が心の底から嫌そうな顔で教えてくれる。

「ニコラウス先生に頼まれたんだ。先ほど、学園の生徒が校外で少々問題を起こして、ニコラウス先生はそちらに呼び出されてしまった。ついさっきだったので君に今日の補講の中止を伝える暇もなくてな。……魔法研究部の部室にいたのが失敗だった」

 アレクサンダー様は魔法研究部所属だ。そして、魔法研究部の顧問はニコラウス先生である。

 ……部室にいたところをこれ幸いとニコラウス先生に代打を押し付けれたってことね。

 それは同情するが、誰かわたしにも同情してほし気分だった。
 百歩譲って、ニコラウス先生に優しく教えてもらうのならいざ知らず、わたしを嫌っているアレクサンダー様から氷のような侮蔑のこもった視線を向けられながらお勉強とか、拷問としか思えない。

「まあいい。時間を無駄にしたくないから、さっさと座りなさい。君はよほど出来が悪いらしいな。ニコラウス先生から、一年の授業を最初からすべて説明するようにと言われている。最初は教科書の五ページ目からだ」
「はい……」

 わたしは椅子に座って、今日のために持って来ていた一年生の教科書をぺらりとめくり、ひいっと悲鳴を上げそうになった。

 ……マリアー! あんたなに考えてるのー! って確かに記憶があるわー!

 ぺらん、とめくった教科書は、恐ろしいことに、落書きだらけだった。
 いかに授業を聞いていなかったかがわかるほどに、教科書の白い部分にぎゅうぎゅうに落書きが書かれている。

 わたしの手元を覗き込んだアレクサンダー様が唖然とした。

「どうやら君は、私が思っていた以上にどうしようもない人だったようだな」

 ……ああ! アレクサンダー様の中のわたしの評価がまた下がったよ! もう底辺だと思っていたのに、まだ下がる余地があったのねー!

 アレクサンダー様は「はあ」と嘆息すると、「文字が読めればそれでいい」と言ってさっさと補講を開始した。

「一年生で学ぶのは魔法学の基礎だ。ここが理解できていなければそもそも魔法を使うことはできない。君がファイアーボールを失敗したのがいい例だな」

 いえ、ファイアーボールは習得しましたよ。
 だが、あの習得方法は普通じゃないので黙っていよう。

「人が使える魔法には、火、土、水、風の四種類がある。この順番で、魔法の難易度も上がる。初級魔法でも、火の初級魔法より風の初級魔法の方が、一般的には難易度が高い。理解できるか?」
「はい」
「それに加えて、適正というものも存在する。適性を持っていなくても訓練次第で四属性すべての魔法を使うことは可能だが、適正を持っている魔法ほど習得しやすくなる。君が何の適性を持っているのかは知らないし、これは学んでいくうちにそのうち理解していくことになるだろうが……、普通は一人に一つの適正だ。中には複数の適性を持っているものもいるが、ごく少数で、高位貴族になるとその確率が高くなる。私が火と風の二つの属性を持っているようにな。ちなみに、四種全部の属性を持っているものは非常に稀だ。その稀な例が君のすぐそばにいるのだが、誰かわかるか?」
「…………まさか、お兄様ですか?」
「その通りだ」

 わー、お兄様、そう言うのチートって言うんですよー?
 想像以上にお兄様のスペックが高かった。びっくりです!

「あれだけ優秀な男がそばにいながら、何故君はまったくダメなんだろうな。理解に苦しむ」

 それは、はい、面目ない。

「まあいい、とにかく魔法と属性についての説明は以上だ。次に――」

 アレクサンダー様はわたしのことが嫌いだろうに、すごく丁寧に教えてくれる。

 ……うん、根が優しいんだろうな~。

 アレクサンダー様の美声を聞きながら、わたしは教科書の文字を目で追う。
 説明が治癒魔法に移ったところで、わたしは小さく顔を上げた。

「……なんだ?」
「通常の魔法より、治癒魔法は難易度が高いんですよね?」
「その通りだ。水と風の複合魔法だからな。最低限、水と風の中級魔法が操れなくてははじまらない」
「ちなみに、今のわたしが習得を目指すと、どのくらいかかりますか?」
「君が? ファイアーボールもまともに放てない君が、治癒魔法を? やめておけ。十年かかっても無理だ。私には、君が治癒魔法を使う姿がまったく想像できない」

 でしょうねー。

 アレクサンダー様も、お兄様も、治癒魔法は習得しているはずだ。だが、治癒魔法は格段に難易度が高いので、上級の治癒魔法を習得しているものは限られる。おそらく、アレクサンダー様もお兄様も、上級までは習得していないだろう。
 その上級の中で再難度と言われる治癒魔法「エリクサー」が、アグネスを目覚めさせる薬に必要だった。

 エリクサーは、水を霊薬に変えることができる治癒魔法の最終奥義ともいえる魔法だ。
 さすがに死者を生き返らせることはできないが、瀕死程度であれば回復させることができ、さらにはどんな病気や怪我もたちどころに直してしまう伝説の薬、それがエリクサーである。

 現在、ポルタリア国でエリクサーの治癒魔法が使えるのは、ただ一人。侍医長であるボルガー・ラヴェンデル様だけだ。
 そのエリクサーですら、アグネスを目覚めさせるには至らなかった。だから、ホルガー様は「打つ手なし」と判断したのである。

 しかしわたしは知っている。
 そのエリクサーと光の妖精の翅の鱗粉、それから他にいくつかの貴重な素材をあわせて調合した薬であれば、アグネスを目覚めさせることができることを。
 問題は、その作り方までどうやって誘導するかだ。
 わたしが作れれば早かったのだが、アレクサンダー様の口ぶりでは、わたしには逆立ちしたところで不可能だろうというのがわかった。
 ならばやっぱり、アレクサンダー様を誘導し、ニコラウス様に協力してもらって作るしか方法はない。

「マリア・アラトルソワ、聞いているのか?」
「は、はい!」

 わたしがぼーっとしていたからだろう。アレクサンダー様が怖い顔で睨んでいる。

「伝えた通り、君に治癒魔法の習得は無理だ。高い目標を掲げるのは向上心があっていいとは思うが、高すぎる目標は達成感が得られないために挫折しやすい。もっと自分の身の丈に合った目標を掲げるようにしなさい」
「は、はい……」

 なんか、ちょっと哲学っぽい話をされたけど、高い目標が掲げたかったわけじゃあないんだよね。

「……あの、アレクサンダー様」
「なんだ」
「アグネス様は、まだ……?」

 アグネスの名前を出すと、アレクサンダー様がぴくりと眉を動かした。
 そして腕を組むと、椅子の背もたれに寄り掛かる。

「君には事情を知られたんだったな」
「すみません、気になって……」
「君が気にすることではないと思うが……そうだな」

 込み入った質問をしたことに対して、怒られるかと思っていたがそうでもなかった。
 アレクサンダー様は片手で前髪をかき上げると、ふう、と息をつく。

「相変わらずだ。原因もわからない。ホルガー侍医長の治癒魔術でもダメだった。……いったい何が原因なのだろうな」
「あの、差し出がましいことを言うようですけど、いいですか?」

 怪しまれるかもしれない。
 けれども、アレクサンダー様とアグネスの話ができる機会は早々訪れないだろう。二人きりなった今が、話を切り出すチャンスのはずだ。

「まあいいだろう。根を詰めすぎても君にはつらいだろうからな。少しくらいなら君の雑談に付き合おう」
「ありがとうございます。……それで、その。ホルガー侍医長の治癒魔法でアグネス様が目覚めないというのであれば、アグネス様の今の状況は、何かとても特殊なものであると思うんです。なのでええっと……、目覚めさせるには、普通の人なら知らないような情報が、必要になるのではないかと思うんですけど……」

 ちょっと苦しかったかしら?
 でも、何とかして話題を城の地下の閉架書庫に向けなければならないのだから、多少苦しくても強引に行くしかない。

「何が言いたい?」
「ええっと、これはわたしの、そう、女の勘なのですけど!」
「君の女の勘は非常に怖いな」
「う……」

 そうですね。わたしはこれまで散々バカなことをしてきましたからね。ええ。その気持ちはわかりますよ。
 わたしはこほんと咳ばらいをして、アレクサンダー様の言葉が聞こえなかったふりをして続けた。

「ホルガー侍医長でも対処困難ならば、誰も知らない情報を探すしかないと思うんです。そう、例えばお城の閉架書庫なんかには、建国当初からの古い本が詰まっているのではないですか? もしかしたら、その中にヒントがあるかもしれませんよ!」
「勉強嫌いの君が、閉架書庫なんて単語を知っていたんだな」

 いやいや、そのくらい知ってますよ‼
 というか、城の閉架書庫は基本立ち入り禁止だが、王族もしくは公爵家の人間ならば申請したら入れますよね?
 だから、公爵令嬢のわたしが知っていても不思議ではないですよね? 入ったことは、まあ、ありませんが。というより、前世の記憶を思い出すまでは、その存在をすっかり忘れていましたけどね。ええ、マリアには無縁な場所ですから!

「君の口から書庫の話が出るのには驚きだが、一理ある気はするな。というより、どうして今まで、閉架書庫の存在を思い出さなかったのだろう?」

 それは、あれでしょうか? ゲーム補正ってやつですかね? ほら、ヒロインが登場する前にアグネスに目覚められると、ストーリーに支障が出るから、とか?
 もちろん、違うかもしれないけどね。
 だって、この国一番の魔法医に打つ手がないと言われたら、普通はほかに手だてがあるとは思わないじゃない? そこで、藁にも縋る気持ちで叔父であるリッチーの元を訪れたアレクサンダー様がすごいと思うよ。

「閉架書庫か。だが、あそこは広い。あの中から情報を探すとなると、一筋縄ではいかないだろうな。……ふむ」

 そこで、アレクサンダー様は、ふとわたしを見た。

 え? わたしの顔に何かついてますか?
 今日のランチ、トマトソースパスタだったけど、まさか口の周りが赤くなってますか?

 制服の胸ポケットから鏡を取り出そうとしたわたしだが、鏡を取り出す前にアレクサンダー様の驚きの発言に目を見張ることになる。

「君の提案通り、閉架書庫を探ってみようと思うが、その時には、ぜひ君にもついてきてもらえないだろうか?」
「へ⁉」
「それは返事と受け取っていいのか?」

 いやいやいや待て待て待て‼
 今のはつい間抜けな声が出てしまっただけであって、返事ではありませんよ!
 そして、どうして突然、わたしにご指名がかかったのでしょうか?

 アレクサンダー様はわたしのことが嫌いなはずなので、わたしと一緒なのは嫌なはずだ。
 怪訝に思っていると、アレクサンダー様が真面目な顔で言った。

「正直私には理解できないが、オリエンテーションのときに、君の指示で山火事が沈静化したのは事実だ。そしてニコラウス先生によれば、君は直感が働くタイプらしい。ならば君が一緒にいると、何かいい情報が見つかるかもしれない」

 わぉ! よくわからないけど、アレクサンダー様からすれば信じられないくらいわたしのことを好意的に判断してくれているね!

 びっくりだが、わたしには異論はない。

 わたしが一緒に行けば、うまく誘導できるかもしれないもの!
 ひとまず、アグネスの眠りの魔法を解くために一歩前進だね!




 その日の夜、わたしは何気なく枕の下のスマホを手に取った。
 ハイライドは扉を開けっぱなしにしている鳥かごから出て、机の上に置いたハイライド専用の小さなクッションの上でくーすかと眠っている。
 ヴィルマは、何故カナリアにクッションが必要なのかと怪訝そうだったが、ハイライドがクッションの上でじっとしているのを見たあとは文句を言わなくなった。ただ「ペットと飼い主って似るんですね。お嬢様と同じく変なカナリアです」などと失礼なことは言っていたけれど。
 スマホを開くと、わたしはステータス画面を確認する。

 ……やった! 予想通り! ポイントが二、増えてる!

 今日補習を受けたから、もしかしたら経験値的な何かが得られたのではないかと考えたのだけど、本当にポイントが入っているよ! 嬉しい!
 わたしはさっそく、その二ポイントをレベルに振り分けた。
 というのも、ファイアーボールを一発撃つのに魔力が五必要なのだ。レベルを上げて魔力もアップしておかないと、習得魔法レベルだけ上げても、覚えた魔法が使えないという本末転倒なことになるからである。

 残念ながらたった二ポイントではレベルは上がらなかったけれど、このまま補講を続けていたら少しずつだがポイントが入っていくことだろう。よしよし、補講に少しやる気が出て来たよ!

 満足したわたしは、スマホを枕の下に戻して眠りにつく。

 アグネスを目覚めさせるために、一歩前進できた気がするし、今日はなんかいい日だね!




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