すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く

狭山ひびき@バカふり200万部突破

文字の大きさ
上 下
38 / 163
第一部 街角パン屋の訳あり娘

成婚パレード 1

しおりを挟む
 ヴォワトール国第二王子オクタヴィアン――ウォレスは、ここ二か月と言うもの、ずっともやもやしていた。
 一人になった時にふと思い出すのはいつも、綺麗な青い瞳をした少女の顔だ。

 二か月ほど前の夜。
 下町のパン屋の娘から彼女の過去を聞き出したあと、ウォレスは衝動的に彼女を抱きしめ、その唇を塞いでいた。

 言っておくが、ウォレスにとってファーストキスだ。
 自身が第二王子で、将来王位につく可能性もあるウォレスは、気まぐれに見えてそれなりに自制心を持った男である。
 特定の女性と親密になるのは、将来を考えて避けてきた。
 自分の娘や親戚の女性を使ってウォレスに取り入ろうとする貴族は山のように見てきたので、近づいてくる女性には警戒を怠らない。
 ゆえに、普段のウォレスならば、衝動で女性の唇に口づけを落とすようなことなど絶対にしないのである。
 口づけをしたことで、それを理由に責任を取れと迫られたりするのは勘弁だからだ。

(ああ、くそっ)

 その点、サーラはある意味ウォレスにとって非常に助かる反応を返してくれたと言ってもいい。
 けれどもそのときのサーラの反応が、ウォレスを二か月も思い悩ませているのも事実だった。

(普通、赤くなるとか慌てるとかするんじゃないのか? 虫に刺された時ですらもう少し反応するだろう⁉)

 サーラは、平然としていた。
 一瞬驚いたように目を見張った後は、ウォレスが唇を離すまで微動だにせず、赤くなって「すまない」と反射的に謝罪したウォレスに、ただ淡々と「いいえ」と返した。
 そう、「いいえ」だ。

(もっと他にあるだろうが‼)

 サーラの「いいえ」はまるで「気にしていませんから」と言っているようにウォレスには聞こえた。

(気にしろよ!)

 あの時のサーラの顔を思い出すたび、ウォレスは頭をかきむしって叫びたくなる。
 立場的には、過剰に反応されたら困る。
 それなのに、反応してほしい。
 この矛盾した感情は何だろうか。

 そしてあれから二か月。
 サーラはいつも通りだった。
 サーラの秘密を知っても彼女と距離を取ろうとは思えなくて、いつも通り暇を見つけてはパン屋に通うウォレスに対して、サーラはそれまでと変わらない態度で応じている。

 まるで意識していないのだ。
 こんな屈辱はない。

 ずんずんと裏庭に面している城の廊下を大股で進んでいると、「オクタヴィアン」と背後から声がかかった。
 振り返れば一つ年上の異母兄セザールが、笑顔を浮かべて手を振っている。

(……やれやれ)

 無邪気なセザールの笑顔を見ていると、毒気が抜けた気分になるのは何故だろう。
 この兄は昔からこんな感じだ。

 セザールとオクタヴィアン。
 二人の王子の能力を比較して王位継承者を決めると父が言い出したときも、にこにこと笑いながら「わかりました」と応じた兄。
 ウォレスの生誕がもう少し遅ければ、長子であるセザールは王太子に指名されていただろう。
 このようなややこしい王位継承争いをする羽目にはならなかったはずなのに、弟のせいで本来自分が受け取るはずだった地位が脅かされているセザールは、それに対して何の悪感情も抱いていない。
 少なくとも、ウォレスにはそう映る。

 ディエリア国の公爵令嬢との結婚にしてもそうだ。
 ディエリア国レナエル・シャミナード公爵令嬢が、第一王子と第二王子のどちらに嫁ぐかは、今年の春先まで決まっていなかった。
 それを、セザールの妃にと強固に推したのは、彼の外祖父と母である第三妃、それからセザールを擁立しようと動いている一派である。

 レナエル・シャミナードをしてディエリア国の援護が受けられれば、王位継承問題は一気にセザールに傾くだろう。
 当初ウォレスは、レナエルがセザールの方に嫁ぐことになったと聞いたとき、舌打ちしたのも事実だ。
 また、サーラの話を聞いた後、安堵したのも事実であるが。
 けれどもいまだに、レナエル・シャミナードは王位継承争いに王手をかける最大の駒であることは変わらない。
 それなのにセザールはそういった事情にはまったく興味などなさそうで、「優しい子だといいなあ」などと言ってにこにこしているのである。

 王位に近づくための政略結婚なのに、だ。
 ひどい言い方をすれば、王位を手に入れる駒がどのような性格をしていようと、関係ない。
 王は妃を何人も娶ることができ、好いた女性がいるのならば第二妃いかに据えればいいだけの話だ。

 実際現王である父はそうしている。
 父は王妃であるウォレスの母にはさほど興味がない。
 義務的に週に一度は顔を出しているようだが、二人の間の会話は実に機械的だ。
 ウォレスは王とはそういうものだと思っていたし、そうであるべきだとも思っていた。
 だからセザールが、王位を得るための結婚に、そんなことを言ったのを聞いてびっくりしたものだ。

(……でも、もし、嫁いでいたのがサーラだったらどうなんだろう)

 セザールの隣で微笑むサーラを想像して、ウォレスはなんだかむしゃくしゃしてきた。
 そのせいか、セザールに対して、つい当たり散らすような強い語気で言ってしまう。

「五日後に結婚が迫った男が、ふらふらと歩き回っていていいのか? いろいろ準備が大変なんだろう?」
「大変だから息抜きだよ。なんかすごいいろいろ言われたんだけど、全部頭から抜けていきそうなんだ。ねえ、聞いてよ。閨の手順とかまで指示されるんだよ? そういうのってさ、ほら、雰囲気とかいろいろあると思わない?」
「知るか!」

 何故ウォレスが、異母兄の初夜の相談に乗ってやらねばならないのだろう。

「一昔前みたいにさ、衆人環視の中で初夜をすごせなんて言われないだけましだろうけど、控室には聞き耳立てている人が数人いるって言うしさ、聞くだけでぐったりしてくるよ。結婚ってもっと楽しいものだと思ってた」
「王子の結婚なんだから仕方がないだろう」
「そういうけどね、オクタヴィアン。初夜の翌朝には、きちんと閨ができたかベッドチェックまでされるんだよ⁉ 想像してみなよ。自分が結婚して、同じ目に遭ったらどう思う?」

 ここは廊下だと言うのに、よほど頭がパンクしかかっているのか、セザールは大声で泣きごとを言う。
 面倒くさいなと思いつつ、ウォレスはついセザールの言われるままに想像を膨らませてしまった。

(初夜か。そうだな。確かに……)

 ベッドでひざを突き合わせ、向かい合う相手を想像する。
 うつむいた顔がゆっくりと上がり、その瞳は綺麗な青で――

「違う‼」

 ウォレスはつい、大声で叫んだ。

(何を想像しているんだ私は‼)

 二か月前の、柔らかな唇の感触まで思い出してしまった。

「オクタヴィアン? どうしたの?」

 ウォレスが突然大声を上げたので、セザールがきょとんと目を丸くした。
 ウォレスはハッとし、誤魔化すように咳ばらいを一つする。

「とにかく! 結婚するのは兄上だ! 私じゃない!」
「そんなひどいこと言わないでさ、ちょっとくらい愚痴に付き合ってくれてもいいんじゃない?」
「そう言うが花嫁が到着するのは明後日だろう? 数日後に結婚式を迎える新郎が、そんな細かいことをぐちぐち言っているのを花嫁が聞いたらどう思うかな」
「さすがにレナエルが到着してからこんなことは言ったりしないよ」

 セザールが口をとがらせる。

「そんな冷たいことを言っていると、オクタヴィアンが結婚するときに同じ悩みを抱えても、相談になんて乗ってあげないからね」
「乗ってくれなくて結構だ!」

 はあ、とウォレスはため息を吐いた。
 レナエル・シャミナードが嫁いでくることによって、王位継承問題の勢力図が一気に動くだろうというのに、セザールが心配するのは初夜のことらしい。

(まったく能天気なものだ)

 セザールの顔を見ていると、たまに、父からの評価を上げるべく、せっせと動き回っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。

「兄上、妻とは言え他国の人間だ。一応、気を付けておけよ」

 罪人の娘が罪人とは限らない。

 けれどもサーラの過去の話がどうしても頭から離れないウォレスが、ふと真顔で告げると、セザールは是とも否とも言わず、ただにこりと微笑んだ。





しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています

オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。 ◇◇◇◇◇◇◇ 「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。 14回恋愛大賞奨励賞受賞しました! これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。 ありがとうございました! ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。 この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

【完結】え、お嬢様が婚約破棄されたって本当ですか?

瑞紀
恋愛
「フェリシア・ボールドウィン。お前は王太子である俺の妃には相応しくない。よって婚約破棄する!」 婚約を公表する手はずの夜会で、突然婚約破棄された公爵令嬢、フェリシア。父公爵に勘当まで受け、絶体絶命の大ピンチ……のはずが、彼女はなぜか平然としている。 部屋まで押しかけてくる王太子(元婚約者)とその恋人。なぜか始まる和気あいあいとした会話。さらに、親子の縁を切ったはずの公爵夫妻まで現れて……。 フェリシアの執事(的存在)、デイヴィットの視点でお送りする、ラブコメディー。 ざまぁなしのハッピーエンド! ※8/6 16:10で完結しました。 ※HOTランキング(女性向け)52位,お気に入り登録 220↑,24hポイント4万↑ ありがとうございます。 ※お気に入り登録、感想も本当に嬉しいです。ありがとうございます。

私だけが家族じゃなかったのよ。だから放っておいてください。

恋愛
 男爵令嬢のレオナは王立図書館で働いている。古い本に囲まれて働くことは好きだった。  実家を出てやっと手に入れた静かな日々。  そこへ妹のリリィがやって来て、レオナに助けを求めた。 ※このお話は極端なざまぁは無いです。 ※最後まで書いてあるので直しながらの投稿になります。←ストーリー修正中です。 ※感想欄ネタバレ配慮無くてごめんなさい。 ※SSから短編になりました。

婚約破棄を喜んで受け入れてみた結果

宵闇 月
恋愛
ある日婚約者に婚約破棄を告げられたリリアナ。 喜んで受け入れてみたら… ※ 八話完結で書き終えてます。

忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。 そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。 もちろん返済する目処もない。 「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」 フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。 嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。 「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」 そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。 厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。 それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。 「お幸せですか?」 アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。 世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。 古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。 ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。 ※小説家になろう様にも投稿させていただいております。

処理中です...