マッドハッターの気ままな事件簿~ドSな帽子屋は一人の少女を溺愛する~

狭山ひびき@バカふり200万部突破

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湖には魔物がすんでいる!?

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 ヴィクトールたちが来ることは、事前にシオンから連絡が入っていたのだろう。馬車が別荘の前に到着すると、中から五十手前くらいだろうと思われる中肉中背の男があらわれた。

 バグリーと名乗った彼は、主たちが不在の間、別荘を管理するために雇われた男らしい。

 別荘には、ほかにも、掃除婦が一人と、塀に囲まれた広い庭を管理する庭師が一人いるそうだ。

 ハワード家の人間が別荘を訪れるときは、ほかにもメイドやコックを雇ったり邸から連れてきたりするそうだが、今はこの三人だけらしい。

 そう言えば、ヴィクトールが別荘に行く前に、シオンが使用人をほかにも雇おうかと言っていたことを思い出した。ヴィクトールは使用人を必要としないし、料理も自分で作れるので、シオンには不要だと断ったのだ。

(食材は管理人の男に言えば用意してくれると言っていたし、問題ないな)

 バグリーは邸からほど近いところにある村に住んでいるらしい。

 日が昇ったころに邸にやってきて、沈むころに帰るそうだ。掃除婦と庭師も同様である。

 簡単に別荘の中を案内されながら、ヴィクトールはふと、ヴィクトールの手を握って隣を歩いているスノウに視線を落とした。

 スノウは、じーっとバグリーの横顔を見つめている。

 時折、大きな目をパチパチとしばたたかせて、楽しそうな表情をしているのが気になったが、広い邸に興奮しているのかと思い、ヴィクトールは小さく微笑む。

 バグリーにざっくりと別荘の中を案内されると、ヴィクトールは二階の日当たりのいい東の一室を使うことに決めた。

 その部屋のあるベッドは、紺色の天蓋がかかっており、スノウが「王様のベッドみたい!」と気に入ったようだったからだ。

 バグリーは別荘の案内を終えると、買ってきた食材を伝えて、地下室にワインがあることも教えてくれた。シオンに自由に飲んでもらうようにと伝言を受けているらしい。

(……あのお坊ちゃんも、律儀だねぇ)

 ちょっと意地悪をして、おそらく嫌われたと思っているのだが、好き嫌いと謝礼は別物だと割り切っているのかどうなのか。用意された食材も、到底二人では食べきれないほどの量だったし、至れり尽くせりとはこのことだろう。

 バグリーは、最後に、本当に料理はしなくていいのか、簡単なものなら掃除婦が作れるはずだから頼んでこようかと心配そうにしていたが、ヴィクトールが大丈夫だと言えば、また明日の朝に来ると言って帰っていった。

 バグリーが別荘を出て行くと、彼に向かってバイバイと手を振っていたスノウが、くるりとヴィクトールを振り返って興奮した口調で言った。

「髭が動くの!」

「……ひげ?」

「そう! バグリーさんのお髭! おしゃべりすると、こう、ふよふよ? ふにふに? って動くの。見た?」

 ヴィクトールはバグリーの顔を思い出した。丸顔の彼の鼻の下には、少し長めのちょび髭があったのを思い出す。

 バグリーの顔にはそのちょび髭以外の髭は生えておらず、スノウが言っているのはそれだとすぐにわかる。

「スノウ……、もしかして、さっき、ずっとバグリーさんを見ていたのは、髭が動くを見ていたの?」

「うん!」

 ヴィクトールは思わずぷっと吹き出した。

 妙にじーっと見つめていると思ったが、どうやらスノウは、バグリーの髭がよほど気に入ったようだ。

「あんなお髭はじめてみた!」

「そうだねぇ、確かに、最近ちょび髭はあんまり見ないねぇ」

「ヴィーのお髭はちくちくするだけ。朝とか、とくに」

 ヴィクトールは思わず顎に手を当てた。よかった、まだチクチクしていない。

 ヴィクトールは髭が濃い方ではないが、それでも朝起きたときは少しチクチクするらしい。以前、寝起きにスノウに頬ずりをして「チクチクする!」と嫌がられたことがあったのを思い出した。

「ヴィーもあのお髭作れる?」

「え?」

 じっとスノウに見上げられて、ヴィクトールはいくらかたじろいだ。

(ちょび髭? いやいやいやいや――)

 ヴィクトールは自分のちょび髭姿を想像して、あわてて首を振った。いくらスノウの頼みでもそれはさすがに聞けない。なので、ヴィクトールはにっこり笑ってこう返した。

「スノウ、あのお髭はね、神様に選ばれた人にしか生えないんだよ」

 するとスノウは、バグリーが出て行った玄関に尊敬の視線を向けた。

「神様? バグリーさん、すごい!」

 素直で純粋なスノウは、疑いもせずにヴィクトールの嘘を信じたらしい。

 あまりに簡単にスノウが信じたので、ヴィクトールはいくらか痛む心臓の上をおさえて、この話はさっさと切り上げることにした。

「スノウ、今日のご飯はなにがいいかな? ジャガイモがたくさんあったから、コロッケかポテトグラタン――」

「コロッケ!」

 くるっと振り返ったスノウが、目を輝かせてヴィクトールに抱きついた。

「真ん中にチーズ入れる?」

「うん!」

 ヴィクトールはスノウと手をつないでキッチンへ向かう。

 その途中、スノウは少し難しい顔をしたあとで、ヴィクトールを見上げてこう言った。

「お髭はくれなかったけど、きっと神様は、その代わりにヴィーに料理が上手な才能をくれたんだね!」

 ヴィクトールの良心がチクリと痛んで、彼は曖昧に笑うことしかできなかった。
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