60 / 127
第一部 街角パン屋の訳あり娘
精霊の棲む森 4
しおりを挟む
次の日の昼食後、ウォレスとサーラを乗せた馬車はティル伯爵邸を出発した。
ベレニスはティル伯爵邸で待機だ。
マルセルとシャルは護衛として同行しており、シャルは、案内役としてついてきた伯爵家の御者とともに御者台に座っている。
マルセルは馬車の後ろを、騎乗してついてきていた。
「沼池がある森は、大きい森なんですよね?」
サーラが訊ねると、対面座席に座っているウォレスがティル伯爵領の地図を見ながら頷く。
「ああ。森もそうだが、沼池自体もかなり大きなものらしい。奥の方まではあまり人も入らず、何十年……下手をしたら百年以上の樹齢であろう巨大な木も多いそうだ」
「なるほど……」
それだけの樹齢の木があるのならば、本当に長らく人の手が入っていない森なのだろう。
木の種類にもよるが、スギやヒノキならば幹が太くなればなるほど価値がある。建材や家具材として高値で売れるのだ。一枚板のテーブルなんて目を見張るほど高い。見る人間が見たらその森は宝の宝庫だろう。
それなのに誰も入らず、木々の伐採もしていなかったというのならば、恐らくその森はずっと昔から主変に住む人たちの心のよりどころとして大切にされてきたに違いない。
(その精霊って言うのは、土着神みたいなものかしら?)
国が認めた宗教以外にも、このような土着信仰が残っているところは多い。
多くは「宗教」というよりは、その地とその地に住まうと信じられている神などを敬い大切にするというようなものだ。
それらは放置しておいても巨大な宗教団体を作り上げ政治を脅かしたりはしないので、基本的には国も黙認している。
地域住民の小さな信仰を奪い取ると、それはそれで国への反感を招きかねないので、この手のものは厳重に取り締まらず放置が一番いいのだろう。
そしてこれから行く森の近くに住む村の住人が、森の精霊を信仰しているのならば、彼らから森を奪うことは信仰を奪うことと同意になる。
(抵抗されるのも無理はないわね)
精霊の祟りという問題を除いても、思っていた以上に厄介な問題かもしれない。
もし沼池が燃えた原因を突き止めても、それですべてが解決とはいかない気がした。
ティル伯爵の心の平穏は取り戻せても、結局のところ、村人と森を開発したい伯爵側の距離は縮まることはないだろう。
もっとも、サーラがそこまでこの問題に首を突っ込む必要もない。
というより、不用意に深入りするのは避けるべきだ。
かといって……、我関せずと無視するにも、心が痛い問題には違いない。
(最終的に、精霊の祟りが解決できれば、開発が進められるでしょうからね)
この件について、ウォレスはどう思っているのだろう。
ウォレスは優しい人間だ。
権力で弱者を抑えつけ、彼らが大切にしているものを横暴に奪い取ったりはしないと信じたい。
しかしながら、ウォレスが王族で、王位争いの真っただ中にいる第二王子であるのもまた事実。
王子としては、これから行く森を開発することに利点を感じているのだろう。
そうでなければ、祟りに怯える伯爵の嘆願を聞いて、わざわざ調査に来るはずがない。
自分たちの問題なのだから自分たちで解決しろと放置してもいい問題だからだ。
ウォレスはどこまで気が付いているだろうか。
もし、村人たちの信仰問題までが関わっていると気が付いているなら、彼はこの問題をどう解決するだろう。
逆に信仰の問題にまで気が付いていなかった場合、強引に開発を進める決定を下した後、真実を知ったときに彼は心を痛めるかもしれない。
サーラは、この件に自分が深入りすべきでないとわかっている。
わかっているが――、沼池が燃える問題だけを確認して、残る他の問題を無視することは、すなわちウォレスを見捨てるような気がして胸が痛い。
「難しい顔をしてどうした?」
「いえ……、今日は近くの村の人は来るんでしょうか?」
「さあ、どうだろう。だが私たちが森の中に入ろうとするのを見たらついてくるかもしれないな」
「そうですね……」
神聖視している森を土足で踏みにじろうとする輩が現れれば、村人は必ず森を守るためについてくるだろう。
(そうなると、ウォレス様は気づいてしまうでしょうね……)
ウォレスは王子であるがゆえに、上流階級以外のことに疎いところがある。
けれども、疎いだけで、ウォレスは馬鹿ではない。
村人の言動、表情……伝わってくる必死さ。
それらをつなぎ合わせて彼が信仰の問題に行きつくのはそれほど時間はかからないように思えた。
それに気づいたとき、彼は間違いなく困るだろう。
その時サーラは、ウォレスに何と言ってあげればいいだろうか。
ベレニスはティル伯爵邸で待機だ。
マルセルとシャルは護衛として同行しており、シャルは、案内役としてついてきた伯爵家の御者とともに御者台に座っている。
マルセルは馬車の後ろを、騎乗してついてきていた。
「沼池がある森は、大きい森なんですよね?」
サーラが訊ねると、対面座席に座っているウォレスがティル伯爵領の地図を見ながら頷く。
「ああ。森もそうだが、沼池自体もかなり大きなものらしい。奥の方まではあまり人も入らず、何十年……下手をしたら百年以上の樹齢であろう巨大な木も多いそうだ」
「なるほど……」
それだけの樹齢の木があるのならば、本当に長らく人の手が入っていない森なのだろう。
木の種類にもよるが、スギやヒノキならば幹が太くなればなるほど価値がある。建材や家具材として高値で売れるのだ。一枚板のテーブルなんて目を見張るほど高い。見る人間が見たらその森は宝の宝庫だろう。
それなのに誰も入らず、木々の伐採もしていなかったというのならば、恐らくその森はずっと昔から主変に住む人たちの心のよりどころとして大切にされてきたに違いない。
(その精霊って言うのは、土着神みたいなものかしら?)
国が認めた宗教以外にも、このような土着信仰が残っているところは多い。
多くは「宗教」というよりは、その地とその地に住まうと信じられている神などを敬い大切にするというようなものだ。
それらは放置しておいても巨大な宗教団体を作り上げ政治を脅かしたりはしないので、基本的には国も黙認している。
地域住民の小さな信仰を奪い取ると、それはそれで国への反感を招きかねないので、この手のものは厳重に取り締まらず放置が一番いいのだろう。
そしてこれから行く森の近くに住む村の住人が、森の精霊を信仰しているのならば、彼らから森を奪うことは信仰を奪うことと同意になる。
(抵抗されるのも無理はないわね)
精霊の祟りという問題を除いても、思っていた以上に厄介な問題かもしれない。
もし沼池が燃えた原因を突き止めても、それですべてが解決とはいかない気がした。
ティル伯爵の心の平穏は取り戻せても、結局のところ、村人と森を開発したい伯爵側の距離は縮まることはないだろう。
もっとも、サーラがそこまでこの問題に首を突っ込む必要もない。
というより、不用意に深入りするのは避けるべきだ。
かといって……、我関せずと無視するにも、心が痛い問題には違いない。
(最終的に、精霊の祟りが解決できれば、開発が進められるでしょうからね)
この件について、ウォレスはどう思っているのだろう。
ウォレスは優しい人間だ。
権力で弱者を抑えつけ、彼らが大切にしているものを横暴に奪い取ったりはしないと信じたい。
しかしながら、ウォレスが王族で、王位争いの真っただ中にいる第二王子であるのもまた事実。
王子としては、これから行く森を開発することに利点を感じているのだろう。
そうでなければ、祟りに怯える伯爵の嘆願を聞いて、わざわざ調査に来るはずがない。
自分たちの問題なのだから自分たちで解決しろと放置してもいい問題だからだ。
ウォレスはどこまで気が付いているだろうか。
もし、村人たちの信仰問題までが関わっていると気が付いているなら、彼はこの問題をどう解決するだろう。
逆に信仰の問題にまで気が付いていなかった場合、強引に開発を進める決定を下した後、真実を知ったときに彼は心を痛めるかもしれない。
サーラは、この件に自分が深入りすべきでないとわかっている。
わかっているが――、沼池が燃える問題だけを確認して、残る他の問題を無視することは、すなわちウォレスを見捨てるような気がして胸が痛い。
「難しい顔をしてどうした?」
「いえ……、今日は近くの村の人は来るんでしょうか?」
「さあ、どうだろう。だが私たちが森の中に入ろうとするのを見たらついてくるかもしれないな」
「そうですね……」
神聖視している森を土足で踏みにじろうとする輩が現れれば、村人は必ず森を守るためについてくるだろう。
(そうなると、ウォレス様は気づいてしまうでしょうね……)
ウォレスは王子であるがゆえに、上流階級以外のことに疎いところがある。
けれども、疎いだけで、ウォレスは馬鹿ではない。
村人の言動、表情……伝わってくる必死さ。
それらをつなぎ合わせて彼が信仰の問題に行きつくのはそれほど時間はかからないように思えた。
それに気づいたとき、彼は間違いなく困るだろう。
その時サーラは、ウォレスに何と言ってあげればいいだろうか。
125
お気に入りに追加
705
あなたにおすすめの小説
【完結】忌み子と呼ばれた公爵令嬢
美原風香
恋愛
「ティアフレア・ローズ・フィーン嬢に使節団への同行を命じる」
かつて、忌み子と呼ばれた公爵令嬢がいた。
誰からも嫌われ、疎まれ、生まれてきたことすら祝福されなかった1人の令嬢が、王国から追放され帝国に行った。
そこで彼女はある1人の人物と出会う。
彼のおかげで冷え切った心は温められて、彼女は生まれて初めて心の底から笑みを浮かべた。
ーー蜂蜜みたい。
これは金色の瞳に魅せられた令嬢が幸せになる、そんなお話。
【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-
七瀬菜々
恋愛
ブランチェット伯爵家はずっと昔から、体の弱い末の娘ベアトリーチェを中心に回っている。
両親も使用人も、ベアトリーチェを何よりも優先する。そしてその次は跡取りの兄。中間子のアイシャは両親に気遣われることなく生きてきた。
もちろん、冷遇されていたわけではない。衣食住に困ることはなかったし、必要な教育も受けさせてもらえた。
ただずっと、両親の1番にはなれなかったというだけ。
---愛されていないわけじゃない。
アイシャはずっと、自分にそう言い聞かせながら真面目に生きてきた。
しかし、その願いが届くことはなかった。
アイシャはある日突然、病弱なベアトリーチェの代わりに、『戦場の悪魔』の異名を持つ男爵の元へ嫁ぐことを命じられたのだ。
かの男は血も涙もない冷酷な男と噂の人物。
アイシャだってそんな男の元に嫁ぎたくないのに、両親は『ベアトリーチェがかわいそうだから』という理由だけでこの縁談をアイシャに押し付けてきた。
ーーーああ。やはり私は一番にはなれないのね。
アイシャはとうとう絶望した。どれだけ願っても、両親の一番は手に入ることなどないのだと、思い知ったから。
結局、アイシャは傷心のまま辺境へと向かった。
望まれないし、望まない結婚。アイシャはこのまま、誰かの一番になることもなく一生を終えるのだと思っていたのだが………?
※全部で3部です。話の進みはゆっくりとしていますが、最後までお付き合いくださると嬉しいです。
※色々と、設定はふわっとしてますのでお気をつけください。
※作者はザマァを描くのが苦手なので、ザマァ要素は薄いです。
モブなので思いっきり場外で暴れてみました
雪那 由多
恋愛
やっと卒業だと言うのに婚約破棄だとかそう言うのはもっと人の目のないところでお三方だけでやってくださいませ。
そしてよろしければ私を巻き来ないようにご注意くださいませ。
一応自衛はさせていただきますが悪しからず?
そんなささやかな防衛をして何か問題ありましょうか?
※衝動的に書いたのであげてみました四話完結です。
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
【完結】妹に全部奪われたので、公爵令息は私がもらってもいいですよね。
曽根原ツタ
恋愛
ルサレテには完璧な妹ペトロニラがいた。彼女は勉強ができて刺繍も上手。美しくて、優しい、皆からの人気者だった。
ある日、ルサレテが公爵令息と話しただけで彼女の嫉妬を買い、階段から突き落とされる。咄嗟にペトロニラの腕を掴んだため、ふたり一緒に転落した。
その後ペトロニラは、階段から突き落とそうとしたのはルサレテだと嘘をつき、婚約者と家族を奪い、意地悪な姉に仕立てた。
ルサレテは、妹に全てを奪われたが、妹が慕う公爵令息を味方にすることを決意して……?
(完結)王家の血筋の令嬢は路上で孤児のように倒れる
青空一夏
恋愛
父親が亡くなってから実の母と妹に虐げられてきた主人公。冬の雪が舞い落ちる日に、仕事を探してこいと言われて当てもなく歩き回るうちに路上に倒れてしまう。そこから、はじめる意外な展開。
ハッピーエンド。ショートショートなので、あまり入り組んでいない設定です。ご都合主義。
Hotランキング21位(10/28 60,362pt 12:18時点)
結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。
領主の妻になりました
青波鳩子
恋愛
「私が君を愛することは無い」
司祭しかいない小さな教会で、夫になったばかりのクライブにフォスティーヌはそう告げられた。
===============================================
オルティス王の側室を母に持つ第三王子クライブと、バーネット侯爵家フォスティーヌは婚約していた。
挙式を半年後に控えたある日、王宮にて事件が勃発した。
クライブの異母兄である王太子ジェイラスが、国王陛下とクライブの実母である側室を暗殺。
新たに王の座に就いたジェイラスは、異母弟である第二王子マーヴィンを公金横領の疑いで捕縛、第三王子クライブにオールブライト辺境領を治める沙汰を下した。
マーヴィンの婚約者だったブリジットは共犯の疑いがあったが確たる証拠が見つからない。
ブリジットが王都にいてはマーヴィンの子飼いと接触、画策の恐れから、ジェイラスはクライブにオールブライト領でブリジットの隔離監視を命じる。
捜査中に大怪我を負い、生涯歩けなくなったブリジットをクライブは密かに想っていた。
長兄からの「ブリジットの隔離監視」を都合よく解釈したクライブは、オールブライト辺境伯の館のうち豪華な別邸でブリジットを囲った。
新王である長兄の命令に逆らえずフォスティーヌと結婚したクライブは、本邸にフォスティーヌを置き、自分はブリジットと別邸で暮らした。
フォスティーヌに「別邸には近づくことを許可しない」と告げて。
フォスティーヌは「お飾りの領主の妻」としてオールブライトで生きていく。
ブリジットの大きな嘘をクライブが知り、そこからクライブとフォスティーヌの関係性が変わり始める。
========================================
*荒唐無稽の世界観の中、ふんわりと書いていますのでふんわりとお読みください
*約10万字で最終話を含めて全29話です
*他のサイトでも公開します
*10月16日より、1日2話ずつ、7時と19時にアップします
*誤字、脱字、衍字、誤用、素早く脳内変換してお読みいただけるとありがたいです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる