25 / 44
やさしい夜と気づいた想い
1
しおりを挟む
ミリアムは離宮の一室で、この離宮を管理しているゼノが煎れてくれた紅茶を飲みながら、ほーっと息を吐きだした。
ガーネットと一緒にいるアスヴィルを見た次の日の朝、ミリアムは急に静かなところに逃げたくなって、この離宮を訪れた。
この離宮に住みついているジェイルという名の遠縁の男は少しばかり苦手だが、彼はほとんど地下の一室で過ごしているから、鉢合わせることも少ないだろう――、そう思ってやってきたのだが、どうやらジェイルは実家に呼び出されて離宮から離れているらしい。
ラッキーだった、と内心ほくそえみながら、ミリアムは離宮での静かなひと時を満喫していた。
何よりミリアムの心を落ち着けてくれるのは、アスヴィルの愛の叫びが聞こえないことだ。
ミリアムは疲れていた。
アスヴィルの声に、言葉に、顔に姿に――、彼のすべてに心乱される日々に、どうしようもなく疲弊していたのだ。
幸い、離宮には温泉もあり、心を癒すにはもってこいの場所だった。
ミリアムはティーカップを口に運びながら、ゼノを話し相手に、午後のひと時を楽しんでいた。
ゼノはミリアムが産まれる前からこの離宮を管理しているが、いつも琥珀色の瞳を優しく細めて微笑んでくれて、ミリアムは彼が実の祖父のように大好きだった。
そのため、ゼノを相手にしていると、ついつい話すぎてしまう。
「おやおや、アスヴィル様がそんなことを……」
うっかり城でアスヴィルがミリアムへの愛を叫び続けていることをしゃべってしまい、ミリアムはゼノがくすくす笑うのを見て、内心、余計なことを言ったかしら、と後悔した。
「あのアスヴィル様が叫ぶくらいですから、よほど、ミリアム様のことを愛していらっしゃるんでしょうね」
「そうかしら」
ミリアムは拗ねたように言った。
「わたしからしたら、ふざけているようにしか見えないわ」
そう。毎日毎日「愛しています」と離れたところから叫ばれても、ちっと嬉しくない。城中のさらし者になるし、到底本気のようには思えない。
「だいたい、急に好きだと言い出したのよ。今まで我儘だなんだと小馬鹿にしていたくせに。どこを信じろって言うの?」
「アスヴィル様は不器用な方ですが、嘘は言わない方ですよ」
アスヴィルが好きだというのなら、それは本当のことだから信じてやれとゼノは言う。
けれど、ミリアムはどうしても信じられなかった。信じたら、何かに負けてしまうような気すらする。
「ミリアム様はアスヴィル様がお嫌いですか?」
「大嫌いよ!」
即答するミリアムに、ゼノは苦笑した。
「そうですか? どこがお嫌いなんですか?」
「え?」
どこが――。以前、母からも同じ質問をされたことがある。その時ミリアムは「全部」と答えたのだが、ゼノの質問に同じように「全部」と言いかけて、ふとミリアムは口を閉ざした。
(どこが……)
冷静になって考えれば、どこがという問いに、うまく答えられる自信がない。
アスヴィルの「我儘」というときの声が嫌だった。
所かまわず「愛している」と叫ばれることも嫌だ。
でも、嫌だけど、そこが嫌いなのかと訊かれると、そうでもない。
(嫌い、なはずよ……)
ここにきて、ミリアムは揺らいでしまった。
嫌いなのだ。アスヴィルのことなんて、大嫌いなはずなのだ。
それなのに、具体的に嫌いな箇所があげられない。
押し黙ってしまったミリアムに、ゼノは目じりにしわを浮かべて微笑んだ。
「アスヴィル様は、お優しい方ですよ」
――そうかもしれない。
ミリアムはアスヴィルの顔を思い出しながら、ただ黙ってティーカップに口をつけた。
(でも……、やっぱり、信じられないわ)
五歳の時にはじめて見たアスヴィルの冷たい顔が思い出される。
今はいいかもしれない。ミリアムのことを愛していると本当に思っているのかもしれない彼は、ミリアムに対してあの時のような表情を見せない。
でも、もしも彼がミリアムに飽きてしまって、あの時と同じような視線を向けられたら――
(無理よ。信じられない)
いや、違う。怖いのだ。
ミリアムは、アスヴィルの「愛している」という言葉を信じることが、どうしようもなく怖かったのである――
ガーネットと一緒にいるアスヴィルを見た次の日の朝、ミリアムは急に静かなところに逃げたくなって、この離宮を訪れた。
この離宮に住みついているジェイルという名の遠縁の男は少しばかり苦手だが、彼はほとんど地下の一室で過ごしているから、鉢合わせることも少ないだろう――、そう思ってやってきたのだが、どうやらジェイルは実家に呼び出されて離宮から離れているらしい。
ラッキーだった、と内心ほくそえみながら、ミリアムは離宮での静かなひと時を満喫していた。
何よりミリアムの心を落ち着けてくれるのは、アスヴィルの愛の叫びが聞こえないことだ。
ミリアムは疲れていた。
アスヴィルの声に、言葉に、顔に姿に――、彼のすべてに心乱される日々に、どうしようもなく疲弊していたのだ。
幸い、離宮には温泉もあり、心を癒すにはもってこいの場所だった。
ミリアムはティーカップを口に運びながら、ゼノを話し相手に、午後のひと時を楽しんでいた。
ゼノはミリアムが産まれる前からこの離宮を管理しているが、いつも琥珀色の瞳を優しく細めて微笑んでくれて、ミリアムは彼が実の祖父のように大好きだった。
そのため、ゼノを相手にしていると、ついつい話すぎてしまう。
「おやおや、アスヴィル様がそんなことを……」
うっかり城でアスヴィルがミリアムへの愛を叫び続けていることをしゃべってしまい、ミリアムはゼノがくすくす笑うのを見て、内心、余計なことを言ったかしら、と後悔した。
「あのアスヴィル様が叫ぶくらいですから、よほど、ミリアム様のことを愛していらっしゃるんでしょうね」
「そうかしら」
ミリアムは拗ねたように言った。
「わたしからしたら、ふざけているようにしか見えないわ」
そう。毎日毎日「愛しています」と離れたところから叫ばれても、ちっと嬉しくない。城中のさらし者になるし、到底本気のようには思えない。
「だいたい、急に好きだと言い出したのよ。今まで我儘だなんだと小馬鹿にしていたくせに。どこを信じろって言うの?」
「アスヴィル様は不器用な方ですが、嘘は言わない方ですよ」
アスヴィルが好きだというのなら、それは本当のことだから信じてやれとゼノは言う。
けれど、ミリアムはどうしても信じられなかった。信じたら、何かに負けてしまうような気すらする。
「ミリアム様はアスヴィル様がお嫌いですか?」
「大嫌いよ!」
即答するミリアムに、ゼノは苦笑した。
「そうですか? どこがお嫌いなんですか?」
「え?」
どこが――。以前、母からも同じ質問をされたことがある。その時ミリアムは「全部」と答えたのだが、ゼノの質問に同じように「全部」と言いかけて、ふとミリアムは口を閉ざした。
(どこが……)
冷静になって考えれば、どこがという問いに、うまく答えられる自信がない。
アスヴィルの「我儘」というときの声が嫌だった。
所かまわず「愛している」と叫ばれることも嫌だ。
でも、嫌だけど、そこが嫌いなのかと訊かれると、そうでもない。
(嫌い、なはずよ……)
ここにきて、ミリアムは揺らいでしまった。
嫌いなのだ。アスヴィルのことなんて、大嫌いなはずなのだ。
それなのに、具体的に嫌いな箇所があげられない。
押し黙ってしまったミリアムに、ゼノは目じりにしわを浮かべて微笑んだ。
「アスヴィル様は、お優しい方ですよ」
――そうかもしれない。
ミリアムはアスヴィルの顔を思い出しながら、ただ黙ってティーカップに口をつけた。
(でも……、やっぱり、信じられないわ)
五歳の時にはじめて見たアスヴィルの冷たい顔が思い出される。
今はいいかもしれない。ミリアムのことを愛していると本当に思っているのかもしれない彼は、ミリアムに対してあの時のような表情を見せない。
でも、もしも彼がミリアムに飽きてしまって、あの時と同じような視線を向けられたら――
(無理よ。信じられない)
いや、違う。怖いのだ。
ミリアムは、アスヴィルの「愛している」という言葉を信じることが、どうしようもなく怖かったのである――
0
お気に入りに追加
268
あなたにおすすめの小説
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる