王子様を落とし穴に落としたら婚約者になりました ~迷惑がられているみたいですが、私あきらめませんから!~

狭山ひびき@バカふり200万部突破

文字の大きさ
上 下
18 / 43

モモンガの欠席 4

しおりを挟む
 ずきずきと胸が痛かった。

 エイミーは自分の胸の上に手を当てて、ぼんやりと足元に視線を落とした。
 足元には、雨に濡れた青々とした芝生と、それからところどころに小さな水たまりがある。
 ここは十一年前、エイミーが落とし穴を掘った場所だ。
 ライオネルを驚かせようと思って落とし穴を掘って、彼を落とした場所。
 この落とし穴がなければライオネルと婚約することもなかっただろうが、この落とし穴のせいでエイミーはライオネルに嫌われた。

(嫌いって言われることなんて、珍しいことじゃないのに……)

 今日、カフェテリアで言われた「嫌い」。
 どうしてかあの言葉が、野ばらの棘のように胸に深く刺さって抜けない。
 嫌いなんて、いつも言われているのに。
 ライオネルがエイミーのことを嫌いなんて、知っているのに。
 それなのに今日のあの言葉は、いつもと違う響きを持ってエイミーの心に突き刺さった。

(十一年前に、ここに落とし穴を掘らなかったら、もしかしたら殿下はわたしに『好き』をくれたのかな)

 ふと、考えても仕方のないことが頭の中をよぎる。
 エイミーはそっとその場にしゃがみこんで、濡れた芝生に触れた。

「何をしていらっしゃるのですかお嬢様!」

 そのとき、背後から高い悲鳴が聞こえてきて、エイミーは振り返る。
 侍女のスージーが血相を変えてお仕着せの裾を持ち上げてこちらへ駆けてくるのが見えた。
 スージーは、エイミーが七歳の時から側にいる十歳年上の侍女だ。乳母のマルソン夫人が去ると同時に雇い入れられ、依頼エイミーの良き相談相手で良き姉のような存在だった。

「スージー、濡れちゃうわよ」
「その言葉はそっくりそのままお嬢様にお返しいたします! 傘もささずに雨の中を……ああっ、こんなに濡れて! 風邪を引いたらどうするんですか!」
「ちょっと、考え事をしたい気分だったの」
「雨に打たれながらですか⁉」

 城から戻って、ふらりとエイミーは庭へ向かった。
 出迎えた執事は怪訝がったが、庭を少し見に行くだけだろうと別段止めはしなかった。なぜならエイミーは、たまに妙な行動を取ることがあって、執事も慣れっこになっていたからだ。
 しかしスージーは、いつまでも部屋に帰ってこないエイミーが気になって探しに来てくれたらしい。
 スージーに手を引かれて玄関に戻ると、執事がギョッと目を向いた。

「お嬢様、傘を差さなかったんですか⁉」

 執事もさすがに傘もささずに庭に降りたとは思わなかったのだろう。
 大慌てでメイドにタオルを持ってこさせる。
 スージーにわしゃわしゃと頭を拭かれて、エイミーは二階の自室につれて上がられると、問答無用でバスルームへ押し込まれた。
 玄関で騒いでいるうちにバスルームの準備は整えられていたようで、バスタブには温かいお湯が湯気を上げていた。
 バスオイルで乳白色に染まった湯に身を沈めると、スージーが髪を洗ってくれる。

「お嬢様、いくら暖かくなってきたとはいえ、こんなに濡れたら風邪を引いてしまいますよ。まったく、小さな子供じゃないんですから!」

 スージーはぷんぷんと怒っている。

「……ねえスージー」
「なんですか?」
「『嫌い』が『好き』に変わることって、ないのかしら」
「……え?」

 スージーはシャボンを泡立てるのをやめて、エイミーの顔を覗き込んだ。

「殿下に何か言われたんですか?」
「……ううん。いつも通りよ」

 そう、いつも通りのはずだ。だってライオネルはエイミーにいつも「嫌い」と言うから。

(いつも通り……のはずなのよ)

 何も変わらない。変わらないはずなのに――、この胸の痛みは本当に何なのだろうか。
 何でもないわと言うと、スージーは少しだけ躊躇いを見せながら、再びエイミーの髪を洗いだした。
 少し甘いシャボンの香りを嗅ぎながら、エイミーは目を閉じる。
 薔薇に蜂蜜を混ぜたようなこの香りは、エイミーが二番目に好きな香りだ。
 一番目は、シトラスミントのライオネルの香り。
 ライオネルと婚約してから、彼に無視されるのが嫌で追いかけまわした。
 無視されるより面と向かって嫌いだと怒ってくれた方が、エイミーには何倍もましだと思えたから。

 でも――

(これ以上は、ダメなのかしら?)

 これ以上追いかけまわしたら、「嫌い」が「もっと嫌い」になってしまうのだろうか。
 真顔で――冷ややかな顔で「嫌い」だと宣言されるほどに、エイミーはライオネルを追い詰めてしまったのだろうか。

(これ以上嫌われるのなら……昔みたいに、無視されていたほうがましなのかしら?)

 何の関心も示してもらえず、視線も合わせてもらえない。
 そんな関係の方が、「嫌い」が「もっと嫌い」に、そして取り返しがつかないほどに「大嫌い」に変わってしまうよりも、ずっとましなのかもしれない。

「今日は旦那様も奥様も、パトリック様も外食ですから、夕食はお嬢様の好きなものばかりですよ。だからそれを食べて元気を出してください」
「……うん」

 返事をしながら、エイミーは、口の中で「もう無理なのかな」と小さく小さくつぶやいた。



しおりを挟む
https://ncode.syosetu.com/n2319ik/
感想 13

あなたにおすすめの小説

当て馬令息の婚約者になったので美味しいお菓子を食べながら聖女との恋を応援しようと思います!

朱音ゆうひ
恋愛
「わたくし、当て馬令息の婚約者では?」 伯爵令嬢コーデリアは家同士が決めた婚約者ジャスティンと出会った瞬間、前世の記憶を思い出した。 ここは小説に出てくる世界で、当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系キャラで、前世での推しだったのだ。 「わたくし、ジャスティン様の恋を応援しますわ」 推しの幸せが自分の幸せ! あとお菓子が美味しい! 特に小説では出番がなく悪役令嬢でもなんでもない脇役以前のモブキャラ(?)コーデリアは、全力でジャスティンを応援することにした! ※ゆるゆるほんわかハートフルラブコメ。 サブキャラに軽く百合カップルが出てきたりします 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5753hy/ )

乙女ゲームは見守るだけで良かったのに

冬野月子
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した私。 ゲームにはほとんど出ないモブ。 でもモブだから、純粋に楽しめる。 リアルに推しを拝める喜びを噛みしめながら、目の前で繰り広げられている悪役令嬢の断罪劇を観客として見守っていたのに。 ———どうして『彼』はこちらへ向かってくるの?! 全三話。 「小説家になろう」にも投稿しています。

【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます

宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。 さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。 中世ヨーロッパ風異世界転生。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。  この作品は、小説家になろう様にも掲載しています。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

処理中です...