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第一部 街角パン屋の訳あり娘

変化 7

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「執事だったね」
「……そうですね」

 サーラはまだむくれていた。
 犯人はウォレスが予想した通り執事だった。
 ウォレスの勝ち誇ったような笑顔に腹が立つ。

「ほら、いつまで怒ってるのかな。ただの遊びじゃないか。機嫌を直してくれ」

 確かにただの遊びだが、サーラの集中力をわざと切らすようなことをするのは卑怯である。

(……手、つないだままだし)

 劇場から外に出ても、ウォレスは手を放してくれない。
 外で馬車とともに待っていたマルセルが、ふくれっ面のサーラを見てウォレスに咎めるような視線を向けた。
 馬車に乗り込み、次に向かうのは装飾品を扱う店のようだ。

「……ウォレス様」

 アクセサリーの類はいらないと、以前断ったことをこの男は忘れたのだろうか。
 サーラは咎めるような視線を向けたが、ウォレスは笑顔のままだ。

「高い店じゃない」
「だからいいという問題でも……」
「サーラのためじゃなく、これは私のためだよ」

 それはどういう意味だろうか。
 馬車が向かったのは明らかの女性もののアクセサリーを扱う店だ。
 東の二番通りにある店で、店自体はそれほど大きくない。
 ショーウィンドウに並んでいる商品を見ても、ちょっと高いが、高すぎるという値段設定でもなかった。あくまでアクサセリーにしては、という基準ではあるが。

 店に入ると、ウォレスは迷わずネックレスが並べられているショーケースの当たりへ向かう。
 金額を見るに安いもので銀貨一枚、高いもので銀貨二十枚くらい。サーラやリジーのような平民のミドルクラスの家であれば、何個もは無理だが、一つくらいなら買って買えない金額ではない。

「彼女の瞳に合わせて、青い石がついているものを出してくれ。チェーンは銀で」

 ウォレスがそう頼むと、接客スペースのあるテーブルに案内された。
 サーラはただただ困惑するばかりだ。
 明らかにサーラのものを買うような雰囲気だが、ウォレスのためというのはどういう意味だろう。
 接客スペースのテーブルには、ベルベットの布が敷かれて、その上にいくつも青い石のついたネックレスが並べられた。
 石はどれも小ぶりだ。銀貨で買える宝石が大きいはずがない。

「右から、アクアマリン、タンザナイト、ブルーオパール、サファイア、ラピスラズリになります」

 ネックレスの下には金額が置かれるが、最低銀貨十枚からである。まあ、チェーン
を銀にしろと指定した時点で高くなるのはわかっていた。金や白金のチェーンは置いていないようなので、ここでは銀が一番高いチェーンになる。

「この色合いだとサファイアがいいな。タンザナイトも美しいが、サファイアが一番彼女の瞳に近い。サファイアのものをいくつか出してくれ」
(サファイア……高いんだけど)

 目の前に出されていたものが銀貨十八枚のものだ。
 にこにこした店員が追加で持って来たものは、銀貨十五枚から二十枚までの間で十本ほどあった。
 どれも小ぶりながら、それでも大きさはまちまちだが、宝石というものは大きさだけで価値が決まるわけではない。現に、一番小さな石のものに銀貨二十枚という最高値がついていた。
 そして、ウォレスは迷わずその一番高いものを手に取った。

「これが一番きれいで、彼女の瞳に近い」

 サーラはもう何も言う気力もなかった。店で買わないと騒ぐのは店員に失礼だし、かといって喜ぶのもちょっと違う気がする。
 困惑している間にウォレスは清算をはじめていて、包みを受け取ったウォレスが満足顔で店員に礼を言った。
 今日はきちんと財布を持っていたようだ。金貨ばかりが詰まった財布に店員が息を呑んだのが見えた。
 おつりの銀貨八十枚を受け取ったウォレスは、ちょっと嫌な顔をした。八十枚の銀貨が財布に入りきらなかったからだ。

(下町で金貨なんて持ち歩くからこういうことになるのよ)

 サーラはやれやれと息をついて、ポケットからハンカチを取り出すと、手早く袋状になるように結んでやる。

「とりあえず、これにどうぞ」
「ああ、ありがとう」

 ウォレスはハンカチで作った即席の袋に銀貨を詰めると、片手にネックレスの入った袋と銀貨の詰まったハンカチを持って、サーラと手を繋いで店を出る。そして、マルセルに銀貨八十枚を押し付けると、今度はマルセルが嫌な顔をした。

「……だから銀貨を持って行けと言ったじゃないですか。十枚ほど持っていてください」

 八十枚の中から十枚ほど銀貨を取り出して、マルセルはウォレスに押し付けた。そして残った銀貨をハンカチの袋ごとポケットに突っ込む。
 マルセルのポケットがパンパンになったのを見て、サーラはちょっと同情した。
 ウォレスは仕方なさそうに財布に銀貨十枚を詰めると、サーラと誘って馬車に乗る。
 サーラの対面ではなく隣に座ると、いそいそとネックレスの包みをほどきはじめた。

「後ろを向いてくれ」

 自分のためだと言い張ったネックレスを、当たり前のようにサーラにつけようとする。
「ウォレス様……」
「だから、私のためだ。少しくらい私がいい思いをしてもいいだろう?」
(どういう意味?)

 意味がわからないが、すでに買ったものをいらないと突っぱねるのもどうかと思った。そんなことをすればウォレスが気を悪くするだろう。
 ウォレスがハーフアップにしているサーラの髪を優しく横によけて、ネックレスをつけてくれる。
 鎖骨より少し下の当たりで、小さなサファイアが揺れた。
 サーラはそっとネックレスに指先を触れて、首を傾げる。

「これの何が、ウォレス様のためなんですか?」

 ただサーラが高いプレゼントをもらっただけのように思える。

「理由は後で話す。次はそうだな……、茶葉を買いに行こう。そろそろポルポルに置いている私たちの茶葉がなくなるだろう?」
(わたしたちの、じゃなくてウォレス様のでしょう?)

 まるで二人のもののような言い方が気になったが、いちいち突っ込んだところでうまく言いくるめられるような気がした。
 美味しい茶葉はサーラとしても嬉しいし、ポルポルに来たウォレスのために使うのだからまあいいだろう。
 高級茶を扱う店に行き、マルセルに押し付けられていた銀貨で問題なく買い物をすますと、ウォレスはこれから最後の場所へ向かうと言った。

「どこへ行くんですか?」
「邸だ。下町のな」

 つまり、帰るということだろうか。
 しかしウォレスは「最後の場所」と言った。
 怪訝に思うサーラに対して、ウォレスはどこか楽しそうであり、それでいてどこか緊張しているような表情をしていた。
 馬車が邸に到着すると、ウォレスは邸の中には入らずに、相変わらず殺風景な庭にサーラを誘った。

 時刻はすっかり夕暮れ時で、見上げた空はオレンジと紫がマーブル模様を作っている。
 ウォレスに手を引かれて連れて行かれたのは、庭の中にぽつんとたたずむ四阿だった。
 けれどもただの四阿ではない。

(……なに、これ)

 釣鐘のような形をした四阿の中のテーブルの上。
 そこには幻想的な蠟燭のオレンジ色の炎が、ゆらゆらといくつも揺らいでいた。



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