紅蓮の獣

仁蕾

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青藍の章

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   ***

 玉座に腰掛け、目を伏せるヒガディアルの指先がピクリと反応を示し、それに気付いたマツバは書類から目を上げて王を見つめた。長い睫毛が震えて瞼がゆっくりと開かれれば、その表情は笑みに彩られる。
 片手を眼前に差し出せば、小さな火がふわりと灯った。
「おいで…」
 ヒガディアルが一つ小さく呟けば、灯火は一気に激しく燃え上がり一つの形を模り始めた。
 足の爪先から徐々に色を取り戻し出す。ヒガディアルがぱちんと指を鳴らせば、炎は一瞬にして消え去った。
 ヒガディアルの腕の中に現れたのは。
「サ、サラ!?」
 炎の中から現れた龍馬は、マツバと同様に驚愕の表情でヒガディアルの膝に座らされていた。
「ヒ、ヒガ様…?」
「ふむ、だいぶ顔色も良くなったな」
 硬直状態の龍馬と正反対に、ヒガディアルは至極満足気に頷いている。
「初めて時空を飛んだ感想はいかがかな?」
 問い掛ければ、龍馬は乾いた笑いを浮かべた。

 バタバタと慌しい数人の足音が、王の間に近付いて来た。
 ―バンッ!
「龍馬!?」
 けたたましい音を立て、礼儀もへったくれもなく王の間の扉を開けたのは、顔色が優れない珍しく切羽詰まった様子の望。そして、彼を筆頭に康平、トラスティル、アイリーン、ソニアと続いた。
「望さん…」
「ぶ、無事でよかったー……って、君…どこで何してんの…」
「あの、こ、これには色々と訳が…あったりなかったり…」
 現在の龍馬の状況と言えば、ヒガディアルの膝の上でマツバ特製クリームケーキを食している最中である。
 あたふたと慌てふためく龍馬をよそに、望は盛大に脱力し、他四名は爆笑している。 
「まったく…君は俺と康平…それに精霊王に心配を掛けるのが得意のようだね」
 ゆらリと望の背後から異質なオーラが立ち込め、その口角が不穏に持ち上がる。あまりの恐怖に喉の奥で小さな悲鳴を上げてしまった龍馬は、ヒガディアルの衣服に縋り付いた。その様子に、ヒガディアルとマツバも苦笑を隠せない。
「まったく!俺たちがどんだけ心配したと思ってんの!?」
「ってか、お前だけな」
「何一つ連絡ないから、美味しいご飯にも手が付かないし!」
「ノン様だけねー」
「何処かで苦しんでるんじゃないかって夜も眠れなかった!」
「あら、お肌に悪いわね」
 ―バッ
「テメー等、ちょっと黙ろうか」
 赤華扇しゃくかせん片手に背後の康平、アイリーン、ソニアを睨み付ける姿はまるで阿修羅。三人には、無言で何度も激しく頷くしか選択肢はない。
 望は小さく息を吐き出しながら正面に向き直ると、手元から赤華扇を消した。
「何にせよ、戻って来てくれてよかった…お帰り」
 打って変わって穏やかな微笑みに、龍馬もはにかみながら「ただいま…」と小さく零した。
 やいのやいのと騒ぐ無神族アルケー一行は、ヒガディアルに対して一度頭を下げると王の間を出て行った。
 残されたヒガディアルたちは、苦い顔でその背を見送る。
「帝王…サラから…」
 トラスティルが僅かに感じとったのは、鉄錆の嫌な臭い。それは、望や康平でさえ嗅ぎ取れない程のほんの僅かなもの。
「…恐らく、ドゥーラの意思ではないだろう。ドゥーラの奥深くに眠る大きな力……強いて言えば、強大な精霊力を秘めた魄霊…ダアト」
 三人の脳裏を過ぎるのは、龍馬に酷似した黒髪金眼の穏やかな笑みを浮かべる青年、桂木弥兎。
「あの子が何者かに寝込みでも襲われたのだろう。でなければ、あの方が表に出てくるわけがあるまい」
 決して軽いとは言い難い空気が、室内に漂い始めた。
 その瞬間。
 ―ドゴォオォォン!!
 凄まじい破壊音が、城内に響き渡った。 

   ***

 龍馬は、康平とソニアの腕の中で唖然としていた。目の前には、赤華扇と流星錘で降って沸いた障害物を防ぐ望とアイリーンの背中。
 ―ギィイィイィイッ!!
 障害物もとい異形の生き物が、望とアイリーンが展開する防護壁の上でのた打ち回る。十mは余裕である生き物が力の限りに暴れれば術者には大きな負担が掛かる。望とアイリーンは足に力を込め、奥歯を食いしばって耐えた。
 暴れ狂う度に粘着質な涎が飛び散っている。それは強い酸なのか触れたものが音を立てて溶けていき、それ故に轟音により飛び出して来た兵たちも、容易に近付く事が出来ない。
「こいつ…っ!」
「あぁ…死の砂漠の住人だ」
「『ディルーヴィオ』よ。コイツを消滅させる武器は…ない」
 ソニアの絶望的な言葉に、偽りはない。
 ディルーヴィオは、別名『水の悪魔』とも呼ばれている。通常の得物で斬った所で、水を斬ったと同様にすぐに元に戻るのだ。
「とにかく、一旦コイツを斬る!考えんのは、この状況を脱してからだ!」
 怒号と共に赤華扇が強い光を放った。同時にディルーヴィオは綺麗に三枚におろされる。
 その隙に全員がディルーヴィオの下から脱出を実行した。瞬きの刹那に巨体は元の形に戻り、モゾモゾと動き出す。
 ミミズのような胴体。その腹には無数の小さな足が蠢いている。鋭い牙の生えた丸い口からは臭気が漂い、涎が落ちる度にジュウ…と瓦礫を跡形もなく消し去った。
 醜悪で獰悪。
 その言葉に尽きる。
「どー…すんの…コレ…」
 龍馬があんぐりと口を開いた状態で、自分の左右に並ぶ人物たちに目を向ける。しかし、四人に焦った様子はない。寧ろ、ウキウキわくわくと胸を躍らせているくらいだ。
「えー…どうしよっかー。あ、帝王たちは手出し無用でお願いしますね」
 望の進言に、王の間から駆け付けたヒガディアルとトラスティルは苦笑を禁じ得ない。
「オボロでどうにかなるかな」
「やっぱ、再起不能にしたいよね」
「出来ればそうしたいわね」
 龍馬は呆れる。加勢をすべきかと思ったがしかし、自分は明らかに経験不足。
 足手まといにしかならないのは、目に見えている。
「再起不能なら…水の宝具じゃなきゃ無理だろうね」
「あー…《鳴響詩吹》だっけー」
 康平が呟いたのは、龍馬には聞き覚えのある名前。
 掌を開いてみる。つい先ほど手に入れた日本刀がフッ…と現れ、ズシリとその身を手の平に預けてきた。
「メイキョウシスイって…コレの事?」
 間。
「あぁあぁぁあっ!!」
 その場の全員の叫びが木霊した。あまりの大合唱に、龍馬の鼓膜がキンキンと悲鳴を上げる。
 ヒガディアルも珍しく驚きに目をまたたいていた。
「何で君が持ってんの!?」
「や、持ってて可笑しくねっちゃねーけど」
「持ってんだったらさっさと出せよ、クソガキ!」
「ま、これでどうにかなりそうね」
 四人が四人とも思い思いに声を上げるが、龍馬は何が何だか解らない。
 それに気付きつつも、望は龍馬の肩をポンと叩く。
「アレ、斬れ」
 と、満面の笑みで指した先にはディルーヴィオ。相変わらず、脅し同然の笑みである。しかし、龍馬は生まれて此の方、自分の拳や足以外の武器と言うものを扱った事はない。
「むっ無理!無理だって!刀とか扱った事無いし!」
 思いきり拒絶を示せば、ムニッと両頬を摘まれる。そして、力の限り引っ張られた。
「んぎゃーっ!」
「それは、持ち主しか振るえないの。他の人には持てないの。俺の言ってる意味、わーかーるー?」
 青筋が立った微笑みほど恐いものはない。龍馬は声もなく、コクコクと人形のように頷くので精一杯だ。
「ダーイジョウブだって。ソレが闘い方を教えてくれる」
 康平が指差したのは、龍馬の手の中に納まる鳴響詩吹。
「ソレは全ての水を自在に操り、斬れぬものすら持ち主の意思で斬れる代物だ」
「斬れぬもの…?」
「例えば…鉄とか固い物を始めに、水や風、自然界の物すら両断するの」
 リーチェ兄妹の説明に生唾を飲み込み、手中の刀に目をやればその抜き身の刀身は光を跳ね返して虹の光彩を放っている。魅入られたかのように、刀身を見つめたまま身動き一つしない龍馬。
 柄を握り込んだ瞬間、全神経が冴え渡る感覚が襲った。柄から、刀身へと螺旋を描くように紫の焔が絡まって行く。
 不意に龍馬の額に銀の宝玉が姿を現した。その瞬間、龍馬の視界が一転する。
 瓦礫の山は真っ白な部屋へと変わり、目の前には一人の青年。深い紫の髪とほんの少し眦の垂れた双眸。左目尻には小さな星型のホクロ。美しい青年は微笑んだ。
《初めまして、スィーレ》
 冷たい印象の外見を裏切る優しく響く声。伸ばされた両手首には、鈍く輝く手枷と鎖。
 何故、と思いつつも、差し出された両手に左手を乗せた。
《今、契約の時は訪れました。さぁ…ワタシを貴方の御許へとお導き下さい》
 優しい微笑みは、マツバの微笑みのように心温まる。
《我が名は、イェソド》
 青年、イェソドは額を龍馬の手の甲に触れさせた。まるで、祈りを捧げるかのように。
「イェソド。神名を『シャダイ・エル・カイ』」
 恭しく頭を垂れる青年の姿が、紫紺の焔へと変化する。
「基礎を担い紫紺の焔司りし者よ、今此処に、我が正統なる契約精霊として承認する。主が為にその力、十二分に揮え!」
《御意に、マイ…マスター》
 イェソドから強い光が放たれ、龍馬の視界を奪った。

「龍馬!」
 望の叫びに、龍馬の意識が覚醒する。
 四人が立ち向かった化け物は、やはりその身に傷を作る事無く刃を擦り抜けて、それだけが目的だと言わんばかりに龍馬へと飛びかかった。
 目の前に迫った円に並んだ無数の牙。人一人簡単に飲み込める大きな口が、龍馬の肌に影を作る。
「音は刃よりも鋭く響き渡り、炎を纏いて邪なる者を容赦なく切り刻む」
 ―リィィィン!!
 澄み切った鈴の音が鳴った瞬間、ディルーヴィオの巨体が放たれた紫炎の壁に弾かれ、飛沫となり辺りに散った。が、その姿は再び元に戻る。
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