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透明人間になったわたしと、わたしに興味がない(はずの)夫の奇妙な三か月間
消えたオレリア 1
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夕食後、お風呂に入った後で、オレリアは窓辺に立って指輪を月明かりにかざしていた。
銀色の中にクリームをちょっとだけ落としたような優しい月光が、灯りを落とした部屋の中に降り注いでいる。
寝支度を整えてくれたジョゼは下がったので、寝室にはオレリアただ一人だ。
ルクレールはまだ仕事をしているのだろうか。
ルクレールの書斎に灯りが灯っているのが見える。
爵位を継いだばかりの頃よりは落ち着いたが、やはりまともに引継ぎをする時間もなく義父が他界したせいで負担が大きいのだろう。
オレリアの前で疲れた顔は見せないが、この一年、ほとんど休みもなく仕事をし続けているルクレールには相当な疲労がたまっているのではなかろうか。
心配だが、オレリアが大丈夫かと訊ねたところで、彼は本当のことは言わないだろう。
大丈夫ですかと訊いても、おそらく「ああ」としか返ってこない。
これが噂のルクレールの元恋人ならば違ったのだろうか。
考えたって仕方がないのに、ふとそんな自虐的な思いが脳裏をよぎる。
(起きていると変なことばかり考えてしまうから、早く寝たほうがいいわね)
先ほどから指輪を月の光にかざしているし、もう充分だろう。
オレリアは占い師に言われた通りに指輪を左手の中指にはめて、そしてベッドにもぐりこんだ。
☆
翌朝、オレリアは妙な騒々しさに目を覚ました。
(あ、寝過ごしちゃったのかしら……)
カーテンが明けられた窓から入り込む日差しを見て、オレリアは起き上がる。
いつもならもう少し早い時間にジョゼが起こしに来ているはずだ。
もしかしてジョゼも寝坊したのかしらと少しおかしくなって、オレリアはベッドから降りると続きのバスルームへ向かおうとして、慌ただしい足音に立ち止まった。
足音はこちらに向かってきているようだが、珍しいこともあるものだ。
コデルリエ家の使用人はみんな静かで、足音を大きく立てて歩き回ったりしないのである。
これが実家のアントワーヌ伯爵家ならば、古参のメイドなんかがバタバタと歩き回っていて騒々しいのだが、コデルリエ家は義父が厳しい人だったようで、そのあたりはきちんとしている。
(何か問題でもあったのかしら?)
不安を覚えたとき、本来は部屋の主に断りなく開かれない扉が、バタン! と大きな音を立てて開いて、オレリアはびっくりして飛び上がった。
「ボリス! それからジョゼも、いったいどうしたの?」
驚きのあまり大声をあげてしまったが、オレリアの問いかけに二人は答えない。
それどころかボリスもジョゼも青ざめた顔をして、まるで示し合わせたかのように部屋の中を探りはじめた。
「ちょ、ちょっと! 二人とも何をしているの⁉ どうしちゃったの⁉」
クローゼットに頭を突っ込むジョゼに、床に這ってベッドの下を確認しはじめたボリス。
二人はそのままバスルームに行き、続き部屋の控室へ行き、それから戻ってきて今度は何故か本棚の裏を確認して、そして叫んだ。
「奥様はどこに行ったんだ⁉」
「だから朝起こしに来たときにはもういらっしゃらなかったんです‼」
オレリアは、二人の言うことがすぐに理解できなかった。
(奥様? お義母様のことかしら? でもお義母様が来られるのは一か月後だって、昨日ルクレール様が言っていたと思うけど……)
それにいくら義母リアーヌが細身の女性でも、本棚と壁の隙間には入り込めないと思う。
オレリアの頭の中が「?」でいっぱいになる。
「ねえ、ボリス、ジョゼも、いったい誰を探しているの?」
問いかけたけれど、ボリスもジョゼもまたしても答えない。
ここまでくれば、何かの悪戯だとしか思えなかった。
きっとボリスもジョゼもオレリアを揶揄っているのだ。
この二人はオレリアがルクレールに相手にされず落ち込んでいるのを知っているので、こうして揶揄って元気づけようとしているのかもしれない。
「ねえボリス、ジョゼ、気持ちは嬉しいけど、さすがにずっと無視されると悲しいわ」
揶揄うのはそのくらいにしてくれないかしらと言おうとしたオレリアは、二人がそのままオレリアを無視して慌ただしく部屋を出て行ったのを見て思わず閉口してしまった。
(揶揄うにしても徹底しすぎていないかしら?)
どうなっているのだろうと思いながら、オレリアは二人を追いかけて部屋の外へ出た。
ボリスとジョゼがそのつもりなら、他の使用人に訊いてみればいい話だ。
いつもより寝坊したと言っても朝食まではまだ時間があるので、邸のメイドを捕まえてボリスとジョゼが何をしているのかを確認した後に身支度を整えても余裕がある。
(この時間は、メイドたちは一階の廊下の掃除をしていたはずよ)
コデルリエ家はそれほど大勢のメイドを雇っているわけではないが、それでも邸がそこそこ広いので、五人ほどメイドがいる。彼女たちは持ち回りで仕事をしているが、オレリアたちが朝食を摂る時間までは一階の掃除をしていることをオレリアは知っていた。
オレリアは階段を下りて一階へ向かうと、掃除をしているメイドたちを探した。
しかしどういうことだろう。
いつも掃除をしている彼女たちの誰一人として、掃除をしていない。
(どこに行ったのかしら?)
不思議に思っていると、玄関の外から話し声が聞こえてきた。メイドたちは外にいるのかもしれない。
オレリアが庭へ向かうと、案の定、メイドたちが青ざめた顔をして庭を駆け回っているのが見えた。
(みんな慌てているわね。今日は一体どうしたって言うの?)
オレリアが嫁いで以来、こんなことははじめてだ。
オレリアはぱたぱたと走り回っているメイドの一人に声をかけた。
「ねえウィズ、どうしてそんなに慌てているの?」
オレリアが話しかけると、いつも笑顔で応じてくれるメイドのウィズは、けれども今日は何の反応も返してくれなかった。
オレリアが問いかけているのに、まるでそこには何もいないかのように目の前を素通りして走り去ってしまう。
(…………なんなの?)
どうしてみんなオレリアを無視するのだろうか。
オレリアはだんだん不安になってきた。
(もしかしてわたし、みんなに嫌われてしまったのかしら?)
自分で行きついた答えにショックを受けて、オレリアはしばらくその場で立ち尽くした。
ずっと玄関近くに立っていても、誰もオレリアに声をかけてくれない。
「なんで……」
オレリアの紫色の瞳にうっすらと涙が盛り上がってくる。
どうして無視をするのだろう。
オレリアは何をして彼女たちを怒らせてしまったのだろうか。
きゅっと唇を引き結んで、オレリアは袖口で目元を拭うとくるりと踵を返した。
そして、とぼとぼと部屋に戻ろうとしたオレリアは、その途中の廊下でふと足を止める。
「……?」
窓ガラスに、自分が映りこんでいないのだ。
「え?」
廊下に飾られている花瓶は映りこんでいるのに、オレリアの姿はどこにもない。
オレリアは窓ガラスに手をついて、ついた手のひらの影もなかった。
「待って」
ハッとして自分の足元を見下ろしてみると、そこにあるはずの影がない。
さーっとオレリアの顔から血の気が引いた。
(待って! どういうこと⁉)
オレリアは駆けだした。
廊下を駆け抜け、自室に飛び込むと、迷わずバスルームへ向かう。
そして、そこにある鏡を見て絶句した。
「……映ってない」
鏡に、オレリアが映っていないのだ。
(なんで、どうして? どういうこと?)
オレリアはパニックになった。
「どうして⁉ なんで鏡に映っていないの⁉ わたしは一体どこにいるの⁉」
オレリアは確かにこの場に立っているはずなのに、何故どこにもオレリアが映りこまないのだろう。
オレリアはその場にへなへなと崩れ落ちる。
頭が真っ白になって何も考えられない。
どのくらい座り込んでいただろうか。
隣の部屋が騒がしくなって、オレリアはふらつきながら立ち上がると、隣の部屋へ向かった。
そして、茫然とした顔で立ち尽くしているルクレールを見つけて息を呑む。
「オレリア…………」
記憶にある限り、はじめてオレリアの名前を呼んだ夫は、いつもの無表情ではなく、信じられないくらいに青ざめていた。
銀色の中にクリームをちょっとだけ落としたような優しい月光が、灯りを落とした部屋の中に降り注いでいる。
寝支度を整えてくれたジョゼは下がったので、寝室にはオレリアただ一人だ。
ルクレールはまだ仕事をしているのだろうか。
ルクレールの書斎に灯りが灯っているのが見える。
爵位を継いだばかりの頃よりは落ち着いたが、やはりまともに引継ぎをする時間もなく義父が他界したせいで負担が大きいのだろう。
オレリアの前で疲れた顔は見せないが、この一年、ほとんど休みもなく仕事をし続けているルクレールには相当な疲労がたまっているのではなかろうか。
心配だが、オレリアが大丈夫かと訊ねたところで、彼は本当のことは言わないだろう。
大丈夫ですかと訊いても、おそらく「ああ」としか返ってこない。
これが噂のルクレールの元恋人ならば違ったのだろうか。
考えたって仕方がないのに、ふとそんな自虐的な思いが脳裏をよぎる。
(起きていると変なことばかり考えてしまうから、早く寝たほうがいいわね)
先ほどから指輪を月の光にかざしているし、もう充分だろう。
オレリアは占い師に言われた通りに指輪を左手の中指にはめて、そしてベッドにもぐりこんだ。
☆
翌朝、オレリアは妙な騒々しさに目を覚ました。
(あ、寝過ごしちゃったのかしら……)
カーテンが明けられた窓から入り込む日差しを見て、オレリアは起き上がる。
いつもならもう少し早い時間にジョゼが起こしに来ているはずだ。
もしかしてジョゼも寝坊したのかしらと少しおかしくなって、オレリアはベッドから降りると続きのバスルームへ向かおうとして、慌ただしい足音に立ち止まった。
足音はこちらに向かってきているようだが、珍しいこともあるものだ。
コデルリエ家の使用人はみんな静かで、足音を大きく立てて歩き回ったりしないのである。
これが実家のアントワーヌ伯爵家ならば、古参のメイドなんかがバタバタと歩き回っていて騒々しいのだが、コデルリエ家は義父が厳しい人だったようで、そのあたりはきちんとしている。
(何か問題でもあったのかしら?)
不安を覚えたとき、本来は部屋の主に断りなく開かれない扉が、バタン! と大きな音を立てて開いて、オレリアはびっくりして飛び上がった。
「ボリス! それからジョゼも、いったいどうしたの?」
驚きのあまり大声をあげてしまったが、オレリアの問いかけに二人は答えない。
それどころかボリスもジョゼも青ざめた顔をして、まるで示し合わせたかのように部屋の中を探りはじめた。
「ちょ、ちょっと! 二人とも何をしているの⁉ どうしちゃったの⁉」
クローゼットに頭を突っ込むジョゼに、床に這ってベッドの下を確認しはじめたボリス。
二人はそのままバスルームに行き、続き部屋の控室へ行き、それから戻ってきて今度は何故か本棚の裏を確認して、そして叫んだ。
「奥様はどこに行ったんだ⁉」
「だから朝起こしに来たときにはもういらっしゃらなかったんです‼」
オレリアは、二人の言うことがすぐに理解できなかった。
(奥様? お義母様のことかしら? でもお義母様が来られるのは一か月後だって、昨日ルクレール様が言っていたと思うけど……)
それにいくら義母リアーヌが細身の女性でも、本棚と壁の隙間には入り込めないと思う。
オレリアの頭の中が「?」でいっぱいになる。
「ねえ、ボリス、ジョゼも、いったい誰を探しているの?」
問いかけたけれど、ボリスもジョゼもまたしても答えない。
ここまでくれば、何かの悪戯だとしか思えなかった。
きっとボリスもジョゼもオレリアを揶揄っているのだ。
この二人はオレリアがルクレールに相手にされず落ち込んでいるのを知っているので、こうして揶揄って元気づけようとしているのかもしれない。
「ねえボリス、ジョゼ、気持ちは嬉しいけど、さすがにずっと無視されると悲しいわ」
揶揄うのはそのくらいにしてくれないかしらと言おうとしたオレリアは、二人がそのままオレリアを無視して慌ただしく部屋を出て行ったのを見て思わず閉口してしまった。
(揶揄うにしても徹底しすぎていないかしら?)
どうなっているのだろうと思いながら、オレリアは二人を追いかけて部屋の外へ出た。
ボリスとジョゼがそのつもりなら、他の使用人に訊いてみればいい話だ。
いつもより寝坊したと言っても朝食まではまだ時間があるので、邸のメイドを捕まえてボリスとジョゼが何をしているのかを確認した後に身支度を整えても余裕がある。
(この時間は、メイドたちは一階の廊下の掃除をしていたはずよ)
コデルリエ家はそれほど大勢のメイドを雇っているわけではないが、それでも邸がそこそこ広いので、五人ほどメイドがいる。彼女たちは持ち回りで仕事をしているが、オレリアたちが朝食を摂る時間までは一階の掃除をしていることをオレリアは知っていた。
オレリアは階段を下りて一階へ向かうと、掃除をしているメイドたちを探した。
しかしどういうことだろう。
いつも掃除をしている彼女たちの誰一人として、掃除をしていない。
(どこに行ったのかしら?)
不思議に思っていると、玄関の外から話し声が聞こえてきた。メイドたちは外にいるのかもしれない。
オレリアが庭へ向かうと、案の定、メイドたちが青ざめた顔をして庭を駆け回っているのが見えた。
(みんな慌てているわね。今日は一体どうしたって言うの?)
オレリアが嫁いで以来、こんなことははじめてだ。
オレリアはぱたぱたと走り回っているメイドの一人に声をかけた。
「ねえウィズ、どうしてそんなに慌てているの?」
オレリアが話しかけると、いつも笑顔で応じてくれるメイドのウィズは、けれども今日は何の反応も返してくれなかった。
オレリアが問いかけているのに、まるでそこには何もいないかのように目の前を素通りして走り去ってしまう。
(…………なんなの?)
どうしてみんなオレリアを無視するのだろうか。
オレリアはだんだん不安になってきた。
(もしかしてわたし、みんなに嫌われてしまったのかしら?)
自分で行きついた答えにショックを受けて、オレリアはしばらくその場で立ち尽くした。
ずっと玄関近くに立っていても、誰もオレリアに声をかけてくれない。
「なんで……」
オレリアの紫色の瞳にうっすらと涙が盛り上がってくる。
どうして無視をするのだろう。
オレリアは何をして彼女たちを怒らせてしまったのだろうか。
きゅっと唇を引き結んで、オレリアは袖口で目元を拭うとくるりと踵を返した。
そして、とぼとぼと部屋に戻ろうとしたオレリアは、その途中の廊下でふと足を止める。
「……?」
窓ガラスに、自分が映りこんでいないのだ。
「え?」
廊下に飾られている花瓶は映りこんでいるのに、オレリアの姿はどこにもない。
オレリアは窓ガラスに手をついて、ついた手のひらの影もなかった。
「待って」
ハッとして自分の足元を見下ろしてみると、そこにあるはずの影がない。
さーっとオレリアの顔から血の気が引いた。
(待って! どういうこと⁉)
オレリアは駆けだした。
廊下を駆け抜け、自室に飛び込むと、迷わずバスルームへ向かう。
そして、そこにある鏡を見て絶句した。
「……映ってない」
鏡に、オレリアが映っていないのだ。
(なんで、どうして? どういうこと?)
オレリアはパニックになった。
「どうして⁉ なんで鏡に映っていないの⁉ わたしは一体どこにいるの⁉」
オレリアは確かにこの場に立っているはずなのに、何故どこにもオレリアが映りこまないのだろう。
オレリアはその場にへなへなと崩れ落ちる。
頭が真っ白になって何も考えられない。
どのくらい座り込んでいただろうか。
隣の部屋が騒がしくなって、オレリアはふらつきながら立ち上がると、隣の部屋へ向かった。
そして、茫然とした顔で立ち尽くしているルクレールを見つけて息を呑む。
「オレリア…………」
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