56 / 118
第一部 街角パン屋の訳あり娘
精霊の祟り 4
しおりを挟む
二日後の朝、サーラはシャルとともに東の一番通りにあるウォレスが別宅として使っている邸へ向かった。
ウォレスとシャルとともに遠出だと言えば、リジーが拗ねて大変だった。お土産を買って帰ると言って何とかなだめたが、あの目はまだ納得していないようだったなとそっとため息を吐く。
隣を歩くシャルの眉間にはずっと深いしわが刻まれていた。
ウォレスがサーラを連れて隣の領地へ向かうのがよほど気に入らないらしい。
(本当に過保護なんだから)
シャルは昔からこうだ。
それこそ、サーラとシャルが兄妹になる前――サーラがサラフィーネ・プランタットを名乗っていたころからである。
こんな様子だから、ご近所さんに「シスコン」という不名誉なレッテルを貼られることになるのだ。
「あの男は何なんだ」
二日前と同じことをシャルは言う。
「サーラは知っているんだろう?」
「知っているけど、それは本人の口から聞いて。わたしが勝手に口にできることじゃないの」
シャルを連れて行くことにした時点で、ウォレスはシャルに自身の身分を話す気でいるはずだ。
おそらく邸についてすぐ、シャルには説明があるだろう。
シャルは深い眉間の皺を、さらに深くした。
「……相当の身分なのか?」
「まあ、そうね。……でも、悪い人じゃないわ」
ウォレスのせいで面倒ごとに巻き込まれることもあるが、根は悪い人間ではない。少なくともサーラは、そう思っている。
むしろ第二王子で、現在王位争い中であることを考えると、優しすぎるきらいがあるくらいだ。
もっとしたたかに、腹黒く、時には他人を切り捨てることも是とするような冷酷さを持ち合わせていないと、王という職業には向かないかもしれない。
しかし逆に、ウォレスのような「善人」が王なったら――、そして、彼がその本質を変化させることなく玉座にあり続けることができたら、この国の国民は幸せだろうなとも思えた。
そんなことを思うのはおかしいだろうか。
(たぶんわたしは、ウォレス様のことが嫌いじゃないのよね)
最初は迷惑だった。
権力を持った人間と関わり合いにはなりたくなかったから、近づいてこないでほしいと思った。
でも気がつけば、ウォレスはけっこうサーラの懐に入ってきている気がする。
今回も巻き込まれて困ったなと思ったが、苛立たしくは感じなかった。不思議だ。
「ついたわ。ここよ」
「……ここ、か?」
サーラが門の前で足を止めると、シャルが驚いているような、それでいて怪訝そうな顔をした。
無理もない。
目を見張るほど大きな邸だが、庭は相変わらず殺風景で、外から見る限りまるで生活感がないからだ。
そしてそれは中に入っても同じなのだが、ここで説明する必要はないだろう。
ここはウォレスにとって、下町で行動するためのただの仮住まいなのだ。ウォレスの身分を聞けば、シャルもおのずと納得するはずである。
ウォレスから、門の通用口から入ってくるように言われていたので、サーラは躊躇わず通用口を開いた。鍵はかかっていない。
門から玄関まで伸びる、わざと蛇行するように作られている石畳を進み、玄関前に立つ。
呼び鈴を鳴らすと、玄関を開けてくれたのはマルセルだった。
ブノアは今日の朝一番に、花柄エプロン持参でポルポルを訪れたので不在である。今頃はご近所のおばさま方を魅了する微笑みを浮かべながら店番をしているだろう。罪作りな紳士である。
「お待ちしておりました、サーラさん、それからシャルさん」
「シャルで結構です。さん付けで呼ばれるとむず痒いんで」
「そうですか。それではシャルは俺についてきてください。ウォレス様がお待ちです。サーラさんは母から説明を受けていただけますか?」
「……母?」
今日はマルセルの母親がいるのだろうか。
サーラが首をひねると、マルセルは「ああ」と小さく笑った。
「言っていませんでしたか。ベレニスは俺の母ですよ」
「え⁉」
サーラはここ最近の出来事で一番驚いた気がした。ウォレスが第二王子と知った時以来の驚きである。
(ってことは、ブノアさんがマルセルさんのお父さん⁉)
言われてみればどことなく似ているような気がしなくもないが、ぱっと見で親子だとわかるほどでもない。
「似てないでしょう? でも血のつながりのある親子ですよ。どうも俺は祖父に似ているらしくて」
「なるほど……」
「では、サーラさんは母から説明を受けてもらってもいいですか。行きましょう、シャル」
シャルは少し不安そうな顔でちらりとサーラを見たが、諦めたようにマルセルのあとをついていく。
マルセルがシャルを連れて去るのと入れ違いで、正面の大階段からベレニスが降りてきた。
「お出迎えできなくてごめんなさいね。こちらに来ていただけますか? 荷物はあらかた準備をしたので、確認をお願いできればと思います」
普段は泰然としている、厳格な家庭教師のようなベレニスが、珍しく少し慌てている気がする。
(まあ、二日で準備を整えろなんて無茶を言われたら、大変よね)
同情しつつ、サーラは急ぎ足で、けれどもベレニスが眉を顰めない優雅さを保ちながら階段を上り、バタバタとメイドが出入りしている部屋へ入った。
「城から侍女のお仕着せを持って来させましたので、試着してみてもらえますか?」
そう言ってベレニスに押し付けられた侍女のお仕着せは、サイズ違いで三着もあった。服なんて多少ぶかぶかでもいいと思うのだが、「城の侍女見習い」という立場で行く以上、サイズのあっていない服を着させるわけにはいかないのだろう。
メイド一人と衝立の奥に押し込まれ、サーラは急いでサイズ違いの三着に袖を通した。
お仕着せのサイズが決まると、それと同じものが五枚もトランクに詰め込まれる。
ほかに下着類やストッキング、靴、化粧品……。身一つで来ればいいと言われたが、本当に何もかもを手配してくれたようだ。
その数、トランク三つ分。
サーラの準備が終わると、ベレニスは慌ただしく隣の部屋へ向かう。隣にはシャルの荷物が用意されていて、足りないものがないかの最終確認をすると言う。
ちなみに、シャルの服のサイズは、市民警察の制服のサイズを聞き出しておいたため、試着は必要ないとのことだった。
用意されたのは騎士服と、あと部屋着類など、マルセルと同じ枚数が用意されたと言う。
「それでは準備をしましょうか。まずはお風呂に入って、髪を結いましょう」
「お風呂……ですか?」
「ええ。そのあとで髪を結います。さあ」
メイドに促されて、サーラは首をひねりながらバスルームへ向かった。
城の侍女は基本的には貴族がなるものなので、貴族令嬢に見えるように整えるのだろうか。
髪が洗われて、オイルで全身をマッサージされて、侍女のお仕着せを着せられると鏡台の前に座らされる。
髪をしっかりと乾かした後で、両サイドの髪を編み込みながら、メイドが手早く髪を一つにまとめ上げた。
化粧をし、爪を整える。
サーラが化粧をされている間にトランクが部屋から運び出されていった。
トランクが運び出されて少しして、ベレニスが戻ってくる。
「サーラさん、この後の予定をお伝えしておきますね。もう少しすれば迎えの馬車が来ますので、それに乗って一度城へ向かいます」
「お城ですか⁉」
「心配せずとも、馬車から降りていただくことはございません。殿下を載せた馬車が出発いたしますと、わたくしとサーラさんを載せた馬車がそのあとを追いかける形で出発となります。マルセルは馬を使いますが、シャルさんは顔を見られない方がいいと思いますので、わたくしたちと同じ馬車に乗っていただきます」
なるほど、道の途中で合流するわけではなく、最初から一緒に行くことになるのか。
(まあそうか、王子様として行くんだもんね。お付きのものが途中で合流するのはおかしいわよね)
サーラの想像が足りていなかったのだ。これが普通である。
「それから、サーラさんは侍女見習いとしての動向になりますので、この先、わたくしはサーラと呼び捨てさせていただきます。ご了承ください」
「はい、もちろん構いません」
当然である。サーラはベレニスの下につくことになるのだから、ベレニスがサーラに敬称をつけるのはおかしい。
「また、殿下のことは、殿下、もしくはオクタヴィアン殿下とお呼びください。ウォレスという名は出さないようにお願いします」
「はい、わかりました」
「それから、わたくしとマルセルについてお伝えしておきます。わたくしたちが母子であることはご存じですか?」
「先ほどマルセルさんから聞きました」
「そのほかは?」
「知りません」
ベレニスは「何も話していないのね」と小さく嘆息する。
「まず、わたくしの名はベレニス・サヴァールと申します。夫はブノア・サヴァール。爵位は伯爵です」
サーラは驚きを分散させるように、大きく息を吸い込んで吐き出した。
ウォレスの側にいるのだから、ブノアが貴族であることは想定していた。だた、せいぜい子爵当たりだろうと思っていたので、伯爵と聞いて驚いたのだ。
(伯爵なのに……パン屋で店番……)
あの気さくな紳士と伯爵という身分がどうにもつながらない。
ベレニスが小さく笑った。
「伯爵らしくないでしょう?」
「え、いえ……そんなことは」
「いいんですよ。わたくしも常々、夫には威厳が足りないと思っておりますから。本当に変わり者で」
そうは言うが、夫が花柄エプロンでのパン屋の店番をすることを許している時点で、ベレニスも相当だと思うのだが。というかあの花柄エプロンは確かベレニスが渡したと聞いた気がする。
「わたくしは殿下の乳母を務めておりました。マルセルのほかに、長男と三男、それからマルセルの姉の長女がおりますが、今回はマルセルのみ同行いたします」
なるほど、マルセルは次男らしい。
(兄一人姉一人、弟一人、ね。ベレニスさんがウォレス様の乳母だったってことは、ウォレス様と年が近いのは弟の方かな?)
ウォレスは乳母一家を重用しているようなので、マルセルの他の兄弟たちも、ウォレスの側近を務めているのだろうか。
「本来わたくしは侍女ではないのですが、殿下の侍女頭を務めていた長女が出産と育児のため休みを取っておりますので代わりを務めております。長男の方は殿下の執務の方の補佐、三男は長男の補佐をしております。マルセルはあの通り騎士の道に進みました」
思っていたことが顔に出ていたのか、ベレニスが説明を追加してくれた。
「マルセルは騎士であると同時に、殿下の筆頭護衛官でもあります。ですので、普段はあまり騎士団の仕事はしておりません。サーラは今回、わたくしの遠縁の娘と言うことにしております」
「わかりました」
平民の娘が侍女見習いなのはおかしいので、その方がいいだろう。
大体の情報を頭に詰め込んで、サーラがベレニスとともに玄関へ向かうと、そこにはぐったりと疲れた顔をしているシャルが立っていた。
ウォレスの正体を知ったからだろう。頭痛がするのか、しきりにこめかみのあたりをさすっている。
馬車はすでに到着していて、荷物も積み終わった後のようだ。
「では行きましょうか」
これから貴族街へ、そしてさらには城へ向かうと思うと緊張してきた。
サーラはぎゅっと拳を握り締める。
ここは、ディエリア国ではない。
それはわかっているのだが、やはり、貴族たちが暮らしている区域に入ると思うと体がこわばりそうになる。
「サーラ」
シャルが気遣うような視線を向けてきた。
「大丈夫よ、お兄ちゃん」
貴族街に入ったからと言って、サラフィーネ・プランタットに戻るわけではない。
もう、大切なものが奪われるわけではないのだと、サーラは大きく息を吸い込んで小さく笑った。
ウォレスとシャルとともに遠出だと言えば、リジーが拗ねて大変だった。お土産を買って帰ると言って何とかなだめたが、あの目はまだ納得していないようだったなとそっとため息を吐く。
隣を歩くシャルの眉間にはずっと深いしわが刻まれていた。
ウォレスがサーラを連れて隣の領地へ向かうのがよほど気に入らないらしい。
(本当に過保護なんだから)
シャルは昔からこうだ。
それこそ、サーラとシャルが兄妹になる前――サーラがサラフィーネ・プランタットを名乗っていたころからである。
こんな様子だから、ご近所さんに「シスコン」という不名誉なレッテルを貼られることになるのだ。
「あの男は何なんだ」
二日前と同じことをシャルは言う。
「サーラは知っているんだろう?」
「知っているけど、それは本人の口から聞いて。わたしが勝手に口にできることじゃないの」
シャルを連れて行くことにした時点で、ウォレスはシャルに自身の身分を話す気でいるはずだ。
おそらく邸についてすぐ、シャルには説明があるだろう。
シャルは深い眉間の皺を、さらに深くした。
「……相当の身分なのか?」
「まあ、そうね。……でも、悪い人じゃないわ」
ウォレスのせいで面倒ごとに巻き込まれることもあるが、根は悪い人間ではない。少なくともサーラは、そう思っている。
むしろ第二王子で、現在王位争い中であることを考えると、優しすぎるきらいがあるくらいだ。
もっとしたたかに、腹黒く、時には他人を切り捨てることも是とするような冷酷さを持ち合わせていないと、王という職業には向かないかもしれない。
しかし逆に、ウォレスのような「善人」が王なったら――、そして、彼がその本質を変化させることなく玉座にあり続けることができたら、この国の国民は幸せだろうなとも思えた。
そんなことを思うのはおかしいだろうか。
(たぶんわたしは、ウォレス様のことが嫌いじゃないのよね)
最初は迷惑だった。
権力を持った人間と関わり合いにはなりたくなかったから、近づいてこないでほしいと思った。
でも気がつけば、ウォレスはけっこうサーラの懐に入ってきている気がする。
今回も巻き込まれて困ったなと思ったが、苛立たしくは感じなかった。不思議だ。
「ついたわ。ここよ」
「……ここ、か?」
サーラが門の前で足を止めると、シャルが驚いているような、それでいて怪訝そうな顔をした。
無理もない。
目を見張るほど大きな邸だが、庭は相変わらず殺風景で、外から見る限りまるで生活感がないからだ。
そしてそれは中に入っても同じなのだが、ここで説明する必要はないだろう。
ここはウォレスにとって、下町で行動するためのただの仮住まいなのだ。ウォレスの身分を聞けば、シャルもおのずと納得するはずである。
ウォレスから、門の通用口から入ってくるように言われていたので、サーラは躊躇わず通用口を開いた。鍵はかかっていない。
門から玄関まで伸びる、わざと蛇行するように作られている石畳を進み、玄関前に立つ。
呼び鈴を鳴らすと、玄関を開けてくれたのはマルセルだった。
ブノアは今日の朝一番に、花柄エプロン持参でポルポルを訪れたので不在である。今頃はご近所のおばさま方を魅了する微笑みを浮かべながら店番をしているだろう。罪作りな紳士である。
「お待ちしておりました、サーラさん、それからシャルさん」
「シャルで結構です。さん付けで呼ばれるとむず痒いんで」
「そうですか。それではシャルは俺についてきてください。ウォレス様がお待ちです。サーラさんは母から説明を受けていただけますか?」
「……母?」
今日はマルセルの母親がいるのだろうか。
サーラが首をひねると、マルセルは「ああ」と小さく笑った。
「言っていませんでしたか。ベレニスは俺の母ですよ」
「え⁉」
サーラはここ最近の出来事で一番驚いた気がした。ウォレスが第二王子と知った時以来の驚きである。
(ってことは、ブノアさんがマルセルさんのお父さん⁉)
言われてみればどことなく似ているような気がしなくもないが、ぱっと見で親子だとわかるほどでもない。
「似てないでしょう? でも血のつながりのある親子ですよ。どうも俺は祖父に似ているらしくて」
「なるほど……」
「では、サーラさんは母から説明を受けてもらってもいいですか。行きましょう、シャル」
シャルは少し不安そうな顔でちらりとサーラを見たが、諦めたようにマルセルのあとをついていく。
マルセルがシャルを連れて去るのと入れ違いで、正面の大階段からベレニスが降りてきた。
「お出迎えできなくてごめんなさいね。こちらに来ていただけますか? 荷物はあらかた準備をしたので、確認をお願いできればと思います」
普段は泰然としている、厳格な家庭教師のようなベレニスが、珍しく少し慌てている気がする。
(まあ、二日で準備を整えろなんて無茶を言われたら、大変よね)
同情しつつ、サーラは急ぎ足で、けれどもベレニスが眉を顰めない優雅さを保ちながら階段を上り、バタバタとメイドが出入りしている部屋へ入った。
「城から侍女のお仕着せを持って来させましたので、試着してみてもらえますか?」
そう言ってベレニスに押し付けられた侍女のお仕着せは、サイズ違いで三着もあった。服なんて多少ぶかぶかでもいいと思うのだが、「城の侍女見習い」という立場で行く以上、サイズのあっていない服を着させるわけにはいかないのだろう。
メイド一人と衝立の奥に押し込まれ、サーラは急いでサイズ違いの三着に袖を通した。
お仕着せのサイズが決まると、それと同じものが五枚もトランクに詰め込まれる。
ほかに下着類やストッキング、靴、化粧品……。身一つで来ればいいと言われたが、本当に何もかもを手配してくれたようだ。
その数、トランク三つ分。
サーラの準備が終わると、ベレニスは慌ただしく隣の部屋へ向かう。隣にはシャルの荷物が用意されていて、足りないものがないかの最終確認をすると言う。
ちなみに、シャルの服のサイズは、市民警察の制服のサイズを聞き出しておいたため、試着は必要ないとのことだった。
用意されたのは騎士服と、あと部屋着類など、マルセルと同じ枚数が用意されたと言う。
「それでは準備をしましょうか。まずはお風呂に入って、髪を結いましょう」
「お風呂……ですか?」
「ええ。そのあとで髪を結います。さあ」
メイドに促されて、サーラは首をひねりながらバスルームへ向かった。
城の侍女は基本的には貴族がなるものなので、貴族令嬢に見えるように整えるのだろうか。
髪が洗われて、オイルで全身をマッサージされて、侍女のお仕着せを着せられると鏡台の前に座らされる。
髪をしっかりと乾かした後で、両サイドの髪を編み込みながら、メイドが手早く髪を一つにまとめ上げた。
化粧をし、爪を整える。
サーラが化粧をされている間にトランクが部屋から運び出されていった。
トランクが運び出されて少しして、ベレニスが戻ってくる。
「サーラさん、この後の予定をお伝えしておきますね。もう少しすれば迎えの馬車が来ますので、それに乗って一度城へ向かいます」
「お城ですか⁉」
「心配せずとも、馬車から降りていただくことはございません。殿下を載せた馬車が出発いたしますと、わたくしとサーラさんを載せた馬車がそのあとを追いかける形で出発となります。マルセルは馬を使いますが、シャルさんは顔を見られない方がいいと思いますので、わたくしたちと同じ馬車に乗っていただきます」
なるほど、道の途中で合流するわけではなく、最初から一緒に行くことになるのか。
(まあそうか、王子様として行くんだもんね。お付きのものが途中で合流するのはおかしいわよね)
サーラの想像が足りていなかったのだ。これが普通である。
「それから、サーラさんは侍女見習いとしての動向になりますので、この先、わたくしはサーラと呼び捨てさせていただきます。ご了承ください」
「はい、もちろん構いません」
当然である。サーラはベレニスの下につくことになるのだから、ベレニスがサーラに敬称をつけるのはおかしい。
「また、殿下のことは、殿下、もしくはオクタヴィアン殿下とお呼びください。ウォレスという名は出さないようにお願いします」
「はい、わかりました」
「それから、わたくしとマルセルについてお伝えしておきます。わたくしたちが母子であることはご存じですか?」
「先ほどマルセルさんから聞きました」
「そのほかは?」
「知りません」
ベレニスは「何も話していないのね」と小さく嘆息する。
「まず、わたくしの名はベレニス・サヴァールと申します。夫はブノア・サヴァール。爵位は伯爵です」
サーラは驚きを分散させるように、大きく息を吸い込んで吐き出した。
ウォレスの側にいるのだから、ブノアが貴族であることは想定していた。だた、せいぜい子爵当たりだろうと思っていたので、伯爵と聞いて驚いたのだ。
(伯爵なのに……パン屋で店番……)
あの気さくな紳士と伯爵という身分がどうにもつながらない。
ベレニスが小さく笑った。
「伯爵らしくないでしょう?」
「え、いえ……そんなことは」
「いいんですよ。わたくしも常々、夫には威厳が足りないと思っておりますから。本当に変わり者で」
そうは言うが、夫が花柄エプロンでのパン屋の店番をすることを許している時点で、ベレニスも相当だと思うのだが。というかあの花柄エプロンは確かベレニスが渡したと聞いた気がする。
「わたくしは殿下の乳母を務めておりました。マルセルのほかに、長男と三男、それからマルセルの姉の長女がおりますが、今回はマルセルのみ同行いたします」
なるほど、マルセルは次男らしい。
(兄一人姉一人、弟一人、ね。ベレニスさんがウォレス様の乳母だったってことは、ウォレス様と年が近いのは弟の方かな?)
ウォレスは乳母一家を重用しているようなので、マルセルの他の兄弟たちも、ウォレスの側近を務めているのだろうか。
「本来わたくしは侍女ではないのですが、殿下の侍女頭を務めていた長女が出産と育児のため休みを取っておりますので代わりを務めております。長男の方は殿下の執務の方の補佐、三男は長男の補佐をしております。マルセルはあの通り騎士の道に進みました」
思っていたことが顔に出ていたのか、ベレニスが説明を追加してくれた。
「マルセルは騎士であると同時に、殿下の筆頭護衛官でもあります。ですので、普段はあまり騎士団の仕事はしておりません。サーラは今回、わたくしの遠縁の娘と言うことにしております」
「わかりました」
平民の娘が侍女見習いなのはおかしいので、その方がいいだろう。
大体の情報を頭に詰め込んで、サーラがベレニスとともに玄関へ向かうと、そこにはぐったりと疲れた顔をしているシャルが立っていた。
ウォレスの正体を知ったからだろう。頭痛がするのか、しきりにこめかみのあたりをさすっている。
馬車はすでに到着していて、荷物も積み終わった後のようだ。
「では行きましょうか」
これから貴族街へ、そしてさらには城へ向かうと思うと緊張してきた。
サーラはぎゅっと拳を握り締める。
ここは、ディエリア国ではない。
それはわかっているのだが、やはり、貴族たちが暮らしている区域に入ると思うと体がこわばりそうになる。
「サーラ」
シャルが気遣うような視線を向けてきた。
「大丈夫よ、お兄ちゃん」
貴族街に入ったからと言って、サラフィーネ・プランタットに戻るわけではない。
もう、大切なものが奪われるわけではないのだと、サーラは大きく息を吸い込んで小さく笑った。
132
お気に入りに追加
708
あなたにおすすめの小説
七年間の婚約は今日で終わりを迎えます
hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。
window
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。
「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」
ある日ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。
旦那様、離縁の申し出承りますわ
ブラウン
恋愛
「すまない、私はクララと生涯を共に生きていきたい。離縁してくれ」
大富豪 伯爵令嬢のケイトリン。
領地が災害に遭い、若くして侯爵当主なったロイドを幼少の頃より思いを寄せていたケイトリン。ロイド様を助けるため、性急な結婚を敢行。その為、旦那様は平民の女性に癒しを求めてしまった。この国はルメニエール信仰。一夫一妻。婚姻前の男女の行為禁止、婚姻中の不貞行為禁止の厳しい規律がある。旦那様は平民の女性と結婚したいがため、ケイトリンンに離縁を申し出てきた。
旦那様を愛しているがため、旦那様の領地のために、身を粉にして働いてきたケイトリン。
その後、階段から足を踏み外し、前世の記憶を思い出した私。
離縁に応じましょう!未練なし!どうぞ愛する方と結婚し末永くお幸せに!
*女性軽視の言葉が一部あります(すみません)
【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!
りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。
食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。
だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。
食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。
パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。
そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。
王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。
そんなの自分でしろ!!!!!
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
【短編】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ、赤ちゃんが生まれる。
誕生を祝いに、領地から父の辺境伯が訪ねてくるのを心待ちにしているアリシア。
でも、夫と赤髪メイドのメリッサが口づけを交わしているのを見てしまう。
「なぜ、メリッサもお腹に赤ちゃんがいるの!?」
アリシアは夫の愛を疑う。
小説家になろう様にも投稿しています。
【完結】母になります。
たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。
この子、わたしの子供なの?
旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら?
ふふっ、でも、可愛いわよね?
わたしとお友達にならない?
事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。
ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ!
だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる