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第一部 街角パン屋の訳あり娘
二つの贋金 3
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(んん……?)
サーラは首を傾げた。
「どうかしましたか?」
はじめて見る顔の客が、カウンターで首をひねっている。
サーラは、客が手渡した銀貨をしげしげと見て、また首をひねる。
「いえ……」
(銀貨、よね?)
金貨は滅多に見ないけれど、パンの支払いで銀貨を出す客はたまにいる。
だから別に珍しくない、はずなのだが。
(なんか、違和感が……)
何かがおかしいと頭の中のもう一人の自分が告げているのだが、何がおかしいのかまでははっきりしない。
客足が落ち着く十時台とはいえ、清算に時間をかけていい理由にもならないので、サーラは軽く頭を振って違和感を遠くへ追いやると、にこりと笑った。
「いえ、何でもありません」
包んだパンを差し出し、おつりを返す。
ありがとうございました、と客を見送った後で、サーラは先ほどの銀貨を再び手に取った。
いつもなら、銀貨という大きなお金はすぐにカウンター下の金庫に入れるのだがそれもしない。
いったい何が気になったのか、その理由がわからなくてもやもやするからだ。
「何が変なのかしら……?」
客が一人もいなくなったのをいいことに独り言ちる。
気になるので別の銀貨と比べようにも、今日は銀貨での支払いをした客はさっきの男だけで、店の中には銅貨しかない。
「うーん……」
「何か困りごとかな?」
「え……きゃあっ」
顔を上げたサーラは、思わず悲鳴を上げた。
「サーラ、どうしたんだ?」
奥からアドルフが慌てた様子で顔を出したので、サーラはドキドキする胸を抑えて「なんでもないの」と返す。
顔を上げたらこちらを覗き込むように顔を近づけているウォレスがいて驚いたのだが、それをいちいち説明するのも馬鹿馬鹿しい。
ウォレスはウォレスで、アドルフがやって来た途端どこ吹く風でカウンターから距離を取っているし。
「そうかい?」
少し不可解そうな顔をしてアドルフが奥へ消えると、サーラはウォレスを軽く睨みつけた。
目の前の銀貨に集中するあまり、ベルの音に気がつかなかったサーラの落ち度ではあるが、この男は距離の取り方がおかしいのではなかろうか。
うっかり顔を上げた拍子に鼻先が当たりそうになって、どれだけ驚いたと思っているのだろう。
こいつのお目付け役はどこだと扉のガラス窓の向こうを見れば、マルセルはいつも通り馬車の御者台に座っていた。どうせなら一緒についてきてこの男の首根っこでも捕まえていてほしいものである。
「それで、何に困っているんだ?」
(暇人なのかしら?)
ここ数日来ていなかったので、下町のパン屋にちょっかい出すのに飽きたのだと思っていたが、まだ飽きていなかったらしい。
「何でもないですよ」
「そんなことはないだろう? うん? それは銀貨か?」
「ええまあ、たぶん」
「たぶん?」
下手にこの男の耳に入れると面倒なことになりそうなので嫌だったが、興味を示されている以上、誤魔化したところでしつこく食い下がってくるだろう。
くだらない押し問答に時間を食うくらいなら、はじめから白状した方がいい。
「お客さんがこの銀貨で支払いをしたんですけど、なんかちょっと違和感があるんですよね。でも、それが何なのかはわからなくて」
「だったらほかの銀貨と比べて見たらどうだ?」
「ほかに銀貨がないんです」
「なるほど」
ウォレスは無造作にジャケットのポケットに手を突っ込んだ。しかしポケットから出てきたのは数枚の金貨で、銀貨はない。
(……お金持ちめ)
金貨なんて大金を財布にも入れずに無造作にポケットに突っ込むなんて、どういう神経をしているのだろう。
「ちょっと待っていろ」
待ちたくもないし、どうせならそのまま帰ればいいのにと思ったが口に出さず無言を貫いていると、一度店を出たウォレスがマルセルと二言三言話しをして戻って来た。
「これでいいか?」
そう言ってカウンターの上に三枚の銀貨を放り出す。
(そういえば、パンの支払いはいつもマルセルさんだったわね)
支払い用に銀貨を持っていたのだろうか。いい人だ。主と違って。
さあ礼を言えと言わんばかりの顔でにこにこ笑っているウォレスに、サーラがあからさまな棒読みで「ありがとうございます」と告げると、彼はむっと口をへの字に曲げた。
それには構わず、サーラは銀貨を一枚手に取って、「あ」と声を上げた。
「どうした? 何かわかったのか?」
「はい。違和感の正体がわかりました」
「なんだ?」
不機嫌な顔は、あっという間にわくわくした顔に変わっていた。
サーラは二枚の銀貨をウォレスに差し出した。
「こっちの銀貨の方が軽いです」
「……なに?」
好奇心に満ち溢れていた顔が、瞬時に凍る。
サーラの手から銀貨を受け取ったウォレスは、二つを比べて見てぐっと眉を寄せた。
「この銀貨で支払いをしたのはどんな人間だった? いつ来た?」
「ええっと、ウォレス様がいらっしゃる五分、十分前くらいではないでしょうか? 三十過ぎくらいの丸顔の男で、髪の毛は……こげ茶だったかな。身長はウォレス様より十五センチほど低くて、太っているというほどではないですが、少しお腹が出ていた気がします」
「どこにでもいそうな男だが……まあいい。これを借りていくぞ」
「それは構いませんが……あ、この銀貨は⁉」
カウンターにはまだ二枚の銀貨が残っている。
ウォレスは店の入り口で振り返った。
「それで買えるだけのパンを用意しておいてくれ。あとでマルセルに取りに行かせる」
「……は、はい」
返事はしたが、銀貨二枚分のパンと言われて気が遠くなりそうになる。
サーラは頭痛をこらえるようにこめかみを押さえて、アドルフに本日の予定よりもだいぶ多くのパンを焼いてもらうように頼みに行った。
サーラは首を傾げた。
「どうかしましたか?」
はじめて見る顔の客が、カウンターで首をひねっている。
サーラは、客が手渡した銀貨をしげしげと見て、また首をひねる。
「いえ……」
(銀貨、よね?)
金貨は滅多に見ないけれど、パンの支払いで銀貨を出す客はたまにいる。
だから別に珍しくない、はずなのだが。
(なんか、違和感が……)
何かがおかしいと頭の中のもう一人の自分が告げているのだが、何がおかしいのかまでははっきりしない。
客足が落ち着く十時台とはいえ、清算に時間をかけていい理由にもならないので、サーラは軽く頭を振って違和感を遠くへ追いやると、にこりと笑った。
「いえ、何でもありません」
包んだパンを差し出し、おつりを返す。
ありがとうございました、と客を見送った後で、サーラは先ほどの銀貨を再び手に取った。
いつもなら、銀貨という大きなお金はすぐにカウンター下の金庫に入れるのだがそれもしない。
いったい何が気になったのか、その理由がわからなくてもやもやするからだ。
「何が変なのかしら……?」
客が一人もいなくなったのをいいことに独り言ちる。
気になるので別の銀貨と比べようにも、今日は銀貨での支払いをした客はさっきの男だけで、店の中には銅貨しかない。
「うーん……」
「何か困りごとかな?」
「え……きゃあっ」
顔を上げたサーラは、思わず悲鳴を上げた。
「サーラ、どうしたんだ?」
奥からアドルフが慌てた様子で顔を出したので、サーラはドキドキする胸を抑えて「なんでもないの」と返す。
顔を上げたらこちらを覗き込むように顔を近づけているウォレスがいて驚いたのだが、それをいちいち説明するのも馬鹿馬鹿しい。
ウォレスはウォレスで、アドルフがやって来た途端どこ吹く風でカウンターから距離を取っているし。
「そうかい?」
少し不可解そうな顔をしてアドルフが奥へ消えると、サーラはウォレスを軽く睨みつけた。
目の前の銀貨に集中するあまり、ベルの音に気がつかなかったサーラの落ち度ではあるが、この男は距離の取り方がおかしいのではなかろうか。
うっかり顔を上げた拍子に鼻先が当たりそうになって、どれだけ驚いたと思っているのだろう。
こいつのお目付け役はどこだと扉のガラス窓の向こうを見れば、マルセルはいつも通り馬車の御者台に座っていた。どうせなら一緒についてきてこの男の首根っこでも捕まえていてほしいものである。
「それで、何に困っているんだ?」
(暇人なのかしら?)
ここ数日来ていなかったので、下町のパン屋にちょっかい出すのに飽きたのだと思っていたが、まだ飽きていなかったらしい。
「何でもないですよ」
「そんなことはないだろう? うん? それは銀貨か?」
「ええまあ、たぶん」
「たぶん?」
下手にこの男の耳に入れると面倒なことになりそうなので嫌だったが、興味を示されている以上、誤魔化したところでしつこく食い下がってくるだろう。
くだらない押し問答に時間を食うくらいなら、はじめから白状した方がいい。
「お客さんがこの銀貨で支払いをしたんですけど、なんかちょっと違和感があるんですよね。でも、それが何なのかはわからなくて」
「だったらほかの銀貨と比べて見たらどうだ?」
「ほかに銀貨がないんです」
「なるほど」
ウォレスは無造作にジャケットのポケットに手を突っ込んだ。しかしポケットから出てきたのは数枚の金貨で、銀貨はない。
(……お金持ちめ)
金貨なんて大金を財布にも入れずに無造作にポケットに突っ込むなんて、どういう神経をしているのだろう。
「ちょっと待っていろ」
待ちたくもないし、どうせならそのまま帰ればいいのにと思ったが口に出さず無言を貫いていると、一度店を出たウォレスがマルセルと二言三言話しをして戻って来た。
「これでいいか?」
そう言ってカウンターの上に三枚の銀貨を放り出す。
(そういえば、パンの支払いはいつもマルセルさんだったわね)
支払い用に銀貨を持っていたのだろうか。いい人だ。主と違って。
さあ礼を言えと言わんばかりの顔でにこにこ笑っているウォレスに、サーラがあからさまな棒読みで「ありがとうございます」と告げると、彼はむっと口をへの字に曲げた。
それには構わず、サーラは銀貨を一枚手に取って、「あ」と声を上げた。
「どうした? 何かわかったのか?」
「はい。違和感の正体がわかりました」
「なんだ?」
不機嫌な顔は、あっという間にわくわくした顔に変わっていた。
サーラは二枚の銀貨をウォレスに差し出した。
「こっちの銀貨の方が軽いです」
「……なに?」
好奇心に満ち溢れていた顔が、瞬時に凍る。
サーラの手から銀貨を受け取ったウォレスは、二つを比べて見てぐっと眉を寄せた。
「この銀貨で支払いをしたのはどんな人間だった? いつ来た?」
「ええっと、ウォレス様がいらっしゃる五分、十分前くらいではないでしょうか? 三十過ぎくらいの丸顔の男で、髪の毛は……こげ茶だったかな。身長はウォレス様より十五センチほど低くて、太っているというほどではないですが、少しお腹が出ていた気がします」
「どこにでもいそうな男だが……まあいい。これを借りていくぞ」
「それは構いませんが……あ、この銀貨は⁉」
カウンターにはまだ二枚の銀貨が残っている。
ウォレスは店の入り口で振り返った。
「それで買えるだけのパンを用意しておいてくれ。あとでマルセルに取りに行かせる」
「……は、はい」
返事はしたが、銀貨二枚分のパンと言われて気が遠くなりそうになる。
サーラは頭痛をこらえるようにこめかみを押さえて、アドルフに本日の予定よりもだいぶ多くのパンを焼いてもらうように頼みに行った。
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