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時計屋の兎(ラビット)
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三日後、レマニエル侯爵令嬢アザリーがヴィラーゼル伯爵家にやってきた。
ウィルバードはレマニエル侯爵家に行くと連絡したが、アザリーの方からヴィラーゼル伯爵家を指定してきたのだ。
談話室に通されたアザリーは、相変わらず喪服のような真っ黒いドレスを着ていた。
「すまないね、急に」
「いえ。お話とは何かしら? もしかしなくても、先日のことかしら」
「どうだろう、結果的に、そちらの話もになるかもしれないね」
ウィルバードの曖昧な言い方に、アザリーは怪訝そうになる。
ラビットも同席を許されたのでウィルバードの隣に座っていたが、ラビットがテーブルの上にナターリアの懐中時計をおくと、アザリーの表情が変わった。ドルバー教授に頼んで、時計の返却を少し待ってもらったのだ。
「これをどこで……」
「知り合いが大学で教授をしていてね。彼が持ち主不明でラビットの店に持って来たんだよ」
「ああ、伯爵の経営している時計店ですか」
時計屋の持ち主はラビットだが、体裁上ウィルバードの物ということになっている。家賃もウィルバードが支払っているのだから当然だ。そもそもあの店の名義をどうしてラビットにしているのかいまいちよくわからない。
アザリーは時計を手に取ると、ユリの彫刻を撫でながら淋しそうに笑う。
「これはわたくしが、友人にプレゼントしたものだわ。誕生日に……」
「その友人はマルク子爵令嬢だね?」
「あら、ご存じだったの。つまり、時計を見せたということは、ナターリアのことについて聞きたいのかしら?」
アザリーは頭の回転の速い女性らしい。
ウィルバードが頷くと、アザリーは探るような視線を向けた。
「伯爵はどこまで知っているの?」
「マルク子爵令嬢の恋人だった男が、君の元婚約者というところくらいかな」
「……そう」
アザリーは時計をおくと、ティーカップの中に角砂糖を一つ落とした。紅茶はすっかり冷めてしまっていたのでスプーンでかき混ぜても底の方に溶け切らない砂糖が沈殿する。ウィルバードが新しいのを用意しようかと訊ねたが、アザリーは「けっこうよ」と短く答えた。
「それで、伯爵は何が知りたいの?」
「そうだね。いろいろあるけれど、とりあえずはマルク子爵令嬢の自殺の原因かな。そして、君がいつまでもそんな喪服のような黒いドレスを着ている理由だね」
「その口調だと、おおよその検討はついているみたいね」
「なんとなくの推測だよ」
「その推測を先にお聞きしてもいいかしら?」
アザリーはティーカップに口をつけながら言う。
ウィルバードは「間違っているかもしれないよ」と前置きして口を開いた。
「君の婚約者であったポールマー伯爵は、もともとマルク子爵令嬢の恋人だった。けれども、何らかの事情で、どちらかの親族あたりが反対したのだろう。二人は人目を気にして会わなければならなくなった。けれども周囲からはどうしても疑われて、考えた二人は替え玉の婚約者を用意することにする。それが君。ポールマー伯爵はもともと君のタイプからも外れていそうだし、政略的な婚約でもない限り、君が彼を選ぶとは思えないからね.
ポールマー伯爵の方に偽物の婚約者を立てたってことは、反対したのは彼の方の親かな? ともかく、君が替え玉を引き受けてくれたおかげで、二人は以前よりも周囲に疑われずに恋人としてすごせるようになった。そのうち反対する親族を説得するつもりでいたのだろう。マルク子爵令嬢は恋人との結婚を疑っていない様子だったようだね。ところが、それはポールマー伯爵の裏切りをもって終焉を迎える。悲しんだ彼女は、バルト川に身を投げて自殺した。どうかな?」
アザリーはぱちぱちぱちとウィルバードに向かって拍手をした。
「さすがね伯爵。ほとんど正解よ」
「ほとんどということは、違うところがあったのかな? まさか、君は本当にポールマー伯爵を愛していた?」
「ありえないわね」
アザリーは即答した。
「そこではなくて、間違いは自殺の部分よ。ナターリアが自殺なんてするはずない」
アザリーはきゅっと唇をかむと、怒りを押し殺したような声で言った。
「間違いないわ。ナターリアは殺されたのよ。あの男にね」
ラビットは息を呑んだ。
アザリーの話はこうだ。
ナターリアとアザリーは、遠縁ということもあり幼いころから親友と呼び合うほどに仲がよかった。
ちょうど一年前、アザリーはナターリアからある相談を受けた。
なんでも、パーティーで知り合ったポールマー伯爵と恋人関係であるらしい。けれども彼の父に身分の問題で反対された。マルク子爵家は貴族の中では末席にあたる。何代も前の本家筋をたどれば王家ともゆかりがあると、マルク子爵は過去の栄光に縋るかの如く自慢するが、贅沢をするような資産もない。ナターリアが大学に通っているのだって、将来良家の家庭教師として生計を立てるつもりだったからだ。
けれどもポールマー伯爵に惚れこんでしまったナターリアはあきらめきれない。悩んでいたとき、ポールマー伯爵にこう言われた。「僕に替え玉の婚約者を立てよう」と。
ナターリアは耳を疑ったが、彼の説明を聞くうちにそれが最良のように思えてきた。なにより今よりも疑われずに彼と会えるようになる。こんな素晴らしいことはあるだろうか。
そこでナターリアは、信頼するアザリーに相談に来たというわけだ。
「ナターリアの語る伯爵は本当に紳士だったから……、疑わなかったわたくしもどうかしていたわ」
ナターリアはあっさりポールマー伯爵の言い分を信じたが、アザリーは彼に別の思惑があることにすぐに気がついた。
簡単なことだ。ポールマー伯爵はもともとナターリアではなく、アザリーに興味があったのだ。正確には彼女の侯爵家である。
レマニエル侯爵家は現王の外戚だ。侯爵の姉が現王の母である。侯爵はあまり政治に口出しするような性格ではないが、彼の発言はときに国王に次ぐ。アザリーと結婚すれば、もれなく国王の外戚の仲間入りというわけだ。
もちろん、アザリーはポールマー伯爵に興味はない。けれども彼は、カムフラージュのためだとかうそぶき、アザリーを何度も観劇や散歩に誘った。邸に押しかけてきたことも一度や二度ではない。ポールマー伯爵の思惑に勘づいたアザリーはナターリアに忠告したが、ポールマー伯爵に惚れこんでいる彼女は笑って信じなかった。
「今思えば、もっとちゃんと言い聞かせればよかった。わたくしが落ちないと思った伯爵はターゲットを変えたわ。知っているでしょう? 今年デビュタントとして社交界デビューした女の子には、あの甘い顔にころっと騙されたようね。そして、あいつはナターリアが邪魔になった」
「だから殺した?」
「ええ。だってナターリア、意地でもわかれないって言ったみたいだから。それどころか、公爵れ上に自分と付き合っているってことを言うって。ふふ、怒った女はなかなか怖いのよ。ただでは引き下がらない。きっちり報復するわ。ナターリアも普段は大人しいけれど、例には漏れなかったみたい。わたくしに、あの女の敵には痛い目を見せてやると息まいていたの。その矢先よ、ナターリアが死んだのは。自殺ですって? ありえないわ」
アザリーの言うことが本当ならば、確かに自殺だとは考えられないだろう。ナターリアは悲観したわけでも、生きていることをあきらめたわけでもなさそうだ。ポールマー伯爵に報復する気満々で――、それを恐れた伯爵によって逆に消されたとしたら? なるほど、説明がつく。
ラビットは黙って時計を見下ろした。時計は同意するかのように、ナターリアの笑顔をラビットの脳裏に伝えてきた。ふんわりと花が咲いたような笑顔。恋人に裏切られ、殺されたとき、彼女は何を思っただろう。
「それで君は、マルク子爵令嬢のかわりにポールマー伯爵に報復するつもり?」
「あのとき見られてしまったからごまかせないわね。そうよ。ああいう男ですもの、ほかにもきっと何かしているわ。自殺と判断されたナターリアを殺した責任は問えなくても、このまま幸せになんてさせない」
氷のように冷たい目をするアザリーに、ラビットはそっと目を伏せる。彼女が来ている黒いドレス。これは真実、喪服なのかもしれない。
「君は、どんな手を使ってでもポールマー伯爵に報復したい?」
ウィルバードが微笑んだのを見て、ラビットはぎくりとした。彼がこんな顔をするときは、決まってろくでもないことを考えているときだ。
当然よ、とアザリーが頷けば、ウィルバードは握手を求めるように彼女に手を差し出した。
「わかった。協力しよう」
ラビットはこっそりため息を吐いた。
ウィルバードはレマニエル侯爵家に行くと連絡したが、アザリーの方からヴィラーゼル伯爵家を指定してきたのだ。
談話室に通されたアザリーは、相変わらず喪服のような真っ黒いドレスを着ていた。
「すまないね、急に」
「いえ。お話とは何かしら? もしかしなくても、先日のことかしら」
「どうだろう、結果的に、そちらの話もになるかもしれないね」
ウィルバードの曖昧な言い方に、アザリーは怪訝そうになる。
ラビットも同席を許されたのでウィルバードの隣に座っていたが、ラビットがテーブルの上にナターリアの懐中時計をおくと、アザリーの表情が変わった。ドルバー教授に頼んで、時計の返却を少し待ってもらったのだ。
「これをどこで……」
「知り合いが大学で教授をしていてね。彼が持ち主不明でラビットの店に持って来たんだよ」
「ああ、伯爵の経営している時計店ですか」
時計屋の持ち主はラビットだが、体裁上ウィルバードの物ということになっている。家賃もウィルバードが支払っているのだから当然だ。そもそもあの店の名義をどうしてラビットにしているのかいまいちよくわからない。
アザリーは時計を手に取ると、ユリの彫刻を撫でながら淋しそうに笑う。
「これはわたくしが、友人にプレゼントしたものだわ。誕生日に……」
「その友人はマルク子爵令嬢だね?」
「あら、ご存じだったの。つまり、時計を見せたということは、ナターリアのことについて聞きたいのかしら?」
アザリーは頭の回転の速い女性らしい。
ウィルバードが頷くと、アザリーは探るような視線を向けた。
「伯爵はどこまで知っているの?」
「マルク子爵令嬢の恋人だった男が、君の元婚約者というところくらいかな」
「……そう」
アザリーは時計をおくと、ティーカップの中に角砂糖を一つ落とした。紅茶はすっかり冷めてしまっていたのでスプーンでかき混ぜても底の方に溶け切らない砂糖が沈殿する。ウィルバードが新しいのを用意しようかと訊ねたが、アザリーは「けっこうよ」と短く答えた。
「それで、伯爵は何が知りたいの?」
「そうだね。いろいろあるけれど、とりあえずはマルク子爵令嬢の自殺の原因かな。そして、君がいつまでもそんな喪服のような黒いドレスを着ている理由だね」
「その口調だと、おおよその検討はついているみたいね」
「なんとなくの推測だよ」
「その推測を先にお聞きしてもいいかしら?」
アザリーはティーカップに口をつけながら言う。
ウィルバードは「間違っているかもしれないよ」と前置きして口を開いた。
「君の婚約者であったポールマー伯爵は、もともとマルク子爵令嬢の恋人だった。けれども、何らかの事情で、どちらかの親族あたりが反対したのだろう。二人は人目を気にして会わなければならなくなった。けれども周囲からはどうしても疑われて、考えた二人は替え玉の婚約者を用意することにする。それが君。ポールマー伯爵はもともと君のタイプからも外れていそうだし、政略的な婚約でもない限り、君が彼を選ぶとは思えないからね.
ポールマー伯爵の方に偽物の婚約者を立てたってことは、反対したのは彼の方の親かな? ともかく、君が替え玉を引き受けてくれたおかげで、二人は以前よりも周囲に疑われずに恋人としてすごせるようになった。そのうち反対する親族を説得するつもりでいたのだろう。マルク子爵令嬢は恋人との結婚を疑っていない様子だったようだね。ところが、それはポールマー伯爵の裏切りをもって終焉を迎える。悲しんだ彼女は、バルト川に身を投げて自殺した。どうかな?」
アザリーはぱちぱちぱちとウィルバードに向かって拍手をした。
「さすがね伯爵。ほとんど正解よ」
「ほとんどということは、違うところがあったのかな? まさか、君は本当にポールマー伯爵を愛していた?」
「ありえないわね」
アザリーは即答した。
「そこではなくて、間違いは自殺の部分よ。ナターリアが自殺なんてするはずない」
アザリーはきゅっと唇をかむと、怒りを押し殺したような声で言った。
「間違いないわ。ナターリアは殺されたのよ。あの男にね」
ラビットは息を呑んだ。
アザリーの話はこうだ。
ナターリアとアザリーは、遠縁ということもあり幼いころから親友と呼び合うほどに仲がよかった。
ちょうど一年前、アザリーはナターリアからある相談を受けた。
なんでも、パーティーで知り合ったポールマー伯爵と恋人関係であるらしい。けれども彼の父に身分の問題で反対された。マルク子爵家は貴族の中では末席にあたる。何代も前の本家筋をたどれば王家ともゆかりがあると、マルク子爵は過去の栄光に縋るかの如く自慢するが、贅沢をするような資産もない。ナターリアが大学に通っているのだって、将来良家の家庭教師として生計を立てるつもりだったからだ。
けれどもポールマー伯爵に惚れこんでしまったナターリアはあきらめきれない。悩んでいたとき、ポールマー伯爵にこう言われた。「僕に替え玉の婚約者を立てよう」と。
ナターリアは耳を疑ったが、彼の説明を聞くうちにそれが最良のように思えてきた。なにより今よりも疑われずに彼と会えるようになる。こんな素晴らしいことはあるだろうか。
そこでナターリアは、信頼するアザリーに相談に来たというわけだ。
「ナターリアの語る伯爵は本当に紳士だったから……、疑わなかったわたくしもどうかしていたわ」
ナターリアはあっさりポールマー伯爵の言い分を信じたが、アザリーは彼に別の思惑があることにすぐに気がついた。
簡単なことだ。ポールマー伯爵はもともとナターリアではなく、アザリーに興味があったのだ。正確には彼女の侯爵家である。
レマニエル侯爵家は現王の外戚だ。侯爵の姉が現王の母である。侯爵はあまり政治に口出しするような性格ではないが、彼の発言はときに国王に次ぐ。アザリーと結婚すれば、もれなく国王の外戚の仲間入りというわけだ。
もちろん、アザリーはポールマー伯爵に興味はない。けれども彼は、カムフラージュのためだとかうそぶき、アザリーを何度も観劇や散歩に誘った。邸に押しかけてきたことも一度や二度ではない。ポールマー伯爵の思惑に勘づいたアザリーはナターリアに忠告したが、ポールマー伯爵に惚れこんでいる彼女は笑って信じなかった。
「今思えば、もっとちゃんと言い聞かせればよかった。わたくしが落ちないと思った伯爵はターゲットを変えたわ。知っているでしょう? 今年デビュタントとして社交界デビューした女の子には、あの甘い顔にころっと騙されたようね。そして、あいつはナターリアが邪魔になった」
「だから殺した?」
「ええ。だってナターリア、意地でもわかれないって言ったみたいだから。それどころか、公爵れ上に自分と付き合っているってことを言うって。ふふ、怒った女はなかなか怖いのよ。ただでは引き下がらない。きっちり報復するわ。ナターリアも普段は大人しいけれど、例には漏れなかったみたい。わたくしに、あの女の敵には痛い目を見せてやると息まいていたの。その矢先よ、ナターリアが死んだのは。自殺ですって? ありえないわ」
アザリーの言うことが本当ならば、確かに自殺だとは考えられないだろう。ナターリアは悲観したわけでも、生きていることをあきらめたわけでもなさそうだ。ポールマー伯爵に報復する気満々で――、それを恐れた伯爵によって逆に消されたとしたら? なるほど、説明がつく。
ラビットは黙って時計を見下ろした。時計は同意するかのように、ナターリアの笑顔をラビットの脳裏に伝えてきた。ふんわりと花が咲いたような笑顔。恋人に裏切られ、殺されたとき、彼女は何を思っただろう。
「それで君は、マルク子爵令嬢のかわりにポールマー伯爵に報復するつもり?」
「あのとき見られてしまったからごまかせないわね。そうよ。ああいう男ですもの、ほかにもきっと何かしているわ。自殺と判断されたナターリアを殺した責任は問えなくても、このまま幸せになんてさせない」
氷のように冷たい目をするアザリーに、ラビットはそっと目を伏せる。彼女が来ている黒いドレス。これは真実、喪服なのかもしれない。
「君は、どんな手を使ってでもポールマー伯爵に報復したい?」
ウィルバードが微笑んだのを見て、ラビットはぎくりとした。彼がこんな顔をするときは、決まってろくでもないことを考えているときだ。
当然よ、とアザリーが頷けば、ウィルバードは握手を求めるように彼女に手を差し出した。
「わかった。協力しよう」
ラビットはこっそりため息を吐いた。
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