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透明人間になったわたしと、わたしに興味がない(はずの)夫の奇妙な三か月間
見えない…… 1
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三日間の滞在を終えて、リアーヌは帰っていった。
今度は社交シーズンがはじまるころに来るそうだ。
「嵐が去ったような気分だ」
ルクレールは、何事もなくリアーヌの訪問を終えたことに安堵しているようである。
リアーヌが帰って数日。
マルジョリー・アビットソン子爵夫人からお茶会の招待状が到着したのは、リアーヌが来る前の生活のリズムに戻って少しした頃のことだった。
「お茶会か……」
招待状を手に、ルクレールは難しい顔をした。
お茶会の日時は二週間後だ。当然オレリアはまだ透明なままだろうから、参加はできない。
――お断りするしかないですね。
オレリアが日記帳に書くと、ルクレールは頷いたが、渋面は崩さなかった。
――何か気になることでも?
「気になるというか……、前にもお茶会を断っただろう? だからね」
そういえば、オレリアが透明になって二週間ほどした時にも、マルジョリーからお茶会の招待状が届いていた。
マルジョリーはお茶会好きで、頻繁にアビットソン子爵家でお茶会を開いている。
おしゃべりが大好きな性格なので、集まってわいわいと騒ぎたいのだろう。
(お茶会を断り続けるのはあんまりよろしくないわよね)
お茶会は、いわば女性の社交場だ。派閥とかグループとかややこしい問題はどうも苦手だが、貴族であるからには避けては通れない。
アビットソン子爵はルクレールとも仲がいいし、子爵の父親のベルジェール公爵は政界でもトップの方にいる人物なので、子爵夫人であるマルジョリーとはオレリアも仲良くしておかなくてはならないのである。
――断り続けるのも感じが悪いですよね。
「ああ。かといって、出席はできないから仕方がないんだが……」
――帰省中ということにしましょうか?
「そういうわかりやすい嘘はすぐにばれるよ」
――だったら、病気、ということにしておきましょう。
「それしかないか。わかった。オレリアは病気だからと、俺が代筆して返事を出しておこう。そうすれば変に疑われないだろうし」
――お願いします。
病気で返事も書けない、と演出しておけば、お茶会に出席できなくても仕方がないと思ってくれるだろう。
マルジョリーには、オレリアが元に戻った後で改めて詫びに行けばいい。
オレリアもルクレールも、まさかこの返信が、のちにちょっとした騒動を巻き起こす原因になるとは思いもしなかった。
☆
仕事で外出していたルクレールが帰ってきたのは夕方のことだった。
玄関にルクレールを出迎えに行ったオレリアは、ルクレールの顔を見て首をひねった。
ルクレールが機嫌の悪そうな顔をしていたからだ。
オレリアがベルを持って玄関に向かったから、宙に浮かんでいるそれで気がついたルクレールが途端に表情を緩める。
「ただいま、オレリア」
「お帰りなさいませ、ルクレール様」
手元に日記帳がないので、オレリアはチリンとベルを鳴らした。
ちょうど夕食の時間に近いので、ルクレールとそのままダイニングへ向かう。
夕食の準備が整うまでの間、ボリスがお茶を入れてくれた。
ジョゼが素早く日記帳とペンとインクをダイニングテーブルの上に置いてくれる。
――お疲れのようですが大丈夫ですか?
機嫌が悪そうだなどとは書けないので、そのように書いてルクレールに見せると、彼は苦笑に近い笑みを浮かべた。
「ありがとう、大丈夫だよ。……ただ」
(ただ?)
やはり何かがあったらしい。
(今日はベルジェール公爵家に行っていたのよね? 領地の報告で)
コデルリエ伯爵領はベルジェール公爵領内にある。ベルジェール公爵家から一部の土地を領地として任されている状態だ。そのため、領内の状況を定期的に公爵に報告する義務があり、普段の報告は書類で事足りるのだが、今日は公爵領内に領地を持つほかの貴族たちも集まっての定例報告会のため公爵のタウンハウスに赴いていたのである。
――報告会で何かあったんですか?
「あ……いや、報告会というか……」
ルクレールははあとため息をついた。
「隠すようなことではないから言うが、その、俺と君の結婚生活について、よくない噂が流れているらしい」
――よくない噂?
「ああ。端的に言うと、別居中とか、離婚間近とか、そういった類のものだ」
「え⁉」
オレリアはペンを取り落とした。
カランとテーブルの上に転がったペンを見て、ルクレールが眉尻を下げる。
「もちろん否定しておいた。だが……その、この一か月と少しの間、君の姿を見ないと言われて」
(それはそうよね。だって透明なんだもの)
透明になってからは、一度占い師のもとに出かけた以外で外に出てはいないし、出たところで誰にも気づかれない。
「貴族というのは噂好きだろう? うちに出入りしている行商から一か月以上もオレリアの姿を見ていないと聞いた人間がいたそうだ。それに加えて、アビットソン子爵夫人のお茶会も二回続けて断ったから、妙な勘繰りをする人間がではじめたらしい」
(たった一か月で?)
確かに、オレリアは邸に行商が訪れたときには顔を出していた。細々としたものを頼んだりするからだ。けれども、透明になってからはジョゼにお願いしていた。会ったところで相手には見えないからである。
普段顔を見せる夫人が現れなくなったことで、行商は変に思ったのかもしれない。
(だからって口が軽すぎよ!)
人の家の事情をよそで話すなんて行商失格だと思う。まあ、人間なので、うっかり口を滑らせたということもあるとは思うが。
「俺は、オレリアは病気だと言ったんだが、噂のせいで信じてはもらえなかったみたいだ。……俺たちは、もともと二人で出かけることが少なかったから、仲のいい夫婦だとは思われていなかったみたいだし」
(それはまあ……)
社交シーズンで、どうしても夫婦で出席しなければならないパーティー以外でルクレールと一緒に出掛けたためしはない。さらに言えば、義父が倒れた後はそれを理由にパーティーを断り、亡くなってからは喪中と言って断ってきたので、思い返す限り、この二年で二人で出席したパーティーは三回くらいではないだろうか。さすがに少ない。
それに、仲のいい夫婦でなかったのは事実だ。
仲が悪いというよりは、隙間風がびゅーびゅー吹いていたというか――夫に関心を持ってもらえなかったのだが。
ルクレールが二年もオレリアを避け続けた理由は、先日リアーヌから聞いて知ったので今では仕方がなかったのだと理解している。
「オレリアが元に戻れば落ち着くと思うが……こういう噂は気分のいいものではないな」
――そうですね……。わたしのせいで、ごめんなさい。
「いや、オレリアが悪いんじゃない」
ルクレールはそう言うが、オレリアが占いの店に入ったせいで起こった現象だ。
オレリアはしょんぼりと肩を落とした。
「気にしないでくれ。ほら、人の噂も七十五日というだろう? そのうち収まるはずだし……。そうだ、君が元に戻ったら、二人でどこかへ出かけないか。買い物でも、観劇でもいい。連れ立って歩いていたら、不仲だなんて言う噂はすぐに消えてなくなるさ」
それはつまり、オレリアが透明でなくなっても今まで通りの距離感でいてくれるということだろうか。
オレリアは驚いて目を丸くしたが、もちろんそんなオレリアの様子が見えないルクレールは、オレリアを励まそうとするように続けた。
「シーズンになったらパーティーに出席するのもいいな。喪も明けたことだし、今まではあまり行かなかったが、これを機に顔を出すようにしよう。あちこちに一緒に出掛けていれば、別居中だとか離婚する予定だとか妙な勘繰りをする人間はいなくなるはずだ」
(いいの?)
「元はと言えば、これまで俺が君と一緒に出掛けなかったのが悪いんだ。これからはいろんな所へ行こう。そうしよう」
これから。
ルクレールの口から出たその単語に、オレリアの心がぎゅっとしめつけられそうになった。
これからと言ったということは、ルクレールは、オレリアが元に戻ったあとも一緒にいてくれるということだ。透明になる前の、会話もない関係に戻らないということだ。
オレリアは震える手で、日記帳に文字を刻む。
――嬉しいです……。
オレリアはぐすんと小さく鼻を鳴らして、そして微笑んだ。
今度は社交シーズンがはじまるころに来るそうだ。
「嵐が去ったような気分だ」
ルクレールは、何事もなくリアーヌの訪問を終えたことに安堵しているようである。
リアーヌが帰って数日。
マルジョリー・アビットソン子爵夫人からお茶会の招待状が到着したのは、リアーヌが来る前の生活のリズムに戻って少しした頃のことだった。
「お茶会か……」
招待状を手に、ルクレールは難しい顔をした。
お茶会の日時は二週間後だ。当然オレリアはまだ透明なままだろうから、参加はできない。
――お断りするしかないですね。
オレリアが日記帳に書くと、ルクレールは頷いたが、渋面は崩さなかった。
――何か気になることでも?
「気になるというか……、前にもお茶会を断っただろう? だからね」
そういえば、オレリアが透明になって二週間ほどした時にも、マルジョリーからお茶会の招待状が届いていた。
マルジョリーはお茶会好きで、頻繁にアビットソン子爵家でお茶会を開いている。
おしゃべりが大好きな性格なので、集まってわいわいと騒ぎたいのだろう。
(お茶会を断り続けるのはあんまりよろしくないわよね)
お茶会は、いわば女性の社交場だ。派閥とかグループとかややこしい問題はどうも苦手だが、貴族であるからには避けては通れない。
アビットソン子爵はルクレールとも仲がいいし、子爵の父親のベルジェール公爵は政界でもトップの方にいる人物なので、子爵夫人であるマルジョリーとはオレリアも仲良くしておかなくてはならないのである。
――断り続けるのも感じが悪いですよね。
「ああ。かといって、出席はできないから仕方がないんだが……」
――帰省中ということにしましょうか?
「そういうわかりやすい嘘はすぐにばれるよ」
――だったら、病気、ということにしておきましょう。
「それしかないか。わかった。オレリアは病気だからと、俺が代筆して返事を出しておこう。そうすれば変に疑われないだろうし」
――お願いします。
病気で返事も書けない、と演出しておけば、お茶会に出席できなくても仕方がないと思ってくれるだろう。
マルジョリーには、オレリアが元に戻った後で改めて詫びに行けばいい。
オレリアもルクレールも、まさかこの返信が、のちにちょっとした騒動を巻き起こす原因になるとは思いもしなかった。
☆
仕事で外出していたルクレールが帰ってきたのは夕方のことだった。
玄関にルクレールを出迎えに行ったオレリアは、ルクレールの顔を見て首をひねった。
ルクレールが機嫌の悪そうな顔をしていたからだ。
オレリアがベルを持って玄関に向かったから、宙に浮かんでいるそれで気がついたルクレールが途端に表情を緩める。
「ただいま、オレリア」
「お帰りなさいませ、ルクレール様」
手元に日記帳がないので、オレリアはチリンとベルを鳴らした。
ちょうど夕食の時間に近いので、ルクレールとそのままダイニングへ向かう。
夕食の準備が整うまでの間、ボリスがお茶を入れてくれた。
ジョゼが素早く日記帳とペンとインクをダイニングテーブルの上に置いてくれる。
――お疲れのようですが大丈夫ですか?
機嫌が悪そうだなどとは書けないので、そのように書いてルクレールに見せると、彼は苦笑に近い笑みを浮かべた。
「ありがとう、大丈夫だよ。……ただ」
(ただ?)
やはり何かがあったらしい。
(今日はベルジェール公爵家に行っていたのよね? 領地の報告で)
コデルリエ伯爵領はベルジェール公爵領内にある。ベルジェール公爵家から一部の土地を領地として任されている状態だ。そのため、領内の状況を定期的に公爵に報告する義務があり、普段の報告は書類で事足りるのだが、今日は公爵領内に領地を持つほかの貴族たちも集まっての定例報告会のため公爵のタウンハウスに赴いていたのである。
――報告会で何かあったんですか?
「あ……いや、報告会というか……」
ルクレールははあとため息をついた。
「隠すようなことではないから言うが、その、俺と君の結婚生活について、よくない噂が流れているらしい」
――よくない噂?
「ああ。端的に言うと、別居中とか、離婚間近とか、そういった類のものだ」
「え⁉」
オレリアはペンを取り落とした。
カランとテーブルの上に転がったペンを見て、ルクレールが眉尻を下げる。
「もちろん否定しておいた。だが……その、この一か月と少しの間、君の姿を見ないと言われて」
(それはそうよね。だって透明なんだもの)
透明になってからは、一度占い師のもとに出かけた以外で外に出てはいないし、出たところで誰にも気づかれない。
「貴族というのは噂好きだろう? うちに出入りしている行商から一か月以上もオレリアの姿を見ていないと聞いた人間がいたそうだ。それに加えて、アビットソン子爵夫人のお茶会も二回続けて断ったから、妙な勘繰りをする人間がではじめたらしい」
(たった一か月で?)
確かに、オレリアは邸に行商が訪れたときには顔を出していた。細々としたものを頼んだりするからだ。けれども、透明になってからはジョゼにお願いしていた。会ったところで相手には見えないからである。
普段顔を見せる夫人が現れなくなったことで、行商は変に思ったのかもしれない。
(だからって口が軽すぎよ!)
人の家の事情をよそで話すなんて行商失格だと思う。まあ、人間なので、うっかり口を滑らせたということもあるとは思うが。
「俺は、オレリアは病気だと言ったんだが、噂のせいで信じてはもらえなかったみたいだ。……俺たちは、もともと二人で出かけることが少なかったから、仲のいい夫婦だとは思われていなかったみたいだし」
(それはまあ……)
社交シーズンで、どうしても夫婦で出席しなければならないパーティー以外でルクレールと一緒に出掛けたためしはない。さらに言えば、義父が倒れた後はそれを理由にパーティーを断り、亡くなってからは喪中と言って断ってきたので、思い返す限り、この二年で二人で出席したパーティーは三回くらいではないだろうか。さすがに少ない。
それに、仲のいい夫婦でなかったのは事実だ。
仲が悪いというよりは、隙間風がびゅーびゅー吹いていたというか――夫に関心を持ってもらえなかったのだが。
ルクレールが二年もオレリアを避け続けた理由は、先日リアーヌから聞いて知ったので今では仕方がなかったのだと理解している。
「オレリアが元に戻れば落ち着くと思うが……こういう噂は気分のいいものではないな」
――そうですね……。わたしのせいで、ごめんなさい。
「いや、オレリアが悪いんじゃない」
ルクレールはそう言うが、オレリアが占いの店に入ったせいで起こった現象だ。
オレリアはしょんぼりと肩を落とした。
「気にしないでくれ。ほら、人の噂も七十五日というだろう? そのうち収まるはずだし……。そうだ、君が元に戻ったら、二人でどこかへ出かけないか。買い物でも、観劇でもいい。連れ立って歩いていたら、不仲だなんて言う噂はすぐに消えてなくなるさ」
それはつまり、オレリアが透明でなくなっても今まで通りの距離感でいてくれるということだろうか。
オレリアは驚いて目を丸くしたが、もちろんそんなオレリアの様子が見えないルクレールは、オレリアを励まそうとするように続けた。
「シーズンになったらパーティーに出席するのもいいな。喪も明けたことだし、今まではあまり行かなかったが、これを機に顔を出すようにしよう。あちこちに一緒に出掛けていれば、別居中だとか離婚する予定だとか妙な勘繰りをする人間はいなくなるはずだ」
(いいの?)
「元はと言えば、これまで俺が君と一緒に出掛けなかったのが悪いんだ。これからはいろんな所へ行こう。そうしよう」
これから。
ルクレールの口から出たその単語に、オレリアの心がぎゅっとしめつけられそうになった。
これからと言ったということは、ルクレールは、オレリアが元に戻ったあとも一緒にいてくれるということだ。透明になる前の、会話もない関係に戻らないということだ。
オレリアは震える手で、日記帳に文字を刻む。
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