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第一部 街角パン屋の訳あり娘
空き家の中の幽霊 4
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予想するまでもないことだったが、夜に幽霊探索に行くと知ると、シャルは激怒した。
リジーのほかにルイスと、ウォレスも一緒だと言ったのだが、すると今度は、幽霊よりも一緒に行く男の方が危険だと言いだして、リジーに苦情を言いに行こうとまでしはじめたので、サーラはシャルを止めるのにかなり大変な思いをする羽目になった。
三日後の夜が、たまたまシャルが夜番の仕事がなかったため、シャルも一緒に行くことが決まって何とか納得してもらったのだ。
ルイスと、それからウォレスとは西の三番通りの入り口で落ち合う約束だ。
リジーとシャルと三人で大通りを歩いていると、リジーがシャルから何か面白いネタでも仕入れられないかと、わくわくした顔をして口を開く。
「シャルお兄様、例の贋金の犯人ってご存じですか?」
心なしか声が高いのはいつものことだ。シャルも、リジーのミーハー心をくすぐるには充分すぎるほど顔が整っている。
「顔は見たが、詳しいことは言えないよ。それに俺は取り調べには参加していないから、知っていることも少ない」
「そうなんですか……」
リジーは残念そうに肩をすくめる。
だが、シャルが気軽に教えられるようなことであれば、リジーの情報網をもってすれば噂の一つや二つ仕入れられているだろうから、教えてもらえないのは想定内のようだった。
「それにしてもリジー、肝試しなんて、小さな子供みたいな遊びをするものじゃないよ」
「だって、最近これと言って面白いネタがないんですよ」
(いや、充分でしょうよ)
シャルに苦言を呈されて口をとがらせるリジーに、サーラはあきれるしかない。
あれだけいろんなところから噂を仕入れておいて、リジーはまだ足りないのか。
「そうだとしても、うちの妹を変なことに巻き込まないでくれ。妙な虫がついたらどうしてくれるんだ」
「もう、シャルお兄様ったら相変わらず過保護なんだから! いつまでもサーラにべったりだと、お兄様こそ恋人ができませんよ~?」
「俺はいいんだ」
「またそんなこと言って~。モテるのにもったいないですよ?」
リジーの言う通り、シャルはなかなか女性に人気がある。
けれども、シャルにそれとなく好みを訊ねたとある女性に向かって、「サーラのように美人で頭がよくて優しい女性だ」などととんでもない回答をしたせいで、シャルに告白しようなんて勇気ある女性はいなくなった。
シスコンのレッテルを貼られたシャルは、ご近所さんには「あれと結婚したら一生サーラと比較される」などと揶揄されている。
くだらない話をしているうちに、西の三番通りの入り口に到着した。
すでにルイスと、それからウォレスの姿がある。
二人とも微妙に距離をあけて立っていて、互いにそっぽを向いているのは何故だろうか。
(マルセルさんの姿はない、けど……)
ウォレスを夜の下町に一人で放置するはずはないので、どこかでこっそり見張っていると思われる。主の好奇心に振り回されるマルセルは可哀そうだ。
「お待たせしてすみません」
声をかけると、ルイスとウォレスが同時に振り返ってにこりと微笑み――そのまま、何故か固まった。
「サーラ、そちらは?」
訊ねられて、ウォレスはまだシャルに会ったことがなかったなと思い出す。
「兄のシャルです。お兄ちゃん、こちらはウォレス様で、あちらがルイスさんよ」
シャルは黒曜石のような瞳を一瞬鋭くさせてウォレスを見た後で、にこりと微笑んだ。
「うちのパンを、いつもたくさん購入していただいているとお聞きしています。ありがとうございます」
「あ、ああ……、兄。そうか。兄か……」
「シャル……? シャルって、もしかして……」
ウォレスから少し離れたところで、ルイスが何やら口の中でぶつぶつ言っていた。
リジーはそんなルイスにあきれ顔を浮かべている。
「兄も一緒に幽霊屋敷に行きたいらしいんですが、構いませんか?」
「私は構わないよ」
「俺……ボクも構いませんよ」
「ボク……ぷっ」
噴き出したリジーをじろりと睨みつけてから、ルイスは西の三番通りを指さした。
「例の空き家はもう少し歩いたところにあるんです。行きましょう」
「サーラ、夜道は危ないから手を――」
「どうぞお構いなく。妹は兄である俺が見ていますので」
ウォレスが差し出してきた手をさりげなく払って、シャルがサーラの手を取った。
(……なんなの、この変な空気…………)
ひくっと口端を引きつらせているウォレスと、それから見たこともないような綺麗な笑みを浮かべているシャルから、サーラはそっと息を吐く。
振り払われた手を所在投げに宙に浮かせたウォレスは、気を取り直したようにリジーに視線を向けた。
「リジー、危ないから手をつなぐかい?」
もちろん、リジーが断るはずがない。
「はい……!」
ぱあっと花が咲くような笑みを浮かべたリジーがぎゅっとウォレスの手を握る。
一人だけあぶれたルイスが何とも言えない顔をした。
夜道と言っても、下町の南半分と違って、このあたりは、少ないながらも、ポツンポツンとガス灯が設置されてある。
黄色い少しぼんやりとした灯りが何とも幻想的である。
リジーとルイスの手にはそれぞれ蝋燭のランタンもあるので、手を引いてもらわなくても足元がおぼつかないなんてことはないのだが、シャルは何を警戒しているのか、サーラの手をぎゅっと握りしめていた。
シャルの過保護はいつものことだが、今日はいつもにもまして過保護な気がする。
――大丈夫だよ、サーラのことは俺がずっと守るから。
この町に引っ越してきたばかりの、サーラがふさぎ込んでいたころ。シャルはよくそんなことを言っていたけれど、もうサーラはあの頃のように弱くもないし、子供でもない。
一歳違いの、それも誕生日が半年しか違わない兄は、いまだにサーラを幼い子供だと思っているのだろうか。
「ここですよ」
前を歩いていたルイスが、とある大きな家の前で立ち止まる。
邸と呼ぶほど大きくはないが、門と塀で区切られた奥にはそこそこ広い庭があり、その奥には二階建ての家が見えた。
長らく人が住んでいなかったことを象徴するように、庭は荒れ放題で、雑草が生い茂っている。
くすんだ鈍色の門には太いチェーンが巻かれ、南京錠がかかっていた。門の蝶番には錆も見られる。
ルイスが人影を見たのは、二階の右から二番目の窓だそうだ。
「特に何も見えませんね」
「幽霊が現れるのは、もう少し遅い時間なんですよ」
サーラのつぶやきにルイスが答えてくれる。
「ということは、あの部屋で張り込んでいたら幽霊が現れるのかしら?」
リジーが何とも能天気なことを言った。
「幽霊の前に、生きた人間である可能性を考慮した方がいいんじゃないか?」
シャルがもっともなことを言う。
サーラも、もしここにいるのが幽霊ではなく人間だった場合を考えた方がいい気がする。
しかし、リジーはそんな心配を楽しそうに笑い飛ばした。
「やだ、シャルお兄様ったら。門にも邸にも窓にも鍵がかかっているんですよ? 幽霊じゃなかったらどうやって中に入るんですか?」
幽霊なら壁をすり抜けたり空を飛んだりできるでしょうけど、というリジーに、サーラは幽霊がそういう生態だとどこで知ったのだろうかと純粋な疑問を持った。
空を飛ぶと言うのはまだしも、幽霊が「物質」であるなら、壁をすり抜けることは不可能であるように思うのだが。
(空気ですら壁を通り抜けることはできないのに、幽霊がどうやって壁を通り抜けるのかしら?)
しかしこんなことを口走ろうものなら、生産性のない押し問答がはじまるのは目に見えていた。
今ここにはリジーだけではなくウォレスもシャルもルイスもいる。全員がこの答えのない問いに持論を展開しはじめれば収集がつかなくなるだろう。
ここは黙っているのが賢明だ。
シャルを見上げると、サーラと同じようなことを思ったのだろう、リジーに余計な反論はしなかったが、さすがと言うべきか、リジーを納得させられる言葉を返す。
「そうかもしれないが、万が一のことも考えておくべきだろう。中にいるのが人で、それがこの家の持ち主ではないのならば、俺は市民警察として事情を訊く必要があるからね」
「確かにそうですね」
仕事だと言えば、まあそんなものかと、リジーはあっさりと頷いた。
ルイスが門の南京錠をあけてチェーンを外す。
門を押し開けると、ギィ……っと錆びついた音がした。
門から玄関までのレンガが敷かれた道には、それほど雑草の被害がない。
ところどころ、レンガとレンガの隙間から草が生えているくらいだ。
(誰かが草を踏んだ形跡はなし、か)
ルイスが見た影が生きた人間のものであれば、誰かが出入りしている可能性が考えられた。だが、レンガの間から飛び出している草を確認しても、何者かが踏み荒らした形跡はない。
玄関扉の鍵を開けると、むわっと埃の匂いが鼻についた。
リジーがランタンを掲げると、小さな玄関ホールには、ここに住んでいた家主が残したままにしていたのか、埃をかぶった大きな花瓶が置いてある。
玄関の奥には階段があった。
ルイスが先導し、次にリジーとウォレス、そのあとをサーラとシャルがついて行く。
階段を上がると、二階の廊下には古ぼけた絨毯が敷かれたままになっていた。
狭い裏庭が見える廊下の窓から何気なく下を見下ろしたサーラはふと足を止める。
「サーラ、どうした?」
サーラが足を止めると、手を繋いでいるシャルも必然的に歩みを止めることになる。
リジーが振り返った。
「どうしたの?」
「リジー、ちょっとランタンを貸してくれない?」
「いいけど……」
リジーからランタンを受け取ったサーラは、窓にランタンをかざすようにして裏庭を見下ろした。
「……さすがにここからじゃ、はっきり見えないわね」
「何か見つけたの?」
「見つけたというか……うーん、確かめるのは後でいいわ」
「そう?」
ランタンをリジーに返すと、ウォレスが気になったように窓の外を見下ろしたが、薄暗くてはっきりと見えなかったようで肩をすくめる。
「あとで見に行こう」
「そうですね」
問題の部屋の前に到着すると、ルイスが鍵束の中から部屋の鍵を取り出した。
(部屋の扉にも鍵がかかっているのね)
ルイスが扉を開ける。
部屋の床には廊下と同じように古びた絨毯が敷かれたままになっていた。
窓にはカーテンはなく、カバーのかけられたソファと、古びたテーブルと椅子がある。
暖炉の中は空っぽだった。
「誰もいないわね」
「いつも幽霊が現れる時間まで待っていようか」
ルイスがそう言って、無造作にテーブルの上にランタンを置く。
サーラは何気なくそのランタンを視線で追って、「あ」と小さく声を上げた。
「なんだ? 何かわかったのか?」
サーラの小さなつぶやきにウォレスが振り返る。
「ええ……。お兄ちゃん、ちょっと手を離して」
手を繋がれたままだと自由に歩き回れない。
シャルが仕方がなさそうな顔をして手を離すと、サーラはランタンが置かれたテーブルに近づいた。
「……やっぱり」
「なんだ?」
いつの間にか、すぐそばにウォレスがいた。
ランタンの灯りに照らされた顔が、好奇心に輝いている。
サーラはテーブルの上にそっと手を置いて、そして言った。
「ここにいたのは幽霊ではなく、生きた人間だと思います」
リジーのほかにルイスと、ウォレスも一緒だと言ったのだが、すると今度は、幽霊よりも一緒に行く男の方が危険だと言いだして、リジーに苦情を言いに行こうとまでしはじめたので、サーラはシャルを止めるのにかなり大変な思いをする羽目になった。
三日後の夜が、たまたまシャルが夜番の仕事がなかったため、シャルも一緒に行くことが決まって何とか納得してもらったのだ。
ルイスと、それからウォレスとは西の三番通りの入り口で落ち合う約束だ。
リジーとシャルと三人で大通りを歩いていると、リジーがシャルから何か面白いネタでも仕入れられないかと、わくわくした顔をして口を開く。
「シャルお兄様、例の贋金の犯人ってご存じですか?」
心なしか声が高いのはいつものことだ。シャルも、リジーのミーハー心をくすぐるには充分すぎるほど顔が整っている。
「顔は見たが、詳しいことは言えないよ。それに俺は取り調べには参加していないから、知っていることも少ない」
「そうなんですか……」
リジーは残念そうに肩をすくめる。
だが、シャルが気軽に教えられるようなことであれば、リジーの情報網をもってすれば噂の一つや二つ仕入れられているだろうから、教えてもらえないのは想定内のようだった。
「それにしてもリジー、肝試しなんて、小さな子供みたいな遊びをするものじゃないよ」
「だって、最近これと言って面白いネタがないんですよ」
(いや、充分でしょうよ)
シャルに苦言を呈されて口をとがらせるリジーに、サーラはあきれるしかない。
あれだけいろんなところから噂を仕入れておいて、リジーはまだ足りないのか。
「そうだとしても、うちの妹を変なことに巻き込まないでくれ。妙な虫がついたらどうしてくれるんだ」
「もう、シャルお兄様ったら相変わらず過保護なんだから! いつまでもサーラにべったりだと、お兄様こそ恋人ができませんよ~?」
「俺はいいんだ」
「またそんなこと言って~。モテるのにもったいないですよ?」
リジーの言う通り、シャルはなかなか女性に人気がある。
けれども、シャルにそれとなく好みを訊ねたとある女性に向かって、「サーラのように美人で頭がよくて優しい女性だ」などととんでもない回答をしたせいで、シャルに告白しようなんて勇気ある女性はいなくなった。
シスコンのレッテルを貼られたシャルは、ご近所さんには「あれと結婚したら一生サーラと比較される」などと揶揄されている。
くだらない話をしているうちに、西の三番通りの入り口に到着した。
すでにルイスと、それからウォレスの姿がある。
二人とも微妙に距離をあけて立っていて、互いにそっぽを向いているのは何故だろうか。
(マルセルさんの姿はない、けど……)
ウォレスを夜の下町に一人で放置するはずはないので、どこかでこっそり見張っていると思われる。主の好奇心に振り回されるマルセルは可哀そうだ。
「お待たせしてすみません」
声をかけると、ルイスとウォレスが同時に振り返ってにこりと微笑み――そのまま、何故か固まった。
「サーラ、そちらは?」
訊ねられて、ウォレスはまだシャルに会ったことがなかったなと思い出す。
「兄のシャルです。お兄ちゃん、こちらはウォレス様で、あちらがルイスさんよ」
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「うちのパンを、いつもたくさん購入していただいているとお聞きしています。ありがとうございます」
「あ、ああ……、兄。そうか。兄か……」
「シャル……? シャルって、もしかして……」
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リジーはそんなルイスにあきれ顔を浮かべている。
「兄も一緒に幽霊屋敷に行きたいらしいんですが、構いませんか?」
「私は構わないよ」
「俺……ボクも構いませんよ」
「ボク……ぷっ」
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「サーラ、夜道は危ないから手を――」
「どうぞお構いなく。妹は兄である俺が見ていますので」
ウォレスが差し出してきた手をさりげなく払って、シャルがサーラの手を取った。
(……なんなの、この変な空気…………)
ひくっと口端を引きつらせているウォレスと、それから見たこともないような綺麗な笑みを浮かべているシャルから、サーラはそっと息を吐く。
振り払われた手を所在投げに宙に浮かせたウォレスは、気を取り直したようにリジーに視線を向けた。
「リジー、危ないから手をつなぐかい?」
もちろん、リジーが断るはずがない。
「はい……!」
ぱあっと花が咲くような笑みを浮かべたリジーがぎゅっとウォレスの手を握る。
一人だけあぶれたルイスが何とも言えない顔をした。
夜道と言っても、下町の南半分と違って、このあたりは、少ないながらも、ポツンポツンとガス灯が設置されてある。
黄色い少しぼんやりとした灯りが何とも幻想的である。
リジーとルイスの手にはそれぞれ蝋燭のランタンもあるので、手を引いてもらわなくても足元がおぼつかないなんてことはないのだが、シャルは何を警戒しているのか、サーラの手をぎゅっと握りしめていた。
シャルの過保護はいつものことだが、今日はいつもにもまして過保護な気がする。
――大丈夫だよ、サーラのことは俺がずっと守るから。
この町に引っ越してきたばかりの、サーラがふさぎ込んでいたころ。シャルはよくそんなことを言っていたけれど、もうサーラはあの頃のように弱くもないし、子供でもない。
一歳違いの、それも誕生日が半年しか違わない兄は、いまだにサーラを幼い子供だと思っているのだろうか。
「ここですよ」
前を歩いていたルイスが、とある大きな家の前で立ち止まる。
邸と呼ぶほど大きくはないが、門と塀で区切られた奥にはそこそこ広い庭があり、その奥には二階建ての家が見えた。
長らく人が住んでいなかったことを象徴するように、庭は荒れ放題で、雑草が生い茂っている。
くすんだ鈍色の門には太いチェーンが巻かれ、南京錠がかかっていた。門の蝶番には錆も見られる。
ルイスが人影を見たのは、二階の右から二番目の窓だそうだ。
「特に何も見えませんね」
「幽霊が現れるのは、もう少し遅い時間なんですよ」
サーラのつぶやきにルイスが答えてくれる。
「ということは、あの部屋で張り込んでいたら幽霊が現れるのかしら?」
リジーが何とも能天気なことを言った。
「幽霊の前に、生きた人間である可能性を考慮した方がいいんじゃないか?」
シャルがもっともなことを言う。
サーラも、もしここにいるのが幽霊ではなく人間だった場合を考えた方がいい気がする。
しかし、リジーはそんな心配を楽しそうに笑い飛ばした。
「やだ、シャルお兄様ったら。門にも邸にも窓にも鍵がかかっているんですよ? 幽霊じゃなかったらどうやって中に入るんですか?」
幽霊なら壁をすり抜けたり空を飛んだりできるでしょうけど、というリジーに、サーラは幽霊がそういう生態だとどこで知ったのだろうかと純粋な疑問を持った。
空を飛ぶと言うのはまだしも、幽霊が「物質」であるなら、壁をすり抜けることは不可能であるように思うのだが。
(空気ですら壁を通り抜けることはできないのに、幽霊がどうやって壁を通り抜けるのかしら?)
しかしこんなことを口走ろうものなら、生産性のない押し問答がはじまるのは目に見えていた。
今ここにはリジーだけではなくウォレスもシャルもルイスもいる。全員がこの答えのない問いに持論を展開しはじめれば収集がつかなくなるだろう。
ここは黙っているのが賢明だ。
シャルを見上げると、サーラと同じようなことを思ったのだろう、リジーに余計な反論はしなかったが、さすがと言うべきか、リジーを納得させられる言葉を返す。
「そうかもしれないが、万が一のことも考えておくべきだろう。中にいるのが人で、それがこの家の持ち主ではないのならば、俺は市民警察として事情を訊く必要があるからね」
「確かにそうですね」
仕事だと言えば、まあそんなものかと、リジーはあっさりと頷いた。
ルイスが門の南京錠をあけてチェーンを外す。
門を押し開けると、ギィ……っと錆びついた音がした。
門から玄関までのレンガが敷かれた道には、それほど雑草の被害がない。
ところどころ、レンガとレンガの隙間から草が生えているくらいだ。
(誰かが草を踏んだ形跡はなし、か)
ルイスが見た影が生きた人間のものであれば、誰かが出入りしている可能性が考えられた。だが、レンガの間から飛び出している草を確認しても、何者かが踏み荒らした形跡はない。
玄関扉の鍵を開けると、むわっと埃の匂いが鼻についた。
リジーがランタンを掲げると、小さな玄関ホールには、ここに住んでいた家主が残したままにしていたのか、埃をかぶった大きな花瓶が置いてある。
玄関の奥には階段があった。
ルイスが先導し、次にリジーとウォレス、そのあとをサーラとシャルがついて行く。
階段を上がると、二階の廊下には古ぼけた絨毯が敷かれたままになっていた。
狭い裏庭が見える廊下の窓から何気なく下を見下ろしたサーラはふと足を止める。
「サーラ、どうした?」
サーラが足を止めると、手を繋いでいるシャルも必然的に歩みを止めることになる。
リジーが振り返った。
「どうしたの?」
「リジー、ちょっとランタンを貸してくれない?」
「いいけど……」
リジーからランタンを受け取ったサーラは、窓にランタンをかざすようにして裏庭を見下ろした。
「……さすがにここからじゃ、はっきり見えないわね」
「何か見つけたの?」
「見つけたというか……うーん、確かめるのは後でいいわ」
「そう?」
ランタンをリジーに返すと、ウォレスが気になったように窓の外を見下ろしたが、薄暗くてはっきりと見えなかったようで肩をすくめる。
「あとで見に行こう」
「そうですね」
問題の部屋の前に到着すると、ルイスが鍵束の中から部屋の鍵を取り出した。
(部屋の扉にも鍵がかかっているのね)
ルイスが扉を開ける。
部屋の床には廊下と同じように古びた絨毯が敷かれたままになっていた。
窓にはカーテンはなく、カバーのかけられたソファと、古びたテーブルと椅子がある。
暖炉の中は空っぽだった。
「誰もいないわね」
「いつも幽霊が現れる時間まで待っていようか」
ルイスがそう言って、無造作にテーブルの上にランタンを置く。
サーラは何気なくそのランタンを視線で追って、「あ」と小さく声を上げた。
「なんだ? 何かわかったのか?」
サーラの小さなつぶやきにウォレスが振り返る。
「ええ……。お兄ちゃん、ちょっと手を離して」
手を繋がれたままだと自由に歩き回れない。
シャルが仕方がなさそうな顔をして手を離すと、サーラはランタンが置かれたテーブルに近づいた。
「……やっぱり」
「なんだ?」
いつの間にか、すぐそばにウォレスがいた。
ランタンの灯りに照らされた顔が、好奇心に輝いている。
サーラはテーブルの上にそっと手を置いて、そして言った。
「ここにいたのは幽霊ではなく、生きた人間だと思います」
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