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第一部 街角パン屋の訳あり娘

セレニテの正体 1

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 二日酔いに悩まされていたアドルフも、お酒の日の祭りから一週間も経てばすっかり元通りである。
 宝さがしゲームの商品は半地下に納められていて、どうやらそれは年末に楽しむつもりでいるようだ。
 ウォレスは、お酒の日の祭り以来、ポルポルには来ていない。
 寒くなるにつれて本格化する社交シーズンで忙しいのだろう。
 王子ともなれば、義理で参加しなければならないパーティーも多そうだ。

 ウォレスが来られない代わりに、この一週間で三度ほどマルセルがパンを買いに来てくれた。
 相変わらず大量購入してくれるウォレスのかわりのお得意様はしかし、どこか疲れた顔をしていた。聞けば忙しくしているウォレスの機嫌が悪くて大変らしい。
「パンで機嫌を取って仕事をしてもらっていますけど、いつ爆発するかわかったものではありません」などと、冗談なのか本気なのかよくわからないことを言っていた。
 ウォレスの機嫌を取るためにサーラの私物がほしいなどとこれまた意味不明なことを言われたので、紺色のリボンも渡しておいた。あんなものでウォレスの機嫌が直るとは思えないが、マルセルがホッとした顔をしていたので、よほど切羽詰まっていたようだ。

「ねえねえサーラ聞いて~!」

 リジーも相変わらずだ。
 今日も今日とて、どこかから仕入れた噂話を持って十時すぎに来店した。

「今度は何が起こったの? また奇跡騒ぎ?」
「違う違う! ああ、でも違わない? よくわかんないけど、サーラ、モテ期よ‼」
「は?」

 意味がわからない。
 リジーがカウンターに手をついて身を乗り出す。

「十月にさ、姐さんのところに、奇跡を見に行ったじゃない?」
「うん、行ったけど……」

 奇跡ではなくトリックだったが、いちいち訂正する必要もなかろう。

「三日前にね、そのセレニテが柘榴館に来たんだって!」
「また奇跡を起こしに?」
「違う違う! 姐さんの客として!」
「……客?」

 まあ、セレニテも男だ。わからなくはないが、どうしてだろう、びっくりするほど綺麗な中性的な外見のセレニテと一般的な男の「欲」がどうも一致しなくて違和感がある。
 怪訝な顔をしていると、リジーがまた「違う違う!」と言った。

「そういう客じゃなくって、お茶飲み客よ! 姐さんはふらっと来た一見さんなんて相手しないし、あっちもお茶の相手として姐さんを指名したらしいし! ま、お茶であっても姐さんが新規の客を相手にするのは珍しいんだけどね~。セレニテが、店で奇跡を起こしてほしいなんてお願いを聞いてくれたから、特別サービスだったのかしらね」
「なるほど、お茶飲み客……」

 最高級娼婦ともなれば、お茶の相手をするだけで金貨が何枚も飛んでいく世界だろう。

(あの自称神の子は、お金持ちなのね)

 金を取らずにトリックを奇跡と偽ってパフォーマンスをしているようだが、あれはただの趣味なのかもしれない。

(お金持ちの道楽か)

 金持ちは何に興味を示すかわからない。
 ウォレスだって、妙な事件に首を突っ込みたがったり、下町のパン屋の娘に興味を抱いたりするのだ。
 セレニテも日常生活の豊かさに飽きて変わったことをしたくなったのだろうか。
 しかしそうなると、贋金に関係しているかもしれないのは妙である。
 金持ちが銀貨の贋金を作っても何のメリットもなかろう。まあ、あくまでセレニテが関係していたらの話だが。

「それで、娼館にわざわざお茶を飲みに行ったセレニテがどうかしたの? ヴァルヴァラさんに惚れたとか……」
「違うわよ! サーラによ!」
「……はあ?」

 ますますわけがわからない。
 他に客がいないとはいえカウンターでわいわい騒ぐのもあれなので、サーラがちらりと飲食スペースに視線を向けると、リジーはそれで理解してくれたようだ。

「クロワッサンとお茶ちょうだい!」
「ちょっと待っててね」

 今日はウォレスがいないので高級茶でない方の紅茶を二人分入れて、クロワッサンと一緒にリジーの前に出す。
 サーラはリジーの対面に座ってティーカップに口をつけた。
ウォレスが来ているときに高い紅茶をもらっているせいか、安い紅茶は味気なく感じる。

(舌が肥えちゃったなあ~)

 贅沢に慣れないように気を付けないと、と思っていると、大口を開けてクロワッサンにかぶりついたリジーが、リスのように頬を膨らませて咀嚼し飲み込むと、話を再開した。

「だから、モテ期なのよ!」
「そのモテ期ってなんなのよ」
「モテ期はモテ期よ! モテる期間と書いてモテ期! サーラにモテ期が到来したの!」
「……わかりやすく説明してくれない?」

 モテ期というが、そんな実感は何一つない。

(……いや、一つだけあるけど、あれはちょっと前の話だし……)

 ウォレスからは告白されたが、サーラが思い当たるのはあれだけだ。モテ期などと大きなことを言うほどのものでもないと思うし、第一ウォレスとサーラが付き合っているのをリジーは知らない。

「だから~、まずね、姐さんのところにセレニテが来たのよ」
「それはさっき聞いたわ」
「もう、茶々入れないで最後まで聞いて!」
「はい……」

 ムッとした顔で怒られたので、サーラは仕方なく黙ってリジーの話に耳を傾けることにした。

「でね、セレニテは、姐さんに、この前奇跡を見に来た客で一緒に座っていた女の子は誰なんだって聞いたらしいのよ」

 それならば、あの席にはリジーもいたのでリジーである可能性もあるはずだ。
 突っ込もうと口を開きかけるとじろりと睨まれたので、サーラは「聞く」に徹する。

「姐さんは、どっちの女の子だって聞いたんだって。そうしたら、胸のない方だって」
(はあ⁉)

 ムカッとしたサーラは眉を跳ね上げたが、リジーに怒るのはお門違いだろう。リジーは聞いたことを話しているだけだ。
 しかしイライラは納まらず、サーラはテーブルの上を爪の先でコツコツと叩いた。

「姐さんがそれはサーラだろうって答えたら、どこに住んでいるのかって聞いたんだって。姐さんはサーラが住んでいる場所までは知らないから、わからないって答えたら、わかったら教えてほしいって言われたんだって!」

 どうでもいいが、ヴァルヴァラにまで「胸のない方」でサーラだと断言されるのは虚しすぎる。まあ、リジーはどちらかと言えば胸が豊かな方なので比べられたら仕方がないが、言い方というものがあるだろう。
 なんだか「胸がない女」という代名詞をつけられた気がして気に入らない。

「気分が悪いから絶対に教えないでってヴァルヴァラさんに言っておいて」
「あ、うん……わかった」

 リジーがうへっと首をすくめてから、気を取り直したように続ける。

「サーラ、大丈夫よ。この話には続きがあるの!」

 何が大丈夫なんだと思いながらも、仕方なくサーラは続きを聞く。

「昨日のことよ。今度は肉屋のおじさんが、灰色の髪の知らない男にサーラを知っているかって訊ねられたんだって。おじさんは怪しんで、知らないって答えたって言ってた。サーラに何かあったら大変だからねって。あと白熊さんのところにも、茶髪の見ない男がサーラのことを聞きに来たらしいよ。すごいよサーラ、三人の男の人がサーラを探してるんだよ!」
「……へえ」

 サーラはわずかに眉を寄せた。
 リジーには悪いが、サーラにはそれが「モテ期」の現象だとは思えない。

(なんか、嫌な感じがするわ)

 セレニテと、灰色の髪と、茶色い髪の男。少なくともこの三人が、サーラを探している。
 知られたくない過去を持つサーラには、どうにも胸騒ぎがして仕方がない。

「リジー、わたしを探している人がいても、絶対にわたしがここにいるって教えないで」
「あ、うん、もちろんいいけど……。サーラ? 顔が怖いよ?」

 サーラはハッとして笑顔を作った。

「ごめん何でもない。ただ、その……変な人に店に来られても困るからね。できれば他の人にもわたしのことは黙っていてほしいって伝えてくれる?」
「うん、任せて! でも、せっかくのモテ期なのに……、もしイケメンだったら少しくらいは相手にしてもいいんじゃない? 神の子とかさ、すっごい綺麗だったじゃない」
「そういうのは、今のところいいわ」
「そっか~」

 ちょっとだけ納得していなさそうな顔をしつつも、リジーはサーラが本気で嫌がるようなことはしない。
 どうやら本当に知られたくないようだと察したらしいリジーは、「変な男に言い寄られたりしたが、あたしが守るからね!」と安請け合いをして笑う。
 あちこちに顔の利くリジーならば、本当に守ってくれそうだと、サーラは微苦笑を浮かべた。

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