紅蓮の獣

仁蕾

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翡翠の章

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 他の者にも見えているらしく、兵たちは僅かに頭を垂れている。常ならば、声だけの彼女だが姿を見せるとは余程の緊急事態なのか。
《主様、兵達の人払いをして頂けると…》
 フェニーチェの要望にヒガディアルが手で指示を出せば、兵達は音も立てず速やかに王の間から出て行った。静かに扉が閉まる。室内に居るのは、ヒガディアル、マツバ、トラスティルの三名。それでも、フェニーチェは言い淀む。
《宜しければお二方も…》
「それ程までの機密事項か?この二人ならばお前も信頼していよう。申せ」
《はっ。では…望と迦陵からの情報で御座います。今後の風神族帝王、ニディオラ様の動向にお気を付け下さい、との事》
「それは、どう言う意味ですか?」
 マツバが怪訝な声を上げれば、フェニーチェは幾分躊躇った様子で口を開いた。
《詳しくは解りません…が、如何やら、レジーナが関わっているとか…》
「サラが?…帝王」
 フェニーチェの報告に、眉間に深い皺を刻み込んだトラスティルがヒガディアルに目を向ける。ヒガディアルはその視線に小さく頷いた。
「フェニーチェ、〈螢〉を起こせ」
《…宜しいので?螢を呼び起こせば、ヒガディアル様の『制御』が外れ、獅子のお姿に戻られる可能性が…》
 〈螢〉は、ヒガディアルが契約しているもう一人の精霊の事である。フェニーチェの伴侶と言っても過言ではない。
 螢はヒガディアルが精霊王に選ばれた時から、溢れ出る精霊力の制御役としてヒガディアルの中で眠りに就いていた。それでも結局は抑え切れずに、ヒガディアル自身が眠りに就いてしまったが。
「私には『花嫁』が見付かった。問題はない」
 微笑むヒガディアルの答えに、フェニーチェが微笑みを返した。
《心得ました。では、失礼致します》

   ***

「ん?」
 龍馬の部屋である『スカルラット』。
 ニコニコと食後のデザートを食していると、何かに引っ張られるような感覚を覚え、小さく声を上げた。
「どうかしたのか?」
 康平が声を掛けたと同時に望が部屋に戻って来た。その面持ちは普段と変わりなく、穏やかな表情だった。が、長い付き合いの康平には何かしら伝わったようで。
「あ、お帰りー、ノン様」
「ただいま、龍馬」
 常と変わらぬ声音。望が康平の横を過ぎる時、紙の切れ端をそっと龍馬に見えぬよう康平の手の中に潜り込ませた。
 康平は横目で龍馬が望と話し始め、こちらを見ていないのを確認すると、渡されたメモに視線を走らせた。
そこに書かれていたのは、流れるような美しい筆記体。英語で書かれたそのメモの内容は。
【風の王に注意しろ。よくない事が起こる】
 と、不吉な言葉が記されていた。それをくしゃりと握り潰すと、康平は周りにバレないように小さく息を吐き出した。望の忠告は、下手をしたら予知や予言の域に達するモノがある。そんな彼からのメッセージ。
 いざとなったら、血に染まる覚悟をせねばならぬのかもしれない。
(ま、俺もノン様も、今更血に濡れる事なんて躊躇わないけどね…)
 口角がクッと持ち上がり、欠伸をする振りをして慌てて口元を手で覆い隠す。龍馬の嬉しそうな笑みを見て、安堵の息を付いた。
「で?なんかあったの?」
 望は椅子に腰掛けながら、テーブル上の果物に手を伸ばした。望の問いに龍馬は唸る。
「んー…何って言えばいいのかな…。自分の中に引っ張られる感じ?こー……うーん…ゴメン、何て言えばいいのかわかんない…」
 言い淀む龍馬は、眉間に深い皺を刻んで首を傾げた。
 そこまで考えなくてもいいのに、と思いつつ甘い果実を口に含んでご満悦の様子の望。
 康平は康平で、我関せずと契約竜を召喚して遊んでいる。『同調者アデレンテ』と呼ばれる契約竜との意思疎通が取れている者は、自分の呼びたい大きさで契約竜が呼べるのである。つまりは、仲が良ければ良いほど竜は契約者に従うと言う事だ。最小はコップほど、最大は元の大きさが限度である。現在、康平の契約竜の大きさは、最小サイズ。手乗りサイズで、「キュゥ、キュゥ」と可愛らしく鳴いている。
「アレじゃないの?今、精霊王と繋がってるから、あの人が何かしてんじゃね?」
「ああ、その可能性はあるね」
 康平が言って、望が肯定する。とんとんと進んで行く会話に取り残される龍馬。
「繋がってる?」
「そ、魂と言うか…流れる時間と言うか。オレ達も触り程度しか聞いてないから、詳しくはマツバ様にでも教わればいいよ」

「ってな事で、来てみたんですけど?」
「いや、そんな言われましても、何が何だかサッパリ解りませんから」
 訪れたのは、マツバの執務室。
 事の経緯をすっ飛ばし、扉を開けた第一声でそんな事を聞かれてしまったら誰もが同じ反応を返すだろう。苦笑すら浮かばないほどに、呆れ返ってしまう。
龍馬は「むー…」と小さく唸った。
 ―カチャ…
 茶器が小さな音を立てて、龍馬の座るテーブルに置かれる。
「有難う御座います」
「いえ。それで、急にどうされたんですか?」
 マツバも自分の茶器を置いて、龍馬の正面に座る。何故、急に執務室に訪れたのか聞いてみれば。
「上手く言えないんですけど…何か、さっき自分の内側に引っ張られる感じがして…望さんに聞いたんですけど、詳しい事はマツバさんにって」
 不思議そうに表情を歪める龍馬。マツバは一瞬キョトンとした顔になり、次の瞬間にはふんわりと優しく微笑んだ。
「それは、『ファタリタ』という現象ですね」
「ファタリタ…?」 
 繰り返す龍馬に、マツバは笑みを深める。
「ええ。古い文献に記載されていましたが、お互いに想い合う…相思相愛の精霊王と『花嫁』にだけ起こる魂の結び付きの事です。相手の異変に即座に気付き、対応出来る。簡単に言えば…運命共同体?まぁ、歴代の王達に相思相愛の仲なんて極稀だったんですけどね」
 運命共同体。サラリと言われた言葉に、龍馬の顔が一気に真っ赤に染まった。それを見て、マツバはクスクスと笑いを漏らす。
 穏やかな時間。その時。
 ―ガシャンッ!
「サラ!」
「だ、大丈夫…ちょっと眩暈…」
 不意にテーブルに肘を付いた龍馬。力の抜けた手が落とした茶器。テーブルクロスに広がる水溜まり。思いの外、衝撃が強かったのか、茶器が僅かに欠けている。
「ぁ、食器…ごめんなさい…」
「いえ、気にしないで下さい。怪我は無いですか?」
「……ん、無いみたいです」
 先程までと打って変わり、真っ青な顔色の龍馬。大丈夫と笑っているが、見ているこちらが痛々しいと感じるほどだ。
「サラ、今日は部屋で休んでおきなさい。イシュバイルとの鬼ごっこなんて以っての外ですからね」
 厳しい剣幕のマツバに、龍馬は苦笑しながら頷くのだった。

   ***

 時間を僅かに遡り、龍馬がデザートを食している頃。
 玉座に腰掛けるヒガディアルは、ただ目を瞑って己の魂の傍で眠る精霊が起きるのを待つ。しかし、なかなか起き出して来ない。身動ぎをする気配すらない。
 何故…―?
 嫌な予感が脳裏を過ぎる。その時、胸の部分が淡く輝き、深紅の炎が姿を現した。炎は宙を舞い、ヒガディアルの正面で一際大きく燃え上がって人の形を模って行く。
「どうした」
 姿を露わしたフェニーチェに、ヒガディアルは声を投げた。〈螢〉を起こしに向かったはずの女人は、困惑の表情でそこに立つ。
《何やら、『呪鎖じゅさ』が掛けられ、螢は動けぬ状況に…》
 『呪鎖』とは、読んで字の如く『呪いの鎖』。封印術の一種で、術者の力が強ければ対象者の精霊力だけでなく精霊自体を封じる事が出来る。
《ヒガディアル様の魂が僅かに巻き込まれております。しかし、『繋魂けいこん』の部分が囚われており、レジーナに悪影響を及ぼしている可能性が…》
 繋魂。精霊王と『花嫁』の魂に刻まれた同一の紋章の事であり、その紋章に何かしらの影響が及べば、相手に掛かる負担も大きい。
 現在、ヒガディアルのその紋章の部分に『呪鎖』の影響が及んでいるという事で、その影響が『花嫁』である龍馬に何かしらの悪影響を与えている状態であるとフェニーチェは言った。
《…只今、本体の方から情報を得ました。どうやら、レジーナの体調が思わしくないようです。現在、『スカルラット』にてお休みになられております》
 途端、ヒガディアルの表情が険しくなる。そして、考える。 
 精霊王と言う事を除いても、自分は火神族(サラマンダー)の帝王だ。その自分に対して遠隔で術を掛けるなど、余程の知識と経験、同等に近い精霊力が無ければ不可能だ。一番認めたくはない結果が、ヒガディアルを苛む。
《…如何致しましょう》
「〈咲夜姫〉は…?」
《彼女さえも…》
 咲夜姫。ヒガディアルが契約している、高等精霊の一人。
 ヒガディアルの使役する高等精霊は、フェニーチェ、螢、そして咲夜姫の三人である。
 咲夜姫さえも囚われては、あとはフェニーチェかその他の上等精霊、下等精霊しか居ない。
「…仕方あるまい…。おい、居るのだろう?」
《ふん…随分と手軽な呼び出し方だな》
 ――タシ…タシ…タシ…
 柱の陰から現れたのは、犬。火神族(サラマンダー)の守護神の仮の姿であり、仮の名をアグニと言う。本来は、人の姿で名も〈ククルカン〉と言うのだが、本人は何やら犬の方が楽なようだ。
 フェニーチェが、守護神の出現に優雅に腰を折った。
「アグニ…今回は、おふざけは無しだ」
《ふん、解っておるよ。…私に、アヤツの傍に居ろと言うのだろう?》
「ああ」
《報酬は?》
「ふむ、では…マツバの折檻で良いか?」
《……無報酬で良い》
 そう言い残し、犬の姿が炎の華となって消えた。その数秒後、フェニーチェが頭を上げてヒガディアルを見つめる。
「心配いらんと思うが…念の為だ。お前も警戒していてくれ」
《御意》
 再び頭を下げたフェニーチェは炎となってその姿を消した。
「……愚かな…」
 苦々しく呟かれた言葉は、彼の者に届く事はない。
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