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第一部 街角パン屋の訳あり娘

空き家の中の幽霊 2

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「幽霊よサーラ、ゆ・う・れ・い!」

 パン屋ポルポルに飛び込んでくるなり、大きな瞳を爛々と輝かせて言ったリジーに、サーラはあきれ顔を浮かべた。

「今度は一体なにを仕入れてきたの?」
「前言ったでしょ? 西の三番通りの近くの誰も住んでいない家の二階に、その家で死んだ少女の幽霊が出るんだって!」
「……少女の幽霊はリジーの想像じゃなかったっけ?」

 リジーが老舗家具屋の息子ルイスから仕入れた幽霊の噂は確かに聞いたが、それが一体どうしたと言うのだろう。

「それが本当に女の子みたいなのよ! ルイスがまた見たんだって!」
「幽霊を? また?」
「そうなのよ! やっぱり女の子の幽霊がいるんだわ!」
「本当にその家で死んだ女の子がいたの?」
「え? それは知らなーい」
(相変わらず適当な……)

 だが、女の子と言い張るのだから、ルイスが再び見た幽霊らしき影は女の子のような姿かたちをしていたと考えられる。

(空き家に女の子の幽霊、ね……)

 誰かが空き家に侵入したと考えるのが普通ではあるが、幽霊と言い切ってしまえる理由でもあるのだろうか。

「誰かが忍び込んだ形跡はなかったの?」
「あたしは直接は知らないけど、ルイスによると、門には鎖が巻かれているし、玄関にも窓にもぜーんぶ鍵がかかっているらしいわ」
「門に鎖が巻かれているのに、なんで玄関や窓に鍵がかかってるってわかったの?」
「門をよじ登って、確かめてみたらしいわ」
「ルイスさんって、なかなか行動力があるのね……」
「今は落ち着いてるけど、昔はかなりの悪ガキだったからね~」
「そうなの?」
「うん。ほら、肉屋のところのバリーがいるでしょ?」
「あの、体の大きな?」

 バリーはシャルと同じ年で、坊主頭のなかなかいかめしい顔をした青年だ。
 重たいものを持つからなのか、鍛えているからなのか、とてもガタイがいい。
 一見怖そうに見えるが、あれでなかなか気さくな青年で、バリーが店番をしているときに買い物に行くと、ちょっとだけおまけをしてくれる。リジーに言わせると、どうやらおまけがつくのはサーラ限定であるらしいけれど。

「そうそう。小さいときはよくバリーと縄張りの取り合いをして喧嘩していたのよ」
「縄張り?」
「一番通りから三番通りのあたりがルイスガキ大将率いるお坊ちゃん軍団の縄張りで、七番通りから五番通りのあたりまでがバリーガキ大将率いる……ええっと何だったかしらチーム名。なんかつけてたのよ、バリーが。まあともかく、残った四番通りを中心とする真ん中なのあたりをどっちが取るかで大げんかよ」
「知らなかったわ」
「サーラが引っ越してくるちょっと前の話だからね。あたしが八歳とか、九歳とか、そのくらいのときのことよ」
「どっちが勝ったの?」
「結局勝負はつかなかったの。飽きたのか怒られたのか知らないけど途中である日ぱたりと辞めちゃって。そのあとも何回か小さな喧嘩はしてたみたいだけど、あんたとシャルお兄様が来てからは分が悪くなって、喧嘩もなくなったわ」
「分が悪いって?」
「こっちに来てしばらくは、サーラは外に出なかったから知らなかったと思うけど……あのね、シャルお兄様が来た時に、ちょっとした洗礼があったのよ。シャルお兄様を舎弟にしたかったバリーたちが、シャルお兄様を川べりに呼び出してさー。ガキどもが束になって綺麗な男の子を襲ってるって、それを見つけた娼館通りの男衆が大慌てをしたらしいんだけど、男衆が止めに入る前に、シャルお兄様が一人で全員のしちゃったんだってさ」
(あー……、お兄ちゃん、強いからなあ)

 なかなか綺麗な顔立ちをしているので、一見そうとは思われないのだが、シャルはかなりの手練れである。子供のころからずっと鍛錬していたので、同年代の男の子に負けるはずがないのだ。
 そして、サーラがそれを記憶していないのは、ここに引っ越してきてしばらくの間、サーラはずっとふさぎ込んでいて部屋から出ようとはしなかったからだろう。
 あの当時、シャルが外で何をしていたのか、サーラは知らない。

「それで、シャルお兄様を舎弟にしたかったバリーたちの方が、シャルお兄様の舎弟に下ったってわけ。で、シャルお兄様はびっくりするほど強いから、ルイスたちも喧嘩を吹っ掛けるのは得策でないと思ったみたい。あとは、あの頃になるとお坊ちゃんたちはお勉強に忙しくなるからね。喧嘩している暇なんてなくなったんじゃない?」
「なるほどねー」

 今度昔の話をシャルに訊いてみようと、サーラは密かに思った。なかなか面白い話が聞けるかもしれない。

「で、その幽霊なんだけどね、今ルイスがさ、空き家の鍵を手に入れられないかって調べてるのよ」
「なんでそんなことをしてるの?」
「え? だって、気になるじゃない、幽霊! 鍵が手に入れられたら幽霊探しができるでしょ?」
「探してどうするのよ」
「特に決めてないけど、こんな面白そうな噂のネタ、逃す手はないじゃない!」

 リジーの噂にかける情熱には舌を巻くものがある。

「あ、そうそう、噂と言えばね、例の贋金の話聞いた?」
「犯人が捕まったんでしょ?」
「そう! そうなのよ! うちも被害が大きかったから、せめてその犯人の間抜け面でも拝んでやりたいと思って情報を集めてるんだけど、誰も知らないのよ! ねえ、何か知らない?」
「捕まったこと以外は、これと言って知らないわ」
「サーラでもダメかあ……。シャルお兄様経由で何か入っていないかと思ったんだけどなー」

 さすがに贋金なんて類の事件になると箝口令が敷かれることもあるので、もしシャルが何かしらの犯人場を持っていたとしても、それを口に出すことはないだろう。

「サーラ、バゲットが焼けたよー」

 奥からアドルフの声がする。
 サーラはまだ熱いバゲットを一つ袋に入れると、リジーに手渡した。

「はい、今日のバゲット」
「ありがとう。じゃあ、もし何かわかったら教えてね!」

 バゲットの代金、銅貨三枚をカウンターに置いて、リジーが去って行く。
 焼きあがったバゲットを陳列棚に並べていると、チリンと音がして振り返った。
 入ってきたのは、何やら小さな包みを手にしたマルセルだ。

「いらっしゃいませ、マルセルさん」

 今日は、ウォレスはいないようだ。

「こんにちは。パンを買いに来ました。それから、これを。主からです」

 マルセルが、手に持っていた包みを差し出す。
 小さな箱のようだが、いったい何だろうかと思って開ければ、中にはレースの青いリボンが入っていた。

「ええっと……」

 箱の中には小さなカードが入っていて、「これなら日常的に使えるだろう」と書いてあった。

(いやいや、かなり高そうなリボンですが……)

 と、思ったけれど、これを突き返せばマルセルが困るのだろう。
 そして、どうやらウォレスは、この前の話をずいぶんと気にしているのかもしれない。

「……ありがとうございます」

 まだ宝石が贈りつけられるよりはましかと、わずかな逡巡ののちにリボンを受け取ると、マルセルがホッと息を吐く。

「できれば、主が来る日にはそのリボンをつけていただけると助かります。……明後日のこの時間に、訪れるそうです」

 使っていただけていないと、拗ねるでしょうからと言われて、サーラはむっと口をへの字に曲げているウォレスを想像してくすりと笑った。





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