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第一部 街角パン屋の訳あり娘
ワルツはいかが? 3
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「そ、その……よく似合っている。もちろん似合うと思ってその色を用意させたんだが……うん、想像以上だ」
なんと、ドレスを選んだのはウォレスだったらしい。
コホン、と咳払いをしたウォレスが、腰を折ってサーラに手を差し出した。
「一曲いかがですか?」
「リジーがまだですよ?」
「ベレニスがついているんだろう? 任せておけば大丈夫だ。ベレニスは優秀だからな」
「そうですか。……そういうことなら」
ここにはダンスを教えてもらいに来たのだ。踊らなければはじまらない。
サーラがウォレスの手のひらに手を重ねると、彼は優雅にサーラをエスコートしてホールの中央にいざなった。
殺風景で何もないが、逆に何もない方がダンスの練習がしやすい。
「ワルツの経験は?」
問われて、サーラは逡巡したが、誤魔化しても仕方がない。嘘を吐いてもすぐにばれるだろうからだ。
「……ずっと昔に、習ったことならあります」
「習った?」
「ちょっと、事情がありまして」
「そうか。だったら、基本は覚えているのか?」
「たぶん……ですけど」
七年以上も前の、子供のころのことである。覚えていても曖昧な部分もあるかもしれないし、間違えて覚えている可能性だってあった。
「じゃあ、ひとまず踊ってみよう」
「わかりました」
ウォレスが目配せすると、マルセルが楽師に指示を出す。
ゆったりとした三拍子の伸びやかなヴァイオリンの音が響きはじめた。
ウォレスのリードで踊り出す。
最初は単純なボックスステップで様子を見ていたウォレスも、サーラが難なくついて行っていることがわかると、すぐに違うステップを取り入れてきた。
ヴァイオリンが奏でているのはスローワルツではなくワルツなので、少しテンポが速いが、社交界ではこのワルツが主流である。これが踊れなくてははじまらない。
スイングを入れてくるりとターン。何度かそれを繰り返すと、さらに難易度を増していく。
「……驚いた。君が昔習ったと言うダンスの教師は、よほど教え方がうまいのだろう」
「そう……かもしれませんね」
それは間違いないだろうと、サーラは脳裏に優しい微笑みを浮かべる男女を思い浮かべた。
――マイ・リトル・プリンセス。
そんな風に冗談めかして言っては笑う、優しい二人。
ダンスには遊び心も重要だと言い、遊ぶためには基本をしっかり身につけておかなければねと教わった。
――君のデビュタントが今から待ち遠しいよ。
ダンスが上達するたびに、眩しそうに目を細めて言われた……のに。
「君のダンス教師に会ってみたいものだね」
「……それは無理ですよ。もう、この世にはいないので」
わずかに視線を伏せてサーラは答える。
「それは……その、すまない」
「いいんです。もうずっと昔のことなので」
きゅっと、ウォレスの、サーラの手を掴む力が少しだけ強くなった。
「……前から思っていたが、君は不思議だ」
「何がでしょう」
「君はパン屋の娘のはずなのに、時折……そう、どこかの貴族令嬢なのではないかと思うときがある」
「気のせいですよ」
「そう、だろうか」
くるりとターンをして、ウォレスが曲の途中だと言うのに足を止めた。
「少なくとも、裕福でもない平民が、このように見事にダンスが踊れるとは思えない。ダンスを覚えたところで披露する場がないからだ」
しまったなあ、とサーラは思った。
(わざと下手に踊ればよかったわ)
七年以上も前のことなので、体が覚えているのかが不安だった。それもあって、特に小細工せずにウォレスのリードに応じていたのだが、変な疑問を抱かせてしまったらしい。
踊りを止めたと言うのに、ウォレスはホールドを解かない。
青銀色の瞳が、まっすぐにこちらを見下ろしていた。
「君は誰だ」
ウォレスには少し、関わりすぎてしまったかもしれない。
逃れようと身をよじったが、腰に回された手にさらに力が入れられてしまった。
サーラはそっと息を吐く。
「……聞いても、ウォレス様には何のメリットもないですし、第一信じられる話でもないでしょう」
「それを決めるのは私だ。そして、私は知りたい」
「わたしは話したくありません」
「……私が本気になれば、調べようと思えば調べられる」
サーラやぎゅっと眉を寄せる。
まあ、そうだろう。ウォレスならば調べようと思えば調べられるはずだ。そう簡単に答えにはたどりつかないだろうが、彼ならたどりついてしまうかもしれないと漠然と思った。
そして――不用意にあら捜しされるのは、避けたい。
サーラは一度目を伏せ、それからまっすぐに彼を見上げた。
「隠し事をしている人に、隠し事を暴かれるのは、気分のいいものではありませんね」
ひゅっと、ウォレスが息を呑む。
「あなたの隠し事は、不用意に人には言えないものでしょう? だからわたしも言えません」
「それは……、君の秘密は、私の秘密と同等のものだと?」
「同等かどうかはわかりません。それでも……、わたしの秘密を聞いて、それでもあなたがわたしと友人関係を続けると判断した場合は、あなたは不利益を被ることになるかも、しれませんね」
サーラが抱える秘密は、知らない方がいい。
特に――
(王族かそれに近い身分であるならば)
サーラは薄く笑う。
ウォレスの正確な身分はわからない。
しかし、彼はおそらく公爵以上だろう。
そうでなければ、贋金なんて大きな問題を、自己判断で調査できるとは思えない。
ウォレスは、サーラが当初思っていた以上の大物に間違いないのだ。
ウォレスが目を見張って押し黙る。
いつの間にか、曲も停まっていた。
見つめあったまま動かない二人を、そろそろマルセルが不審に思うだろうか。
「ダンスの練習を続けますか? それとも、休みますか?」
「……ああ」
何が、ああ、なのだろう。
意味を持たない返事をしたウォレスが、一度目を伏せ、意を決したように瞼を開いたとき、ホールにリジーが入って来た。
「お待たせしましたぁ!」
明るいリジーの声に、二人の間にあった緊張の糸が切れて、サーラはホッと息を吐き出した。
なんと、ドレスを選んだのはウォレスだったらしい。
コホン、と咳払いをしたウォレスが、腰を折ってサーラに手を差し出した。
「一曲いかがですか?」
「リジーがまだですよ?」
「ベレニスがついているんだろう? 任せておけば大丈夫だ。ベレニスは優秀だからな」
「そうですか。……そういうことなら」
ここにはダンスを教えてもらいに来たのだ。踊らなければはじまらない。
サーラがウォレスの手のひらに手を重ねると、彼は優雅にサーラをエスコートしてホールの中央にいざなった。
殺風景で何もないが、逆に何もない方がダンスの練習がしやすい。
「ワルツの経験は?」
問われて、サーラは逡巡したが、誤魔化しても仕方がない。嘘を吐いてもすぐにばれるだろうからだ。
「……ずっと昔に、習ったことならあります」
「習った?」
「ちょっと、事情がありまして」
「そうか。だったら、基本は覚えているのか?」
「たぶん……ですけど」
七年以上も前の、子供のころのことである。覚えていても曖昧な部分もあるかもしれないし、間違えて覚えている可能性だってあった。
「じゃあ、ひとまず踊ってみよう」
「わかりました」
ウォレスが目配せすると、マルセルが楽師に指示を出す。
ゆったりとした三拍子の伸びやかなヴァイオリンの音が響きはじめた。
ウォレスのリードで踊り出す。
最初は単純なボックスステップで様子を見ていたウォレスも、サーラが難なくついて行っていることがわかると、すぐに違うステップを取り入れてきた。
ヴァイオリンが奏でているのはスローワルツではなくワルツなので、少しテンポが速いが、社交界ではこのワルツが主流である。これが踊れなくてははじまらない。
スイングを入れてくるりとターン。何度かそれを繰り返すと、さらに難易度を増していく。
「……驚いた。君が昔習ったと言うダンスの教師は、よほど教え方がうまいのだろう」
「そう……かもしれませんね」
それは間違いないだろうと、サーラは脳裏に優しい微笑みを浮かべる男女を思い浮かべた。
――マイ・リトル・プリンセス。
そんな風に冗談めかして言っては笑う、優しい二人。
ダンスには遊び心も重要だと言い、遊ぶためには基本をしっかり身につけておかなければねと教わった。
――君のデビュタントが今から待ち遠しいよ。
ダンスが上達するたびに、眩しそうに目を細めて言われた……のに。
「君のダンス教師に会ってみたいものだね」
「……それは無理ですよ。もう、この世にはいないので」
わずかに視線を伏せてサーラは答える。
「それは……その、すまない」
「いいんです。もうずっと昔のことなので」
きゅっと、ウォレスの、サーラの手を掴む力が少しだけ強くなった。
「……前から思っていたが、君は不思議だ」
「何がでしょう」
「君はパン屋の娘のはずなのに、時折……そう、どこかの貴族令嬢なのではないかと思うときがある」
「気のせいですよ」
「そう、だろうか」
くるりとターンをして、ウォレスが曲の途中だと言うのに足を止めた。
「少なくとも、裕福でもない平民が、このように見事にダンスが踊れるとは思えない。ダンスを覚えたところで披露する場がないからだ」
しまったなあ、とサーラは思った。
(わざと下手に踊ればよかったわ)
七年以上も前のことなので、体が覚えているのかが不安だった。それもあって、特に小細工せずにウォレスのリードに応じていたのだが、変な疑問を抱かせてしまったらしい。
踊りを止めたと言うのに、ウォレスはホールドを解かない。
青銀色の瞳が、まっすぐにこちらを見下ろしていた。
「君は誰だ」
ウォレスには少し、関わりすぎてしまったかもしれない。
逃れようと身をよじったが、腰に回された手にさらに力が入れられてしまった。
サーラはそっと息を吐く。
「……聞いても、ウォレス様には何のメリットもないですし、第一信じられる話でもないでしょう」
「それを決めるのは私だ。そして、私は知りたい」
「わたしは話したくありません」
「……私が本気になれば、調べようと思えば調べられる」
サーラやぎゅっと眉を寄せる。
まあ、そうだろう。ウォレスならば調べようと思えば調べられるはずだ。そう簡単に答えにはたどりつかないだろうが、彼ならたどりついてしまうかもしれないと漠然と思った。
そして――不用意にあら捜しされるのは、避けたい。
サーラは一度目を伏せ、それからまっすぐに彼を見上げた。
「隠し事をしている人に、隠し事を暴かれるのは、気分のいいものではありませんね」
ひゅっと、ウォレスが息を呑む。
「あなたの隠し事は、不用意に人には言えないものでしょう? だからわたしも言えません」
「それは……、君の秘密は、私の秘密と同等のものだと?」
「同等かどうかはわかりません。それでも……、わたしの秘密を聞いて、それでもあなたがわたしと友人関係を続けると判断した場合は、あなたは不利益を被ることになるかも、しれませんね」
サーラが抱える秘密は、知らない方がいい。
特に――
(王族かそれに近い身分であるならば)
サーラは薄く笑う。
ウォレスの正確な身分はわからない。
しかし、彼はおそらく公爵以上だろう。
そうでなければ、贋金なんて大きな問題を、自己判断で調査できるとは思えない。
ウォレスは、サーラが当初思っていた以上の大物に間違いないのだ。
ウォレスが目を見張って押し黙る。
いつの間にか、曲も停まっていた。
見つめあったまま動かない二人を、そろそろマルセルが不審に思うだろうか。
「ダンスの練習を続けますか? それとも、休みますか?」
「……ああ」
何が、ああ、なのだろう。
意味を持たない返事をしたウォレスが、一度目を伏せ、意を決したように瞼を開いたとき、ホールにリジーが入って来た。
「お待たせしましたぁ!」
明るいリジーの声に、二人の間にあった緊張の糸が切れて、サーラはホッと息を吐き出した。
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