紅蓮の獣

仁蕾

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黒檀の章

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 ティアナが思考を巡らせたのは、約半年前の魔獣討伐の事。
 ウンディーネ水神族と地神族の領地境界に巣くっていた魔獣は、もともと人間と共存していた全長十mはある大猿だった。しかし、原因不明の凶暴化により人を喰らってしまい、両種族の精鋭部隊に討たれた。その際、リタの契約精霊ラティアスが主人を庇い、右前足を食いちぎられてしまったのだ。
「まだたまに動きに違和感はあるが、修復はした」
 精霊は『核』と言われる、人で言うところの『心臓』が無事なら、怪我の度合いによって時間差はあるものの完璧に修復される。
「ラティアス、出て来い」
 名を呼べば、リタの左肩にある紋章が輝き出し、黒い影が飛び出した。 
 ―タシ…
 軽い音を立てて降り立ったのは、黒い毛並みの狼。しかし、その体躯は獅子の如く大きく逞しい。
 琥珀の瞳は辺りを見渡し、主人のリタに視線を向けて低く唸りながら頭を擦り寄せた。 
「プローデ」
 トラスティルが呼べば、胸元の紋章が輝き、現れた深紅の大虎。
「アルガ」
 ティアナの右肩が輝き、現れたのは青い鱗を纏い一対の黒い角を持ち胸元に黒い丸玉を提げた大きな鯉、竜鯉だ。 
「ブレッザ」
 ジークの右手首の紋章が輝き出し、鳴き声とともに現れた大きな鷹。バサリと一度羽ばたくと、差し出されたジークの右腕に舞い降りた。
 四人とも普段の緩んだ顔は何処へやら。二人の帝王を睨み据え、隊長の顔へとなっている。が、その表情、目は真剣そのものなのだが、口元には薄らと浮かんだ笑み。
「おーい、隊長共、趣旨が変わってるぞー」
 ケラケラと笑いながら突っ込みを入れるのは康平だ。
 そう。目的は、両帝王を潰す事ではなく、他に影響を与えないよう結界を強化する事。
「ちょっとくらい手を出してもバレないんじゃないかしら」
 ふふ、とティアナは楽しそうに笑った。 精霊達は主人の高ぶる感情をつぶさに感じ取り、「やれやれ…」と息を吐き出した。 
「兎に角、今はフェニーチェも帝王の怒りに引き摺られないように必死になって結界を保ってる筈だ」
 トラスティルは、息を吐き出し気持ちを切り替える。
 城全体を支えるのは、ヒガディアルの契約精霊であるフェニーチェの結界。
 主人と精霊は、魂で繋がっていると言っても過言ではない。主人の意識に逆らうのは、並大抵の精神力では出来ない。その為、城を包む結界を支えるフェニーチェは相当辛い筈。
「プローデ達はこの部屋の結界補強を頼む。康平、悪いが、お前の竜で俺らの周りに結界を張ってもらっていいか?」
「しゃーねーなー、トラ隊長の頼みだ」
 バサッと音を立て、康平の背中に現れた紫の竜の大きな翼。それが全員を包み込む頃には、半透明な壁となって康平達を護っていた。
「防御系はリーチェ兄妹の領分なんだけどなー」
 康平の面倒臭いといった態度に、トラスティル達は苦笑を漏らす。 
「なんにせよ…」
 竜の結界の中になった為か、トラスティルが床に座り込みながら口を開いた。
「サラの身に何があったのかを探らなきゃな」
「でもぉ、今出たら危険よねぇ」
 ウフフ、と微笑みつつ、ティアナは衝突する両帝王へと視線を投げた。
 その時。
《僕が教えてあげようか?》
 響いた羽音と男の声に、全員が弾かれたように振り向く。
 壁面の穴。翼を休める大きな鳥。 
「…ルドラ様」
《やあ、ジーク。久し振り》
 大きな翼を片方だけ開いて、ばさばさと器用に振る突然の守護神の登場について行けていないのはティウだけのようで、口が半開きのまま唖然とルドラを見つめている。
「ルドラ様、何か知ってるんですか?」
 トラスティルが立ち上がり、ルドラの前に膝を着いて問えばルドラは斜め上に視線を投げて「うーん」と唸って首を傾げて見せた。
《何かって言うか…全部?》
 全てを知っている。
 重要な事である筈なのに、彼が言うと途轍もなく軽く感じてしまうのは、恐らく気のせいではないだろう。
《端的に言えば、今現在、『紅蓮の花嫁』である更紗龍馬は、この世界『クレアート』に存在していない》
 先程までの和気藹々とした雰囲気はなりを潜め、張り詰めた空気が竜の結界内に漂い始める。全員、表情に出ないものの、その心根は困惑に満ちている。
「それ、どういう事」
 冷静な声が上がる。
 この中で最年少の康平だ。その目は、表情は冷静。揺らぐ事無くルドラを見上げていた。
「龍馬の気配はある。存在してないってどういう事?」
《…水晶達の暴走…とは一概には言えないけど、まあ、そんな感じの事が彼の部屋で起こっちゃってね。水晶が彼を身の内に閉じ込めてしまったんだ。…彼の一種の現実逃避が、そうさせたと言っても過言ではないけれど…》
「で?」
《確かに体は存在してる。体だけ、ね。魂は時空を超えた。器である体を抜け出し、幸せだった頃へと飛んでしまった》 


 同じ頃。
 望は深く息を吐き出し、頭を抱えていた。
《大丈夫ですか?》
 優しい、でも、どこか事務的なクリオスの言葉に軽く手を上げ、問題ない事を告げる。問題がないわけではないのだが。
「ったく…現実逃避も大概にしろっての…」
 ソファーから立ち上がり、水晶に一歩近付いた。
《それ以上は危険ですわ…》
 不用意に触れようとすれば、我が子のように内包する龍馬を守ろうと水晶達が攻撃をしてくるのだ。
「うん…でも、この馬鹿をどうにかしなきゃ、帝王が止まってくんないんだよ」
 望はため息交じりに首を振り、顎に手を添えて思考を巡らせた。
「俺が起こしに行くか…内側からあの方々に叩き起こして貰うか…」
 呟くのとほぼ同時に、部屋に近付く人の気配を感じ取る。
「おーい、一体何事?」
「痛っ!もう、邪魔!」
 ―ドガッ!
 響いた男女の声と破壊音。
「アイリーン、ソニア…無事だったか」
 紫紺の髪の兄妹。無神族帝王直属近衛隊のアイリーン・アザゼル・リーチェとソニア・リーチェの二人だった。
 ソニアの足元では微かに土煙が上がっている。先程の破壊音は、彼女が邪魔な瓦礫を蹴飛ばした音らしい。
「無事は無事だけども…こりゃまたどしたの」
 アイリーンが指差したのは、望の背後にある龍馬が眠る水晶。正直、説明が面倒臭い。
 しばらくの間。
「さーてと」
 説明を放棄し、三度水晶と向き合う。
「イヤイヤ、ちゃんと説明して!」
「兄さん、諦めなよ」
 二人は望に歩み寄る。
「詳しい事情は解んないけど、イイ所に来たみたいだし。ね、望さん」
 ソニアが微笑めば、望は肯定するようにうっすらと目を細め、口角を持ち上げる。黒く微笑み合う二人に、アイリーンは口元を引き攣らせた。
「で、ノン様的にどんな策があるわけさ」
「今のところ、二つ。一つ目、俺が龍馬の内部に潜って、龍馬の後を追って時空を飛ぶ。二つ目、俺が龍馬の内部に潜ってあの方々に助けを求める」
「どっちにしても、サラの中には潜るのね」
「俺としては後者をオススメ」
 クリオスは、呆然とした表情で水晶の前で話し合う三人を見ていた。 
 他者の意識内部に入り込むのは、命の危険が伴う。それ以前に、下手に水晶に近付けば確実に排除されてしまうと言うのに、三人の会話の中に躊躇いを感じない。どうやって龍馬にお仕置きするかと盛り上がり始めている。
《お、お待ち下さい!》
 クリオスは、堪らず三人の会話に割り込んだ。
「はい?」
《の、望様…本気で仰られているんですの?》
「え、俺が言う事は常に本気よ?」
 事も無げに言い放つその表情は、満面の笑みである。リーチェ兄妹は目を閉じて頷いた。
《ですが、今回はあまりに危険です!ご自分のお命が!》
 クリオスが叫ぶ中、望は自分の唇に人差し指を当て、クリオスの発言を止めた。
「大丈夫。確かに生き残る確率はかなり低いかもね。でもさ、何もしなかったら、今の状況は悪化するだけじゃない?それに、帝王達もだいぶ暴れているみたいだし」 
 確かに、炎と大地の気が城内を縦横無尽に暴れ狂っているのを感じる。
《だからと言って、望様が命を賭けるのですか!?》
「誰かがやらなきゃいけない。なら、俺がやる。それだけの話さ」
 なんでもないかのように望は言う。 しかし、彼の心の内は先の見えない不安で埋め尽くされていた。日頃のポーカーフェイスの賜物か。だが、不安をひた隠して微笑む望を、アイリーンは苦しげな目で見つめていた。
 彼には解っていた。望がどれだけの不安を胸に秘めているか。龍馬の姿を見て、どれだけ傷付き、責任を感じているか。もちろん、彼に非がない事は重々承知している。だが、慰めた所で、救いになりはしないのだ。それに、命を賭ける事は誰に強制された訳ではなく、望自身が決めた事。止める権利は、最初からない。ならば、彼が決めた事を遂行しやすいように手を貸すのみ。
(女王様の望みを叶える為に、下僕は頑張りますよ)
 ひとつ息を吐き、望に声を掛ける。
「ノン様はそれ以上近付かないでね。飛ばす前にスプラッタになるから」
「…出来るか?」
 望は、真っ直ぐにアイリーンを見つめた。
 その目を見返し、アイリーンは小さく笑むとひとつ頷いた。
「やらなきゃ、元最高峰旅団長リーチェ兄妹の名に傷が付いちまうからな」
「そうよ。出来る出来ないは後回し!まずはやってみるってのがあたし達の流儀よ」
 兄妹はそっくりな笑みを浮かべる。無邪気なそれは、不思議と望に安心感を与えた。 
「じゃあ、頼む」
 望は、目を閉じる龍馬の顔を見つめる。
「ね、アイリーン…」
「あん?」
 呼び掛けたが、しばしの間。
 アイリーンは、首を傾げて次の言葉を待つ。
「俺に…俺にもしもの事があったら…」
「なに弱気になっちゃってんの」
 望の言葉を遮り、アイリーンが努めて明るい声を上げた。ポフン、と大きな手が望の頭に乗せられた。
「らしくないね、望ちゃん。君にもしもの事があったら、俺ら色んな子達に袋叩きにされちゃう。得に龍馬には何をされるか…」
 アイリーンが茶化せば、ソニアも笑う。
「あたし達を信じなさいよ」
 ひらりと手を振ったソニアは、テーブルの上に転がるペンを手に、水晶から攻撃を受けない距離の床に膝を着き、簡単な陣を書き込み始める。
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