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第一部 街角パン屋の訳あり娘

精霊の棲む森 4

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 次の日の昼食後、ウォレスとサーラを乗せた馬車はティル伯爵邸を出発した。
 ベレニスはティル伯爵邸で待機だ。
 マルセルとシャルは護衛として同行しており、シャルは、案内役としてついてきた伯爵家の御者とともに御者台に座っている。
 マルセルは馬車の後ろを、騎乗してついてきていた。

「沼池がある森は、大きい森なんですよね?」

 サーラが訊ねると、対面座席に座っているウォレスがティル伯爵領の地図を見ながら頷く。

「ああ。森もそうだが、沼池自体もかなり大きなものらしい。奥の方まではあまり人も入らず、何十年……下手をしたら百年以上の樹齢であろう巨大な木も多いそうだ」
「なるほど……」

 それだけの樹齢の木があるのならば、本当に長らく人の手が入っていない森なのだろう。
 木の種類にもよるが、スギやヒノキならば幹が太くなればなるほど価値がある。建材や家具材として高値で売れるのだ。一枚板のテーブルなんて目を見張るほど高い。見る人間が見たらその森は宝の宝庫だろう。
 それなのに誰も入らず、木々の伐採もしていなかったというのならば、恐らくその森はずっと昔から主変に住む人たちの心のよりどころとして大切にされてきたに違いない。

(その精霊って言うのは、土着神みたいなものかしら?)

 国が認めた宗教以外にも、このような土着信仰が残っているところは多い。
 多くは「宗教」というよりは、その地とその地に住まうと信じられている神などを敬い大切にするというようなものだ。
 それらは放置しておいても巨大な宗教団体を作り上げ政治を脅かしたりはしないので、基本的には国も黙認している。
 地域住民の小さな信仰を奪い取ると、それはそれで国への反感を招きかねないので、この手のものは厳重に取り締まらず放置が一番いいのだろう。

 そしてこれから行く森の近くに住む村の住人が、森の精霊を信仰しているのならば、彼らから森を奪うことは信仰を奪うことと同意になる。

(抵抗されるのも無理はないわね)

 精霊の祟りという問題を除いても、思っていた以上に厄介な問題かもしれない。
 もし沼池が燃えた原因を突き止めても、それですべてが解決とはいかない気がした。
 ティル伯爵の心の平穏は取り戻せても、結局のところ、村人と森を開発したい伯爵側の距離は縮まることはないだろう。
 もっとも、サーラがそこまでこの問題に首を突っ込む必要もない。
 というより、不用意に深入りするのは避けるべきだ。
 かといって……、我関せずと無視するにも、心が痛い問題には違いない。

(最終的に、精霊の祟りが解決できれば、開発が進められるでしょうからね)

 この件について、ウォレスはどう思っているのだろう。
 ウォレスは優しい人間だ。
 権力で弱者を抑えつけ、彼らが大切にしているものを横暴に奪い取ったりはしないと信じたい。
 しかしながら、ウォレスが王族で、王位争いの真っただ中にいる第二王子であるのもまた事実。
 王子としては、これから行く森を開発することに利点を感じているのだろう。
 そうでなければ、祟りに怯える伯爵の嘆願を聞いて、わざわざ調査に来るはずがない。
 自分たちの問題なのだから自分たちで解決しろと放置してもいい問題だからだ。

 ウォレスはどこまで気が付いているだろうか。
 もし、村人たちの信仰問題までが関わっていると気が付いているなら、彼はこの問題をどう解決するだろう。
 逆に信仰の問題にまで気が付いていなかった場合、強引に開発を進める決定を下した後、真実を知ったときに彼は心を痛めるかもしれない。
 サーラは、この件に自分が深入りすべきでないとわかっている。
 わかっているが――、沼池が燃える問題だけを確認して、残る他の問題を無視することは、すなわちウォレスを見捨てるような気がして胸が痛い。

「難しい顔をしてどうした?」
「いえ……、今日は近くの村の人は来るんでしょうか?」
「さあ、どうだろう。だが私たちが森の中に入ろうとするのを見たらついてくるかもしれないな」
「そうですね……」

 神聖視している森を土足で踏みにじろうとする輩が現れれば、村人は必ず森を守るためについてくるだろう。

(そうなると、ウォレス様は気づいてしまうでしょうね……)

 ウォレスは王子であるがゆえに、上流階級以外のことに疎いところがある。
 けれども、疎いだけで、ウォレスは馬鹿ではない。
 村人の言動、表情……伝わってくる必死さ。
 それらをつなぎ合わせて彼が信仰の問題に行きつくのはそれほど時間はかからないように思えた。
 それに気づいたとき、彼は間違いなく困るだろう。

 その時サーラは、ウォレスに何と言ってあげればいいだろうか。



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