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初恋は甘いけれど
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アスヴィルは本日何度目かのため息をついた。
目の前にはきれいに着飾ったブルネットの美女が座っているが、アスヴィルの視界は彼女の存在を一向に捕えない。
彼女がどれだけ話しかけてこようと、「はあ」とか「ああ」とか適当な相槌のみで、まともに相手をしようとしないアスヴィルに、隣に座っているグノーが額をおさえた。
我が息子ながら、社交性のかけらもない――、そんな風に思われていることなど露とも知らず、アスヴィルはずっと昨日のミリアムの姿ばかりを思い描いていたのである。
三年ぶりに見た彼女の姿は、アスヴィルの心に衝撃を落とした。
頭上から雷を落とされたかのような衝撃だった。
艶やかな赤い髪、ふわりと軽い肢体に、細い腰。愛らしい大きな瞳を縁どる長いまつ毛、赤くふっくらとした唇。落ちてきたときにふわりと香った甘い香りと、落ちることを恐れたのか、怯えたような表情。
「はあ……」
アスヴィルの中でずっと小さな子供だったミリアムはいつの間にか成長し、愛くるしい美少女になっていた。
これが、ため息をつかずにいられようか。
つまるところ、ひとめぼれだった。
成長したミリアムの姿に、アスヴィルは一瞬で心奪われてしまったのだ。
確かに、ミリアムは昔から、口はともかく、外見はとても愛らしい子供だった。成長すればとんでもない美少女になることは想像に難くなかったが、ミリアムのことを「可愛げのない子供」だと認識していたアスヴィルの脳は、ミリアムが成長するという事実を認識していなかった。
いつまでも子供のままだと思っていたのだ。
ミリアムがアスヴィルをことごとく避け続け、まともに顔を合わせていなかったことも、彼の中でミリアムの外見の時間が止まっていた要因かもしれない。
アスヴィルの脳は、今や、昨日のミリアムの顔と感触を片時も忘れなかった。
常に頭の隅に――いや、頭全体にミリアムがいる。
アスヴィルは完全にミリアムに恋をしてしまった。厄介なことに、これが初恋だ。
この感情をどうすればいいのかわからず、アスヴィルは昨夜一日悶々として寝付けず、今朝起きてからも魂が抜けたように呆けていた。
息子の様子に、グノーも異常事態を察したが、セッティングした見合いを今更断るわけにもいかず、今を迎えているのである。
見合い相手の女は、さすがに気分を害したようで、拗ねたように言った。
「アスヴィル様は、わたくしに興味がないのね」
「はあ」
「わたくしは、今日が楽しみで、夜も眠れませんでしたのよ」
「はあ」
「でもきっと、アスヴィル様は、わたくしのことなんてどうでもいいのね。昨日もぐっすりとお休みになったのでしょう?」
いや、眠れなかったという意味で言えばアスヴィルも同じだった。現に目の下にはくっきりとクマが浮かんでいる。それに気づいての女性の厭味だったが、アスヴィルには通用しなかった。
「はあ」
相変わらず、ため息なのか相槌なのかわからない返事をするアスヴィルに、女は怒ったように立ち上がった。
「もう結構ですわ! アスヴィル様はこのお見合いに乗り気でないご様子。わたくしは帰らせていただきます!」
そう言ってぷりぷり怒りながら部屋から女が出て行っても、アスヴィルは相変わらず呆けていた。
礼儀として女を玄関まで送り届けていたグノーが部屋に戻ってきても、アスヴィルは相変わらず、どこを見ているのかわからないような虚ろな目をしてソファに座っている。
その頬だけ、薔薇のように紅潮しているのが、父親の目から見ても不気味だった。
「息子よ―――」
グノーは髭を撫でながら、恐る恐るアスヴィルに声をかけた。
「お前、今日はどうした? 熱でもあるのか?」
少々社交性が足りないのは昔からだが、ここまでおかしかったことは過去にない。
アスヴィルは父親に話しかけられて、焦点の定まらなかった目に、ようやくグノーの姿を映した。
「父上……」
呆けたような、情けなさそうな、それでいてうっとりしているような声で、アスヴィルは言った。
「どうやら俺は、恋に落ちたようです……」
グノーは固まった。
目の前にはきれいに着飾ったブルネットの美女が座っているが、アスヴィルの視界は彼女の存在を一向に捕えない。
彼女がどれだけ話しかけてこようと、「はあ」とか「ああ」とか適当な相槌のみで、まともに相手をしようとしないアスヴィルに、隣に座っているグノーが額をおさえた。
我が息子ながら、社交性のかけらもない――、そんな風に思われていることなど露とも知らず、アスヴィルはずっと昨日のミリアムの姿ばかりを思い描いていたのである。
三年ぶりに見た彼女の姿は、アスヴィルの心に衝撃を落とした。
頭上から雷を落とされたかのような衝撃だった。
艶やかな赤い髪、ふわりと軽い肢体に、細い腰。愛らしい大きな瞳を縁どる長いまつ毛、赤くふっくらとした唇。落ちてきたときにふわりと香った甘い香りと、落ちることを恐れたのか、怯えたような表情。
「はあ……」
アスヴィルの中でずっと小さな子供だったミリアムはいつの間にか成長し、愛くるしい美少女になっていた。
これが、ため息をつかずにいられようか。
つまるところ、ひとめぼれだった。
成長したミリアムの姿に、アスヴィルは一瞬で心奪われてしまったのだ。
確かに、ミリアムは昔から、口はともかく、外見はとても愛らしい子供だった。成長すればとんでもない美少女になることは想像に難くなかったが、ミリアムのことを「可愛げのない子供」だと認識していたアスヴィルの脳は、ミリアムが成長するという事実を認識していなかった。
いつまでも子供のままだと思っていたのだ。
ミリアムがアスヴィルをことごとく避け続け、まともに顔を合わせていなかったことも、彼の中でミリアムの外見の時間が止まっていた要因かもしれない。
アスヴィルの脳は、今や、昨日のミリアムの顔と感触を片時も忘れなかった。
常に頭の隅に――いや、頭全体にミリアムがいる。
アスヴィルは完全にミリアムに恋をしてしまった。厄介なことに、これが初恋だ。
この感情をどうすればいいのかわからず、アスヴィルは昨夜一日悶々として寝付けず、今朝起きてからも魂が抜けたように呆けていた。
息子の様子に、グノーも異常事態を察したが、セッティングした見合いを今更断るわけにもいかず、今を迎えているのである。
見合い相手の女は、さすがに気分を害したようで、拗ねたように言った。
「アスヴィル様は、わたくしに興味がないのね」
「はあ」
「わたくしは、今日が楽しみで、夜も眠れませんでしたのよ」
「はあ」
「でもきっと、アスヴィル様は、わたくしのことなんてどうでもいいのね。昨日もぐっすりとお休みになったのでしょう?」
いや、眠れなかったという意味で言えばアスヴィルも同じだった。現に目の下にはくっきりとクマが浮かんでいる。それに気づいての女性の厭味だったが、アスヴィルには通用しなかった。
「はあ」
相変わらず、ため息なのか相槌なのかわからない返事をするアスヴィルに、女は怒ったように立ち上がった。
「もう結構ですわ! アスヴィル様はこのお見合いに乗り気でないご様子。わたくしは帰らせていただきます!」
そう言ってぷりぷり怒りながら部屋から女が出て行っても、アスヴィルは相変わらず呆けていた。
礼儀として女を玄関まで送り届けていたグノーが部屋に戻ってきても、アスヴィルは相変わらず、どこを見ているのかわからないような虚ろな目をしてソファに座っている。
その頬だけ、薔薇のように紅潮しているのが、父親の目から見ても不気味だった。
「息子よ―――」
グノーは髭を撫でながら、恐る恐るアスヴィルに声をかけた。
「お前、今日はどうした? 熱でもあるのか?」
少々社交性が足りないのは昔からだが、ここまでおかしかったことは過去にない。
アスヴィルは父親に話しかけられて、焦点の定まらなかった目に、ようやくグノーの姿を映した。
「父上……」
呆けたような、情けなさそうな、それでいてうっとりしているような声で、アスヴィルは言った。
「どうやら俺は、恋に落ちたようです……」
グノーは固まった。
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