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第一部 街角パン屋の訳あり娘
十七歳の誕生日 4
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てっきり馬車で来ているものと思ったが、今日は徒歩らしい。
ふらふらと歩き回りたい気分なんだ、とちょっと意味不明なことをウォレスは言う。
大量のパンを抱えているにも関われず、ふらつきもせずに歩くマルセルと、その横を手ぶらで悠然と歩くウォレスを見比べて、サーラはこの男の従者は大変だろうなとマルセルにちょっと同情した。
ウォレスが上級貴族だと仮定した場合、共もつけずにふらふらと歩き回られては、護衛はさぞ大変だろう。
(しかも護衛の両手がパンの袋で塞がっているんだけど、それはそれでいいのかしら?)
当の本人たちがいいのならばいいのかもしれないが、本来護衛とは、いち早く主の身を守れるように両手をあけておくものだ。
両手が塞がっていてもなお主を守る自信があるのか、それともウォレス自身にも武術の心得があるのかはわからないが、護衛はそういうものだと知っているサーラは違和感を持ってしまう。
ウォレスとマルセルの後をついて行くと、いつぞや訪れた貴族街に近いところの邸にたどり着いた。
前回殺風景だった庭は相変わらずだが、玄関を開けると花が活けてある。
「おかえりなさいませ」
前回は門番なのか執事なのかわからなかった五十代くらいの紳士が、今日はきっちりとした燕尾服を見にまとって出迎えた。
ほかの使用人は見当たらない。
ウォレスやマルセルが貴族であるのならばこの邸は別宅か何かであろうから、邸の中に生活感がなくても頷ける。
(……大量のパンの袋を抱えたマルセルさんを見ても平然としているなんて、この紳士、なかなかやるわね)
普通、驚くと思うのだが。
マルセルはパンの袋をどこかに置きに行って、代わりに紳士執事がサロンに案内してくれた。彼の名前はブノアと言うらしい。「以後お見知りおきを」と挨拶されたが、できれば「以後」は訪れないでほしいと思いながら、サーラはウォレスとともにサロンへ向かう。
サロンにも花が活けてあった。
赤いチューリップの花だ。
東の大陸と貿易で手に入れたというチューリップは、まだ非常に高価である。
リジーがたまたま貴族街に近いところの花屋で見かけたと言っていたが、チューリップの球根一つに金貨一枚の値がついていたらしい。
球根を買ってうまく増やしたら一攫千金だね、なんてリジーが笑っていたが、そうだとしても、南側の下町に住む人間が、金貨なんてすぐに用意できるはずがないので土台無理な話だ。
(一、二、三……五本か。これだけで、いくらするんだろう……)
球根と花の値段がイコールであるなら金貨五枚。相違があっても近い金額になるだろう。すぐに枯れてしまう花に金貨が出せる男は、いったいどれほどのお金持ちだろうか。
そんなことを思いながらチューリップを見つめていると、ウォレスはにこりと笑って、何でもないことのようにこう言った。
「その花が気に入ったならあげるよ。帰りに包ませよう」
「いえ、結構です。お気遣いなく」
こんな高級品を抱えて帰ったら目立って仕方がない。
それどころか、金持ちと間違えられて襲われでもしたら最悪だ。
サーラが断ると、ウォレスがむっと口を尖らせた。何故不機嫌になるんだと思いながら、サーラはさっさとこの場から退散するため、ここに連れて来られて要件を訊ねる。
「いったい何のご用でしょうか?」
「つれないな。用がなかったら会いに行ってはダメなのか?」
(当たり前でしょ⁉)
と心の中でツッコミを入れつつ、サーラは表情を取り繕う。
「わたしとウォレス様は、用がないのに会うような関係ではないでしょう?」
「なぜ? 友人に会うのに理由が必要か?」
(いつ友人になったの⁉)
ぴくっと眉が揺れそうになって、サーラが顔面の筋肉を総動員して表情をキープする。
いつの間に友人認定されていたのかは知らないが、サーラとしてはそんな迷惑な肩書は丁重にお返ししたい。
(そもそも、わたしは訊かれたことを答えただけで、親しくなった覚えはないんだけど!)
関わり合いになりたくない相手から友人認定されているのは非常に問題だ。
彼の理論で言えば、友人は用がなくとも会いに行ける存在らしい。それを否定はしないが、つまるところ、ウォレスがサーラを友人認定している限り、彼は用もないのにふらふらとサーラに会いに来るようになると言うことだ。
どうにかして友人の称号を返上する手立てはないかと考えていると、ブノアがお茶と茶菓子を載せたワゴンを押してサロンにやって来た。
いい香りのする紅茶と、香ばしく焼き上げられたパイがサロンのローテーブルの上に置かれる。
ウォレスに関わり合いにはなりたくないが、高級な紅茶が飲めるのはちょっと嬉しいと思ってしまった。
ブノアが去るのと入れ違いでマルセルがサロンに入ってきて、いつぞやと同じように扉の内側に立つ。
勧められたのでティーカップに口をつけると、ウォレスが無造作に硬貨を一枚ローテーブルの上に置いた。
ややくすんだ金色に光るそれを見て、サーラは首をひねる。
「これを知っているか?」
「……平民は金貨を目にすることなんてほどんとありませんが、存在は知っています」
サーラの答えがお気に召さなかったのだろう。
ウォレスはうーんと唸って、もう一枚金色の硬貨を置く。こちらはキラキラと金色に輝いている硬貨だ。
「手に取っていい。確認してくれ」
いったい何が知りたいのだろうと思いつつ、サーラはティーカップを置いて二枚の硬貨を確かめた。
ピカピカ光っている金貨はズシリと重く、もう一枚の方は軽く感じる。
大きさは同じだが、表面の模様も少し違って見えた。何より輝きが違う。
「……金を節約した新しい金貨でも作りたいんですか? そんなことをすれば金貨の価値自体が下がると思いますけど」
「そうじゃない。それは贋金なんだ」
「贋金?」
その単語を聞いた瞬間、サーラのひゅっと小さく息を呑んだ。
どくりどくりと心臓が徐々に早くなっていく。
呼吸が浅くなりそうなのを、何とか深呼吸することで落ち着かせて、サーラはゆっくりと目を閉じ、そして開く。
(……大丈夫、これは違う)
自分に何度も言い聞かせて、鼓動をおつつかせてから、サーラは改めて目の前の偽物の金貨に視線を落とした。
本物の金貨よりも軽くて輝きもいまいち。贋金にしても作りが雑すぎる。
「こんな粗悪な贋金を、いったい誰が作ったんですか?」
これほどの違いがあるのならば、贋金としてもまったく役に立たない気がする。見慣れた人間が見ればすぐに偽物だと気がつくからだ。
「作った人間はまだわからない。だが、それが何枚か市場に出回っているらしくてね」
「出回ったところで相手にはされないでしょう」
「確かに金貨を目にすることが多い人間にはそうだろうな」
「…………ああ」
なるほど、とサーラは頷いた。
確かに言う通りだ。
「金貨を目にする機会がない、もしくは極めて少ない人は、騙されるかもしれませんね」
ウォレスは、ニッと口端を持ち上げる。
「それで聞きたいんだが、その金貨を出されて、うっかり受け取ってしまいそうな店はどういうところか教えてほしいんだ」
「どういうところかと言われても……」
サーラは眉を寄せた。
「貴族街に近いところは無理でしょう。あそこはお金持ちが多いですし、高級な店も多いので金貨は見慣れていると思います。逆に下町の南門に近いところも無理です。金貨を出されても、金貨に対するおつりの用意がありませんから。うちの店も、金貨でパン一個なんて買い物をされたらおつりがないのでお断りします。ただ、歓楽街にある娼館は金貨が飛び交ってもおかしくありません。でも、見慣れているでしょうから騙されないと思います。金貨をあまり目にしなくて、でも万が一の時におつりを用意しているような店は限られるでしょうね。例えば……」
サーラは、なんとなく思いつく店を述べてみる。その中には、貴族の顧客も抱える菓子屋パレットもあった。
「このようにいくつかは思い浮かびますけど、そう何度も金貨で買い物に来る客は顔を覚えられますし、気づかれれば終わりなので、こんな粗悪な金貨で荒稼ぎはできない気がしますけどね。まあ、作ったのが平民なら、金貨十枚くらいは稼げるかもしれないので、充分な金額になるでしょうけど」
贋金をつかまされた店は大迷惑だろうが、ぱっと見でわかるほどの粗悪な贋金では、世間を大きく騒がせるような問題には発展しないと思う。少なくとも、貴族であろうウォレスが動くような事件ではないはずだ。
(というか、表情を見るに、わたしが言ったことなんてすでに考えていたみたいだけど、いったいこの人は何がしたいのかしら?)
自分の考えが間違っていないかを確かめるためにサーラは呼ばれたのだろうか。謎だ。
サーラが二枚の金貨をテーブルの上に置くと、ウォレスはにこりと笑う。
「よくわかった。ありがとう。……ところで」
用が終わったら帰りたいのだが、ウォレスの話はまだ続くらしい。
「さっきの男は誰だろう?」
「男?」
「ほら、一緒に歩いていただろう?」
「ああ、ルイスさんですか。誰かと聞かれても、今日はじめて会った相手なので詳しくは知らないですよ。老舗の家具屋の跡取り息子だとしかわかりません」
「どこで知り合ったんだ?」
「友人の菓子屋ですよ。リジーの両親の店です。リジーには会ったこと、あるでしょう?」
「…………ああ、あの子か」
若干間があったので、思い出すのに時間がかかったようだ。同じようにサーラのことも記憶のかなたに追いやってほしいものである。
「何の用事で菓子屋に行ったんだ?」
なんだろう。これは尋問会であろうか。
やけに根掘り葉掘り聞いてくるなと、サーラはそっとため息を吐いた。
「ケーキを買いに」
「ケーキが好きなのか?」
遠慮せずに食べるといい、とウォレスの手元に遭った茶請けのパイがサーラに差し出される。
(面倒くさいな……)
理由を答えなければ、パイを二個も食べさせられることになりそうだと、サーラは諦めて続けた。
「……誕生日なので」
「誰の?」
「わたしのですが」
ウォレスが目を丸くした。
「誕生日、なのか?」
「ええ。今日で十七になります。それが何か?」
「……そうか、十七、か。誕生日なのか……。そうか……」
どこか落ち着かなげに、ウォレスが視線を動かす。
「できればもっと早くに教えてほしかったものだが……」
(何を? 今日誕生日だって?)
そんなことを聞いてどうすると言うのだろう。そもそも、会う予定もなかったし、会うつもりもなかった。もう二度と会わないだろうし会いたくないと思っていた相手に、わざわざ自分の誕生日を伝えるはずがなかろう。
ちらりとウォレスが目配せをすると、マルセルが静かに部屋の外へ出て行く。
ウォレスは艶やかな黒髪をがしがしとかきながら続けた。
「それで……、ルイスと言う男と今日知り合って、なぜ一緒に歩いていたんだ」
またルイスの話に戻るのか。
ルイスの何が気になるのだろう。
「何故かついてきたんです。どうやら多少なりとも好意を持たれたようですね」
「好意だと? そう言われたのか?」
「言われてませんけど、見ていたらなんとなく。……どうやら彼は珍しいタイプの男性のようで」
「珍しい?」
サーラはちらりと自分の胸元を見下ろす。
ウォレスもつられた様にサーラの胸に視線を向けて、首をひねる。
「何が珍しいんだ?」
「わかんないならいいです」
(言いたくないし)
ウォレスはますます不可解そうな顔をしたが、ごほんと一つ咳ばらいをすると、気を取り直したように続けた。
「そ、それで、その好意はどうするんだ? 受け入れるのか?」
「なぜですか?」
「い、いや……、十七であれば、そろそろ年頃だろう?」
結婚の、ということか。
そんな個人的な話をウォレスにする必要があるだろうかと思いながら、サーラは息を吐き出した。
「今のところ、結婚するつもりはありませんから」
(というか、結婚できないからね……)
サーラにはサーラの事情がある。
それをウォレスに語ることはできないし、語りたくもない。
「そうか……」
なにが「そうか」なのかもわからない。
以前会った時も思ったが、ウォレスは変な男だ。
「つまり、ええっと、誕生日に一緒に過ごす相手は、いないのだな?」
「います」
「え?」
「毎年家族と過ごすので。……そろそろ日も暮れますし、家族が待っているので帰りたいんですが、用件は以上でしょうか?」
ウォレスが目を見開いて固まった。
どこに驚く要素があったろうと思いながら、「待て」と言われないのでサーラは立ち上がる。
止められると面倒なのでさっさと退散しようと「失礼します」と頭を下げたとき、先ほど部屋を出て行ったマルセルが戻って来た。
何故か、手には巨大な花束を抱いている。
ウォレスが慌てたように立ち上がり、マルセルから花束を受け取った。
「誕生日なのだろう。これをやろう」
差し出された花束を見て、サーラは逡巡する。見るからに巨大な花束は、重たそうだ。
「……ありがとう、ございます」
せめて半分くらいの大きさならばいいのにと思って受け取ったサーラは、バラやユリに交じってチューリップも入っていることに気がついてぎくりとしたが、受け取った手前、突き返せないだろう。
「送ろう」
というウォレスの申し出を丁重に断って、サーラは玄関へ向かう。
玄関に飾られていた花がなくなっていることに気がついたサーラは、なるほどこの花束になった花はそこにあったものかと、変な納得をした。
ふらふらと歩き回りたい気分なんだ、とちょっと意味不明なことをウォレスは言う。
大量のパンを抱えているにも関われず、ふらつきもせずに歩くマルセルと、その横を手ぶらで悠然と歩くウォレスを見比べて、サーラはこの男の従者は大変だろうなとマルセルにちょっと同情した。
ウォレスが上級貴族だと仮定した場合、共もつけずにふらふらと歩き回られては、護衛はさぞ大変だろう。
(しかも護衛の両手がパンの袋で塞がっているんだけど、それはそれでいいのかしら?)
当の本人たちがいいのならばいいのかもしれないが、本来護衛とは、いち早く主の身を守れるように両手をあけておくものだ。
両手が塞がっていてもなお主を守る自信があるのか、それともウォレス自身にも武術の心得があるのかはわからないが、護衛はそういうものだと知っているサーラは違和感を持ってしまう。
ウォレスとマルセルの後をついて行くと、いつぞや訪れた貴族街に近いところの邸にたどり着いた。
前回殺風景だった庭は相変わらずだが、玄関を開けると花が活けてある。
「おかえりなさいませ」
前回は門番なのか執事なのかわからなかった五十代くらいの紳士が、今日はきっちりとした燕尾服を見にまとって出迎えた。
ほかの使用人は見当たらない。
ウォレスやマルセルが貴族であるのならばこの邸は別宅か何かであろうから、邸の中に生活感がなくても頷ける。
(……大量のパンの袋を抱えたマルセルさんを見ても平然としているなんて、この紳士、なかなかやるわね)
普通、驚くと思うのだが。
マルセルはパンの袋をどこかに置きに行って、代わりに紳士執事がサロンに案内してくれた。彼の名前はブノアと言うらしい。「以後お見知りおきを」と挨拶されたが、できれば「以後」は訪れないでほしいと思いながら、サーラはウォレスとともにサロンへ向かう。
サロンにも花が活けてあった。
赤いチューリップの花だ。
東の大陸と貿易で手に入れたというチューリップは、まだ非常に高価である。
リジーがたまたま貴族街に近いところの花屋で見かけたと言っていたが、チューリップの球根一つに金貨一枚の値がついていたらしい。
球根を買ってうまく増やしたら一攫千金だね、なんてリジーが笑っていたが、そうだとしても、南側の下町に住む人間が、金貨なんてすぐに用意できるはずがないので土台無理な話だ。
(一、二、三……五本か。これだけで、いくらするんだろう……)
球根と花の値段がイコールであるなら金貨五枚。相違があっても近い金額になるだろう。すぐに枯れてしまう花に金貨が出せる男は、いったいどれほどのお金持ちだろうか。
そんなことを思いながらチューリップを見つめていると、ウォレスはにこりと笑って、何でもないことのようにこう言った。
「その花が気に入ったならあげるよ。帰りに包ませよう」
「いえ、結構です。お気遣いなく」
こんな高級品を抱えて帰ったら目立って仕方がない。
それどころか、金持ちと間違えられて襲われでもしたら最悪だ。
サーラが断ると、ウォレスがむっと口を尖らせた。何故不機嫌になるんだと思いながら、サーラはさっさとこの場から退散するため、ここに連れて来られて要件を訊ねる。
「いったい何のご用でしょうか?」
「つれないな。用がなかったら会いに行ってはダメなのか?」
(当たり前でしょ⁉)
と心の中でツッコミを入れつつ、サーラは表情を取り繕う。
「わたしとウォレス様は、用がないのに会うような関係ではないでしょう?」
「なぜ? 友人に会うのに理由が必要か?」
(いつ友人になったの⁉)
ぴくっと眉が揺れそうになって、サーラが顔面の筋肉を総動員して表情をキープする。
いつの間に友人認定されていたのかは知らないが、サーラとしてはそんな迷惑な肩書は丁重にお返ししたい。
(そもそも、わたしは訊かれたことを答えただけで、親しくなった覚えはないんだけど!)
関わり合いになりたくない相手から友人認定されているのは非常に問題だ。
彼の理論で言えば、友人は用がなくとも会いに行ける存在らしい。それを否定はしないが、つまるところ、ウォレスがサーラを友人認定している限り、彼は用もないのにふらふらとサーラに会いに来るようになると言うことだ。
どうにかして友人の称号を返上する手立てはないかと考えていると、ブノアがお茶と茶菓子を載せたワゴンを押してサロンにやって来た。
いい香りのする紅茶と、香ばしく焼き上げられたパイがサロンのローテーブルの上に置かれる。
ウォレスに関わり合いにはなりたくないが、高級な紅茶が飲めるのはちょっと嬉しいと思ってしまった。
ブノアが去るのと入れ違いでマルセルがサロンに入ってきて、いつぞやと同じように扉の内側に立つ。
勧められたのでティーカップに口をつけると、ウォレスが無造作に硬貨を一枚ローテーブルの上に置いた。
ややくすんだ金色に光るそれを見て、サーラは首をひねる。
「これを知っているか?」
「……平民は金貨を目にすることなんてほどんとありませんが、存在は知っています」
サーラの答えがお気に召さなかったのだろう。
ウォレスはうーんと唸って、もう一枚金色の硬貨を置く。こちらはキラキラと金色に輝いている硬貨だ。
「手に取っていい。確認してくれ」
いったい何が知りたいのだろうと思いつつ、サーラはティーカップを置いて二枚の硬貨を確かめた。
ピカピカ光っている金貨はズシリと重く、もう一枚の方は軽く感じる。
大きさは同じだが、表面の模様も少し違って見えた。何より輝きが違う。
「……金を節約した新しい金貨でも作りたいんですか? そんなことをすれば金貨の価値自体が下がると思いますけど」
「そうじゃない。それは贋金なんだ」
「贋金?」
その単語を聞いた瞬間、サーラのひゅっと小さく息を呑んだ。
どくりどくりと心臓が徐々に早くなっていく。
呼吸が浅くなりそうなのを、何とか深呼吸することで落ち着かせて、サーラはゆっくりと目を閉じ、そして開く。
(……大丈夫、これは違う)
自分に何度も言い聞かせて、鼓動をおつつかせてから、サーラは改めて目の前の偽物の金貨に視線を落とした。
本物の金貨よりも軽くて輝きもいまいち。贋金にしても作りが雑すぎる。
「こんな粗悪な贋金を、いったい誰が作ったんですか?」
これほどの違いがあるのならば、贋金としてもまったく役に立たない気がする。見慣れた人間が見ればすぐに偽物だと気がつくからだ。
「作った人間はまだわからない。だが、それが何枚か市場に出回っているらしくてね」
「出回ったところで相手にはされないでしょう」
「確かに金貨を目にすることが多い人間にはそうだろうな」
「…………ああ」
なるほど、とサーラは頷いた。
確かに言う通りだ。
「金貨を目にする機会がない、もしくは極めて少ない人は、騙されるかもしれませんね」
ウォレスは、ニッと口端を持ち上げる。
「それで聞きたいんだが、その金貨を出されて、うっかり受け取ってしまいそうな店はどういうところか教えてほしいんだ」
「どういうところかと言われても……」
サーラは眉を寄せた。
「貴族街に近いところは無理でしょう。あそこはお金持ちが多いですし、高級な店も多いので金貨は見慣れていると思います。逆に下町の南門に近いところも無理です。金貨を出されても、金貨に対するおつりの用意がありませんから。うちの店も、金貨でパン一個なんて買い物をされたらおつりがないのでお断りします。ただ、歓楽街にある娼館は金貨が飛び交ってもおかしくありません。でも、見慣れているでしょうから騙されないと思います。金貨をあまり目にしなくて、でも万が一の時におつりを用意しているような店は限られるでしょうね。例えば……」
サーラは、なんとなく思いつく店を述べてみる。その中には、貴族の顧客も抱える菓子屋パレットもあった。
「このようにいくつかは思い浮かびますけど、そう何度も金貨で買い物に来る客は顔を覚えられますし、気づかれれば終わりなので、こんな粗悪な金貨で荒稼ぎはできない気がしますけどね。まあ、作ったのが平民なら、金貨十枚くらいは稼げるかもしれないので、充分な金額になるでしょうけど」
贋金をつかまされた店は大迷惑だろうが、ぱっと見でわかるほどの粗悪な贋金では、世間を大きく騒がせるような問題には発展しないと思う。少なくとも、貴族であろうウォレスが動くような事件ではないはずだ。
(というか、表情を見るに、わたしが言ったことなんてすでに考えていたみたいだけど、いったいこの人は何がしたいのかしら?)
自分の考えが間違っていないかを確かめるためにサーラは呼ばれたのだろうか。謎だ。
サーラが二枚の金貨をテーブルの上に置くと、ウォレスはにこりと笑う。
「よくわかった。ありがとう。……ところで」
用が終わったら帰りたいのだが、ウォレスの話はまだ続くらしい。
「さっきの男は誰だろう?」
「男?」
「ほら、一緒に歩いていただろう?」
「ああ、ルイスさんですか。誰かと聞かれても、今日はじめて会った相手なので詳しくは知らないですよ。老舗の家具屋の跡取り息子だとしかわかりません」
「どこで知り合ったんだ?」
「友人の菓子屋ですよ。リジーの両親の店です。リジーには会ったこと、あるでしょう?」
「…………ああ、あの子か」
若干間があったので、思い出すのに時間がかかったようだ。同じようにサーラのことも記憶のかなたに追いやってほしいものである。
「何の用事で菓子屋に行ったんだ?」
なんだろう。これは尋問会であろうか。
やけに根掘り葉掘り聞いてくるなと、サーラはそっとため息を吐いた。
「ケーキを買いに」
「ケーキが好きなのか?」
遠慮せずに食べるといい、とウォレスの手元に遭った茶請けのパイがサーラに差し出される。
(面倒くさいな……)
理由を答えなければ、パイを二個も食べさせられることになりそうだと、サーラは諦めて続けた。
「……誕生日なので」
「誰の?」
「わたしのですが」
ウォレスが目を丸くした。
「誕生日、なのか?」
「ええ。今日で十七になります。それが何か?」
「……そうか、十七、か。誕生日なのか……。そうか……」
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「できればもっと早くに教えてほしかったものだが……」
(何を? 今日誕生日だって?)
そんなことを聞いてどうすると言うのだろう。そもそも、会う予定もなかったし、会うつもりもなかった。もう二度と会わないだろうし会いたくないと思っていた相手に、わざわざ自分の誕生日を伝えるはずがなかろう。
ちらりとウォレスが目配せをすると、マルセルが静かに部屋の外へ出て行く。
ウォレスは艶やかな黒髪をがしがしとかきながら続けた。
「それで……、ルイスと言う男と今日知り合って、なぜ一緒に歩いていたんだ」
またルイスの話に戻るのか。
ルイスの何が気になるのだろう。
「何故かついてきたんです。どうやら多少なりとも好意を持たれたようですね」
「好意だと? そう言われたのか?」
「言われてませんけど、見ていたらなんとなく。……どうやら彼は珍しいタイプの男性のようで」
「珍しい?」
サーラはちらりと自分の胸元を見下ろす。
ウォレスもつられた様にサーラの胸に視線を向けて、首をひねる。
「何が珍しいんだ?」
「わかんないならいいです」
(言いたくないし)
ウォレスはますます不可解そうな顔をしたが、ごほんと一つ咳ばらいをすると、気を取り直したように続けた。
「そ、それで、その好意はどうするんだ? 受け入れるのか?」
「なぜですか?」
「い、いや……、十七であれば、そろそろ年頃だろう?」
結婚の、ということか。
そんな個人的な話をウォレスにする必要があるだろうかと思いながら、サーラは息を吐き出した。
「今のところ、結婚するつもりはありませんから」
(というか、結婚できないからね……)
サーラにはサーラの事情がある。
それをウォレスに語ることはできないし、語りたくもない。
「そうか……」
なにが「そうか」なのかもわからない。
以前会った時も思ったが、ウォレスは変な男だ。
「つまり、ええっと、誕生日に一緒に過ごす相手は、いないのだな?」
「います」
「え?」
「毎年家族と過ごすので。……そろそろ日も暮れますし、家族が待っているので帰りたいんですが、用件は以上でしょうか?」
ウォレスが目を見開いて固まった。
どこに驚く要素があったろうと思いながら、「待て」と言われないのでサーラは立ち上がる。
止められると面倒なのでさっさと退散しようと「失礼します」と頭を下げたとき、先ほど部屋を出て行ったマルセルが戻って来た。
何故か、手には巨大な花束を抱いている。
ウォレスが慌てたように立ち上がり、マルセルから花束を受け取った。
「誕生日なのだろう。これをやろう」
差し出された花束を見て、サーラは逡巡する。見るからに巨大な花束は、重たそうだ。
「……ありがとう、ございます」
せめて半分くらいの大きさならばいいのにと思って受け取ったサーラは、バラやユリに交じってチューリップも入っていることに気がついてぎくりとしたが、受け取った手前、突き返せないだろう。
「送ろう」
というウォレスの申し出を丁重に断って、サーラは玄関へ向かう。
玄関に飾られていた花がなくなっていることに気がついたサーラは、なるほどこの花束になった花はそこにあったものかと、変な納得をした。
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どうにか、仕事を探し出したものの、聖女に嫌われた娘として、亜優は魔物が闊歩するという森に捨てられてしまった。そこで出会った人に助けられて、亜優は安全な場所に帰る。
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