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バッドエンド回避に奔走していたらラスボス(魔王)に捕まりました

エピローグ

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 ありがとうございますと言ってくれた魔物たちに、わたしは笑顔を返せただろうか。



 ……あの日から、わたしの胸の中には、消えないもやもやしたものが巣くっている。

 もしクラヴィスが、配下の魔物を逃がしたからと感謝してわたしを拾って帰ったなら、それは大きな間違いだ。

 わたしは感謝されるようなことは何一つしていない。
 死にたくないから、短絡的な考えに沿って行動して、その結果騎士たちに追い回されて、死にかけただけ。
 魔物を助けたのは、自分が助かりたかったからで、魔物を助けたかったからじゃない。

 魔王様なのに、聖女であるわたしを殺すわけでもなく城に住まわせて、あまつさえ魔王の「花嫁」という地位まで与えたのは、彼がきっと、わたしの行動を過大評価しているから。
 本当のわたしを――ずるくて汚くいわたしを知ったら、クラヴィスはなんて思うのだろうか。
 きっと、わたしの首を切り落としたく、なるよね。

「花嫁様、お菓子ですよ? 大好きなマドレーヌですよ? 食べないんですか?」

 視察から帰って来てめっきり食欲の落ちたわたしを、リュリュが心配している。
 リュリュに心配かけないように、ちゃんとしないと。
 わかっているのに、自分に何度言い聞かせても、上手く笑えない。

 ……生きたいと思うことは、人として間違っていないはずだ。

 そのための手段を思いついたなら、誰だって実行しようと思うだろう。
 だからわたしは、人として当たり前の感情に沿って行動しただけなのだ。
 そう何度も自分に言い聞かせて、視察に行く以前の自分に戻ろうとするけれど、どうしたって戻れない。

「食欲がないなら、お庭にお散歩に行って来たらどうですか? ここ数日、ポポとも会っていないでしょう? 今まで二日と開けずに会いに来ていた花嫁様が来ないって、ポポが淋しがっていましたよ」
「そう、ね」

 庭を歩けば、少しは気分転換になるだろうか。
 でも、これまでのようにポポを撫でまわして無邪気に笑える自信が、どこにもない。
 わたしはふらふらと立ち上がり、部屋から出る。途端に見つけた、廊下の壁に貼られている矢印に泣きそうになった。

 こんな身勝手なわたしのために貼られた庭までの案内。わたしが迷子にならないようにと、クラヴィスが用意してくれたもの。
 出会った当初、助けてもらったにもかかわらず彼の顔を見るなり泣き叫んだ失礼な女に、彼は配下を助けてくれたと言う理由で親切にしてくれた。

 瀕死の傷を治してくれただけではなく、温かい寝床や美味しいご飯まで用意してくれた。
 わたしは当たり前の顔をしてそれらを享受していたけれど、それらはすべて、「配下を助けてくれた親切なラフィーリア」に向けて用意されたものだ。
 身勝手で利己的なわたしへ用意されたものではない。だってわたしの行動には親切心も、崇高な理由も、何一つ存在していなかったからだ。

 ……わたし、ここにいたらだめな気がする。

 とぼとぼと廊下を歩きながら考える。

 みんなに歓迎されている「ラフィーリア」はどこにもいない。
 クラヴィスに、みんなに、親切にされていい「ラフィーリア」は存在しないのだ。

 魔王の支配下である北の大陸を出れば、きっと、騎士団がわたしの存在を嗅ぎつけて殺しにやってくる。
 わたしは再び、騎士たちに追われる身になって、いつ死ぬとも限らない逃亡生活を送ることになるだろう。

 でも、わたしにはそれがお似合いだ。
 階段を下りて、玄関を開けると、途端に冷たい風が吹き込んでくる。

 ……コートを着てくるのを忘れちゃった。

 冷たい風は、わたしの肌をなぶるように撫でる。
 一瞬だけ、部屋に戻ろうかなと甘えた考えが脳裏をよぎる。
 頭を振ってそんな考えを自分の中から追い出すと、わたしはゆっくり庭に下りた。
 寒いと思えば、はらはらと小さな雪が舞い落ちている。今年初めて見る雪。いっそ、雪が降り積もってわたしの存在ごと覆い隠してくれたらいいのに。

「花嫁様」

 目的もなく庭を歩いていると、どこからともなくポポが現れた。
 いつもはわたしに追いかけられて逃げ回っているのに、今日のポポは自分からわたしに近づいてくる。

「お元気ないってリュリュから聞きました。だから……ほら! 好きなだけ撫でてもいいですよ!」

 ポポはそう言って、わたしの足元でへそ天で寝転がった。

「……ありがと」

 わたしはその場にしゃがみこみ、ポポの頭を軽く撫でる。わずか数秒で離れて行ったわたしの手に、ポポは信じられないものを見たように目を見開いた。

「雪が降ってるから、お城の中に入った方がいいよ」
「僕は寒さには強いですから。花嫁様こそ風邪をひいてしまいますよ? 人間はちょっとの寒さでも体調を崩すんだって聞いたことがあります」
「大丈夫。……そんなに寒くないから」

 もちろんこれは嘘だった。
 本当は、全身ががくがくと震えそうなほどに寒い。
 わたしはもう一度ポポの頭を軽く撫でて、また、目的もなく歩き出した。

 ここから出て行くとしても、どっちに行ったらいいのかわからない。
 人間の大陸に戻って騎士団との鬼ごっこを再開する前に、たぶんどこかでのたれ死にそうな気がするな。

 意味もなく庭を歩き続けると、庭をぐるりと囲んでいる外壁にたどり着いた。壁はわたしの身長の二倍以上あって、よじ登ることはできそうもなかった。門がどこかにあるかなと、今度は壁伝いに歩き出す。

 わたしの指先や足先はすっかり冷えてしまって、ちょっと感覚が鈍くなっていた。
 奥歯がカチカチと小さな音を立てている。

 はあ、と少し熱い息を吐き出しながら歩いて、ようやく門までたどり着いた時、わたしの体は限界に達したようだ。

 ここのところまともに食事をとっていなかった上に、寒空の下で歩き回れば体力が尽きても仕方がない。
 ぐらりと体が傾いで、意識を手放す直前、何か温かいものにふわりとくるまれたような、気がした。





 誰かに頭を撫でられている。
 前にも似たようなことがあった気がした。
 違うのは、パチパチと薪がはぜるような音がすることと、体がすごく気だるいこと。

 瞼を開けることすら億劫に感じて、でも「ラフィ」と呼ぶ優しい声が気になって、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
 声のする方に首を巡らせれば、銀色の瞳を細めて、クラヴィスがわたしを見つめていた。
 いつも勝手にベッドにもぐりこむくせに、今日はベッドの縁に腰を掛けて、優しくわたしの頭を撫でている。

「わた、し」

 声が喉の奥で引っかかるような感じがする。
 違和感があって喉に触れると、妙に熱く感じた。

「水でいいか?」

 喉が渇いたなんて言ってないのに、わたしの思考を読んだようにクラヴィスが枕元のコップを手に取った。
 わたしの背中に腕を回し、支えるようにして起こしてくれる。

 くぴくぴと水を飲むと、喉から食道に伝っていく冷たい水の感触がわかった。この感じ、知っている。たぶん、わたし、熱があるんだ。
 庭を彷徨って、門までたどり着いたところでプツリと記憶が途絶えていた。そこで倒れたんだと思う。
 からっぽになったコップをクラヴィスが回収する。

「思いつめているようだったし、一度好きなようにさせてやろうと思ったんだが、さすがに無視できなかった。すまない」

 クラヴィスがわたしをベッドに寝かせながら、申し訳なさそうに言う。
 どうしてクラヴィスがそんな顔をするのだろう。彼は何も悪くないのに。

 でも、そっか……。

 わたしが好き勝手庭を歩き回れたのは、クラヴィスが目こぼしをしてくれていたからなんだね。わたしが倒れなかったら、あのまま門の外に出られたのかな。でも結局、どこかで力尽きてクラヴィスに回収されたんだろうけど。

「どうして……」

 どうして、クラヴィスはわたしを助けたんだろう。
 わたしは、彼に助けてもらえるような、価値のある人間ではないのに。

「庭を歩き回って、少しは気分が晴れたか?」
「…………ううん」
「何を思いつめているんだ?」

 クラヴィスの声は優しい。
 でも、もしわたしがすべてを白状したら、彼はきっと、わたしを軽蔑するだろうな。
 わたしの中で、クラヴィスに嫌われるのが嫌なわたしと、すべてを話して楽になりたいわたしの二人がせめぎ合う。

 迷った末に、わたしは全部話してしまうことにした。
 このままここにいても、苦しいだけだから、それならいっそ追い出された方がいい。
 わたしはクラヴィスからそっと視線を逸らした。
 そして、ぽつんぽつんと、自分でもぐちゃぐちゃな胸の中を、話しはじめた。





 すべて聞き終えたクラヴィスは、しばらく沈黙した。
 わたしの処遇でも考えているのだろうか。
 助けた女が、実は助ける価値のない人間だったってわかったから、失望したよね。

 まるで死刑判決を待つような気分で、わたしは視線を下に落とす。
 やがてクラヴィスは大きく息を吐き、戸惑いを隠せない声で言った。

「げーむというのはよくわからないが……ラフィはここではない別の世界で生きた記憶があり、なおかつ、その世界で、この世界のラフィーリアが俺に殺されるのを知っていた、ということでいいのか?」

 わたしが小さく頷くと、クラヴィスはもう一度大きく息を吐きだした。

「なるほど。それで魔物を逃がしていたのか……。別の世界で生きた記憶があるなど、あまりに荒唐無稽で戸惑うが……わかった」

 あれ、戸惑うポイントってそこ?

 想像していたようにクラヴィスが怒っていないことが不思議で、わたしはそろそろと顔を上げた。
 ぱちりと目が合って、わたしが慌てて逸らすと、クラヴィスが小さく笑う。
 ぽん、と頭の上に手を置かれた。

「それでラフィは、俺に殺されたくないから魔物を逃がし、今度は逆に騎士たちに殺されかけたわけか。ククッ……本末転倒もいいところだな」

 その通りだけど、笑われると少し傷つく。

「しかもそのことを先日の集落で感謝されて落ち込んでいる。それでいいのか?」

 こくん、と頷くと、クラヴィスの笑い声が大きくなる。
 おかしそうに笑い続けるクラヴィスにわたしは困惑した。
 どうして笑うんだろう。
 ここは怒るポイントだと思うのに。

「何を思いつめているのかと思えば、そんなことか」

 そんなこと⁉
 わたしは真剣に悩んでいたのに、「そんなこと」⁉

 思わずムッとして、わたしはじろりとクラヴィスを睨みつけた。

「わたしはみんなに感謝されるような、清らかで優しい『聖女様』じゃないんです!」
「感謝されるかどうかは置いておいて、俺もほかの者たちもお前を清らかで優しい聖女だとは思っていないぞ」
「……え?」
「当り前だろう。お前は清らかで優しい聖女というよりは、食い意地の張った我の強い女だからな。どこの世界に、清らかで優しい女が、撫でまわしたいと言う理由だけで嫌がるポポを追い回す? 清らかで優しい聖女以前に、淑女としてもいろいろ問題だと思うが」

 ぐはあ!

 想定外のダメージを受けて、わたしは思わず顔をひきつらせた。
 思い返してみれば確かに……。クラヴィスの顔を見て泣き叫ぶは気絶するわ、目の前のお菓子やご飯にがっつくわ、もふもふしたいと言う理由で嫌がって逃げまどうポポを追い回して捕まえて、彼が息切れするまで撫でまわすわ……うん、改めて考えると、わたし、いろいろヤバイ女だ。

「俺もほかのものも、お前が自分勝手だろうと今更驚かないし、逆にお前の言うところの清らかで優しい聖女とやらになられても戸惑うだけだ。別に俺たちはお前に、そんな役割を求めていない」
「でも……!」
「第一、お前の本性なら、ここに連れてくる前に知っている。知りもしない女を連れてくるはずがないだろう」

 クラヴィスはあきれたように言いながら、わたしの頭を撫でる。その手つきはとても優しくて、緊張していたわたしの体から力が抜けていく。

「確かに、最初にラフィに興味を持ったのは、お前が魔物を逃がしていると知ったからだ。だがそれだけでお前をここに連れてくるほど、俺は単純ではない。これでも猜疑心は強い方だからな」
「じゃあ、どうして……」
「お前が、誰よりも貪欲に生きようとしていたからだ。騎士たちに追い回されて住む場所を追われたお前は、ゴミをあさったり野山で草やキノコなどを食べてみたり、とにかく死に物狂いだった。裸足で走り回って傷だらけになっても、騎士に斬られて川に落ちても、絶対に生きることをやめようとはしなかった。最初はただの興味だったのに、気づいた時はそれだけではなくなっていた。ほしいと思った。だから攫って帰ることにした。お前なら皆ともうまくやれると思ったしな。ただそれだけだ。別に、清らかで優しい聖女とやらを欲したわけではない」

 褒められているのか貶されているのかよくわからなくなって、わたしはちょっぴり複雑な気分だった。

 ……なんかこれ、ダメな子だから心配になって連れて来たって、そういうことじゃない?

「それに、そこに崇高な理由がなくとも、お前が魔物たちを逃がしその命を救った事実には何ら変わりはない。あの集落の連中は、『崇高な理由』に感謝しているのではなくて、事実に感謝しているだけだ。そこに理由を探す必要はない」
「だけど」
「では逆に聞くが、お前は誰かに命を救われて、そこに感動するような理由がなければ、命を救われたことに感謝はしないのか?」
「……そんなことはないけど」

 そこに理由があろうとなかろうと、命を救われたら感謝するのは当たり前だ。……なんだ、そっか。

「誰もわたしに、失望しません……?」
「そもそもお前にそんな幻想は抱いていないから、失望する材料がない」

 それはそれでちょっとどうかと思うけど、まあいいや。
 思いつめていたのが馬鹿らしく思えて、わたしはふにゃりと笑う。その拍子に、ぐーっとわたしの腹の虫が主張した。
 安心したらお腹がすいて来たみたいだ。

「食事を運ばせよう。ここのところろくに食べていなかったのだろう?」

 クラヴィスがそう言って立ち上がる。
 わたしは遠ざかろうとするクラヴィスに、反射的に手を伸ばした。
 くいっと袖の端っこをつかむと、クラヴィスが振り返る。

「魔王様、その……ありがとうございます」

 クラヴィスは口端を持ち上げた。

「クラヴィスだ。少し待っていろ」

 クラヴィスが部屋を出て行くと、わたしはもぞもぞと布団を鼻の頭まで持ち上げる。

「……クラヴィス」

 口の中で小さくつぶやくと、今までとは違う、何か温かいものが胸の中に溢れた気がした。






 ~~~完~~~
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