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第一部 街角パン屋の訳あり娘

セレニテの正体 4

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 ヴォワトール国の王城は広い。
 前庭に面している側は、主に儀式や執務などに使われる公的なもので、王族の居住スペースは中庭を挟んで渡り廊下でつながった先にあった。
 日中は居住スペースから出て執務室で過ごしていることが多いウォレスはしかし、今日は不機嫌そうな顔で居住スペースの自室にいた。

 なかなか執務室にやってこないウォレスに、補佐官であるアルフレッド・サヴァール――ブノアの長男はとうとう我慢の限界に達したようだ。
 ウォレスを自室から引きずり出すべく、わざわざ居住スペースに使いをよこした。
 その使い――アルフレッドの弟で、ブノアの三男であるオーディロンは、入出を許可してもいないのにずかずかと部屋に入り込んで「ちょっと~」と文句を言った。

「アル兄上がうるさいんで早く来てくれませんかね~?」

 オーディロンは二十歳。
 ウォレスの乳兄弟である。
 生まれてから幼少期を共に過ごしてきたせいか、オーディロンはマルセルよりもウォレスに対してだいぶ気安い。
 マルセルも乳兄弟ではあるのだが、こちらは年が離れている分、オーディロンほどの遠慮のなさはなかった。しかし、護衛としてずっと一緒にいるから、無遠慮なオーディロンよりウォレスのことをよくわかっている。
 今も、ウォレスが睨んで口を開く前に、こめかみを押さえながらオーディロンを止めに入った。

「殿下は体調が思わしくないと兄上に言っておいてくれ」
「え~? めっちゃ元気そうだけど?」
「いいから行け!」

 次兄に部屋から追い出されて、オーディロンは「アル兄上に怒られるのは僕なんだけど……」とぶつぶつ文句を言ったが、兄弟間の力関係が明確なサヴァール家の三男は、兄の命令に逆らうような愚かなことはしなかった。
「怒られたらマルセル兄上のせいにしよう」と言いながら遠ざかっていく。
 やれやれと息を吐いて、マルセルがウォレスを振り返った。

「殿下も殿下ですよ。いい加減機嫌を直して執務室へ向かってください。今日は二時から会議でしょう? 準備をしておかないと困るのは殿下ですよ?」
「わかっている」
「本当ですか? もう十時ですよ」
「……今日は昼まで出かける予定だった」
「予定がなくなったんですから仕事に向かってください。オーディロンから報告を聞いた兄が乗り込んでくる前に」
「……ベレニスとブノアに」
「両親は殿下が下町に行かせたじゃないですか」
「そうだった……」

 三兄弟の長兄を追い払えるのは、兄弟の両親のみだ。ブノアかベレニスを使って追い払わせようとしたウォレスはちっと舌打ちする。
 自分で二人を下町で借りている邸に向かわせたのだった。

「……サーラにデートを断られた」
「何回同じことを言うんですか。仕方がないでしょう? しばらく外出を控えるというんですから」
「わかっている」

 サーラからマルセルを通してウォレスに手紙が届けられたのは昨日のことだった。
 サーラのことを嗅ぎまわっている男の存在を知ったサーラの家族に、しばらく店番にも立たず、部屋の中でおとなしくしておけと言われたらしい。
 サーラもその方がいいだろうから、当分の間会えないと手紙に書いてあったのだ。

「自宅の部屋にいるより、下町の私の邸にいたほうが安全だと思わないか?」
「だから、何度同じことを言うんですか。断られたんだから仕方がないでしょう?」

 手紙を受け取ってすぐに、ウォレスはブノアをポルポルに使わせた。
 店番を手伝わせつつ、不審人物の警戒にあたらせるためである。
 そして、ブノアにしばらくウォレスが借りている邸に避難したらどうかと誘わせたが、サーラは誰かに知られた時にウォレスの立場が悪くなるだろうと断ったのだ。
 万が一誰かに知られたら、第二王子が下町に愛人を囲っているという噂が流れると警戒したようである。

 王子が下町に愛人を囲っているなんて、醜聞もいいところだ。
 王位を狙っているウォレスとしては、絶対に避けたい醜聞で、サーラの言うことはもちろんわかる。
 わかるが――、頭で理解できても心で理解できないのだ。
 ウォレスの立場上、永遠を約束できないが、サーラはウォレスの恋人である。
 恋人を守りたいと思って何が悪い。

 仏頂面のウォレスは、サーラからもらった紺色のリボンをくるくると指先に巻き付ける。
 サーラに何かあったときにすぐに避難できるようにと、下町の邸にはベレニスを置いている。ついでに、ブノアは無理でもベレニスならサーラを説得できるかもしれないと、それとなくポルポルに顔を出させたが、サーラの答えは変わらなかった。
 だったらせめて週末に邸でデートをしようと誘ったのに、それの返事も「否」である。
 あわよくば邸に連れて行ってそのままここで過ごすように説得してやろうと、そう目論んでいたのがばれてしまったのかもしれない。

「サーラが足りない」
「しばらくはそのリボンで我慢してください」
「……なあ」
「言っておきますが肌着の類はもらえませんからね。というかそんなことは絶対に口に出さないでくださいね。嫌われますよ」
「…………」
「サーラさんが袖を通した服をプレゼントせずに手元に置いておけばよかった、みたいな顔をしないでください」

 なんでわかったんだろう。

「もういっそサーラを探している男たちを探し出して全員捕縛してくれ」
「できるはずないでしょうそんなこと」
「じゃあしばらく私を王子から平民にしてくれ」
「無茶言わないでください!」
「くそっ……心の底から影武者がほしい」
「平和な時代にそんなものを立てる必要性はありませんから無理ですね。ほら、いい加減立ってください。行きますよ。兄上が本当に乗り込んで――」

 マルセルがソファに深く腰を下ろしたまま立ち上がろうとしないウォレスの腕を引っ張ったそのときだった。
 ドンドンドン! と激しく扉を叩く音がして、マルセルがきつく眉を寄せると天井を仰ぐ。

「ほら来た……」
「追い払え」
「無理です」

 マルセルは即答する。
 三兄弟の力関係はきっちりと年功序列である。
 三兄弟で一番腕っぷしが強いマルセルとて、長兄にはかなわない。というか、武術の才能を母親の腹の中に置き去りにしたアルフレッドは、その代わりに頭の回転の速さと口の達者さを持って生まれたらしい。
 ウォレスとて、アルフレッドに口で勝てたためしがなかった。

「殿下、いるのはわかっていますよ!」

 いつまでも扉を開けないでいたら、外からアルフレッドの声が聞こえてきた。
 扉の外に立っている兵士も、アルフレッドの口には勝てないので、気を利かせて追い払ってくれるようなことはしないだろう。むしろアルフレッドに睨まれないように小さくなっている可能性が高い。

「諦めましょう。というかこのまま無視し続けたら後が怖いです」
「この部屋に秘密の抜け道はないのか」
「あるはずないでしょうそんなもの。というかあったところであの兄上が把握していないはずがありません」

 マルセルとこそこそ言い合いをしている間も、扉はずっと叩かれている。

「マルセル! あなたがそこにいるのもわかっていますよ! 開けなさい‼」
「あ、兄上……ここは殿下のお部屋ですから、俺が勝手に開けるのは……」
「だったら殿下を説得して開けなさい‼」

 マルセルの必死の抵抗も、もちろんアルフレッドには通用しない。
 オーディロンのように問答無用で押し入ってこないだけアルフレッドは礼儀を理解しているのかもしれないが、王子の私室の扉を殴り続けるのはどうかと思う。

「殿下、開けましょう」
「嫌だ」

 ウォレスが抵抗を続けていると、扉を叩く音がぴたりと止んだ。
 諦めたのかとちょっと期待したが、アルフレッドに限ってそんなはずはなかった。

「殿下がその気なら結構です。セザール殿下に開けていただきます」
「やめろわかったから兄上は呼ぶな、面倒臭いから‼」

 アルフレッドの最後通牒にあえなく撃沈したウォレスは、肩を落としてマルセルに部屋の扉を開けるように命じた。
 扉が開けば「まったく役立たずな!」と弟を叱責し、アルフレッドが入ってくる。
 アルフレッドは、大量の書類の束を手に持っていた。

「マルセル、扉を閉めなさい」
「は、はい……兄上」

 怒られたマルセルが悄然と開けたままの扉を閉めると、アルフレッドがずんずんとウォレスが座っているソファに近づいて、目の前のローテーブルの上に書類を叩きつけた。

「会議の準備をほっぽりだして、いつまでいじけているんですか!」

 この男も、ウォレスとサーラの関係を知っている。というかサヴァール伯爵家一家の人間は全員知っている。何故ならウォレスの側近や補佐官は全員サヴァール伯爵家の人間で固められているからだ。
 ゆえにアルフレッドは、ウォレスが部屋で拗ねているのはサーラに会えないからだということも理解していた。

「……お前はだから女にもてないんだ。顔はいいのに」
「何か言いましたか?」
「別に……」

 アルフレッドはマルセルよりも濃い灰色の髪に紫色の瞳の、なかなかの美男子だが、仕事一筋で性格もキツいため、二十八歳でいまだ独身である。婚約者もいない。というか、一度婚約したが「あなたなんて仕事と結婚すればいいのよ!」という捨て台詞とともに相手から一方的に婚約破棄された過去を持つ。

(同情はしないがな。むしろこいつの元婚約者の方に同情する)

 ウォレスが女でも、こんな男は願い下げだ。
 マルセルはマルセルで忙しくて恋人を作り暇もないし――ウォレスが振り回しているからだともいえる――、サヴァール伯爵家の将来は三男のオーディロンにかかっているのかもしれない。だが、あれはモテるが軽いので、真剣交際に発展しないのが問題だ。

「まあ、この際会議の件は後回しでよろしい」
「……いいのか?」

 だったらこいつは何をしに来たんだろうと、ウォレスは首をひねる。
 アルフレッドは黒ぶちの眼鏡のブリッジを押し上げて、テーブルの上に置いた書類を指さした。

「殿下が腑抜けているので仕方なく調べましたが、もしかしたら非常に面倒なことになったかもしれません」
「どういう意味だ?」
「セレニテという男の件です」
「何かわかったのか⁉」

 ウォレスが表情を一変させて身を乗り出せば、アルフレッドは頷いた。

「現時点では、同じ特徴を持った男を見つけただけなので、セレニテの顔を知っているマルセルに確かめさせる必要はありますが……」
「白髪に赤に近い茶色の目だぞ。そんな特徴の男なんてなかなかいない」
「でしょうね。一般にあのように薄い色素で生まれる人間は長生きできないと言われていますし」
「そうなのか?」
「アルビノ、というんです。動物も人間も、非常に低確率で現れることがあります。色素欠乏症とも言いまして、ある医学書によると、アルビノの平均寿命はその生き物の持つ寿命の三分の一とか四分の一だとか言います。私は医者ではないんで、本当かどうかは知りませんけどね。ただ、アルビノの場合、目は真っ赤になることが多いので、セレニテの場合は完全ではないのかもしれませんけど……色素欠乏症であるのは間違いない気がします」
「なるほど」

 なんで医者でもないのに医学書を読むんだろうというツッコミは喉の奥にとどめたままにして、ウォレスは小さく頷いた。アルフレッドは面倒くさくて口うるさくてついでに変わり者だが、こういうところは非常に頼りになる。

「そして、王都周辺でアルビノの特徴を持つ男を探した結果、今年になってこの国に入って来た一人の男が該当しました」
「つまり移民か⁉ それは誰だ⁉」

 アルフレッドはゆっくりと首を横に振った。

「移民ではありません。とある方の付き人のような形で入国した方です」

 アルフレッドの口調は、まるでその人物が高貴な人間であるようないい方である。
 嫌な予感がして、ウォレスはごくりと唾を飲み込んだ。

「あまり部屋の外にお出にならないので、殿下はお会いになったことはないかもしれませんね。というより、その存在も知らなかったでしょう。来賓扱いではないですから」
「……それは誰だ」

 アルフレッドは、声を低くして言った。

「フィリベール・シャミナード。ディエリア国シャミナード公爵家の次男で、レナエル妃の、実の兄君ですよ。レナエル妃がセザール殿下に嫁いで来られたのと時を同じくして、妃とともにこの国に入国し、普段は妃の部屋の隣の部屋でお過ごしで外には滅多に出られません。……セレニテ本人であるかどうかは、マルセルに顔を確認させてください」

 ウォレスは、目を見開いて固まった。


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