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第一部 街角パン屋の訳あり娘

増えたり減ったりする鍵 2

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「サーラ、お茶ぁ~」

 ウォレスを見た途端、リジーは二オクターブも高い声を上げてお茶出しを要求してきた。

(ここはうちの店なんだけど……)

 そしてここはパン屋でカフェではない。
 のだが、さっさと奥の小さな飲食スペースにウォレスを案内しはじめたリジーにダメだとは言えなかった。
 ちらりと扉のガラス越しに外を見ると、店の近くに馬車が停まっていて、御者台にマルセルが座っている。

(……仕方ない)

 貴族街の近くの邸に連れて行かれないだけまだましかと思いなおして、サーラは奥で紅茶を三つ入れてテーブルの上に置いた。

「今日は何の用ですか?」

 おそらく高位の貴族であろうウォレスは、なんだって下町をうろうろしているのだろうといつも思う。
 従者だか護衛だかのマルセルは、この主を止めなくていいのだろうか。

「用がないと来てはダメなのか?」

 当たり前である。
 ここは遊び場ではないのだ。
 それなのに、この店の従業員でもないただの客のリジーが「そんなことないですぅ」なんて言うから、サーラは頭を抱えるしかなかった。
 とはいえ、つい先日、サーラが「買わないなら来ないでください」と告げたところ、ウォレスは来るたびにパンを大量に買っていってくれるようになったので、忌々しいが彼のおかげで売り上げが伸びているのも事実だ。

(毎回あんなにパンを買ってどうするのかしら)

 さすがに一人では食べきれまい。マルセルとブノアの三人でも食べきれないだろうから、使用人にでも配っているのだろうか。無駄にされていないといいなと思う。

「うちにはウォレス様のお口に合うほどのいいお茶は置いてありませんので、お茶が飲みたいならきちんとした店に入った方がいいのではと思っただけです」

 適当なことを返すと、ウォレスはにこりと微笑んで、手に持っていた小さな包みを差し出した。

「それなら今度からこれを使ってくれ。いつもお茶を出してもらって申し訳ないから、持って来たんだ」
(いや、それなら来ないでほしいんだけど)

 実に頓珍漢なことをしてくれる。
 ただ、高級茶は嬉しいには嬉しいので、素直に受け取っておくことにした。この口ぶりだと、ここに来るのを自重するつもりはなさそうだからだ。

「わたしにご用件がないのであれば、店番に戻るので、ウォレス様はここでリジーとゆっくりしていってください」

 帰れと言えばリジーが怒るので、体よくリジーに押し付けようとすると、ウォレスが有無を言わさぬ迫力のある笑顔を浮かべた。

「いや、ちょっと訊ねたいことがある」
「……なんでしょう」
「絶対に手紙の内容を第三者に見られることなく、手紙を送る相手とも直接接触せずに、手紙のやり取りをする場合、どうすればいいと思う?」
「なぞなぞですか?」
「至極真面目な質問だ」

 そうは思えないが、サーラはここで押し問答をするつもりはない。この場合、さっさと答えを用意してやるのが得策か。

(でもうちは相談屋ではないんだけど……)

 わざわざくだらないことを訊きに来ずとも、サーラ以外にも答えてくれそうな相手ならいくらでもいそうなものなのに、どうしてサーラに訊くのだろう。

「え~?」

 リジーが眉を八の字にしてうーんと唸っている。

「絶対、というのであれば無理ですよ」

 何事にも絶対はない。少なくともサーラはそう思っている。

「限りなく偽装や盗み見が難しい、というやり方なら構わないんだが」
「それならまあ、ないわけではないですね」
「あるの、サーラ?」

 リジーが大きな瞳を輝かせた。
 サーラははあ、と息を吐いた。

「さっきの倉庫の話と似てるよ」
「倉庫?」
「こっちの話です。ええっと、その方法ですよね。リジーの言ったことと似ていますが、南京錠がかけられる箱を用意すればできます」

 サーラは立ち上がると、カウンターの奥から使っていない南京錠を二つ持って来た。残念ながら箱はないが、口で説明すればわかるだろう。

「まず、南京錠がかけられる箱と、南京錠を二つ用意します。手紙のやり取りを、ウォレス様とリジーでするとしましょう。こちらの南京錠を仮に南京錠A、こちらを南京錠Bとします。ウォレス様が持つ鍵は、南京錠A、リジーは南京錠Bを持っています」

 サーラはウォレスとリジーにそれぞれ南京錠を渡した。

「ウォレス様は箱に手紙を入れて南京錠Aをかけ、リジーに送ります。南京錠Aの鍵はウォレス様が持ったままです。そしてリジーはそこに、南京錠Bをかけて返します。南京錠Bの鍵もリジーが持ったままです。リジーは南京錠Aの鍵は持っていないので、この時点で鍵は南京錠Aと南京錠Bの二つがかかっています。ここまではいいですか?」
「ああ……」
「うん……」

 返事はするものの、二人はよくわからないという顔になっている。
 サーラは構わず続けた。

「ウォレス様のもとに戻って来た箱は南京錠AとBの両方がかかっています。ウォレス様は南京錠Aを開錠して、南京錠Bだけにしてリジーに返します。リジーは南京錠Bの鍵を持っているので、鍵を開けて手紙を読むことができます。こうすれば、箱には常に鍵がかかっていることになって、誰かに読まれることはありません。今回は箱で説明しましたが、例えばどこかの部屋や倉庫などを使っても似たことができます」

 もっともこれは、抜け道がないわけではないので、絶対ではない。
 ウォレスが手紙を送る相手と接触せずにと言ったのでこのような回りくどい方法を取ったが、接触できるのならば、合鍵を持たせておけば一つの鍵でやり取りできる。あくまで相手と接触せずに、と言う条件下での方法だ。

(相手と接触せずに……、つまり、手紙の受け取り側を、送る側が知らない条件下での手紙でのやり取りってことだけど……、そんなスパイ同士の情報のやり取りみたいなことをする必要があるのかしら?)

 何やらきな臭い匂いがするが、自分の身の安全を考えるなら、ここは気づかないふりをしておくのが賢明だ。

「サーラ、じゃあ例の倉庫の鍵って!」
「鍵の数で何かしらの合図をしている可能性もあるし、もちろん今言ったのと同じような方法を使っている可能性もあるけど、さすがにわたしには理由はわかんないよ」
「そっかー」

 どちらにしても何かしらの秘密がありそうな倉庫なので、不用意に近づかない方がいいだろう。世の中には触れてはいけないものも存在する。

「その、倉庫の鍵って何なんだ?」

 ウォレスが蒸し返してきた。

「実はぁ~」

 ウォレスの問いに、サーラが止める間もなくリジーが嬉々として語り出してしまう。余計な情報をウォレスに持たせると、それを理由にサーラとの接触が増えそうな嫌な予感がするから黙っていてほしかったのだが、口に出してしまったものは元には戻らない。それに元をただせば、リジーが持って来た情報だ。諦めるよりほかはない。

「……へえ、そんな倉庫があるのか」

 興味を持ってしまったのか、ウォレスが考え込むように顎に手を当てる。
 そして、顔を上げると、多くの女性がぽーっとなるであろうとろけるような笑顔を浮かべた。

「見てみたいな。案内してくれる?」

 何故かサーラを見て言うが、サーラは件の倉庫の場所なんて知らない。

「リジーに案内してもらってください。わたしは店番があるので」

 断るとリジーが怒りそうなので、体よくリジーにその役目を押し付ける。
 ウォレスは一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに取り繕った笑顔を浮かべた。そして今あるだけのパンをすべて買うと告げ、あとから取りに来ると言うと、リジーを伴って店の外へ出て行く。

(リジー、バゲット買っていくの忘れてるけど…………)

 のぼせたような顔でウォレスと出て行ったリジーにため息を吐きつつ、あとで思い出して取りに来るだろうと、サーラは店に並べてあるすべてのパンを、せっせと袋詰めしていった。




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