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青藍の章
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目を開く。その何気ない小さな動作で、自分が目を閉じていたのだと自覚する。不可思議な感覚が纏わりつき、辺りを見渡してみた。佇むそこは静かな蓮の池だった。美しい紅い蓮の花が咲き乱れる大きな池。
池の中央には小さな島。大きな桜の木が島の中央に生えている。
ひらひらと薄紅の花弁が舞い散り、それは炎となって地に付く事無く静かに消え去った。
「ここ…は?」
幻想的な風景に目を奪われながら、譫言のように小さく呟く。
《なんとまあ…器用な事をするものよ》
背後から聞こえた呆れ返った男の声に振り返れば。
「ククルカン…」
《魂だけで我が部屋へ訪れる者は初めてだぞ、更紗龍馬》
相変わらずの不遜な笑みをそのままに、ククルカンは龍馬に歩み寄るとその頬にそっと手を伸ばした。その手は龍馬の頬をするりと通過する。驚いたのは龍馬の方だ。
「ぬあ!?何で!?」
悲鳴にククルカンが小さく肩を震わせる。
《今のお前は肉体がない状態なのだよ。まあ…簡単に言えば、幽霊と変わらぬということだ》
何をどうやったらそんな芸当が出来るのか。上手く回らぬ頭でぐるぐると考え込むが、答えが出るわけもない。
《深く考えても答えなど出ぬよ。…王后よ、お前の半身が嘆いている》
笑みが僅かに歪み、小島の桜の木に目を移す。
吹かぬ風に花を揺らし、はらはらと舞い散り、儚く燃え去る。美しくも哀しみを感じずにはいられない。
「俺の…半身…」
ククルカンに倣い、桜へ向けた龍馬の視線の先には、太い幹に背を預け焔色の髪を揺らす人。こちらに気付いていない筈はないのだが、伏せられた瞼はピクリとも動かない。
ただ目を閉じているだけ。微動だにしないだけ。
しかし、その姿はどんなに泣き叫び、喚き続ける姿よりも痛々しく映る。
《行っておやり…》
その言葉を最後に、ククルカンの気配は龍馬の隣から消え去った。
龍馬は僅かばかり逡巡すると、池の方へと足を踏み出した。どういう仕掛けなのか、龍馬の踏み出した足は水面に浮いていた。水面は波紋を広げただけで、足を濡らす事はない。
慣れない浮遊感に戸惑いながらも、ヒガディアルの元へと歩き出した。
近付いても尚動こうとしないヒガディアルの隣に、そっと座り込んだ。
「悔しいな…」
吐き出された言葉にドキリとしながらも、あえて何も言わずに膝を抱え込む。
「亡くしてはならぬ者たちを亡くす…ただ、私が民を手に掛けたくがない故に。…結果、罪無き者を殺してしまう…」
その両瞼は伏せられたまま、淡々と語る。
自分は罪深き王なのだ、と。
「ヒガ様…」
龍馬はヒガディアルの肩にそっと頭を寄せ、瞼を閉じた。
「俺は、王はそれでいいのだと思います。いい、と言うのは語弊があるかも知れないですけど…王は、罪深い存在なのだと思います。人の上に立つ事…それ事態が罪そのものだと思う。人は、自分以外に支配者は居ない。だけど、秩序を守る為に統治者が居なければ、世の中は荒れ果ててしまう。…上に立つ者は、孤独だと望さんに教わりました。下の者の命を負わなくてはならない、と。失われた命に対して、罪深いと己で戒められている内は、まだ救いがある。その感覚すらも麻痺してしまって、人の命をなんとも思わなくなった時、本当の罪へと成り代わる。だから、後悔をするべきです。『あの時、こうしていれば』とか、『あの時、ああするべきだった』とか…王は、後悔する立場なのだと思います。王は…孤独の中、喪われた命の中、真っ直ぐに立ち続けるべきだと思います。それで、より良い未来を築くべきだ。それが、亡くなった者達への餞になるのだと思います」
ゆるりと瞼を押し上げ、見つめる先には水面に揺らめく紅い蓮。一度もヒガディアルを見ることはない。
龍馬の脳裏に過ぎるのは、レアルタの穏やかな最期。炎に焼かれながらも、明るい未来を求め続けた。壮絶で、悲しい最期だった。
「…なんて、俺が言わなくても、ヒガ様には解ってますよね」
苦笑を漏らせば、寄り添っていた肩が動き、柔らかな温もりに包まれた。甘く芳しい香りが鼻腔を擽る。
「しばし、このままで…」
掠れた声。ヒガディアルに抱き込まれた事で胸は緊張に高鳴るが、再び肩に寄り掛かれば、肩に回る手に力が加わった。
微かに震える肩に愛しさを感じながら、龍馬の瞼は再び伏せられた。
『龍馬様と築かれる良き時代を…楽しみにしております…』
(…うん、楽しみにしてて…レアルタさん。誰も苦しまない世の中を築いてみせるよ…―)
最期の言葉にそっと誓う。
花弁は、絶え間なく虚空に舞い続けていた。
***
数日後。何やら水の気配が濃い。最初に気付いたのは珍しく龍馬だった。何故なら。
《何や、思うたより可愛らしい『花嫁』はんやわ》
何故なら目覚めて一番に水の気配を纏う張本人を目にしたからである。
宵の口にはベッドに潜り込み、すやすやと寝息を立てていたのだが、不意に人の気配を感じ取り、ヒガディアルかと思い目を開けてみれば、アナコンダ並に大きい青い鱗の蛇が居たのである。円らな青い目はこちらを愉快そうに見ており、口調は関西訛り。
突然の出来事に思考も停止してしまう。
《あら、『花嫁』はんは蛇は苦手なんやろか?》
「い、いや…苦手、違います」
驚きのあまり言葉自体が変であるのだが、大蛇はその辺は気にする素振りは見せず、薄らと目を細めた。
《ほんならよかったわ》
嬉しそうな声色からして喜んでいるようだが、何分、爬虫類が目を細めているのを見ると獲物を狙っているようで恐怖を覚えなくはない。
「えと…どちらさん?」
ベッドに正座をし、大蛇と向き合いながらおずおずと口にすれば、大蛇の額にある濃藍の宝石が淡い光を放った。するとシャボン玉が現れ、その中に白い封筒が一つ。シャボン玉はふわふわと移動し、龍馬の前に来るとパチンと弾けた。龍馬は慌てて手を差し伸べ、封筒を手の中に納める。
《それ、精霊王に渡しとってね》
「ヒガ様…に?」
《うちの名前、リル言うねんけど、とにかく伝えれば解りはるから》
表を見たり、裏返したり。何の変哲もない真っ白な封筒。
その時、空気がざわめくのを感じて顔を上げれば、大蛇が居たはずの場所に青い髪の美しい女性が佇んでいた。
《ほな…また会えるん楽しみにしとるよ》
するりと頬を撫でると、女性の姿は徐々に薄くなり消え去って行った。
「水神族の…守護神…さま?」
僅かに青褪めながら呟くも、それに返事を返す者は一人も居らず、しばし硬直したまま時だけが過ぎて行くのであった。
***
「ひ、ヒガ様、これ…!」
呆然としたまま朝を迎え、ハッと我に返った龍馬は慌てて自室を飛び出して王の寝室へと飛び込んだ。
「おはよう、ドゥーラ」
「…あ、おはようございます」
陽光を浴びる神々しいまでの美しさに、僅かな眩暈を感じつつも、その穏やかな表情にほっと安堵の息を付いた。おずおずと手に持つ封筒を差し出す。
ヒガディアルは小首を傾げ、その封筒を受け取り、裏の封の印を見てフッと小さく微笑んだ。
「リル嬢に会ったようだな」
「…はい、なんか…デッカイ蛇でした…」
「ふふ」
小さく笑いながらヒガディアルの指が封を解く。文面を読み終えると笑みを深め、龍馬に差し出して読むように促した。
「穏やかなる未来を築かれる事、切に願う…精霊王並びに奥方へ…?………奥方っ!?」
堪らず素っ頓狂な叫びを上げてしまった。そしてそのまま硬直してしまう。
ぐるぐると脳内を回る『奥方』のフレーズ。
ヒガディアルは、龍馬の反応を見てクツクツと小さく笑いを浮かべた。
「ああ、そういえば、フェニーチェが申していたが…精霊が生まれたようだな」
スルリと優しく頬を撫でれば、龍馬がハッと意識を取り戻した。が、眼前五センチ程の位置に美貌の顔があり、ほんのりと頬が染まってしまう。恥ずかしさのあまり、優しく眇められるオッドアイから目を逸らし、小さく吃りながら肯定の言葉を返した。
「よ、四人兄弟で、白い獅子の姿をとる綺麗なアルビノでした。望さんたちの為だけに生まれたので、ヒガ様や俺を守る事はないんですが…」
申し訳なさそうに、語尾が小さくなっていく。
「構わぬよ。私にはフェニーチェに螢、咲夜姫が居るからな」
優しい笑みをそのままに、龍馬の前髪を優しくかきあげた。
「どちらかといえば、これで一安心とも言えるがな」
「安心…ですか?」
「リーチェ兄妹はさほど心配はしていなかったが、望と康平には危ういモノがあったからな」
ヒガディアルは龍馬の肩を優しく抱き、扉の方へと歩き出した。時間的に朝食の時間だったので、逆らう事なく龍馬も歩き出す。
「危ういもの…」
「絶対君主主義…とでも言おうか」
二人分の足音が、朝の清々しい空気を裂いていく。
「王を護ると言う意識を持つ事は確かに賛辞に値する。が、あまりに盲目的だ。端的に言えば、度が過ぎている」
少々酷評だがな、と苦笑を浮かべる。
「あの二人が命を軽く見ているとは思わぬ。寧ろ、命の脆さ、儚さ、重さを重々理解している。だが、お前が関われば別なのだよ、ドゥーラ…」
龍馬はヒガディアルの端正な横顔を見上げた。穏やかな声色とは打って変わり、僅か苦々し気に歪んでいる。 その視線の先に何を見ているのかなんて容易く想像が出来た。
「まだ、望はマシかも知れない。あの子は瀬戸際で立ち止まれる。問題は康平だ。これはトラスティルやジーク、ティアの三隊長だけでなく、ニアやリオッタも言っていた」
「康平さん…」
名を呟き、確かにそうだと納得した。
「あの者は、戦いに陶酔している。死を求め、自ら危険な場所へ向かう…」
ヒガディアルの言葉を否定出来ず、下を向き、歩き続ける足を見つめる。
龍馬も感じていた。康平は死地へと望んで向かう。
「何で、ですかね…」
「…本人に聞くしかあるまい。だが、そう簡単に言うまいよ」
ヒガディアルは哀しげな笑みを龍馬に向け、龍馬も困ったかのように微笑み返した。
大広間の前に着き、二人は立ち止まる。
「あの子を止められるのは、お前と望の二人だけだろうな…」
さらりと髪を撫で、その手で頬を撫でる。頬に手を添えたまま、額に小さく口付けた。
「ひ、ヒガ様!?」
口付けられた額を押さえ、顔を真っ赤に染める様を、ヒガディアルは愛らしく感じながら頬を優しく撫でた。
「さあ、お入り」
微笑みながら目の前の扉を開き、中に入るよう優しく背を押した。龍馬は促されるまま、大広間へ入る。そこには誰も居ない。
「あれ?まだ時間じゃないんですかね…?」
中に進み、いつもの場所へと座り込む。ヒガディアルもその正面へと腰を下ろした。そして微笑みは消え去り、真っ直ぐと龍馬を見つめた。
「ドゥーラ…お前の全てを話さなければならない時なのだろうな…」
きょとんと首を傾げ、ヒガディアルを見つめ返す。
「いつ、何処で生まれたのか…真の両親は、誰なのかを…」
笑みは複雑な色を滲ませ、龍馬の心を強く揺さぶった。
―全てを知った上で、お前の心を聞かせておくれ…
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