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エイミーが逃げる理由 1
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「捕まえたぞ!」
ダンッと顔のすぐ横に手をつかれて、エイミーは反射的にびくりと肩を震わせた。
屋上に続く階段の踊り場。
息を切らせたライオネルに壁に追い詰められて、エイミーは罠にかかった小動物になった気分だった。
昼休みの鐘の音とともに教室を飛び出せばライオネルに捕まらないと学習したエイミーは、三日続けて同じことをした。
けれども、エイミーよりもライオネルの方が何倍も上手だったらしい。
昨日一日で、エイミーが昼に教室を飛び出してどこに向かっているのかを突き止めたライオネルは、授業が終わるとすぐにエイミーを追いかけた。
そして、屋上に続く階段の途中で追いつかれたというわけだ。
「ここ数日逃げ回っていた理由を聞かせてもらおうか」
ライオネルが凄みのある笑みで迫ってくる。
ひえっとエイミーは心の中で悲鳴を上げた。
エイミーは昼休みの時間のみならず、放課後も同じようにしてライオネルから逃げ回っていたのだが、どうやらそのことでライオネルの逆鱗に触れてしまったようだ。
頭一つ分高いライオネルの端正な顔が、息もかかるほどの至近距離にある。
ちょっと怖いのに、でもそれだけではない理由で心臓が自分でもびっくりするくらい早くなった。
逃げ場を探して右に左にと視線を動かすけれど、顔の両方の横にライオネルの長い腕があって、とても出ないが逃げ出せそうもない。
「で、で、殿下、お昼ご飯食べに行かなくていいんですか……? わたしのことは構わず、お昼を食べに行ってください……」
自力で逃げ出せそうもないので、エイミーが声を裏返しながらそう言えば、ライオネルはにやりと笑って腕に引っ掛けていた袋を見せた。
「今日は料理人に言って弁当を作らせた」
(お弁当は冷めているから嫌いなくせに!)
本当にライオネルはどうしてしまったのだろう。
ライオネルは壁に追い詰めたエイミーの手をむんずと掴む。
「屋上がいいんだろう? 確かに屋上はあまり人がいないから静かだな。行くぞ」
こうなればもう従うよりほかはない。逆らったらもっと怖い思いをしそうだからだ。
エイミーはがっくりと肩を落として、ライオネルに引っ張られるまま、屋上への階段を上る。
ライオネルに掴まれている手首がすごく熱い。
手首から、エイミーの早い鼓動が伝わっていないか心配になって、エイミーはじーっとつながれた手首を見つめる。
思えば、ライオネルからエイミーに触れてくることはほとんどなかった。
それこそ、ここ数日くらいなものだ。
(まあ、触れるって言っても、連行するためなんでしょうけど……。すごく機嫌悪そうだし……)
誕生日パーティーの日の翌日から、ライオネルはすっごく機嫌が悪い。ずっと仏頂面で、ずっと眉間にしわが寄っている。
(もしかして……あのときのキスをわたしが拒んだから怒っているの?)
誕生日パーティーの日、温室でキスをされた時のことを思い出して、エイミーは顔に熱がたまっていくのを感じた。
エイミーにとっては二回目の――そして、ライオネルからされたはじめてのキス。
でもあれは、ドキドキはしたけど、あんまり嬉しくなかった。それどころか悲しかった。怖かった。
屋上に到着すると、ライオネルはそのままエイミーをベンチまで連れていく。逃亡を防止するかのようにエイミーの手首は持ったままだ。
「……殿下、片手がふさがっていたらお弁当を食べられませんよ?」
「逃げないと約束するのなら放してやる」
「逃げ、ないです。約束します」
どちらにせよ、この距離では逃げ出そうとしたところですぐに捕まってしまう。
エイミーは運動神経がいい方だが、負けず劣らずライオネルも運動神経がいいのだ。さらにライオネルは身長が高い分リーチがあり、足の速さでもエイミーが劣る。
ライオネルは「まあいいだろう」と言って手を放してくれた。
エイミーがカバンからお弁当箱を取り出すと、ライオネルも袋からサンドイッチの詰まった籠のようなお弁当箱を出す。
「……殿下、お茶は?」
「忘れた」
「じゃあ、わたしのをあげますね」
エイミーはカバンから水筒を取り出すと、コップに入れてライオネルに手渡す。サンドイッチなら喉が渇くだろうから。
ライオネルは興味深そうにコップを受け取り、小さく笑った。
「いつかと逆だな」
言われて、カフェテリアに連行された時に、ライオネルがお茶を持ってきてくれたことを思い出した。
おかしくなってエイミーが笑うと、ライオネルが優しく目を細める。
ドキリ、とエイミーの鼓動が大きく脈打った。
「なあ」
ドキドキうるさい心臓の上をそれとなく抑えていると、ライオネルが優しい顔のまま言う。
「お前は俺が好きなんだろう?」
ライオネル以外の人が言ったら自惚れにしか聞こえないセリフでも、彼が口にするとそう聞こえてこないから不思議だ。
実際エイミーは「好き好き」言ってライオネルを追いかけまわしていたのだから、ライオネルにしてみれば事実確認をしているだけなのだろう。
特別甘い響きもなく、淡々と訊ねられたエイミーは、ぱちぱちと目をしばたたいてから小さな声で「はい」と頷いた。嘘でも「嫌い」なんて言えなかったから。
ライオネルは、ちょっと赤くなった。それは彼にしては珍しい反応だった。
「だ、だったら、どうして別れようなどと言った」
「それは……」
「好きなら別れる必要はないだろう?」
(……でも、殿下はわたしのことが嫌いでしょう?)
エイミーは心の中でそう返した。
ライオネルはエイミーのことが嫌い。
ライオネル本人が言ったことではないか。
だからライオネルにとってはエイミーからの別れ話は歓迎されるべきことのはずである。
心の中でそう返しながら、エイミーはけれどそれを口にすることはできなかった。
ライオネルに向かってそんなことを言って、それをライオネルに肯定されたら、エイミーは泣いてしまうかもしれなかったから。
ライオネルに真顔で「嫌いだ」と言われるのはもう充分だ。
もう充分。これ以上聞きたくない。
「お前が急に別れたいなんて言い出すのはおかしい。何かあったんだろう? 何があった。言え」
「な……なにもないですよ」
「嘘をつけ」
「嘘じゃないです」
「じゃあ俺の目を見てもう一度言ってみろ」
「……っ」
エイミーはきゅっと唇を噛んで、そろそろと顔を上げてライオネルの綺麗な紫色の目を見る。
まっすぐに見下ろされる綺麗な目。エイミーはライオネルのこの目が大好きだ。
眉も、鼻も、口も、顔も声も。ぶっきらぼうなところも、怒りっぽいところも、でも本当はとても優しいところも、全部大好き。
エイミーはこくりと唾を飲んでから、ゆっくりと口を開く。
「な、にも……」
ない、と言おうとした唇が震えた。
ライオネルの目を見ていられなくて視線を動かせば、彼がため息をつく。
「ほら見ろ。お前は昔から嘘が苦手なんだ。特に俺相手には嘘がつけない。わかったら白状しろ」
「……ずるいです」
「ずるいのはどっちだ。理由も言わずに突然別れるなんて言いやがって」
「だってそれは――」
「それは?」
「…………言いたくないです」
エイミーはふるふると首を横に振ってうつむく。
入学してから、エイミーの頭上からいろんなものが降ってくるなんて、ライオネルには言いたくない。言えば優しい彼は、たとえ相手が大嫌いなエイミーであっても心配するだろう。ましてやライオネルを巻き込みたくないから別れたいなんて言えば、彼は絶対に納得しない。
ライオネルは長いため息を吐いた。
「わかった。言いたくないならいい。だが、別れないからな。お前は予定通り卒業後は俺に嫁ぐんだ」
「なんで!」
「なんで? それはお前が俺の婚約者だからだ!」
「だから別れるって――」
「俺は別れないと言っている」
「そ、そんなのおかしいです! だって、だって――だってずっと、殿下はわたしが嫌いだったじゃないですか!」
言ってから、エイミーはハッとした。
言いたくなかったのに。口にしたくなかったのに。
ライオネルの答えが聞きたくなくて、エイミーは自分の耳を両手で塞ぐ。
耳を塞いで背名を丸めるようにして縮こまるエイミーに、ライオネルはあきれ顔を浮かべて、エイミーの両手首をつかんだ。
「聞け」
そう言って、無理やりエイミーの手を引きはがす。
「や、やだ」
「いいから聞け」
「やだ!」
駄々っ子のように首を横に振っていると、もう一度嘆息したライオネルが、エイミーをグイッと引き寄せた。
膝の上に置いていた弁当箱が転がり落ちて、屋上の床の上に中身をまき散らす。
ぎゅっと抱きしめられて、エイミーはライオネルの胸の中で大きく目を見開いた。
「一度しか言わない」
ライオネルが、エイミーの耳元でささやく。
その心地のいい低い声と、それから熱い吐息に、エイミーはふるりと震えた。
ライオネルがエイミーのふわふわな金髪をゆっくりと撫でて、ちょっぴりかすれた声で告げる。
「お前が好きだ。いつの間にか好きになっていた。だから――別れない」
エイミーは大きく息を吸い込んで、それから呼吸の仕方を忘れたように、そのままぴたりと息を止めて――気絶した。
ダンッと顔のすぐ横に手をつかれて、エイミーは反射的にびくりと肩を震わせた。
屋上に続く階段の踊り場。
息を切らせたライオネルに壁に追い詰められて、エイミーは罠にかかった小動物になった気分だった。
昼休みの鐘の音とともに教室を飛び出せばライオネルに捕まらないと学習したエイミーは、三日続けて同じことをした。
けれども、エイミーよりもライオネルの方が何倍も上手だったらしい。
昨日一日で、エイミーが昼に教室を飛び出してどこに向かっているのかを突き止めたライオネルは、授業が終わるとすぐにエイミーを追いかけた。
そして、屋上に続く階段の途中で追いつかれたというわけだ。
「ここ数日逃げ回っていた理由を聞かせてもらおうか」
ライオネルが凄みのある笑みで迫ってくる。
ひえっとエイミーは心の中で悲鳴を上げた。
エイミーは昼休みの時間のみならず、放課後も同じようにしてライオネルから逃げ回っていたのだが、どうやらそのことでライオネルの逆鱗に触れてしまったようだ。
頭一つ分高いライオネルの端正な顔が、息もかかるほどの至近距離にある。
ちょっと怖いのに、でもそれだけではない理由で心臓が自分でもびっくりするくらい早くなった。
逃げ場を探して右に左にと視線を動かすけれど、顔の両方の横にライオネルの長い腕があって、とても出ないが逃げ出せそうもない。
「で、で、殿下、お昼ご飯食べに行かなくていいんですか……? わたしのことは構わず、お昼を食べに行ってください……」
自力で逃げ出せそうもないので、エイミーが声を裏返しながらそう言えば、ライオネルはにやりと笑って腕に引っ掛けていた袋を見せた。
「今日は料理人に言って弁当を作らせた」
(お弁当は冷めているから嫌いなくせに!)
本当にライオネルはどうしてしまったのだろう。
ライオネルは壁に追い詰めたエイミーの手をむんずと掴む。
「屋上がいいんだろう? 確かに屋上はあまり人がいないから静かだな。行くぞ」
こうなればもう従うよりほかはない。逆らったらもっと怖い思いをしそうだからだ。
エイミーはがっくりと肩を落として、ライオネルに引っ張られるまま、屋上への階段を上る。
ライオネルに掴まれている手首がすごく熱い。
手首から、エイミーの早い鼓動が伝わっていないか心配になって、エイミーはじーっとつながれた手首を見つめる。
思えば、ライオネルからエイミーに触れてくることはほとんどなかった。
それこそ、ここ数日くらいなものだ。
(まあ、触れるって言っても、連行するためなんでしょうけど……。すごく機嫌悪そうだし……)
誕生日パーティーの日の翌日から、ライオネルはすっごく機嫌が悪い。ずっと仏頂面で、ずっと眉間にしわが寄っている。
(もしかして……あのときのキスをわたしが拒んだから怒っているの?)
誕生日パーティーの日、温室でキスをされた時のことを思い出して、エイミーは顔に熱がたまっていくのを感じた。
エイミーにとっては二回目の――そして、ライオネルからされたはじめてのキス。
でもあれは、ドキドキはしたけど、あんまり嬉しくなかった。それどころか悲しかった。怖かった。
屋上に到着すると、ライオネルはそのままエイミーをベンチまで連れていく。逃亡を防止するかのようにエイミーの手首は持ったままだ。
「……殿下、片手がふさがっていたらお弁当を食べられませんよ?」
「逃げないと約束するのなら放してやる」
「逃げ、ないです。約束します」
どちらにせよ、この距離では逃げ出そうとしたところですぐに捕まってしまう。
エイミーは運動神経がいい方だが、負けず劣らずライオネルも運動神経がいいのだ。さらにライオネルは身長が高い分リーチがあり、足の速さでもエイミーが劣る。
ライオネルは「まあいいだろう」と言って手を放してくれた。
エイミーがカバンからお弁当箱を取り出すと、ライオネルも袋からサンドイッチの詰まった籠のようなお弁当箱を出す。
「……殿下、お茶は?」
「忘れた」
「じゃあ、わたしのをあげますね」
エイミーはカバンから水筒を取り出すと、コップに入れてライオネルに手渡す。サンドイッチなら喉が渇くだろうから。
ライオネルは興味深そうにコップを受け取り、小さく笑った。
「いつかと逆だな」
言われて、カフェテリアに連行された時に、ライオネルがお茶を持ってきてくれたことを思い出した。
おかしくなってエイミーが笑うと、ライオネルが優しく目を細める。
ドキリ、とエイミーの鼓動が大きく脈打った。
「なあ」
ドキドキうるさい心臓の上をそれとなく抑えていると、ライオネルが優しい顔のまま言う。
「お前は俺が好きなんだろう?」
ライオネル以外の人が言ったら自惚れにしか聞こえないセリフでも、彼が口にするとそう聞こえてこないから不思議だ。
実際エイミーは「好き好き」言ってライオネルを追いかけまわしていたのだから、ライオネルにしてみれば事実確認をしているだけなのだろう。
特別甘い響きもなく、淡々と訊ねられたエイミーは、ぱちぱちと目をしばたたいてから小さな声で「はい」と頷いた。嘘でも「嫌い」なんて言えなかったから。
ライオネルは、ちょっと赤くなった。それは彼にしては珍しい反応だった。
「だ、だったら、どうして別れようなどと言った」
「それは……」
「好きなら別れる必要はないだろう?」
(……でも、殿下はわたしのことが嫌いでしょう?)
エイミーは心の中でそう返した。
ライオネルはエイミーのことが嫌い。
ライオネル本人が言ったことではないか。
だからライオネルにとってはエイミーからの別れ話は歓迎されるべきことのはずである。
心の中でそう返しながら、エイミーはけれどそれを口にすることはできなかった。
ライオネルに向かってそんなことを言って、それをライオネルに肯定されたら、エイミーは泣いてしまうかもしれなかったから。
ライオネルに真顔で「嫌いだ」と言われるのはもう充分だ。
もう充分。これ以上聞きたくない。
「お前が急に別れたいなんて言い出すのはおかしい。何かあったんだろう? 何があった。言え」
「な……なにもないですよ」
「嘘をつけ」
「嘘じゃないです」
「じゃあ俺の目を見てもう一度言ってみろ」
「……っ」
エイミーはきゅっと唇を噛んで、そろそろと顔を上げてライオネルの綺麗な紫色の目を見る。
まっすぐに見下ろされる綺麗な目。エイミーはライオネルのこの目が大好きだ。
眉も、鼻も、口も、顔も声も。ぶっきらぼうなところも、怒りっぽいところも、でも本当はとても優しいところも、全部大好き。
エイミーはこくりと唾を飲んでから、ゆっくりと口を開く。
「な、にも……」
ない、と言おうとした唇が震えた。
ライオネルの目を見ていられなくて視線を動かせば、彼がため息をつく。
「ほら見ろ。お前は昔から嘘が苦手なんだ。特に俺相手には嘘がつけない。わかったら白状しろ」
「……ずるいです」
「ずるいのはどっちだ。理由も言わずに突然別れるなんて言いやがって」
「だってそれは――」
「それは?」
「…………言いたくないです」
エイミーはふるふると首を横に振ってうつむく。
入学してから、エイミーの頭上からいろんなものが降ってくるなんて、ライオネルには言いたくない。言えば優しい彼は、たとえ相手が大嫌いなエイミーであっても心配するだろう。ましてやライオネルを巻き込みたくないから別れたいなんて言えば、彼は絶対に納得しない。
ライオネルは長いため息を吐いた。
「わかった。言いたくないならいい。だが、別れないからな。お前は予定通り卒業後は俺に嫁ぐんだ」
「なんで!」
「なんで? それはお前が俺の婚約者だからだ!」
「だから別れるって――」
「俺は別れないと言っている」
「そ、そんなのおかしいです! だって、だって――だってずっと、殿下はわたしが嫌いだったじゃないですか!」
言ってから、エイミーはハッとした。
言いたくなかったのに。口にしたくなかったのに。
ライオネルの答えが聞きたくなくて、エイミーは自分の耳を両手で塞ぐ。
耳を塞いで背名を丸めるようにして縮こまるエイミーに、ライオネルはあきれ顔を浮かべて、エイミーの両手首をつかんだ。
「聞け」
そう言って、無理やりエイミーの手を引きはがす。
「や、やだ」
「いいから聞け」
「やだ!」
駄々っ子のように首を横に振っていると、もう一度嘆息したライオネルが、エイミーをグイッと引き寄せた。
膝の上に置いていた弁当箱が転がり落ちて、屋上の床の上に中身をまき散らす。
ぎゅっと抱きしめられて、エイミーはライオネルの胸の中で大きく目を見開いた。
「一度しか言わない」
ライオネルが、エイミーの耳元でささやく。
その心地のいい低い声と、それから熱い吐息に、エイミーはふるりと震えた。
ライオネルがエイミーのふわふわな金髪をゆっくりと撫でて、ちょっぴりかすれた声で告げる。
「お前が好きだ。いつの間にか好きになっていた。だから――別れない」
エイミーは大きく息を吸い込んで、それから呼吸の仕方を忘れたように、そのままぴたりと息を止めて――気絶した。
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