すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く

狭山ひびき@バカふり200万部突破

文字の大きさ
上 下
120 / 165
第二部 すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く

婚約 5

しおりを挟む
 ベッドメイクをすることはあっても、ウォレスのベッドに横になるのははじめてだ。
 心臓が壊れそうだった。
 本来、侍女が落とすべき部屋の灯りをウォレスが落として、隣にもぐりこむ。
 指一本すら動かせないほど硬直して、浅い息を繰り返していると、隣のウォレスがもぞもぞと動いてサーラを腕の中に抱き込んだ。

「……何もしない」

 かすれた声が、耳元でした。

「だからそんなにがちがちにならないでくれ。……なんだか、悪いことをしている気になる」

 悪いことかどうかは、サーラにはわからないが、推奨されるようなことではないだろう。
 天蓋のカーテンを落としたベッドの中は、まるで外界と隔離されて狭い箱の中のようだ。

 誰もいない。
 二人きり。

 ウォレスの息遣いや鼓動が、まるでこの狭い箱の世界のすべてであるかのように思える。
 伝わってくる体温が、熱いくらいだった。
 ウォレスがゆっくりとサーラの髪に指を滑らせる。
 バスルームでの話の続きを、と思ったが、緊張しすぎてとてもではないがサーラは口がきけそうになかった。

「……四月五日までは、このままの関係で。それでいいか?」

 髪を梳き、額や頬に唇を寄せ、ウォレスがささやく。
 サーラが頷けば、口づけが落ちてきた。
 一度離れ、またくっつき、深くなる。
 はっと途中で大きく息を継げば、ウォレスが唇を放してこつんと額同士をくっつけた。

「それから、四月五日が過ぎても、侍女をやめないでほしい」
「……はい」

 おそらく、すでにサーラを自陣に組み込んだつもりでいるアルフレッドが辞めさせるはずがないが、自分の意思でサーラは頷く。
 たとえ関係が変わっても、サーラはウォレスが許す限り側にいるつもりだ。
 城にいなければレナエルたちの動向を探れないという理由も大きいが、なによりサーラが、ウォレスから離れたくなかった。
 彼の周りにはサーラがついていなくとも人はいるけれど、彼が甘えられる人物は少ない。
 関係が変わればウォレスはサーラに甘えなくなるかもしれないけれど、無理をしていないかどうか、少なくともしばらくの間は彼を見ていたかった。

 ――たとえそれが、つらくとも。

 ウォレスが再びサーラの唇を塞ぎ、頬を、首をくすぐってきた。
 けれども、おずおずとサーラがウォレスの背中に腕を回したとき、「……まずい」とくぐもった声がして唇が離される。

「何か話をしよう。冷静になれる話がいい」
「え……、と」
「深くは聞くな」

 サーラはボッと赤くなった。
 ウォレスがサーラから少し距離を取って、けれどもきゅっとサーラの手を握ると仰向けになる。

「えーと、えーと……」

 必死に何か話題を探そうとしているウォレスに、サーラは噴き出した。
 しばらく唸っていたウォレスは、何か話題を思いついたようだ。「ああそうだった!」と声を上げる。

「少し前のライチの件があっただろう?」
「バラケ男爵の件ですよね」
「ああ。アルフレッドが調べたんだが。少々不可解なことがわかった」
「不可解、ですか?」

 バラケ男爵を殺害したのは、その後死んだ執事である。
 少なくともサーラとアルフレッドの見解は執事が犯人で一致していた。
 しかし執事が他殺だったため、彼に指示を出し男爵を殺害至らしめた人物がいるはずで、それについてはとある農家がライチの温室栽培に成功したらしいという情報を男爵本人、もしくは執事にもたらした人物が有力候補だ。

「ライチの温室栽培の件だがな、農家によると、栽培に成功したものの売り出すほどのレベルではなく、実をつけたのは実験的に温室で栽培していたライチの木の一本だけだそうだ。それを知っていたのは、近所の人間と、農家が報告を上げたので領主……ビュイソン侯爵とその周辺。それから……レナエルの専属護衛官のラウルだという。ラウルはビュンソン侯爵から聞いて、農家に直接連絡を取ったらしい。レナエルがライチが好きなのだが、ライチはもう熟しているのかと。農家に宛てて送られた手紙が残っていて、アルフレッドが農家から買い取った」
「専属護衛官ってことは、去年の成婚パレードの際に、レジスを殺したあの専属護衛官ですか?」
「そうだ」

 サーラもウォレスと同じく天井を見上げた。一点に視点を固定しつつ、うーんと唸る。

「確認ですが、ビュンソン侯爵とラウルはどこに接点があったのでしょう。それから、まあ、聞かなくともわかるような気がしますが、ビュンソン侯爵は第一王子派閥ですか?」

 第一王子妃の専属護衛官が親しくするのであれば、ビュンソン侯爵は第二王子派閥ではなかろう。
 案の定、ウォレスはちらりとサーラを見て頷いた。

「そうだ。ビュンソン侯爵は兄上の派閥の、しかも筆頭に近いところにいる貴族だ。ビュンソン侯爵とラウルの接点だが、確実なところはわかっていないが、アルフレッドの予測だと、十一月の終わりにビュンソン侯爵家のタウンハウスで開かれたパーティーではないかということだ。レナエルも兄上とともに参加していて、ラウルも護衛として同行した」
(十一月の終わり、ね)

 なるほど、そのあたりで情報を仕入れていたのならば、計画を練る時間は充分にあっただろう。

「つまり現時点の容疑者は、ビュンソン侯爵とラウルということですよね」
「そうなるが、そうなると不可解なのが派閥の問題だ。バラケ男爵は兄上の派閥だ。相手が男爵だとはいえ、派閥内の勢力を削るようなことをするか?」
「そうですよね……」

 しかし、引っかかるのはレナエルの専属護衛官である。
 あちらは、パレードに乱入してすでに騎士たちに取り押さえられていたにもかかわらず、そのレジスを殺したという、不可解な前科がある。
 本人はレナエルを守るためだと主張したそうだが、過剰防衛もいいところだった。
 そしてレナエルとともにヴォワトール国にやって来た彼女の兄フィリベール・シャミナードも不可解な行動を取っていた。
 この件につながりがないと言い切れない。

「例えばの話ですが、バラケ男爵が例の贋金の件に絡んでいたということはないですか?」
「それはないと思うが、可能性はゼロではないな。アルフレッドも探ったようだが、情報を仕入れるにしても限界がある。サーラはラウルが怪しいと思っているのか?」
「……すみません。どうしてもシャミナード公爵側だと思うだけで怪しく思えてしまいます」
「謝ることはない。君の気持は理解できる」

 ウォレスはそう言うが、客観性を欠いてはならないだろう。
 思い込みで判断すると、いつか大変な間違いを犯しそうで怖い。
 過去の両親の冤罪を晴らすにしても、サーラ自身が客観的に判断しつつ証拠を集めなくてはならないのだ。
 恨みを忘れるのは難しいが、感情的になってはならない。

「さすがに証拠も揃っていないのに本人たちを事情聴取はできませんもんね」
「ああ」

 下手につつけば、こちらが隙を突かれる結果になりかねない。
 ここまで情報を集めてアルフレッドが動かないのは、動けないからだろう。

「この問題はいったん棚上げですか」
「そうなるだろうな。アルフレッドが悔しそうだった」
「前から少し思っていたんですけど、アルフレッド様は敵対派閥を陥れるのが好きなんでしょうか。突く隙を見つけるとすごく楽しそうな顔をするんですが」
「まあ、兄上の派閥連中には、過去に散々やられているからな。まあ、こちらもやり返していたようなので、どっちもどっちだと思うが」
(ははーん、つまりは意趣返しもあるわけね)

 アルフレッドがやられっぱなしで黙っているはずがない。
 使えるものは養女でも使って、とにかくあちらを攻撃するネタを探し回っているのだろう。

「派閥同士の喧嘩は面倒くさそうですね」
「そうだな。だが派閥でも全員が全員ではないぞ。派閥を超えてうまく付き合っている連中もいる。アルフレッドのような売られた喧嘩は買うタイプがバチバチやっているだけだ」
「ブノアさんは穏やかそうなのに」
「ブノアもな……。あれはあれで普段は穏やかなんだが、やられて黙っているタイプではないから、攻撃されれば倍返しくらいはするぞ」
「そうなんですか?」
「攻撃されなければ何もしないがな。……タイプが違うように見えても、ブノアはアルフレッドの父親だ」
(あー……)

 サーラの中の素敵紳士の印象がちょっと変わりそうだ。
 ブノアは確かにあの変人の父親である。

「あの、もう一つ訊いてもいいですか?」
「なんだ?」
「セザール殿下とレナエル妃の関係は良好なんでしょうか?」

 不可解なことを訊かれたと、ウォレスが目を丸くする。

「兄上の夫婦関係か? どうなんだろうな……。結婚式をしてからは、特に話は聞かないが……。何故そんなことが気になる? ……まさか、君、兄上に気があるんじゃないだろうな」
「ありませんよ!」

 どうしてそうなる。
 ただ、あの弟が大好きで食えない第一王子のことだ。
 セザールがレナエルとの結婚を選択したのも、何か裏がありそうな気がするのである。

(順当に考えると、レナエルを娶った方が王位に近づくのに、セザール殿下は自分がレナエルを娶ったのよね)

 セザールはウォレスを蹴落とそうとは考えていない。
 むしろ、サーラの勘では、ウォレスをサポートしているような気がしてならないのだ。
 そうであるならば、むしろレナセルを自分の妃にせずウォレスと結婚させた方が、セザールとしては都合がよかったような気がするのである。

(セザール殿下の考えがわかったら楽なんだけど。感情を隠すのは得意そうだし、本音がわからないから考えがまとまらないわ)

 セザールがレナエルとどのくらい親密なのかによっても、今後の動きが変わる。
 あの男は敵に回したくないが、もしサーラが過去の自分の両親の冤罪を張らすべく、レナエルやフィリベール・シャミナードを探っていたら、彼は敵に回るのだろうか。
 もしラウルがバラケ男爵殺害に関係していて、主であるレナエルの指示であったと仮定すると、レナエルとセザールの関係が重要である。関係性によってはセザールも絡んでいる可能性が浮上するからだ。
 考え込んでいると、ウォレスがぎゅうっと抱き着いてきた。

「私と別れても、兄上のところには行くな」
「何を言っているんですか?」

 ウォレスが突然わけのわからないことを言い出した。

「君は私のものだ」
「……だから、わたしはセザール殿下のことは何とも思っていませんよ」

 この困った王子様は焼きもちを焼いてしまったようだ。
 ウォレスの機嫌が降下してしまったので、話はこのくらいで切りやめたほうがいい。

「そろそろ寝ましょう?」

 サーラをぎゅうぎゅうに抱きしめたウォレスは、「うん」とどこか拗ねた声で頷いた。


しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

悪妻と噂の彼女は、前世を思い出したら吹っ切れた

下菊みこと
恋愛
自分のために生きると決めたら早かった。 小説家になろう様でも投稿しています。

幼なじみで私の友達だと主張してお茶会やパーティーに紛れ込む令嬢に困っていたら、他にも私を利用する気満々な方々がいたようです

珠宮さくら
恋愛
アンリエット・ノアイユは、母親同士が仲良くしていたからという理由で、初めて会った時に友達であり、幼なじみだと言い張るようになったただの顔なじみの侯爵令嬢に困り果てていた。 だが、そんな令嬢だけでなく、アンリエットの周りには厄介な人が他にもいたようで……。

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

十分我慢しました。もう好きに生きていいですよね。

りまり
恋愛
三人兄弟にの末っ子に生まれた私は何かと年子の姉と比べられた。 やれ、姉の方が美人で気立てもいいだとか 勉強ばかりでかわいげがないだとか、本当にうんざりです。 ここは辺境伯領に隣接する男爵家でいつ魔物に襲われるかわからないので男女ともに剣術は必需品で当たり前のように習ったのね姉は野蛮だと習わなかった。 蝶よ花よ育てられた姉と仕来りにのっとりきちんと習った私でもすべて姉が優先だ。 そんな生活もううんざりです 今回好機が訪れた兄に変わり討伐隊に参加した時に辺境伯に気に入られ、辺境伯で働くことを赦された。 これを機に私はあの家族の元を去るつもりです。

この国では魔力を譲渡できる

ととせ
恋愛
「シエラお姉様、わたしに魔力をくださいな」  無邪気な笑顔でそうおねだりするのは、腹違いの妹シャーリだ。  五歳で母を亡くしたシエラ・グラッド公爵令嬢は、義理の妹であるシャーリにねだられ魔力を譲渡してしまう。魔力を失ったシエラは周囲から「シエラの方が庶子では?」と疑いの目を向けられ、学園だけでなく社交会からも遠ざけられていた。婚約者のロルフ第二王子からも蔑まれる日々だが、公爵令嬢らしく堂々と生きていた。

美人な姉と『じゃない方』の私

LIN
恋愛
私には美人な姉がいる。優しくて自慢の姉だ。 そんな姉の事は大好きなのに、偶に嫌になってしまう時がある。 みんな姉を好きになる… どうして私は『じゃない方』って呼ばれるの…? 私なんか、姉には遠く及ばない…

処理中です...