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第一部 街角パン屋の訳あり娘

沼底の秘密 5

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「どういうことだ?」

 ウォレスが目を見開いた。
 サーラはズシリと重たい鋳型をウォレスに返して、そっと息を吐きながら続ける。

「まずその鋳型ですけど、殿下も気づいていらっしゃる通り、春先に下町を騒がせた偽の銀貨のものだと思います」
「ああ、私もそう思った」
「だとすると、鋳型が捨てられたのは、贋金が取り締まられてから三週間前の精霊の祟り騒動までの間だと考えられます」
「ああ、そうだな」
「この沼池は、森も含めて何年も前から開発予定地になっていました。もちろん、村長さんもギョームさんもご存じでのはずです。何故なら村の人たちはずっと開発に反対していたんですから。そんな、開発予定の入っている沼に、見つかればただではすまないような鋳型を捨てますか?」
「……そう言われれば」

 ウォレスは村長とギョームに視線を戻す。
 二人は先ほどよりも青ざめていて、その顔はすでに白に近かった。

「だからこの鋳型を捨てたのは二人ではなく、この沼池が開発予定に上がっていることを知らないか、開発そのものがよくわかっていない子供だろうと思いました。この鋳型が見つかったのも、沼池の中央よりはずいぶん手前の岸寄りでしたからね。子供の力で鋳型を沼池に投げ入れるのは、あの距離が精一杯だったのではないでしょうか。これが一点」

 蒼白な顔をしながらも、ぎらついた目でこちらを睨んでいる村長からそっと視線を外し、サーラは続ける。

「二点目は、村長さんのお宅に飾られていた絵画や彫刻の類です。絵画はギョームさんの末のお嬢さんが書かれたものだと聞きました。なんとなく、彫刻もそうだと思います。絵画と雰囲気がどことなく似ている気がしましたので。そしてあの絵や彫刻は見事でした。お嬢さんはよほど芸術センスがおありなんでしょう」

 現在のヴォワトール国の貨幣は、かなり細かい作りになっている。贋金を作られないようにするため、貨幣でそのまま型を取っただけでは、細かい細工までうまく写し取れないようにしてあるのだ。
 そのため、細かい部分は手彫りで作業しなければ精巧な贋金の鋳型は作れない。

 春に出回った贋金は極めて精巧なものだった。重さ以外の違いがわからなかったほどに。
 どれだけ似せても、重さは金属の比重によるものなので、成分を変えればまったく同じに作られない。同じ成分――すなわち銀で作るのならば、何のために贋金を作るのかわかったものではないので、必ず金属を変える。おそらくあれは白銅で作られていた。

「最後の理由は、例の幽霊騒ぎです。思い出したんです。ルイスさんが『女の子の幽霊を見た』と言ったのを。あれは見間違いではなかった。つまり、あの邸にいたんですよ。女の子が。そしてその女の子が……、ギョームさんの娘さんではないでしょうか?」

 最後まで聞くと、ウォレスはきつく目を閉じた。
 そして、重たいため息を吐く。

「……言いたいことはあるか?」

 ウォレスはギョームに訊ねながら、一生懸命頭の中で何かを考えている気がした。
 そしておそらくそれは、鋳型を作った、もしくは協力したであろうギョームの娘の処遇をどうするかだ。
 できるだけ罪を軽くしてやりたいが、どうすればいいのか……、そんなことを考えている顔だった。

(贋金鋳造は、処刑の対象になるけど、小さな女の子にそれは可哀そうすぎるもの……)

 ギョームはその場にひざまずいたまま、拳を握り締めた。

「……おっしゃる通りです。娘は去年の冬に絵の勉強をさせてやると言われて、王都へ向かいました。うちには教師を雇うような金はなく、絵や木彫りが好きな娘に充分な教育をつけてやれません。我が家を訊ねてきた男は、才能があっても教師について学ぶことができない子供を集めて教育を受けさせるボランティアをしていると言いました。最初は怪しいと思いましたが、王都の、下町でもかなり裕福な場所に教育のための家があると言われて……、直接会いにはいけないけれど手紙のやり取りは大丈夫だと言われて、それを信じてしまいました。貴族の学校は寄宿が当たり前で、それに準じているのだと言われてそんなものかな、と。何より娘がとても嬉しそうでしたから、親としては行かしてやりたかったんです」

 こんなことになるなら、行かせなければよかったと、ギョームがつぶやく。
 握り締めた拳が震えていた。

「その家というのは、下町の西の三番通りにある家だったか?」
「はいそうです。実際に何度も手紙のやり取りをしています。娘はいつも、楽しく絵を描いていると……返事にはそう書かれていたのですが、まさか、そんなものを作らされていたなんて……」
「娘はいくつだ?」
「夏前に十歳になりました」
「……十歳か」

 ウォレスが眉間をもむ。
 十歳では、自分が何を作らされているのか判断できなくても仕方がないかもしれない。
 ただの彫刻の勉強だと言われれば、そんなものかと受け入れるだろう。
 お金の鋳型を作ること自体が罪になるとは、知らないはずだ。
 特に平民であるならば、法律について学んでいなくてもおかしくない。まず、周りに教える人間がいないだろう。

「それで、娘はどうなった」
「……夏前に、一人の男に連れられてふらりと戻ってきました。これを抱えて。よくわからないけれど、お勉強は終わったと言われたと。最初は私もそんなものかと思っていましたが、娘を連れてきた男が、娘を勉強させると言った男とは別人だったことが不思議で……、そのあとその男に話があると言われて、娘が贋金の鋳型を作っていたことを教えられました。娘を連れてきてくれた男は、娘を助け出してくれたのだと、そう言っていました」
「その男の名はわかるか?」
「わかりません」
「娘を連れて行った方の男は?」
「確か……レジス、と」

 ウォレスがちらりとサーラを見た。
 これで一つがつながった。
 レジスはナイフを持ってパレードに乱入した男だ。そして、西の三番通りの空き家の鍵を、コーム――地下のワイン庫で死んでいた男に代わって返しに来た男である。それは、空き家の持ち主である老夫婦にレジスの似顔絵を見せて間違いないと証言を得ている。

(じゃあ、ギョームさんの娘さんを『助け出し』てきた男は誰?)

 この時点で、コーム、レジスは死んでおり、偽の銀貨を使う仕事をもらっていたエタンは捕縛されていた。贋金に関わっていたと思われる三人の人物ではないのは確かだ。
 四人目の男はいったい何者だろう。

「娘はどうやら、私どもと男の会話を盗み聞きしていたようでした。贋金鋳造に関わっていたとわかれば連帯責任で一家全員処刑だろうと……そんな話を聞いた娘は、怖くなって沼池にこの鋳型を捨ててしまったのです。沼に捨てれば人に見つからないと、幼い頭で考えたのでしょう。もちろん私たちは焦りました。けれど、村の他の人間に教えるわけにもいかない。村の人間に怪しまれないように探そうとしましたが無理で……、ここの開発がはじまればきっと鋳型が見つかってしまうと戦々恐々とする私たちに、男が、それならば開発を中止にしてしまうしかないと言いました」
「それで、あの精霊の祟りの騒動を起こしたのか」
「はい」

 ギョームは力なく頷く。
 村長は痛みを我慢するような顔で、ぎゅっと唇を引き結んでいた。
 もともとこの地は、精霊が棲まう森として、村人たちは開発に反対していた。だから怪しまれないと考えたのかもしれない。

「一つ聞くが、あのあたりからガスが上がっていることを、お前たちは知っていたのか?」
「いいえ。これまでは知りませんでした。その男が教えてくれたんです。沼を見に来た男が、沼底から上がる気泡に気づいて、もしかしたら燃えるガスかもしれないと。沼や田んぼなどで、たまにこういった燃えるガスが上がることがあるんだそうで……。昔から精霊様が嫌うからと、船の上で火をたくのが禁じられていましたので、ああ、本当は燃えるガスあったからそう言われていたのだと、納得したのを覚えています」

 気泡を見てすぐにその可能性に気が付いた男は、なかなか頭のいい男かもしれなかった。

「実際に試してみたら火がついたので、ならばこれを使って伯爵様を脅せばいいだろうと。ちょうど夏の終わりごろに伯爵様がこちらに来られると聞いていましたから。開発についての説明があるから村人たちに集まるようにと連絡が入っていましたし、ではその時に沼池まで案内して、精霊の祟りを見せて脅そうということになったんです。本当に精霊が祟ると思わせれば、きっと開発をやめてくれるのではないか……少なくとも先延ばしにできるのではないかと思いました」
(なるほどね)

 そう考えると、ティル伯爵が王都のバーで会ったという男か女かわからなかった「何者」は、その男だったのだろうと思われた。他に計画を知っているようなものなどいないだろう。祟りに信憑性を持たせるため、わざと脅すようなことを言ったのだ。

(でもそうだとしたら、どうしてそこまで?)

 その男も、鋳型が見つかると困る問題でもあったのだろうか。

(仮に、男が女の子を連れて村に行き、ギョームさんたちに鋳型について説明したのならば……、誰にも見つからないように鋳型を隠してほしかったからとは考えられないかしら。自分が持つのは危険すぎるから作り主に持たせたまま、けれども見つからないように隠す必要があった。自分まで手が伸びるのは困るから)

 でも、計画に反して、女の子が勝手に鋳型を捨ててしまった。
 男としては計画を変更せざるを得ない。
 そこで、開発計画を白紙、もしくは遅らせるようと、精霊の祟りを起こすことにした。

(って、考えすぎかしら?)

 だが、男が贋金に何らかの関りがある可能性は高い気がする。

「最後に教えてくれ。その男の外見は覚えているか?」
「ええっと、白い髪をしていました。目は赤だったか赤茶色だったか……そんな色です。身長は殿下より少しばかり低かったでしょうか。顔立ちはとても綺麗で、顔だけなら女性のようにも見えました」
(待って)

 その特徴をした誰かを、サーラは知っている。

(リジーが言っていた神の子セレニテも白い髪に赤茶色の目をしていたわよね?)

 偶然似た特徴の人物だったのだろうか。
 いや――白い髪に赤茶色の目をした人物など、そうそうお目にかかれないだろう。
 妙なところの線がつながって、サーラは眉を寄せる。
 ウォレスはそっと息を吐いた。

「わかった。聞きたいことは以上だ」
「殿下、娘は……!」
「私は何も聞かなかった」
「え……」

 ウォレスは鋳型をマルセルに渡して、くるりとギョームたちに背を向けた。

「侍女の髪飾りを探していたときに、沼池からたまたま鋳型が見つかったが、私は何も聞いていない。これは持ち主不明の落とし物だ。そうだろう、マルセル」

 ウォレスが問えば、マルセルが仕方がないと言わんばかりに肩をすくめる。

「そうですね。たまたま妙なものが見つかってしまいましたが、これの持ち主はわかりません」

 少し芝居がかった言い方でマルセルが答えた。
 ウォレスはギョームたちに背を向けたまま続ける。

「……今後、この件について聞きたいことがあれば訪ねることがあるかもしれない。だが、この鋳型については、そういうことでいいだろう」

 ギョームたちに背を向けたウォレスの口端が、わずかに微笑みの形に持ち上がっていた。
 サーラは笑って、息を吐く。

(よかった……)

 ベレニスも笑顔を浮かべているし、シャルも微苦笑だ。

「ありがとうございます、ありがとうございます……‼」

 しゃくりあげながら地面に額をこすりつけるギョームと村長を見て、サーラはそっと、ウォレスの手を取った。

 耳が少し赤いところを見ると、優しいこの王子様は、どうやら少し照れているらしい。


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