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エルフの里 4

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 村の周囲を走り回って、エマ達は不自然に枯れている麦畑の前で立ち止まった。
 冬麦の作付けが終わって、青々とした麦の短い新芽が生えそろいはじめる時期なのだが、一つの畑だけ、その新芽がすべて茶色く枯れているものがあったのだ。

「このあたりだ。気をつけろよ」

 アーサーが周囲の気配を探りながら言う。

「……ねえ、妖精って、斬ったらまずい?」

 ユーインが腰の剣に触れながら訊ねた。

「エルフは多少斬りつけたくらいじゃ死なねーだろうけど、万が一斬り殺しちまったら妖精王が激怒すると思うぞ」
「よしわかった。じゃあ鞘で殴ろう」
「お前、意外とおっかねーな」

 鞘ごと剣を抜き取ったユーインに、アーサーが目を丸くする。

「エマはおとなしくしておくんだよ、いいね?」
「わたしだって、飛びかかるくらいはできるわよ」
「馬鹿をお言い! 怪我をしたらどうするんだい!」

 ポリーに怒られて、エマはしゅんと肩を落とした。
 ボギーになった妖精を元に戻せると言っても、エマではダークエルフを捕まえる力がない。アーサーやユーインがダークエルフを捕まえてくれるのをただ待っているしかないのだ。

(こんなことなら、何か武術を習えばよかったわ)

 これまでに遭遇したボギーは、アーサーやポリーがいればそれほど苦もなく捕まえることができたが、アーサーが「ヤバい」というくらいだ、ダークエルフ相手ではそうはいかないだろう。
 はじまる前から戦力外通告をされて、エマはちょっと悔しくなった。
 アーサーが鼻をひくひくさせながら周囲を伺う。

「……淀んだ臭いがする。たぶん近くにいるはずだ。気をつけろよ、どこから飛び出してくるかわからねえからな。ポリー、エマを頼む」
「任せておきな」

 ポリーがエマの肩の上に立って、いつになく厳しい声で応じた。
 エマもぎゅっと拳を握り締めて周りの気配を探った。

(不思議だわ。この季節、どこへ行っても虫の声がするのに……このあたりからは、全然虫の声がしない)

 虫たちもダークエルフに怯えているのだろうか。
 自分たちの息遣いと、風が草木を揺らす音だけがする。
 息をするのも憚られるような張り詰めた緊張を感じながら、エマは枯れた麦畑を中をじっと見つめる。
 そのときだった。
 チカッと、麦畑の中で何か赤いものが光った気がした。

「……ポリー」
「アーサー! 麦畑の中央だ‼」

 エマがポリーに声をかけたのと、ポリーが声を張り上げたのは同時だった。
 アーサーとユーインが声にはじかれた様に同時に走り出す。
 目を凝らせば、麦畑の中央に、黒い影の塊のようなものがあった。
 その中で真っ赤な二つの目だけが、闇夜にぽっかりと浮かび上がって見える。

「遠慮すんなユーイン‼ 躊躇うと返り討ちにされるぞ‼」
「わかった!」

 ザッと枯れた麦を蹴って、ユーインが鞘に収まったままの剣を大きく振りかぶった。
 鞘に収まったままだから少し重たいのだろう、大きな反動をつけて振り下ろした剣が、ブンッと鈍い音を発しながら風を切って垂直に振り下ろされる。
 エマの目には、ユーインの振り下ろした剣は黒い影の塊に直撃するかに見えた。

 しかし――

「ユーイン!」
「横に飛べ‼」

 エマの叫び声と、アーサーの怒鳴り声はほぼ同時。
 一瞬でユーインの目の前から消えた影の塊が、ユーインめがけて襲い掛かったのだ。
 ユーインが間一髪のところで横に大きく飛ぶ。

「っ」

 エマは思わず両手で口を覆った。
 ユーインが一瞬前まで立っていた場所が、大きくえぐれていたからだ。
 まるで、巨人の爪に引き裂かれたような、鋭く深い爪痕のような三本の線が、麦畑に走っている。
 影の塊は、ゆらりゆらりと揺れている。
 影のように見えたのは、肌や髪が真っ黒だったからだった。

(あれが……ダークエルフ……)

 夜の闇よりもなお暗い黒に染まった全身。
 その中で、目だけが赤く光っている。
 ユーインが剣を構えて、じりじりと間合いを測るようにダークエルフとの距離を詰めていく。
 アーサーが低くうなって――そして、その姿を変えた。
 小さな緑色の小型犬の姿だったアーサーの体が大きく膨れ上がっていく。
 二メートルを軽く超えていそうな巨躯に、濃い緑色の毛並み。
 唸りながらむき出しにしている歯は鋭くとがっていて、エマのよく知る愛くるしい顔はどこにもない。

(あれが……アーサーの本当の姿なの?)

 アーサーがエマの前で本来の姿になったのははじめてのことだった。
 息を呑むエマの横で、ポリーも本来の姿を取る。
 エマの肩から飛び降りたポリーは、エマの身長よりほんの少しだけ低い、白髪の老婆に姿を変えていた。

「構わず行きな。隙を見てあたしが捕らえるよ」

 指に細くしなやかな絹糸を巻き付け、それを蜘蛛の糸のように周囲に張り巡らせて、ポリーがしゃがれた声で言った。

「ああ、頼りにしてるぜばーさん。ユーイン、いちにのさんで飛びかかるぞ」
「わかった」

 ユーインは、突如として獰猛な姿に変わったアーサー相手にも、まったくひるんだ様子もなく頷いた。
 ダークエルフを、アーサーと挟み撃ちにすべく、じりじりと距離を詰めながら横に異動していく。

「エマ。あたしが捕らえても、あんまり長くはもたない。あたしが糸で捕らえたら、すぐにダークエルフに触れて元に戻すんだ。いいね」
「わかったわ。まかせて。いつでもいいわよ」

 すぐに走り出せるように、エマは上体を少し低くする。

「今だ‼」

 アーサーの号令で、ユーインとアーサーは同時に地を蹴った。
 アーサーが大きく口を開けてダークエルフに襲い掛かる。
 ユーインは横から薙ぐようにして剣を振るった。
 けれどもダークエルフはアーサーの攻撃をぎりぎりのところで回避すると、アーサーの腹部を大きく蹴り上げる。
 キャンッと悲鳴を上げて、アーサーが吹き飛んだ。

「アーサー‼」
「エマ、動くんじゃない」

 悲鳴を上げて走り出そうとしたエマの手をポリーが掴んで声で止める。
 ダークエルフはアーサーを吹き飛ばした直後に向きを変えて、ユーインの剣を素手で受け止めた。鞘に入ったままとはいえ、重たそうな一撃を難なく受け止めている。

「くっ!」

 ユーインは右足を振り上げて、ダークエルフの胸を後方に向けて蹴って剣を奪い返すと、すぐに体勢を整えて次の攻撃を繰り出す。

「虫も殺せない顔をして、なかなかやるねえ」
「呑気なことを言わないでポリー!」
「大丈夫だよ、エマ。アーサーのさっきのあれは、きっとわざとだ」
「……え?」

 ユーインが何度もダークエルフに向かって剣を打ち込んでいる背後で、ゆらりと、静かにアーサーが立ち上がった。

「あたしが合図をしたら走りな、いいね」

 ポリーが糸を操りながら低く言う。

「わ、わかったわ」

 エマはごくりと唾を飲んだ。
 ダークエルフは、ユーインの重たい攻撃に集中していて、背後のアーサーには気づいていない。
 アーサーが、ぐっと上体を低くした。

 ――それは、エマの目には一瞬のことのように映った。

 アーサーが飛びかかった瞬間、ユーインがわずかに後方に富んだ後で「はあああああ!」と大きな声を上げて大きく剣を振りかぶる。
 ユーインの剣が振り下ろされるのと、アーサーが背後からダークエルフに噛みつくのは、まるで示し合わせたかのように息がぴったりだった。

「行きな!」

 ポリーが叫び、すかさずダークエルフの四肢を糸でからめとる。
 エマは全力で走った。
 糸にからめとられ、倒れこんだダークエルフの上に飛び乗るようにして両手をつく。

「妖精さん妖精さん、戻ってきてください!」

 ダークエルフはエマの力を拒絶するようにもがいたが、ユーインとアーサーが二人がかりでのしかかってくれたおかげで、エマは弾き飛ばされずにすんだ。
 エマの手が触れたところから淡い光が溢れて、黒く染まり、ボギーと化したエルフを、元のシーリー・コートへ戻していく。
 元の清らかな妖精の姿に戻ったエルフは抵抗をやめて、ぱちぱちと目をしばたたく。
 ポリーが拘束を解くと、しばらく驚いた顔をしていたエルフは、ふわりと微笑むと、エマに礼を言って立ち上がった。

「妖精王があなたの帰りを待っていますよ」

 エマが言うと、エルフは頷いて、エルフの里があった山の方へと飛んでいく。

「はー……」

 いつの間にか仮の姿である小型犬に戻っていたアーサーが、大きく息を吐き出した。
 ポリーも人形サイズの小さな女の子の姿に戻って、エマの肩の上に腰を下ろす。

「もうあんなのを相手にするのは勘弁だぜ。ユーインがオレの思惑に気づいてくれたからよかったものをよー」
「あ、やっぱりわざと飛ばされたんだ、あれ」

 ユーインが苦笑して、剣を腰に戻した。

「当たり前だ。このオレ様があんなに無様にやられるかよ! お前こそ、その傷は早く手当てしておけよ」
「傷? え? ユーイン怪我をしたの⁉」

 エマは驚いて飛び上がった。
 ユーインが「大したことないよ」と言いながら右の二の腕を見やる。
 よく見ると、ユーインの二の腕には切られたような跡があり、血がにじんでいた。

(あのときの!)

 最初にユーインがダークエルフに飛びかかったとき、ユーインは反撃を横に飛んで反撃をよけたように見えたが、かすっていたのだ。

「大変! ユーイン、早く手当てしましょう! ええっと、まず傷を洗わなくちゃ!」

 村に戻って井戸を使わせてもらおう。
 エマのカバンには傷薬も包帯も入っているが、薬を塗る前に洗った方がいい。
 大丈夫だというユーインを村まで引っ張っていくと、エマは水で傷を丁寧に洗って、傷薬を塗った。

(よかった、深い傷じゃないみたい)

 包帯を巻き終えると、エマはホッと息を吐き出す。

「ありがとう、エマ」
「どういたしまして。でも、本当に大きなケガでなくてよかったわ」

 血を見たときはひやりとしたけれど、と言いながら顔を上げたエマは、息もかかりそうなほど近くにユーインの顔があることに今更気がついてドキリとした。
 包帯を巻いていたから当然だが、すぐ真上にユーインの顔がある。
 慌てて距離を取るのもおかしい気がして、かといってこのまま至近距離でいるのも恥ずかしくてあわあわするエマに、ユーインはふわりと微笑んだ。

「俺よりもエマだよ。すごかったね。あんなに真っ黒だったダークエルフが、あっという間に元に戻るんだから。エマの手はまるで魔法の手だ」
「そ、そんなことはないわよ……」
「いや、魔法だよ。ええっと、あれだ。『妖精さん妖精さん、戻ってきてください』って、呪文みたいだったし」

 エマは真っ赤になった。

「あ、あれは違うのっ! その……別に言わなくてもいいのよ。ただ、黙って触れているのはなんとなく気まずくて、言いはじめると癖になっちゃったって言うか……その……」

 エマは魔法使いではないのだから、呪文なんて必要ないのだ。
 ただエマが触れてさえいればボギーはシーリー・コートに戻る。「妖精さん妖精さん、戻ってきてください」という言葉は、本当に意味のない言葉なのだ。

「そうかな。優しいエマにぴったりの、素敵な言葉だと思ったけど」
「もう、揶揄わないで……」
「揶揄っているわけじゃないんだけど」

 くすくすとユーインが笑う。
 エマは頬を押さえてうつむいた。

「あー、お二人さん。仲がいいのはいいけどねえ、夜が明ける前に妖精王のもとに戻った方がいいんじゃないかね?」

 恥ずかしくて顔を上げられないエマの肩で、ポリーが言いにくそうに口を開く。

(そうだったわ!)

 ここでのんびりはしていられない。
 夜が明ければ村の人たちも起き出してくるだろうし、ムーンストーンの光も消えてなくなってしまう。
 エマは急いで立ち上がった。

「ユーイン、怪我をしているところ申し訳ないけれど、行きましょう」
「そうだね」

 オーベロンの願いはかなえた。

(これで、エルフの秘薬が手に入るわ)

 ――もしエルフの秘薬が手に入ったら、今度は俺が、君の手伝いをするのはどうかな。

 ふと、少し前に言われたユーインの言葉を思い出したエマは、首を横に振ってその言葉を頭の中から追い出すと、オーベロンの待つエルフの里へ向かった。


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