2 / 44
跪かない男
1
しおりを挟む
それは、ミリアムが五歳か六歳くらいのころだったはずだ。
魔族は力が強ければ強いほど長生きなのだが、それゆえ、遺伝子を次世代に残すことには非常に無頓着で、なかなか子供を作ろうとはしない。
だが、ミリアムの両親は「子供大好き」と公言している魔族の中では非常に変わった夫婦だった。
そんな中、ミリアムは、ミリアムの両親にとって百年ぶりに授かった子供だった。
一番上の兄であるシヴァとは、三百歳ほど年が離れている。
両親は、初めて授かった女の子に大喜びで、ミリアムのことを目の中に入れても痛くないほどかわいがった。――つまり、めちゃくちゃ甘やかした。
そのため、ミリアムは五歳をすぎるころには、魔界の住人すべてが自分のもとに跪くと信じていたし、どんな我儘でも通ると思っていた。
実際、当代の魔王の娘として、周りからちやほやされていたのだから当然かもしれない。
身内の中も、二番目の兄セリウスはミリアムにものすごく甘かったし、逆に一番上のシヴァは面倒くさがりなので、ミリアムが何を言っても、たいてい聞き流して怒ることはなかった。
つまり、誰もミリアムをとがめるものはおらず、結果ミリアムの我儘な性格は助長を極めたのである。
ある日の午後――
ミリアムは庭の薔薇園のそばで、お気に入りのメイドであるリザを連れてお菓子を食べていた。料理長に大量に焼かせたお菓子が、薔薇園のそばに作らせた簡易的なテーブルの上に、あふれんばかりにおかれている。
ミリアムは真っ赤な髪を背中に流し、白とピンクのフリフリしたドレスと身に着けていた。真っ赤な靴を履いた足が、地面に届かず揺れている。
「これ、イマイチね」
ミリアムは一口かじったタフィーを、ぽいっと背後に放り投げた。
リザが慌ててそれを拾いに行き、ゴミとしてまとめていく。
「これも甘すぎよ!」
ぽい。
次に手に取ったフィナンシェも背後に放る。
「まったく! 子供だと思って、料理長ったら手を抜いてるのかしら? 甘くすればいいってものじゃないのよ!」
幼児らしからぬ大人びた口調で文句を言って、ミリアムはミルクたっぷりのアイスミルクティーのグラスを両手で抱えた。
ちゅう、とストローでミルクティーを飲みながら、じっとお菓子の山を見つめる。
「これも、これも、これも! どれも甘いばっかりで美味しくないわ! 今日のは全部外れよ! もう、誰かいないの? 美味しいお菓子を作れる人!」
子供が偉そうなことを言っていても、メイドのリザは怒らない。「そうですね」と困ったような顔で頷いて、ミリアムが不要と言ったお菓子を片付けていく。
怒ったミリアムが、部屋に戻る、と立ち上がったときだった。
「まったく、しつけのなっていない子供だな」
背後から忌々しげな声が聞こえてきて、ミリアムは眉をつり上げた。
「なんですって!?」
振り返った先にいるのは、一番上の兄と同じくらい身長が高い、厳つい顔をした男だった。
短めのシルバーグレーの髪に青灰色の瞳の、ミリアムが見たことのない男である。
リザが慌てたように膝をついた。
「アスヴィル様、こちらへいらっしゃっていたのですか」
ミリアムは不機嫌な表情のままリザに視線を移した。
「誰よ、こいつ」
リザは顔を青くしながら、ミリアムにこそこそと耳打ちする。
「七侯のお一人である、グノー侯様のご子息様でございます」
グノーなら知っている。立派な髭を蓄えた、優しそうなお爺さんだ。たまに城にやってくるが、ミリアムを見ると必ずお菓子をくれるから、ミリアムはグノーのことが大好きだった。
確か、シヴァとそれほど年の変わらない息子がいると言っていたが、なるほど、この男がそうらしい。
ミリアムはふん、と鼻を鳴らした。
「そう。それで、グノーの息子が何の用よ。あなた、わたしが誰だかわかってるの? 知らなかったのなら、さっきの発言は許してあげるから、跪いて謝りなさい!」
アスヴィルはぐっと眉間にしわを刻んだ。
リザがますます青い顔をして、アスヴィルとミリアムの間に割って入る。
「ミ、ミリアム様。アスヴィル様はお忙しくていらっしゃいますし、きっとミリアム様がお姫様だとご存じなかったのですわ! ええ、ここは寛大なお心で許して差し上げ―――」
「どけ」
空気も凍るような声だった。
リザはヒッと飛び上がって、恐る恐るアスヴィルを見上げる。
もともと厳ついアスヴィルの顔が、より恐ろしくしかめられていた。
「あ、あああ、アスヴィル様、こ、子供の言うことで……」
「どけ」
もう一度言われて、リザは反射的に身を引いた。
アスヴィルは腕を組んでミリアムを見下ろすが、見た人すべての血の気が引きそうなほど恐ろしい表情を浮かべたアスヴィルにも、ミリアムは全く動じなかった。
動じないどころか、さらに不機嫌になって、アスヴィルに向かってぷくぷくした指を突きつける。
「何してるのよ、早く謝りなさい!」
ブチ
そばで見ていたリザは、脳の血管が切れるような音が聞こえた気がした。
アスヴィルはやおら腕を伸ばすと、猫の子を持つようにミリアムの首根っこをつまみ上げた。
「な! なにするの! 離しなさいっ!」
ミリアムが顔を真っ赤にして怒り、足をバタバタさせてアスヴィルを蹴りつける。
「ひいっ! アスヴィル様、お許しください! ミリアム様は、まだ五歳……」
「うるさい」
アスヴィルはミリアムがどれほど蹴飛ばそうと、暴れようと、どこ吹く風で、ミリアムをつまみ上げたまま踵を返す。
そのまま、青を通り越して白くなっているリザを一人残し、城の方へ歩いて行った。
魔族は力が強ければ強いほど長生きなのだが、それゆえ、遺伝子を次世代に残すことには非常に無頓着で、なかなか子供を作ろうとはしない。
だが、ミリアムの両親は「子供大好き」と公言している魔族の中では非常に変わった夫婦だった。
そんな中、ミリアムは、ミリアムの両親にとって百年ぶりに授かった子供だった。
一番上の兄であるシヴァとは、三百歳ほど年が離れている。
両親は、初めて授かった女の子に大喜びで、ミリアムのことを目の中に入れても痛くないほどかわいがった。――つまり、めちゃくちゃ甘やかした。
そのため、ミリアムは五歳をすぎるころには、魔界の住人すべてが自分のもとに跪くと信じていたし、どんな我儘でも通ると思っていた。
実際、当代の魔王の娘として、周りからちやほやされていたのだから当然かもしれない。
身内の中も、二番目の兄セリウスはミリアムにものすごく甘かったし、逆に一番上のシヴァは面倒くさがりなので、ミリアムが何を言っても、たいてい聞き流して怒ることはなかった。
つまり、誰もミリアムをとがめるものはおらず、結果ミリアムの我儘な性格は助長を極めたのである。
ある日の午後――
ミリアムは庭の薔薇園のそばで、お気に入りのメイドであるリザを連れてお菓子を食べていた。料理長に大量に焼かせたお菓子が、薔薇園のそばに作らせた簡易的なテーブルの上に、あふれんばかりにおかれている。
ミリアムは真っ赤な髪を背中に流し、白とピンクのフリフリしたドレスと身に着けていた。真っ赤な靴を履いた足が、地面に届かず揺れている。
「これ、イマイチね」
ミリアムは一口かじったタフィーを、ぽいっと背後に放り投げた。
リザが慌ててそれを拾いに行き、ゴミとしてまとめていく。
「これも甘すぎよ!」
ぽい。
次に手に取ったフィナンシェも背後に放る。
「まったく! 子供だと思って、料理長ったら手を抜いてるのかしら? 甘くすればいいってものじゃないのよ!」
幼児らしからぬ大人びた口調で文句を言って、ミリアムはミルクたっぷりのアイスミルクティーのグラスを両手で抱えた。
ちゅう、とストローでミルクティーを飲みながら、じっとお菓子の山を見つめる。
「これも、これも、これも! どれも甘いばっかりで美味しくないわ! 今日のは全部外れよ! もう、誰かいないの? 美味しいお菓子を作れる人!」
子供が偉そうなことを言っていても、メイドのリザは怒らない。「そうですね」と困ったような顔で頷いて、ミリアムが不要と言ったお菓子を片付けていく。
怒ったミリアムが、部屋に戻る、と立ち上がったときだった。
「まったく、しつけのなっていない子供だな」
背後から忌々しげな声が聞こえてきて、ミリアムは眉をつり上げた。
「なんですって!?」
振り返った先にいるのは、一番上の兄と同じくらい身長が高い、厳つい顔をした男だった。
短めのシルバーグレーの髪に青灰色の瞳の、ミリアムが見たことのない男である。
リザが慌てたように膝をついた。
「アスヴィル様、こちらへいらっしゃっていたのですか」
ミリアムは不機嫌な表情のままリザに視線を移した。
「誰よ、こいつ」
リザは顔を青くしながら、ミリアムにこそこそと耳打ちする。
「七侯のお一人である、グノー侯様のご子息様でございます」
グノーなら知っている。立派な髭を蓄えた、優しそうなお爺さんだ。たまに城にやってくるが、ミリアムを見ると必ずお菓子をくれるから、ミリアムはグノーのことが大好きだった。
確か、シヴァとそれほど年の変わらない息子がいると言っていたが、なるほど、この男がそうらしい。
ミリアムはふん、と鼻を鳴らした。
「そう。それで、グノーの息子が何の用よ。あなた、わたしが誰だかわかってるの? 知らなかったのなら、さっきの発言は許してあげるから、跪いて謝りなさい!」
アスヴィルはぐっと眉間にしわを刻んだ。
リザがますます青い顔をして、アスヴィルとミリアムの間に割って入る。
「ミ、ミリアム様。アスヴィル様はお忙しくていらっしゃいますし、きっとミリアム様がお姫様だとご存じなかったのですわ! ええ、ここは寛大なお心で許して差し上げ―――」
「どけ」
空気も凍るような声だった。
リザはヒッと飛び上がって、恐る恐るアスヴィルを見上げる。
もともと厳ついアスヴィルの顔が、より恐ろしくしかめられていた。
「あ、あああ、アスヴィル様、こ、子供の言うことで……」
「どけ」
もう一度言われて、リザは反射的に身を引いた。
アスヴィルは腕を組んでミリアムを見下ろすが、見た人すべての血の気が引きそうなほど恐ろしい表情を浮かべたアスヴィルにも、ミリアムは全く動じなかった。
動じないどころか、さらに不機嫌になって、アスヴィルに向かってぷくぷくした指を突きつける。
「何してるのよ、早く謝りなさい!」
ブチ
そばで見ていたリザは、脳の血管が切れるような音が聞こえた気がした。
アスヴィルはやおら腕を伸ばすと、猫の子を持つようにミリアムの首根っこをつまみ上げた。
「な! なにするの! 離しなさいっ!」
ミリアムが顔を真っ赤にして怒り、足をバタバタさせてアスヴィルを蹴りつける。
「ひいっ! アスヴィル様、お許しください! ミリアム様は、まだ五歳……」
「うるさい」
アスヴィルはミリアムがどれほど蹴飛ばそうと、暴れようと、どこ吹く風で、ミリアムをつまみ上げたまま踵を返す。
そのまま、青を通り越して白くなっているリザを一人残し、城の方へ歩いて行った。
0
お気に入りに追加
269
あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

【完結】「君を手に入れるためなら、何でもするよ?」――冷徹公爵の執着愛から逃げられません」
21時完結
恋愛
「君との婚約はなかったことにしよう」
そう言い放ったのは、幼い頃から婚約者だった第一王子アレクシス。
理由は簡単――新たな愛を見つけたから。
(まあ、よくある話よね)
私は王子の愛を信じていたわけでもないし、泣き喚くつもりもない。
むしろ、自由になれてラッキー! これで平穏な人生を――
そう思っていたのに。
「お前が王子との婚約を解消したと聞いた時、心が震えたよ」
「これで、ようやく君を手に入れられる」
王都一の冷徹貴族と恐れられる公爵・レオンハルトが、なぜか私に異常な執着を見せ始めた。
それどころか、王子が私に未練がましく接しようとすると――
「君を奪う者は、例外なく排除する」
と、不穏な笑みを浮かべながら告げてきて――!?
(ちょっと待って、これって普通の求愛じゃない!)
冷酷無慈悲と噂される公爵様は、どうやら私のためなら何でもするらしい。
……って、私の周りから次々と邪魔者が消えていくのは気のせいですか!?
自由を手に入れるはずが、今度は公爵様の異常な愛から逃げられなくなってしまいました――。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】あなたがそうおっしゃったのに。
友坂 悠
恋愛
どうして今更溺愛してくるんですか!?
メイドのエーリカは笑顔が魅力的な天真爛漫な少女だった。ある日奉公先の伯爵家で勧められた縁談、フォンブラウン侯爵家の嫡男ジークハルトとの婚姻を迫られる。
しかし、
「これは契約婚だ。私が君を愛することはない」
そう云い放つジークハルト。
断れば仕事もクビになり路頭に迷う。
実家に払われた支度金も返さなければならなくなる。
泣く泣く頷いて婚姻を結んだものの、元々不本意であったのにこんな事を言われるなんて。
このままじゃダメ。
なんとかして契約婚を解消したいと画策するエーリカ。
しかしなかなかうまくいかず、
それよりも、最近ジークハルトさまの態度も変わってきて?
え? 君を愛することはないだなんて仰ったのに、なんでわたくし溺愛されちゃってるんですか?

【完結】お飾りではなかった王妃の実力
鏑木 うりこ
恋愛
王妃アイリーンは国王エルファードに離婚を告げられる。
「お前のような醜い女はいらん!今すぐに出て行け!」
しかしアイリーンは追い出していい人物ではなかった。アイリーンが去った国と迎え入れた国の明暗。
完結致しました(2022/06/28完結表記)
GWだから見切り発車した作品ですが、完結まで辿り着きました。
★お礼★
たくさんのご感想、お気に入り登録、しおり等ありがとうございます!
中々、感想にお返事を書くことが出来なくてとても心苦しく思っています(;´Д`)全部読ませていただいており、とても嬉しいです!!内容に反映したりしなかったりあると思います。ありがとうございます~!

いつか彼女を手に入れる日まで
月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる