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過去と悪だくみと招待 4
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ウィリアムはウイスキーを三分の一ほど注いだカットグラスを揺らしながら考えていた。
城からブラッド家に戻って、エイジェリンの泣き腫らした目を見たルーベンスから非難のこもった視線を向けられ、しつこいぐらいに「何があったのか」と聞いて回る彼を追い返し、ようやく一人きりになった私室でのことである。
非常にわかりにくいが、ルーベンスはエイジェリンを気に入っている。最初は、勘違いでここから追い出したことについて負い目を感じていたようだが、素直で真面目な彼女自身のことを評価し、気にかけていることを、彼と長い付き合いであるウィリアムは感じ取っていた。
だが、泣きはらした目をしているエイジェリンを見て、真っ先にウィリアムを疑うのは、執事としていかがなものだろう。
確かに自分が泣かせたようなものだが、あんなに泣くとは思っていなかったし、ウィリアムだって、この忌々しいブラックダイヤモンドの指輪が泣ければ、抱きしめて慰めていた。
エイジェリンを抱きしめでもしたら、嬉々としてアルジャーノンが飛び出してくる。だからハンカチを差し出しただけで、彼女が泣き止むまで見守るしかできなかったのに、ルーベンスは泣いている女性を眺めているだけなんて紳士失格だとかなんだとか言って責め立ててきた。
一人掛けのソファに深く身をうずめて、グラスを揺らしつつ、ウィリアムは口を尖らせる。
(くそ、ルーベンスもだが、アニスも、あんなに睨まなくたっていいだろう)
アニスは、エイジェリンの身支度を整えるためにつけたメイドだ。エイジェリンと同年齢で、仲がいい。
アニスはエイジェリンを出迎えに玄関にやってきて、エイジェリンの顔を見た途端に、ウィリアムをキッと睨みつけてきた。ルーベンス同様、エイジェリンが泣くようなことをウィリアムがしたと決めつけての行動だった。
エイジェリンがウィリアムをかばったけれど、逆にそれでさらに不審がられてしまったから、しばらくはアニスから疑惑のこもったまなざしを向けられるのは間違いない。
(俺だって、あそこまで泣かせるつもりはなかったんだ。……いろいろ我慢しているようだったから、少し発散させた方がいいと思ったのは事実だけど)
パーティーで多少の酒を飲んでいたからか、ちびちびと舐めるように飲んでいるだけのウイスキーでも、いつもより早くに酔いが回ってくる。
本人は気づいているのかどうか知らないが、エイジェリンはあまり感情を表に出さない。まったく出さないことはないのだが、いつもどこか張り詰めたような表情で、笑っていても、瞳の奥は暗い色を宿していた。
そのエイジェリンが、珍しく大きく感情を揺らしたから、我慢させずに泣かせてやろうと思ったのだ。
婚約者に裏切られて家を追い出され、前の勤め先でもつらい思いをした。きっと、多くの感情を胸の内にため込んでいたはずだ。彼女にはそれらの感情をぶつける相手がいないし、泣いて甘えることができる父も母もいない。ならばせめてウィリアムの前で泣かせてやろうと思った。彼女は以前もウィリアムの目の前で泣いたことがあるから、二人きりのときならばきっと泣いてくれると思ったのだ。
「……俺だって、抱きしめて慰めてやりたかったさ」
酔いもあってか、ぽつり、と口からこぼれたつぶやきに、ウィリアム自身が驚いた。
何を言っているんだろうと、笑いながら目を閉じて天井を向くと、瞼の裏に、綺麗なルビー色の瞳を揺らすエイジェリンの姿が現れる。
エイジェリンは、とびきりの美人と言うわけではないが、少し童顔にも見えるくりっとした大きな瞳が魅力的で、小さな鼻は、ついつい指先でつついてしまいたくなる可愛らしさだ。
ぷっくりとみずみずしいサクランボのような唇は触れてみたくなるし、白くてすべすべしている肌は頬ずりしてみたいと思う。
艶々の赤茶色の髪が風になびけば、思わず目が釘付けになるし、適度な重量感のある胸は――
(って、俺は何を考えているんだ)
ハッと目を開けて、ウィリアムは首を横に振る。
「酔っているんだな。もう寝よう」
きっと酩酊して思考がおかしくなっているから、邪まなことを考えるのだ。ウィリアムは断じて、エイジェリンをそのような無粋な目で見ているわけではない。決してない。彼女はとても好ましい性格をしているし可愛らしいけれど、胸がどうとか腰のくびれがどうとか、そんな軽蔑されるようなことを考えながら見つめたことは絶対ない……はずだ。
湯を浴びて酔いを醒まし、さっさと寝るべきだと、ウィリアムは飲みかけのウイスキーをテーブルの上に置いて立ち上がった。
続き部屋の浴室には、メイドが湯を準備してくれている。
脱衣所に着替えが置かれているのを確かめてから、ウィリアムはやや乱暴に服を脱ぎ捨てると、ざぶんと肩まで湯につかった。
湯には少し香油が垂らしてあるようで、ほのかにローズの香りがする。
(エイジェリンの香りはもっとこう……甘い……って、だからおかしなことを考えるな!)
ローズではなくミルクのような香りがするのだと、エイジェリンを思い浮かべたウィリアムは、思考からエイジェリンを追い出そうと、頭の先まで湯に沈める。
――そして、のぼせた。
城からブラッド家に戻って、エイジェリンの泣き腫らした目を見たルーベンスから非難のこもった視線を向けられ、しつこいぐらいに「何があったのか」と聞いて回る彼を追い返し、ようやく一人きりになった私室でのことである。
非常にわかりにくいが、ルーベンスはエイジェリンを気に入っている。最初は、勘違いでここから追い出したことについて負い目を感じていたようだが、素直で真面目な彼女自身のことを評価し、気にかけていることを、彼と長い付き合いであるウィリアムは感じ取っていた。
だが、泣きはらした目をしているエイジェリンを見て、真っ先にウィリアムを疑うのは、執事としていかがなものだろう。
確かに自分が泣かせたようなものだが、あんなに泣くとは思っていなかったし、ウィリアムだって、この忌々しいブラックダイヤモンドの指輪が泣ければ、抱きしめて慰めていた。
エイジェリンを抱きしめでもしたら、嬉々としてアルジャーノンが飛び出してくる。だからハンカチを差し出しただけで、彼女が泣き止むまで見守るしかできなかったのに、ルーベンスは泣いている女性を眺めているだけなんて紳士失格だとかなんだとか言って責め立ててきた。
一人掛けのソファに深く身をうずめて、グラスを揺らしつつ、ウィリアムは口を尖らせる。
(くそ、ルーベンスもだが、アニスも、あんなに睨まなくたっていいだろう)
アニスは、エイジェリンの身支度を整えるためにつけたメイドだ。エイジェリンと同年齢で、仲がいい。
アニスはエイジェリンを出迎えに玄関にやってきて、エイジェリンの顔を見た途端に、ウィリアムをキッと睨みつけてきた。ルーベンス同様、エイジェリンが泣くようなことをウィリアムがしたと決めつけての行動だった。
エイジェリンがウィリアムをかばったけれど、逆にそれでさらに不審がられてしまったから、しばらくはアニスから疑惑のこもったまなざしを向けられるのは間違いない。
(俺だって、あそこまで泣かせるつもりはなかったんだ。……いろいろ我慢しているようだったから、少し発散させた方がいいと思ったのは事実だけど)
パーティーで多少の酒を飲んでいたからか、ちびちびと舐めるように飲んでいるだけのウイスキーでも、いつもより早くに酔いが回ってくる。
本人は気づいているのかどうか知らないが、エイジェリンはあまり感情を表に出さない。まったく出さないことはないのだが、いつもどこか張り詰めたような表情で、笑っていても、瞳の奥は暗い色を宿していた。
そのエイジェリンが、珍しく大きく感情を揺らしたから、我慢させずに泣かせてやろうと思ったのだ。
婚約者に裏切られて家を追い出され、前の勤め先でもつらい思いをした。きっと、多くの感情を胸の内にため込んでいたはずだ。彼女にはそれらの感情をぶつける相手がいないし、泣いて甘えることができる父も母もいない。ならばせめてウィリアムの前で泣かせてやろうと思った。彼女は以前もウィリアムの目の前で泣いたことがあるから、二人きりのときならばきっと泣いてくれると思ったのだ。
「……俺だって、抱きしめて慰めてやりたかったさ」
酔いもあってか、ぽつり、と口からこぼれたつぶやきに、ウィリアム自身が驚いた。
何を言っているんだろうと、笑いながら目を閉じて天井を向くと、瞼の裏に、綺麗なルビー色の瞳を揺らすエイジェリンの姿が現れる。
エイジェリンは、とびきりの美人と言うわけではないが、少し童顔にも見えるくりっとした大きな瞳が魅力的で、小さな鼻は、ついつい指先でつついてしまいたくなる可愛らしさだ。
ぷっくりとみずみずしいサクランボのような唇は触れてみたくなるし、白くてすべすべしている肌は頬ずりしてみたいと思う。
艶々の赤茶色の髪が風になびけば、思わず目が釘付けになるし、適度な重量感のある胸は――
(って、俺は何を考えているんだ)
ハッと目を開けて、ウィリアムは首を横に振る。
「酔っているんだな。もう寝よう」
きっと酩酊して思考がおかしくなっているから、邪まなことを考えるのだ。ウィリアムは断じて、エイジェリンをそのような無粋な目で見ているわけではない。決してない。彼女はとても好ましい性格をしているし可愛らしいけれど、胸がどうとか腰のくびれがどうとか、そんな軽蔑されるようなことを考えながら見つめたことは絶対ない……はずだ。
湯を浴びて酔いを醒まし、さっさと寝るべきだと、ウィリアムは飲みかけのウイスキーをテーブルの上に置いて立ち上がった。
続き部屋の浴室には、メイドが湯を準備してくれている。
脱衣所に着替えが置かれているのを確かめてから、ウィリアムはやや乱暴に服を脱ぎ捨てると、ざぶんと肩まで湯につかった。
湯には少し香油が垂らしてあるようで、ほのかにローズの香りがする。
(エイジェリンの香りはもっとこう……甘い……って、だからおかしなことを考えるな!)
ローズではなくミルクのような香りがするのだと、エイジェリンを思い浮かべたウィリアムは、思考からエイジェリンを追い出そうと、頭の先まで湯に沈める。
――そして、のぼせた。
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