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第一部 悪役令嬢未満、お兄様と結婚します!
ジークハルト・アラトルソワ 1
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「お兄様、わたしと結婚してくださいませ‼」
ばばーんとノックもせずに兄の部屋の扉を開けたわたしは、そのまま、ひうっと悲鳴を上げて固まった。
艶々の青銀色の髪に、気だるげな紫紺の瞳。
怠惰な猫のようにベッドの上に横になり、ふわりふわりとあくびをしていたのは、三つ年上の我が兄にして我がアラトルソワ公爵家の嫡男であるジークハルト・アラトルソワである。
「おおおおおおおおおお兄様っ」
わたしの顔が、ボンッと音を立てる勢いで真っ赤に染まる。
黒いシルクのナイトシャツのボタンを全開にして、なまめかしくも引き締まった胸元を惜しげもなくさらしていらっしゃるお兄様は、わたしに目を止めてうっそりと微笑んだ。
「おやおや、我が妹はそんなはしたない格好で私の部屋に夜這いにでも来たのかい? だが残念ながら今は朝だ。今夜また出直しておいで?」
この兄は妹に対してなんてことを言うのだろうかと、先ほど「結婚してくださいませ‼」と兄妹間にはあるまじきセリフをぶっぱなったわたしは自分のことを棚上げにしてううむと唸る。
くそぅ! お兄様はゲームの攻略対象でもないくせに、なんだってこんなに色気があるのかしら⁉
ジークハルト・アラトルソワは、ブルーメ学園で第一王子ルーカスと人気を二分するほどのとんでもないモテ男である。
顔よし、頭よし、スポーツ万能で魔力も高く、さらには五家しかないポルタリア国の公爵家の一つであるアラトルソワ公爵家の跡取り息子とくれば、モテないはずがないのだ。
しかも、「歩く媚薬」と呼ばれるほどのとんでもない色気をお持ちのお兄様は、ふわりと微笑むだけで失神者を出すとまで言われていた。
はっきり言って、全世界の女の敵のような男である。
そんなとんでもない色男であるお兄様が攻略対象でないのは、おそらく、現時点でお兄様が最高学年である五年生だからだろう。
ゲームのはじまりは来年なので、そのときは卒業して学園にはいないのだ。
……って、お兄様の色気に飲まれてどうするのわたし!
ついつい全開の胸元に視線が行きそうになって、わたしはぷるぷると首を横に振る。
こちとら十七年お兄様と一緒にいたのである。この程度の色気に対する耐性はついているのだ。たぶん。
「お兄様、お話があります!」
「その格好でかい?」
「ん?」
わたしはそこで自分の格好を見下ろした。
見る見るうちに血の気が引いていく。
「おにいちゃまとしても大変な目の保養で結構なことだが、淑女がそんな薄着で部屋の外に出るのはいただけないね。あとそれから、お前は寝る時には下着をつけない主義なのか――」
「みやあああああああ⁉」
わたしは自分自身を抱きしめてその場にうずくまった。
お兄様が「お前は本当におバカさんだねえ」と言いながら、ベッドの上に寝そべったまま軽く手を振る。
すると、ひとりでにお兄様の部屋のクローゼットが開いて、お兄様の瞳のような紫紺色のシャツがわたしの元まで飛んで来た。お兄様が風の魔法を使ったのだ。
わたしは素早くそのシャツを羽織り、きっちりとボタンを留めると、赤い顔のまま立ち上がる。お兄様のシャツは大きいので、太もものあたりまで隠れてくれるから助かる。
真っ赤になって震えていても部屋を出て行かないわたしに、お兄様が、「おや?」と片眉を上げた。
「どうしたんだい、マリア。まだお兄様に用事でもあるのかい? そう急がなくても朝食の席で顔を合わせるのだから、そのときでもいいのではないかな?」
「お兄様、マリアは考えました。このままだとマリアはどうやら破滅するようです。なので、わたしと、契約結婚してください!」
「……ふむ。先ほどの『結婚してください』は、私が寝ぼけていたゆえに聞いた幻聴だと思ったのだが、お前は本当にそのようなふざけた発言をしていたんだねえ」
お兄様が、ごろんとベッドの上で寝返りを打ってわたしの方を向くと、頬杖をついて頭を支えた。
「マリア、おバカさんなお前は知らないのかもしれないが、この国では兄と妹では結婚できない」
「でもお兄様は本当はわたしの従兄で、兄ではないですよね?」
「…………おやおや」
お兄様が驚いたように紫紺の目を見開いた。
そう、お兄様とわたしは本当の兄妹ではない。
前世の記憶を取り戻したときにその事実に気が付いたからこそ、わたしは手近なところで身を固めてしまおうと、お兄様に結婚話を持ち掛けたのだ。
……ふっふっふっ、いくらなんでも、人妻になってたらヒロインの恋のライバルにはなり得ないものね‼
一人ほくそ笑んでいたわたしは、お兄様がベッドから起き上がりこちらに近づいてくることに気が付かなかった。
ハッとしたときにはお兄様の麗しいご尊顔がすぐそばにあって、びくりとしてしまう。
お兄様はわたしについて来ていたヴィルマに廊下に控えているように言うと、部屋の扉をぱたんと閉ざしてしまった。
……な、なんてことかしら⁉ 扉を閉めただけなのに、お兄様のほんのり甘いスパイスのような香りでむせ返りそうだわ‼
前世でも勉強はいまいち、今世でも悪役令嬢っぽく(?)成績は下の下なわたしは、ただ単にお兄様がすぐ近くにいるから香りを強く感じると事実に気が付かない。
これが媚薬効果があるのではないかと噂の「歩く媚薬」の香り……!
いえ、知っていたけど、お兄様の香りをこんなに強く嗅いだことはなかったわ‼
お兄様は別に香水を使っているわけではないのだが、お兄様の好むシャンプーの香りが、この甘いエキゾチックな香りなのである。
お兄様がわたしの顎に指をかけて、くいっと上向かせる。
ひやあああああああ‼
イケメンが、イケメンの顔がこんなに近くに‼
ゆでだこのように赤くなるわたしに構わず、お兄様がわたしの赤紫色の瞳をじっと見下ろして、探るような目つきになった。
「お前はずっと私とは本当の兄妹だと思っていたとはずだが、いったいどこで気づいたんだい?」
「わ、わたしの研ぎ澄まされた洞察力と観察眼をもってすればこのくらいの謎など容易いのですわ」
「偉そうなことを言っているが、この事実は別に誰も隠していなかったよ。むしろお前が気づかないのはなんでなんだろうとも思っていたくらいだし。お前は昔から、あちこちに落ちていたはずの真実の欠片を、どういうわけかスキップで飛び越えていくという妙な特技を持っていたようで、ある意味お前のおバカさんなところは才能ではないのかと思っていたんだが、ようやく洞察力が人並み程度に戻ったのかな? いや、驚きだ」
ガーン‼
そうだったの⁉
わたしはてっきり、わたしがショックを受けないようにみんなが巧妙に隠していたんだと思っていたわよ‼
あまりの衝撃にぱかっと口を開けて固まるわたしの頭を、お兄様は「お前は本当におバカさんで可愛いねえ」と全然褒めていなさそうな口調で言いながらなでなでする。
「それで、お前は私が実の兄ではないと、ようやく気が付いた。ここまではわかったが、そこからどうして結婚してくださいという言葉が出てくるんだろうねえ? しかも契約結婚と来たものだ。お前の冗談はなかなかウィットに飛んでいると思うが、その冗談を本当にできる男の前に、そのような扇情的な格好で現れて言うセリフではないよねえ?」
「もちろん、冗談ではありませんわ‼」
「ふぅん、そう?」
お兄様は探るようにわたしを見下ろして、それからニッと口端を持ち上げた。
あ、やばい。
わたし中で警報装置がぴーぽーぴーぽーと音を立てる。
だが、わたしはお兄様が言う通りおバカさんなので、いつも逃げられない状況になってようやく危険を察知する。つまり、もうすでに逃げられる状況にない。
お兄様がわたしを壁際に追い込んで、トン、と両脇に手をついて囲い込んできた。
「つまり昨日までわたしの妹だと疑っていなかったはずのお前は、今朝になって急に私とあんなことやこんなことやそんなことがしたくなったと、そう言うことでいいのかな。おにいちゃまとしては、可愛い妹にあんなことやこんなことやそんなことをするのはいささか良心がいたむが、お前が望むのであればやぶさかではないよ」
ばばーんとノックもせずに兄の部屋の扉を開けたわたしは、そのまま、ひうっと悲鳴を上げて固まった。
艶々の青銀色の髪に、気だるげな紫紺の瞳。
怠惰な猫のようにベッドの上に横になり、ふわりふわりとあくびをしていたのは、三つ年上の我が兄にして我がアラトルソワ公爵家の嫡男であるジークハルト・アラトルソワである。
「おおおおおおおおおお兄様っ」
わたしの顔が、ボンッと音を立てる勢いで真っ赤に染まる。
黒いシルクのナイトシャツのボタンを全開にして、なまめかしくも引き締まった胸元を惜しげもなくさらしていらっしゃるお兄様は、わたしに目を止めてうっそりと微笑んだ。
「おやおや、我が妹はそんなはしたない格好で私の部屋に夜這いにでも来たのかい? だが残念ながら今は朝だ。今夜また出直しておいで?」
この兄は妹に対してなんてことを言うのだろうかと、先ほど「結婚してくださいませ‼」と兄妹間にはあるまじきセリフをぶっぱなったわたしは自分のことを棚上げにしてううむと唸る。
くそぅ! お兄様はゲームの攻略対象でもないくせに、なんだってこんなに色気があるのかしら⁉
ジークハルト・アラトルソワは、ブルーメ学園で第一王子ルーカスと人気を二分するほどのとんでもないモテ男である。
顔よし、頭よし、スポーツ万能で魔力も高く、さらには五家しかないポルタリア国の公爵家の一つであるアラトルソワ公爵家の跡取り息子とくれば、モテないはずがないのだ。
しかも、「歩く媚薬」と呼ばれるほどのとんでもない色気をお持ちのお兄様は、ふわりと微笑むだけで失神者を出すとまで言われていた。
はっきり言って、全世界の女の敵のような男である。
そんなとんでもない色男であるお兄様が攻略対象でないのは、おそらく、現時点でお兄様が最高学年である五年生だからだろう。
ゲームのはじまりは来年なので、そのときは卒業して学園にはいないのだ。
……って、お兄様の色気に飲まれてどうするのわたし!
ついつい全開の胸元に視線が行きそうになって、わたしはぷるぷると首を横に振る。
こちとら十七年お兄様と一緒にいたのである。この程度の色気に対する耐性はついているのだ。たぶん。
「お兄様、お話があります!」
「その格好でかい?」
「ん?」
わたしはそこで自分の格好を見下ろした。
見る見るうちに血の気が引いていく。
「おにいちゃまとしても大変な目の保養で結構なことだが、淑女がそんな薄着で部屋の外に出るのはいただけないね。あとそれから、お前は寝る時には下着をつけない主義なのか――」
「みやあああああああ⁉」
わたしは自分自身を抱きしめてその場にうずくまった。
お兄様が「お前は本当におバカさんだねえ」と言いながら、ベッドの上に寝そべったまま軽く手を振る。
すると、ひとりでにお兄様の部屋のクローゼットが開いて、お兄様の瞳のような紫紺色のシャツがわたしの元まで飛んで来た。お兄様が風の魔法を使ったのだ。
わたしは素早くそのシャツを羽織り、きっちりとボタンを留めると、赤い顔のまま立ち上がる。お兄様のシャツは大きいので、太もものあたりまで隠れてくれるから助かる。
真っ赤になって震えていても部屋を出て行かないわたしに、お兄様が、「おや?」と片眉を上げた。
「どうしたんだい、マリア。まだお兄様に用事でもあるのかい? そう急がなくても朝食の席で顔を合わせるのだから、そのときでもいいのではないかな?」
「お兄様、マリアは考えました。このままだとマリアはどうやら破滅するようです。なので、わたしと、契約結婚してください!」
「……ふむ。先ほどの『結婚してください』は、私が寝ぼけていたゆえに聞いた幻聴だと思ったのだが、お前は本当にそのようなふざけた発言をしていたんだねえ」
お兄様が、ごろんとベッドの上で寝返りを打ってわたしの方を向くと、頬杖をついて頭を支えた。
「マリア、おバカさんなお前は知らないのかもしれないが、この国では兄と妹では結婚できない」
「でもお兄様は本当はわたしの従兄で、兄ではないですよね?」
「…………おやおや」
お兄様が驚いたように紫紺の目を見開いた。
そう、お兄様とわたしは本当の兄妹ではない。
前世の記憶を取り戻したときにその事実に気が付いたからこそ、わたしは手近なところで身を固めてしまおうと、お兄様に結婚話を持ち掛けたのだ。
……ふっふっふっ、いくらなんでも、人妻になってたらヒロインの恋のライバルにはなり得ないものね‼
一人ほくそ笑んでいたわたしは、お兄様がベッドから起き上がりこちらに近づいてくることに気が付かなかった。
ハッとしたときにはお兄様の麗しいご尊顔がすぐそばにあって、びくりとしてしまう。
お兄様はわたしについて来ていたヴィルマに廊下に控えているように言うと、部屋の扉をぱたんと閉ざしてしまった。
……な、なんてことかしら⁉ 扉を閉めただけなのに、お兄様のほんのり甘いスパイスのような香りでむせ返りそうだわ‼
前世でも勉強はいまいち、今世でも悪役令嬢っぽく(?)成績は下の下なわたしは、ただ単にお兄様がすぐ近くにいるから香りを強く感じると事実に気が付かない。
これが媚薬効果があるのではないかと噂の「歩く媚薬」の香り……!
いえ、知っていたけど、お兄様の香りをこんなに強く嗅いだことはなかったわ‼
お兄様は別に香水を使っているわけではないのだが、お兄様の好むシャンプーの香りが、この甘いエキゾチックな香りなのである。
お兄様がわたしの顎に指をかけて、くいっと上向かせる。
ひやあああああああ‼
イケメンが、イケメンの顔がこんなに近くに‼
ゆでだこのように赤くなるわたしに構わず、お兄様がわたしの赤紫色の瞳をじっと見下ろして、探るような目つきになった。
「お前はずっと私とは本当の兄妹だと思っていたとはずだが、いったいどこで気づいたんだい?」
「わ、わたしの研ぎ澄まされた洞察力と観察眼をもってすればこのくらいの謎など容易いのですわ」
「偉そうなことを言っているが、この事実は別に誰も隠していなかったよ。むしろお前が気づかないのはなんでなんだろうとも思っていたくらいだし。お前は昔から、あちこちに落ちていたはずの真実の欠片を、どういうわけかスキップで飛び越えていくという妙な特技を持っていたようで、ある意味お前のおバカさんなところは才能ではないのかと思っていたんだが、ようやく洞察力が人並み程度に戻ったのかな? いや、驚きだ」
ガーン‼
そうだったの⁉
わたしはてっきり、わたしがショックを受けないようにみんなが巧妙に隠していたんだと思っていたわよ‼
あまりの衝撃にぱかっと口を開けて固まるわたしの頭を、お兄様は「お前は本当におバカさんで可愛いねえ」と全然褒めていなさそうな口調で言いながらなでなでする。
「それで、お前は私が実の兄ではないと、ようやく気が付いた。ここまではわかったが、そこからどうして結婚してくださいという言葉が出てくるんだろうねえ? しかも契約結婚と来たものだ。お前の冗談はなかなかウィットに飛んでいると思うが、その冗談を本当にできる男の前に、そのような扇情的な格好で現れて言うセリフではないよねえ?」
「もちろん、冗談ではありませんわ‼」
「ふぅん、そう?」
お兄様は探るようにわたしを見下ろして、それからニッと口端を持ち上げた。
あ、やばい。
わたし中で警報装置がぴーぽーぴーぽーと音を立てる。
だが、わたしはお兄様が言う通りおバカさんなので、いつも逃げられない状況になってようやく危険を察知する。つまり、もうすでに逃げられる状況にない。
お兄様がわたしを壁際に追い込んで、トン、と両脇に手をついて囲い込んできた。
「つまり昨日までわたしの妹だと疑っていなかったはずのお前は、今朝になって急に私とあんなことやこんなことやそんなことがしたくなったと、そう言うことでいいのかな。おにいちゃまとしては、可愛い妹にあんなことやこんなことやそんなことをするのはいささか良心がいたむが、お前が望むのであればやぶさかではないよ」
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