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旦那様は魔王様≪最終話≫
記憶 3
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シヴァは決裁書から顔をあげた。
執務室の扉の前に誰かが来た気配を察知したからだ。
執務机から立ち上がり、シヴァは扉の方に向かって歩いていき――、途中で驚いて足を止める。
「……沙良?」
間違いない、沙良の気配だった。
驚かせないようにシヴァがそっと扉を開くと、沙良が腕を中途半端に振り上げたまま困惑した表情で見上げてきた。
どうやら、扉を叩こうとしては逡巡したらしく、突然目の前の扉が開いてびっくりしてしまったようだ。
「どうかしたか?」
怯えさせないように、少し身をかがめて訊ねれば、沙良が怯えたウサギのような目で見つめ返してくる。
(こんなに……、怖がっているのに)
アスヴィルにそそのかされて作ったクッキーを持って来たことはあったが、沙良が自らの意思でここに来るのは、沙良が記憶を失ってからはじめてのことだった。
「……入る、か?」
シヴァは遠慮がちに訊ねる。シヴァを怖がっている沙良が、シヴァの執務室に入りたがるとは思えなかったが、それでもまさかという淡い気持ちで訊いてみた。
すると、沙良は迷うように視線を彷徨わせてから、びくびくと肩を震わせながらも小さく頷いた。
シヴァは目を見開いた。
(……入るのか?)
そっと扉を大きく開けば、沙良はシヴァの方をちらちらと見上げながら、まるで肉食獣の檻の中に入るかのようにそろそろと足を踏み入れる。
沙良が完全に執務室に入ったところで、シヴァが部屋の扉を閉めると、パタンというその音にびくりと肩を揺らして、沙良は肩越しにシヴァを振り返った。
「座りなさい」
座るように指示をしなければ、いつまでたっても立ったままでいそうな雰囲気だ。シヴァがソファを指してそう言えば、沙良はその端っこにちょこんと腰を下ろした。
シヴァがパチンと指を鳴らして、沙良の目の前に紅茶を出す。それから茶請けに、アスヴィルが持ってきていたチョコレートケーキを出した。沙良は砕いて細かくしたクルミの入ったチョコレートケーキが好きだったはずだ。
シヴァはできるだけ沙良と距離を取って座ると、遠慮してケーキに手を伸ばそうかどうしようか迷っている彼女に苦笑する。
沙良は本当に思っていることが顔に出やすい。
シヴァが迎えに行くまで、ほとんど誰にも会わずに生活していたため、表情から感情を消すということを学ばずに育ったのだろう。だが、それが沙良の美点なので、できることなら今のまま変わらずいてほしい。
「食べるといい。アスヴィルがたくさんおいて行ったが、俺には多いからな」
あのおせっかいな友人は「沙良に持っていけ」と言ってシヴァに菓子を押し付ける。しかし、シヴァが近づくたびに怯える沙良にそんなに頻繁に会いに行けるはずもない。そのため、シヴァはちびちびと執務の合間にアスヴィルに押し付けられた菓子を消化していたのだ。
沙良はこくんと小さく頷くと、フォークを持った。
シヴァは、沙良が菓子を食べているときの顔が好きだった。本当に幸せそうな顔をするのだ。
シヴァは沙良がチョコレートケーキを食べている間、ぼんやりとそれを見つめていたが、食べ終わった沙良がハッとしたように顔をあげて、慌てたように口を開いた。
「お、お菓子を食べに来たわけじゃなかったんです!」
それはそうだろう。だが、すべて食べ終わるまで用件を忘れてしまうような沙良の天然さも記憶を失う前から変わらないようで、シヴァは小さく微笑む。
沙良はシヴァに向きなおると、怯えた目をしたまま、
「クラウス様から、わたしの記憶をもとに戻す方法があるって聞きました」
唐突にそう告げてきたから、シヴァが目を丸くした。
「……なんだって?」
嫌な予感がして、思わず顔をしかめる。
すると沙良がびくりと震えて泣きそうな顔をしたので、シヴァははっとして表情を緩めた。
「あ、いや……。怯えさせて悪かった。それで、クラウスは何と言ったんだ」
「えっと……、わたしが仮死状態になっている間だったら、シヴァ様が記憶を探せるって」
予感的中。
(あの愚弟め!)
シヴァは内心舌打ちした。シヴァが断ったというのに、クラウスはまだその方法を諦めていなかったらしい。
(沙良に余計なことを……!)
だが、それを聞いたとして、どうして沙良自身がシヴァのところに来たのか、シヴァにはさっぱりわからない。
疑問に思っていると、沙良はうつむいてぼそぼそと言った。
「わ、わたしも……、記憶、もとに戻ってほしいです。シヴァ様のこと、思い出したい……」
シヴァはハッとした。
沙良はきゅっと唇をかみしめて、ワンピースのポケットから何かを取り出す。
沙良は顔をあげて、シヴァの目をまっすぐ見つめた。
「だから……、これ、使ってください」
そう言って沙良が見せた小瓶を見た瞬間、シヴァは大きく息を吸い込んだ。
執務室の扉の前に誰かが来た気配を察知したからだ。
執務机から立ち上がり、シヴァは扉の方に向かって歩いていき――、途中で驚いて足を止める。
「……沙良?」
間違いない、沙良の気配だった。
驚かせないようにシヴァがそっと扉を開くと、沙良が腕を中途半端に振り上げたまま困惑した表情で見上げてきた。
どうやら、扉を叩こうとしては逡巡したらしく、突然目の前の扉が開いてびっくりしてしまったようだ。
「どうかしたか?」
怯えさせないように、少し身をかがめて訊ねれば、沙良が怯えたウサギのような目で見つめ返してくる。
(こんなに……、怖がっているのに)
アスヴィルにそそのかされて作ったクッキーを持って来たことはあったが、沙良が自らの意思でここに来るのは、沙良が記憶を失ってからはじめてのことだった。
「……入る、か?」
シヴァは遠慮がちに訊ねる。シヴァを怖がっている沙良が、シヴァの執務室に入りたがるとは思えなかったが、それでもまさかという淡い気持ちで訊いてみた。
すると、沙良は迷うように視線を彷徨わせてから、びくびくと肩を震わせながらも小さく頷いた。
シヴァは目を見開いた。
(……入るのか?)
そっと扉を大きく開けば、沙良はシヴァの方をちらちらと見上げながら、まるで肉食獣の檻の中に入るかのようにそろそろと足を踏み入れる。
沙良が完全に執務室に入ったところで、シヴァが部屋の扉を閉めると、パタンというその音にびくりと肩を揺らして、沙良は肩越しにシヴァを振り返った。
「座りなさい」
座るように指示をしなければ、いつまでたっても立ったままでいそうな雰囲気だ。シヴァがソファを指してそう言えば、沙良はその端っこにちょこんと腰を下ろした。
シヴァがパチンと指を鳴らして、沙良の目の前に紅茶を出す。それから茶請けに、アスヴィルが持ってきていたチョコレートケーキを出した。沙良は砕いて細かくしたクルミの入ったチョコレートケーキが好きだったはずだ。
シヴァはできるだけ沙良と距離を取って座ると、遠慮してケーキに手を伸ばそうかどうしようか迷っている彼女に苦笑する。
沙良は本当に思っていることが顔に出やすい。
シヴァが迎えに行くまで、ほとんど誰にも会わずに生活していたため、表情から感情を消すということを学ばずに育ったのだろう。だが、それが沙良の美点なので、できることなら今のまま変わらずいてほしい。
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あのおせっかいな友人は「沙良に持っていけ」と言ってシヴァに菓子を押し付ける。しかし、シヴァが近づくたびに怯える沙良にそんなに頻繁に会いに行けるはずもない。そのため、シヴァはちびちびと執務の合間にアスヴィルに押し付けられた菓子を消化していたのだ。
沙良はこくんと小さく頷くと、フォークを持った。
シヴァは、沙良が菓子を食べているときの顔が好きだった。本当に幸せそうな顔をするのだ。
シヴァは沙良がチョコレートケーキを食べている間、ぼんやりとそれを見つめていたが、食べ終わった沙良がハッとしたように顔をあげて、慌てたように口を開いた。
「お、お菓子を食べに来たわけじゃなかったんです!」
それはそうだろう。だが、すべて食べ終わるまで用件を忘れてしまうような沙良の天然さも記憶を失う前から変わらないようで、シヴァは小さく微笑む。
沙良はシヴァに向きなおると、怯えた目をしたまま、
「クラウス様から、わたしの記憶をもとに戻す方法があるって聞きました」
唐突にそう告げてきたから、シヴァが目を丸くした。
「……なんだって?」
嫌な予感がして、思わず顔をしかめる。
すると沙良がびくりと震えて泣きそうな顔をしたので、シヴァははっとして表情を緩めた。
「あ、いや……。怯えさせて悪かった。それで、クラウスは何と言ったんだ」
「えっと……、わたしが仮死状態になっている間だったら、シヴァ様が記憶を探せるって」
予感的中。
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シヴァは内心舌打ちした。シヴァが断ったというのに、クラウスはまだその方法を諦めていなかったらしい。
(沙良に余計なことを……!)
だが、それを聞いたとして、どうして沙良自身がシヴァのところに来たのか、シヴァにはさっぱりわからない。
疑問に思っていると、沙良はうつむいてぼそぼそと言った。
「わ、わたしも……、記憶、もとに戻ってほしいです。シヴァ様のこと、思い出したい……」
シヴァはハッとした。
沙良はきゅっと唇をかみしめて、ワンピースのポケットから何かを取り出す。
沙良は顔をあげて、シヴァの目をまっすぐ見つめた。
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そう言って沙良が見せた小瓶を見た瞬間、シヴァは大きく息を吸い込んだ。
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