上 下
17 / 60
第一部 悪役令嬢未満、お兄様と結婚します!

赤く染まる山 3

しおりを挟む
 急いで実技用の動きやすい制服に着替えて、わたしはヴィルマと共に城を飛び出した。
 誰かに見つかって咎められるかと思ったが、先生たちはすでに火事を鎮静化するために山に向かったあとだし、生徒たちは混乱しているしで、意外にも誰にも咎められることなく城から出ることができた。

 城の外に出ると、むわっとした熱気を風が運んでくる。
 ここから火事の現場まで結構離れているというのにすごい熱気だ。

「お嬢様、失礼します。世界の根源を司る四柱のうち水の精霊ウンディーネよ、我の呼びかけに応え、その大いなる御力の片鱗を我に授けたまえ――ウォーターバリア」

 ヴィルマがわたしと自分の周りに、水の結界を張った。
 肌を焼くような熱気がすーっと消えて、わたしの周りがひんやりと涼しくなる。

「詠唱して効果を上げてはいますが、火事の場所に近づくにつれ多少の熱さは感じると思います。気を付けてくださいね」
「ありがとう、ヴィルマ!」

 わたしはヴィルマと共に炎の勢いが強い場所に向かって走り出す。
 全然運動しないお嬢様なわたしだけど、興奮状態にあるのだろうか、走り出してすぐに息が苦しくなったのに足を止めようとは思わなかった。
 火事の現場に近づくにつれ、先生や魔法が得意な上級生たちの姿がちらほらと見えはじめる。

「お嬢様、それで、どうするつもりですか⁉」

 ヴィルマがわたしの周りに重ねて水の結界を張りながら訊ねた。
 どうするのかと問われても、わたしは計画があってここに来たわけではない。ただ、直観に駆られてここに来ただけだ。
 そして、現在進行形でわたしのその直感は、もっと奥へ行けと告げている。

「まだ奥に行くわ!」
「無茶です!」
「それでも、行くの!」

 行かなくてはならないのだ。
 わたしが炎が強くなっているあたりに向かって駆けだすと、ヴィルマが舌打ちしてついてくる。

「ウォーターバリア! ウォーターバリア‼ 何ですかこの火事⁉ いくらなんでも、炎の勢いが強すぎです! ウォーターバリアがあまり役に立たないじゃないですか!」
「そんなことはないわ! 少なくとも、燃えずにすんでいるだけ上等よ‼」

 わたしが単身で乗り込んでいたならば、もしかしなくとも炎の勢いで消し炭になっていたかもしれない。
 炎の中心ではなく外のあたりに立ち尽くしていた人は、きっと魔法の威力が足りずにそれ以上近づけなかったのだ。熱気を感じつつもこうして近づけるだけ、ヴィルマの魔法がすごいのである。

「アイスバリア‼」

 ヴィルマが水の結界から氷の結界に属性を変更した。少しでも熱気を抑えようと考えたのだろう。

「世界の根源を司る四柱のうち水の精霊ウンディーネよ、我の呼びかけに応え、その大いなる御力の片鱗を我に授けたまえ――前方を打ち抜き切り開け、ウォータービーム‼ からの、ウォーターフォール‼」

 ……ヴィルマ、あんたは本当に優秀だわ‼

 中級魔法、上級魔法も惜しげもなくガンガン使う侍女に、わたしは感激で涙が出そうになった。
 ヴィルマが炎の間を水魔法で切り裂いてくれたおかげで、わたしはその間を駆け抜けることができる。

「何が何だかわかりませんが、わたくしがしっかり支援しますので、もう好きになさってくださいませ! 我儘上等! それでこそお嬢様です‼」

 それは褒めてるの? 褒めてるの⁉ 貶しているの間違いじゃないよね⁉
 だが細かいことなんて気にしていられない。ヴィルマが支援してくれれば大丈夫だ。何故ならわたしは、ヴィルマのことを信じている。

「誰だ無茶苦茶な水魔法で場を混乱させているのは――って、ヴィルマ⁉ マリア⁉」

 ヴィルマが作ってくれた道を突き進んでいると、お兄様の驚愕した声が聞こえてきた。

「マリア! どうしてここに来たんだ‼」

 お兄様が怒っていらっしゃるけど、わたしはやっぱりそれどころではなくて、ただひたすらわたしの直感が「行け」と命じている場所に向かって駆けていく。
 そして、炎の中心にやってきたわたしは、大きく息を吸い込んで硬直した。
 大きな炎の渦が空高くまで伸びていて、その先に、翼を持った真っ赤な竜のようなものが浮かんでいたからだ。

 ……サラマンダー。

 わたしの直感が告げる。
 あれは、世界の根源を司る四属性の精霊のうちの一つ、火の精霊サラマンダーだ。
 精霊は、世界に四体しかいないと言われている。


 火の精霊サラマンダー。
 土の精霊ノーム。
 水の精霊ウンディーネ。
 風の精霊シルフ。


 けれどもそれらの精霊は、決して人の前には現れない。それが世界の常識のはずだ。

「くそっ、なんなんだこの炎は!」

 ハッとして横を向けば、アレクサンダー様が炎の渦を睨んで毒づいている。
 その様子を見るに、サラマンダーに気づいているようではない。気づいていたら、サラマンダーに気を取られて炎の渦なんて気にしていられないだろう。

 ……ということは、他の人には見えていないの?

 もう一度サラマンダーを見上げる。
 赤いうろこに覆われた、炎の翼を生やした真っ赤で優美な竜。
 ルビーのような綺麗な二つの瞳は、静かに地上を睥睨している。

「マリア‼」

 わたしを追って来たお兄様がわたしの腕をつかんだ。

「何を考えているんだ! いくらお兄様でも本気で怒るぞ‼」
「お兄様、あれが見えますか……?」

 今まで感じたことのないお兄様の怒りよりも、わたしはサラマンダーが気になって仕方がない。
 空に向かって指を突きつけると、お兄様はぐっと顔をしかめた。

「ああ見えるとも! 大きな炎の渦がな‼ ここは危険だ、帰りなさい‼」

 ……やっぱりお兄様にも、見えていない。

 あの優美なサラマンダーは、わたし以外の目に移ってはいないのだ。

「マリア・アラトルソワ⁉ 何をしに来たんだ‼」

 お兄様の声でわたしの存在に気付いたアレクサンダー様が大声で怒鳴る。
 しかし、やっぱりわたしは、サラマンダーから視線が逸らせない。
 この火事は間違いなくサラマンダーの暴走が招いたものだ。そう、わたしの直感が告げる。
 サラマンダーを何とかしなければ、この火事は決して沈静化することはできない。

「お兄様、炎の渦の頂点を、そうですね、直径十メートル程度の四角形の結界で覆うことはできますか?」
「マリア、この状況で何を言い出すんだ。お遊びじゃないんだぞ」
「わかっています。でも、何も聞かずにやってください」
「マリア・アラトルソワ‼ いい加減にしろ‼」

 アレクサンダー様がイライラと叫ぶ。
 お兄様やアレクサンダー様以外にも何名か上級生がいたけれど、全員が全員、わたしを心底侮蔑したような視線で見つめていた。

「マリア、すまないがお前のお願いは聞けない。帰りなさい」

 いくらお兄様でも、サラマンダーが見えていない状況でわたしの意味不明なお願いは聞いてくれないようだった。
 わたしはきゅっと唇をかむと、ちらりと背後を振り返る。
 そこにはわたしを追いかけてきたヴィルマがいた。

「ヴィルマ……魔力、まだ残っている?」

 ヴィルマはわたしを炎から守ることに全力投球してくれていた。かなりの魔力を消費したはずだ。無茶な願いだとはわかっているが、この場でわたしの意味不明なお願いを聞いてくれるのはヴィルマしかいない。
 ヴィルマはわたしの隣に立つと、やれやれと息を吐いた。

「残りの全魔力を使えば一発くらいは可能ですけど、いいんですね?」
「うん」
「わかりました。このヴィルマ、お嬢様の我儘には慣れておりますので、お付き合いして差し上げましょう。侍女ですからね!」
「ヴィルマ、正気か⁉」
「正気も正気、大正気です。もともとここにお嬢様が来る予定ではなかったのでわたくしは戦力に換算されていないでしょう? ならば構わないはずです」

 ヴィルマは炎の渦の頂点に向かって両手を突き出す。

「世界の根源を司る四柱のうち水の精霊ウンディーネよ、我の呼びかけに応え、その大いなる御力の片鱗を我に授けたまえ――ウォータージェイル‼」

 ヴィルマが魔力すべてを使った上級魔法が、炎の渦の頂点に、巨大な水の檻を作り出す。
 その瞬間、がくんと当たりの温度が下がった。
 炎の渦はまだあるが、先ほどよりも明らかに威力を落としている。

「……よくわからんが、なるほど! どうやらお前は正解を引いたみたいだ。――ウォータージェイル‼」

 効果ありと判断したお兄様が、ヴィルマの作った水の檻を外から取り囲むようにもう一つの檻を展開した。

「アレクサンダー‼」
「説明は後からしてもらうからなマリア・アラトルソワ‼ ウォータージェイル‼」

 アレクサンダー様の水の檻がお兄様の檻の外側をさらに取り囲む。
 この場にいた他の生徒たちもお兄様とアレクサンダー様に続き、炎の渦の頂点に何重もの水の檻が出来上がった。
 ゆっくりと、溶けるように炎の渦が消えていく。
 炎の渦が完全に消えると、山に燃え広がっていた炎が嘘のように消え去った。

「――は! 嘘だろう? マリア、お前は女神か? ははははは!」

 お兄様が息を吐くようにして笑い出す。

「いったい何がどうなっている……」

 アレクサンダー様がゆったりとした足取りでわたしに近づいてきた。

 ……あ、まずいかも。理由を聞かれても、わたしはうまく答えられませんよ。サラマンダーはわたし以外の誰にも見えていないみたいだし、何故ここに来たのかと言われても、直感ですなんて言ったところで信じてなんてくれないだろう。

 だらだらとわたしの背に冷や汗が流れる。
 幾重にも折り重なった水の檻の中で、サラマンダーは静かにこちらを見下ろしている。

 ……あの檻も、どうしていいのかわからないし。魔法を解いた直後にまた山が炎に飲み込まれたりするのかな。それはちょっと勘弁なんだけど……。

 とりあえずサラマンダーが原因っぽいから閉じ込めてしまえばいいんじゃない? という直感に従ったわたしがだが、このあとにどうするのが正解なのかはさっぱりわかりません。
 どうしようどうしようと檻の中のサラマンダーを見上げていると、サラマンダーがわたしの存在に気が付いたかのようにこちらを見つめてきた。

 ……あの、怒ってる? 怒ってないよね?

 わたしのせいで閉じ込められたと、キレたサラマンダーに攻撃されたりしないよね?

 前門に虎後門に狼、ならぬ、前門にサラマンダー後門にお兄様たちですよ。
 マジヤバい、どうしよう。
 ここはおバカマリアの高飛車スキルで「おほほほほほ、わたしに感謝して跪きなさーい」と空気読まない感じの高笑いでやり過ごせないものだろうか。

 わたしがそんなバカなことを考えて現実逃避をしていたときだった。
 パリン、とお兄様たちの張った何重もの水の檻が、硝子が割れるような音を立てて砕け散る。

 ヤバい、激怒したサラマンダーの復讐が‼ と焦ったわたしの目の前で、サラマンダーが一条の赤い光になって、わたしの目の前に落っこちてきた。
 何事⁉ と思ったときにはすでに、わたしの手には見覚えのある小さな長方形の板が握られていて、わたしはぎょっとする。

 ……待って待って待って! これってスマートフォンじゃありませんか⁉

 なんでこんなものがここにあるのだと驚くも、お兄様たちにはわたしの手にあるスマホは見えていない様子だ。

 サラマンダーといい、スマホといい、何がどうなっているんでしょうか⁉

 わたしの頭は混乱でいっぱいいっぱいになって、ここまで走って来た疲れと、それからお兄様たちの追及をかわしたいという現実逃避な思考から、急激に脳がシャットダウンをはじめる。

 とりあえず――気絶しておこう!

 わたしは、問題を先送りにすべく、脳の警告に従って、気を失ってその場で卒倒した。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした

黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん! しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。 ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない! 清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!! *R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。

【完結】ヤンデレ設定の義弟を手塩にかけたら、シスコン大魔法士に育ちました!?

三月よる
恋愛
14歳の誕生日、ピフラは自分が乙女ゲーム「LOVE/HEART(ラブハート)」通称「ラブハ」の悪役である事に気がついた。シナリオ通りなら、ピフラは義弟ガルムの心を病ませ、ヤンデレ化した彼に殺されてしまう運命。生き残りのため、ピフラはガルムのヤンデレ化を防止すべく、彼を手塩にかけて育てる事を決意する。その後、メイドに命を狙われる事件がありながらも、良好な関係を築いてきた2人。 そして10年後。シスコンに育ったガルムに、ピフラは婚活を邪魔されていた。姉離れのためにガルムを結婚させようと、ピフラは相手のヒロインを探すことに。そんなある日、ピフラは謎の美丈夫ウォラクに出会った。彼はガルムと同じ赤い瞳をしていた。そこで「赤目」と「悪魔と黒魔法士」の秘密の相関関係を聞かされる。その秘密が過去のメイド事件と重なり、ピフラはガルムに疑心を抱き始めた。一方、ピフラを監視していたガルムは自分以外の赤目と接触したピフラを監禁して──?

家庭の事情で歪んだ悪役令嬢に転生しましたが、溺愛されすぎて歪むはずがありません。

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるエルミナ・サディードは、両親や兄弟から虐げられて育ってきた。 その結果、彼女の性格は最悪なものとなり、主人公であるメリーナを虐め抜くような悪役令嬢となったのである。 そんなエルミナに生まれ変わった私は困惑していた。 なぜなら、ゲームの中で明かされた彼女の過去とは異なり、両親も兄弟も私のことを溺愛していたからである。 私は、確かに彼女と同じ姿をしていた。 しかも、人生の中で出会う人々もゲームの中と同じだ。 それなのに、私の扱いだけはまったく違う。 どうやら、私が転生したこの世界は、ゲームと少しだけずれているようだ。 当然のことながら、そんな環境で歪むはずはなく、私はただの公爵令嬢として育つのだった。

完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい

咲桜りおな
恋愛
 オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。 見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!  殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。 ※糖度甘め。イチャコラしております。  第一章は完結しております。只今第二章を更新中。 本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。 本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。 「小説家になろう」でも公開しています。

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

使えないと言われ続けた悪役令嬢のその後

有木珠乃
恋愛
アベリア・ハイドフェルド公爵令嬢は「使えない」悪役令嬢である。 乙女ゲームの悪役令嬢に転生したのに、最低限の義務である、王子の婚約者にすらなれなったほどの。 だから簡単に、ヒロインは王子の婚約者の座を得る。 それを見た父、ハイドフェルド公爵は怒り心頭でアベリアを修道院へ行くように命じる。 王子の婚約者にもなれず、断罪やざまぁもされていないのに、修道院!? けれど、そこには……。 ※この作品は小説家になろう、カクヨム、エブリスタにも投稿しています。

光の王太子殿下は愛したい

葵川真衣
恋愛
王太子アドレーには、婚約者がいる。公爵令嬢のクリスティンだ。 わがままな婚約者に、アドレーは元々関心をもっていなかった。 だが、彼女はあるときを境に変わる。 アドレーはそんなクリスティンに惹かれていくのだった。しかし彼女は変わりはじめたときから、よそよそしい。 どうやら、他の少女にアドレーが惹かれると思い込んでいるようである。 目移りなどしないのに。 果たしてアドレーは、乙女ゲームの悪役令嬢に転生している婚約者を、振り向かせることができるのか……!? ラブラブを望む王太子と、未来を恐れる悪役令嬢の攻防のラブ(?)コメディ。 ☆完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

処理中です...